休廃刊する被災地の地域紙 最後まで消せなかった2文字

 東日本大震災後、岩手県の被災地で創刊された二つの地域紙が、10年を機に相次いで廃刊や休刊となった。必要な復興情報を住民に伝え、課題を被災地の外に発信してきたが、人口減や高齢化による部数減に耐えられなかった。だが、復興の教訓を次の災害に生かす動きも始まっている。  岩手県釜石市の「釜石新聞」は自らも被災した記者らが、復興に向かう日々のできごとを淡々と伝えてきた。市内世帯数の4分の1に当たる4千部弱を発行するが、27日の臨時号を経て31日で終止符を打つ。  中古住宅の2階を利用した本社兼編集室。「1年持つか、2年持つか、と始めて、ここまでやれるとは思っていなかった。一語、一語書くのに必死だった」。実質経営者の川向修一編集長(68)は話す。 最終号に選んだテーマは  創刊は、震災から3カ月後の2011年6月11日だった。原則週2回、ブランケット判4~6ページの新聞を出した。仮設住宅の支援イベントや復興工事の起工式、役所の発表など、被災地の毎日を日記のようにつづる紙面づくり。テーマを深掘りする余裕はなかったが、1面のコラム「足音」で、社外筆者たちの復興への提言や意見を紹介した。  社員10人は地元にあった「岩手東海新聞」の記者や営業社員だった。釜石から北の三陸沿岸をカバーする夕刊紙で、あの日、高台避難した子どもらの写真を撮っていた川向さんの視線の先で、社屋と輪転機が津波にのまれた。同僚記者も2人犠牲になり、事実上の廃刊となった。  新たな新聞発行を持ちかけたの… 【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

大正時代から続く日本の香水作り アロマコロジーも活用

資生堂研究員 福喜多祐子さん  資生堂は「日本人による最初の本格的な香水」といわれる「花椿(はなつばき)」を1917(大正6)年に生み出しました。文化人でもあった初代社長の福原信三が視覚には絵画、聴覚に音楽などがあるのだから、嗅覚(きゅうかく)にも芸術が必要と考え、日本人に合った香りづくりを始めました。会社のシンボルマークでもあるツバキ、続いて梅、藤と日本を代表する花々をあしらった香水を総合芸術品として世に送り出しました。 ふくきた ゆうこ 2005年、東工大大学院修了後、資生堂に入社。18年からブランド価値開発研究所で、ブランド「SHISEIDO」などの香料開発担当。  私は2005年に入社後、化粧品素材などの研究開発を担当しました。香りを本格的に研究したい、と思ったのは育児休業中です。赤ちゃんのにおいが「食べちゃいたい」と思うくらい、すごくよかった。やみつきになるような香りが出ているのかな、と研究者としての関心が高まりました。復職後の17年から香りの研究を始め、今はアロマコロジーを生かした商品開発を手掛けています。  アロマコロジーは、香りをかいだ人の心拍や脳波などを計測し、被験者の心理、生理、行動がどう変化するかを科学的に明らかにする研究です。資生堂は1980年代から取り組み、皮膚や交感神経の活性化、睡眠不調を緩和する働きなども発見してきました。  東日本大震災の3年後、岩手県大船渡市の被災地で行った実証実験では、住民の方々に市の花でもあるツバキの香り成分が入ったスプレーを2週間、就寝前に体や枕などに一吹きしてもらいました。不眠や不安が和らぎ、睡眠状態や起床時の気分や体調も良くなったことが裏付けられました。  香りは目に見えないし、言葉で… 【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「下着取りかえず3週間」 防災復興にひそむ男女格差

 「男性中心」の防災や復興のままでいいのか。10年前の東日本大震災の後、支援者への聞き取り調査などで被災地のジェンダー格差を研究してきた静岡大学の池田恵子教授は、「誰もが暮らしやすい街への復興には女性の参加が大きく関わっている」と話します。 いけだ・けいこ 1966年生まれ。減災と男女共同参画研修推進センター共同代表。静岡大学教授。防災、災害対応、復興をジェンダーの視点から研究している。地域防災にジェンダーや多様性の視点を組み込む研修や調査にも取り組んでいる。  10年前、津波で大きな被害を受けた宮城県南三陸町から隣の登米市に避難した女性が、避難所で登米市の女性グループにこんな話をしました。「実はこちらに来てから3週間、下着を取りかえていない」。私は後に支援者への聞き取り調査で知ったのですが、驚きました。 「わがままだと思われる」  ほかにも着替えの場所がない、ブラジャーがないといった声が上がりました。その後、登米市の女性グループは市や企業の協力を得て、一人ひとりに合う下着や基礎化粧品をセットにして届けました。下着の件は尿路感染症などにつながりうる大変なことなのに、言い出せなかった。「わがままだと思われ、避難所にいられなくなる」と思ったんですね。  多くの場合、避難所のリーダーは退職後の世代の男性。地域組織のリーダーです。リーダーが怖いわけではなく、一生懸命やってくれるからこそ言い出せないわけです。行政との交渉や支援受け入れの可否などは男性が担う一方、女性は炊き出しや荷物の仕分けといった下働き的な役割になりがちで、女性の声は運営に反映されにくかった。  下着や生理用品など物資が足り… 【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ナプキンいらず、ダサくない 吸水ショーツが成長市場に

 生理のとき、ナプキンなしでも過ごせる「吸水ショーツ」が注目を集めている。米国で話題を呼び、日本でも女性起業家らが次々に独自ブランドを立ち上げているほか、8日には大手衣料ブランド「GU」も発売を始めた。新たな成長市場をとらえようと参入が相次ぐ。 ナプキンいらず  GUが8日に発売した吸水ショーツは、股の部分が3層構造になっており、水分15~20ミリリットルほどを吸収できる。一見、普通の下着だが、洗って繰り返し使える。ピンク・薄いピンク・薄いブルー・ネイビー・黒の5色で、税込み1490円。消費者から「快適に過ごせるインナー(下着)がほしい」などの要望が寄せられていたという。  生理に悩みを抱える女性は多い。経血を吸収したナプキンは蒸れて気持ち悪くなりがちで、予備を持ち歩いて付け替える手間もかかる。月1度やってくる生理のそんな悩みを、少しでも軽くしようと生まれたのが吸水ショーツだ。米国で本格的な商品が登場したのを皮切りに、人気が世界的に広がっている。  日本の草分けは2019年に販売を始めた下着ブランド「ピリオド」だ。寺尾彩加代表(27)は「ただでさえ気分が下がっている時に、ダサいものは、はきたくない。身につけたいと思ってもらえるよう、デザイン性にこだわった。次の生理が来るのが楽しみになるようにしたい」。  経済的理由で女性が生理用品の入手に苦しむ実態が民間の調査で明らかになりました。生理をめぐる動きをリポートする連載です。  見た目だけでなく、肝心の吸水速乾性や、はき心地にも力を入れる。吸水力は最大20ミリ~30ミリリットルだが、ナプキンと併用して使う人もいるという。 伊勢丹にも 「保守的なイメージある場所でこそ」  ほかにも女性起業家らが「ナギ」「ベア」などのブランドを立ち上げている。下着メーカーなどが追随しており、寺尾さんによると、今は国内10社ほどが参入しているという。価格帯は2千~7千円台ほどだが、GUのように大手も参入することで価格の選択肢は広がる可能性がある。  女性の身体の問題をテクノロジーで解決する製品を扱うフェルマータが、期間限定ショップを伊勢丹新宿店で2月末に1週間出店。複数ブランドの吸水ショーツを販売した。好評だったこともあって、今後も定期的に期間限定店を出していく予定。3月17日から4月6日までは同じ新宿店で「女性の身体と心の健康」をテーマに、化粧品や身体のケア製品に加え、吸水ショーツを置いた店を開いている。  伊勢丹新宿店の担当バイヤーの桑原麻友子さんは「百貨店は幅広い年齢層が訪れ、少し保守的なイメージもあるが、そういう場所でこのような女性の健康を支える商品を提案していくことに意味があると思う。百貨店は単に商品ではなくて文化を発信するところであり、女性の選択肢を増やす提案をしていきたい」と話す。(岡林佐和、細見るい) Source : 社会 -…

ビル解体現場で囲い崩れる、けが人なし 大阪・西成

 27日午前11時20分ごろ、大阪市西成区千本中1丁目の5階建てのビルの解体工事現場で、建物を覆っていた囲いの一部が崩れ、道路を挟んだ隣のビルにもたれかかっているのを通行人が見つけ110番通報した。大阪府警西成署や大阪市消防局によると、けが人はいないという。  囲いは最上部から半分ほどが斜めに崩れており、発生当時、解体作業が行われていたという。府警が足場の設置方法に問題がなかったか調べている。現場は南海電鉄天下茶屋駅から南西に約500メートルの住宅や飲食店が立ち並ぶ地域。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

電気点検装い高齢者宅侵入容疑 男ら逮捕 東京・小金井

 電気点検を装って入った高齢者の家からキャッシュカードを盗むなどしたとして、警視庁は、自称リフォーム業の松井孝司容疑者(53)=神奈川県平塚市山下=と、19歳の少年2人=ともに横浜市西区=を窃盗の疑いで逮捕し、26日発表した。調べに対し、少年の1人は「カードを盗み、金を引き出した」などと供述し、ほかの2人は否認しているという。  東京都と神奈川、埼玉両県では昨年7月以降、同じ手口による被害が他に少なくとも9件起きており、被害者はいずれも高齢者だった。警視庁は、防犯カメラの映像などから、全ての事件に松井容疑者が関与した疑いがあるとみて調べている。  捜査3課によると、3人の逮捕容疑は昨年11月24日午後3時15分~4時20分ごろ、共謀し、東京都小金井市の90代の夫婦の家から現金14万5千円とキャッシュカードを盗んだうえ、カードを使って近くのコンビニのATMで現金計40万円を引き出した疑いがある。夫婦に「電気点検です」とうそをついて家の中に入り、配電盤や天井裏を確認しながら、隙をついて金品を持ち去ったという。  同課は、周辺の防犯カメラの映像などから3人を特定した。現場近くまで車で来ていた様子も記録されていたという。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

総監督が思うAKB48に必要な変革 向井地美音さん

(AKB48グループ 世の中って…)向井地美音さん〈AKB48〉  この1年は「1歩進んでは2歩戻るみたいな1年だったな」という印象です。ファンの方となかなか会えなくなってしまった今、少しでも出来ることを考えようと、おうちからのYouTube配信を始めたり、劇場公演もお客さんを減らして再開したり、少しずつ進んでいった面もあれば、今年1月の東京ドームシティホールでのライブが中止になってしまうなど、「先が見えては戻って、見えては戻って」という感じで、もどかしかった1年でした。  「ライブをしてほしい」「シングルを出してほしい」という二つが、ファンの方から一番言われることです。私も本当にそうしたいと思っているのですが、AKB48だからこそ挑戦しすぎることが出来ず、保守的になってしまっているように感じていて、それが今の悩みです。  AKB48は国内のグループからの選抜でCDを出していましたが、今は地方からメンバーに来てもらうことも厳しい状況です。  私はAKB48の若い子たちのチャンスの枠がもともとすごく少ないなと感じていました。コロナ禍になってから、歌番組に出させていただくときにAKB48のメンバーだけで出るということが何回もありました。そのときに初めて選抜に入れた子や、注目されてツイッターで話題になった子もいたので、チャンスがあるのなら、AKB48だけでのCDを出すというのは本当に1回やってみたいなと思っています。  インタビューの後半では、YouTubeチャンネルの活動で得た手応えや、個人としての目標についても語ってくれました。  ただ、それはAKB48という… 【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

性愛は人生の箸休め 猥談バー店長・佐伯ポインティさん

 表だっては語りにくいが、人間の本質が時折のぞく。エロい話を愛する者たちが集う会員制バー店長の佐伯ポインティさん(27)は、明るく面白い猥談(わいだん)を追求する自称「エロデューサー」。エロの話、新聞で聞いてもいいでしょうか。  夜の言葉遣いが独特だった元恋人。セックスフレンドとの濃厚なSMプレー。詳しくは書けそうもない体験談を誰かが披露するたび、匿名・カメラオフの参加者たちがどっと沸く。  ここはバーチャル猥談バー。コロナ禍で休止していた店舗営業に代わり、週に1回オンラインで開いてきた。月1250円または年1万円で登録する会員は約800人にのぼる。 さえき・ぽいんてぃ 1993年、東京都生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。作家エージェント会社コルクの漫画編集者を経て独立。18年、クラウドファンディングで集めた約700万円を資金に東京・阿佐ケ谷に「猥談バー」を開業、ポインティ社を創業しCEOに就任。投稿サイト「純猥談」、異性の友人とペアで参加するマッチングサービス「Bady」などを展開する。  店長として場を仕切るポインテ… 【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

Yoshiyuki Kamei still Giants’ ace in hole

Yoshiyuki Kamei doesn’t actually hit a walk-off, or otherwise huge, home run every time he…

被災地でライブ10年 細美武士さん「チンドン屋に…」

 あの日より前の自分が思い出せない。それくらい俺にとっては大きな出来事だった――。ミュージシャンの細美武士さんは東日本大震災後、東北でライブ活動を続けてきた。音楽を通して東北の人たちと交流し、家族のようなつきあいを重ねてきた。  ――被災地で弾き語りライブを始めたきっかけを教えてください  「被災地に歌で、音楽で元気を」みたいなことは、しばらくは考えられなかった。そんなものより、温かい寝床と、おいしい食べ物だろって。だから、震災後しばらくは宮城や岩手の沿岸に赴き、泥かきやがれき撤去、その他のいろんなボランティア活動に参加し続けてきた。  でも、福島に対する印象は少し違っていた。東京電力福島第一原発の事故のあと、その土地にとどまる決断をした人とか、その子どもたちは大きな不安を抱えているように感じた。福島の幼稚園に通う自分の子が、将来差別を受けてしまうんじゃないかと心配するお母さんにも会った。大丈夫なのかなってみんなが思っているところに、俺たちみたいなのがしょっちゅう来てたら、少しは気が紛れるのかなって思って。昔から知り合いだった福島県郡山市のライブハウスのオーナーに「弾き語りをさせてもらえませんか」ってお願いをした。  ――ライブはどんな雰囲気でしたか  2008年の活動休止以降、そのときまでELLEGARDEN(エルレガーデン)の曲を演奏したことは一度もなかった。11年の5月に、福島で初めて弾き語りに行った時、今自分にできる最大のことはなにかなと考えた。活動休止中だからとか言っている場合じゃないと感じていたので、みんなが聴きたい曲を歌ってあげられたらいいなと思って。メンバーにも許可をもらって、一人で「Make a Wish」という曲を歌った。歌い出した瞬間に泣き出す人が見えた。俺にもできることがあるかもしれないっていう気持ちになった。  ――それ以降、これまで何度も東北でライブを重ねてきました  福島でやっていたら、岩手とか宮城でもやってくれと声をかけられるようになった。とにかく、自分はチンドン屋になろうと思ってやっていた。なんでもいいから笑ってほしい、どんな自分の恥ずかしい話をしてでも笑わせたいって思っていたし。ホームページに送られてきたメッセージで「昔は、きれいごとばっかり歌っていると思っていたけれど、今聴くといい歌だな」って言われたこともあった。何度も行くうちに、だんだんと家族みたいな感じになっていった。ギターを練習してる子が俺の代わりに歌って、俺は客席でみんなとそれを聴いてたりすることもあった。俺のことをたまに遠くから来る親戚のおじちゃんみたいに接してくれるのがうれしかった。  ――あれから10年が経ちました。沿岸は復興に向かっていると感じますか  俺はそういう大局観みたいなものはない。でも、初めて会ったときに小学生だった女の子が今では大学生になったりするわけで。そういう人の変化というのかな。何年もかけてつないできた絆みたいなものの変化は、なんとなくわかるんだけど。「復興」という言葉がなんのことを指してるのかは、俺にはよくわからない。  ――今後も東北でライブ活動を続けますか  もちろんこれからもライブに行き続けるとは思う。でもそれは活動っていうより里帰りに近い。  例えるなら、長いことあった花壇が、なにかで壊れてしまったとして。直せるところは直せばいい。それでも、完全に元と同じ花壇にはならないかもしれない。ただ、また新しい花が芽吹くように、人と人との新しい絆が生まれていって。小さいかもしれないけれど、何世代もかけてそういう花がいろんなところで咲いて、いつか元の花壇がわからないくらいになったときに、ようやく乗り越えたということになるのかなって思ってる。(聞き手・中山直樹)…