コリアンルーツを学ぶ「ハギハッキョ」 日本の教員が加わる意味とは

 韓国・朝鮮にルーツのある子どもが交流する「ハギハッキョ」(夏期学校)が7月27、28日、堺市堺区の市立堺高校であった。子どもたちが自身のルーツを学ぶ意味、日本の教員たちがそれを支える意味とは――。 大阪府内のハギハッキョは1980年に豊中市で始まり、府内各地の自治体の在日外国人教育研究会が開いている。堺市では87年から毎年続き、コロナ禍での中断を経て4年ぶりに開かれた。市内の小中学生ら24人と保護者が言語や文化を学びながら交流した。 子どもたちは年代別に分かれ、在日コリアンの民族講師からハングルの書き方や韓国・朝鮮の歴史と文化を学んだ。民族楽器の演奏体験や、全員でゲームをして楽しむ時間もあった。 小学5年生の女子児童(10)は母方の曽祖父母が戦時中に朝鮮から渡日し、祖母は韓国籍という。「韓国では1歳の誕生日に占いをするなんて知らなかった。楽しかったので、来年も来たいです」と話した。 一緒に参加した母親は「この…この記事は有料記事です。残り843文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

【速報中】長崎市長、広島ビジョン批判 核抑止論から「脱却を」

 1945年8月9日、長崎に落とされた一発の原子爆弾が、7万3884人もの命を奪いました(45年末時点)。日常が一瞬で奪われた、あの日から78年。「長崎を最後の被爆地に」との願いを次の世代につなげるための平和祈念式典が今年も開かれます。台風接近のため、屋内開催となりましたが、この日が持つ意味は変わりません。8日から9日にかけての出来事を速報していきます。■■■8月9日(日本時間)■■■11:50工藤武子さん 「平和への誓い」訴え終え、ほっとした表情  「平和への誓い」を読み上げた工藤武子さん(85)は平和祈念式典終了後、「台風の中でも、なんとか誓いを述べることができてよかった」とほっとした表情で話した。市関係者のみでの式典となったため、被爆者を代表して献花もした。「被爆者のみなさんの願いは核兵器廃絶と平和な世界の実現。これが一番大切だと思って参列した」 工藤さんは被爆者の平均年齢と同じ85歳。誓いでは、次世代への継承にも触れた。「これからは、後継者に伝えることに特に力を入れて頑張っていきたい」と笑顔を見せた。11:50工藤武子さんの夫「妻の言葉、みなさんに伝われば」 式典後、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた工藤武子さん(85)の夫・勇二さん(82)が報道陣の取材に応じた。 勇二さんは、武子さんが子どものころの家族写真を手にしながら誓いを聞いた。「お墓に入った妻の家族にも聞かせようと思って」と勇二さん。「自分の欲を優先するばかりでなく、他人のことを考えれば原爆なんてなかったはず。平和でありたいです。(妻の)言葉がみなさんに伝わるといい」と話した。11:30ビデオ出演の長崎知事 世界の指導者に向け「被爆の実相に触れて」 長崎県の大石賢吾知事がビデオメッセージを寄せた。核なき世界の実現のため、世界各国の指導者にこう呼びかけた。「自ら被爆地を訪れ、被爆の実相に触れて下さい。そして、人類が作り出した核兵器は、人類自らの意思によって、なくすことができるという信念を我々と共有してください」 一方、「核兵器の問題は、環境汚染や気候変動と同じく、持続可能な未来の実現に直結する」として、「同じ地球上に共に暮らす私たち一人ひとりが認識し、核兵器廃絶に向けて行動することが必要だ」と呼びかけた。11:25国連事務総長 「核廃絶は国連における軍縮の最重要課題」 アントニオ・グテーレス国連事務総長のあいさつを、司会が代読した。「被爆者の皆様の名において、そして1945年にこの地で起こったことを心に刻み、核兵器廃絶を国連における軍縮の最重要課題であると宣言します」と誓った。 一方、「私たちは、核保有国同士が、より危険な兵器を作り出そうと繰り広げている軍拡競争を、黙って見ているつもりはありません」と述べた。その上で「核のリスクを排除する唯一の方法は、核兵器を廃絶すること」と訴えた。11:20岸田首相はビデオメッセージ「核軍縮の機運高める」 岸田文雄首相は平和祈念式典への出席を見送り、ビデオメッセージを寄せた。「核兵器のない世界の実現に向け、核兵器不拡散条約を国際社会が結束して維持・強化するよう訴えつつ、国際社会の取り組みを主導する」とあいさつした。 首相は、「被爆の実相を世代と国境を越えて伝えていくことは、核軍縮に向けたあらゆる取り組みの原点として重要だ」として、「長崎や広島を訪れる世界中の人々に、被爆の実相に触れ、平和への決意を新たにしていただきたい」と語った。 また、「ロシアによる核の威嚇が行われる中で、核兵器のない世界の実現は一層厳しいものになっている」と指摘。5月のG7広島サミットに触れ、「確かな成果を土台として、核軍縮の進展に向けた機運をより一層高めていく」と述べた。11:05長崎市長、広島ビジョン批判 「核抑止への依存から脱却を」 長崎市の鈴木史朗市長が「平和宣言」を読み上げた。今年5月に広島であった主要7カ国首脳会議(G7サミット)に言及。核軍縮に関する「広島ビジョン」が肯定した核抑止論について「私たちの安全を守るためには、地球上から核兵器をなくすしかない」と批判し、「今こそ核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべだ」と呼びかけた。 鈴木市長は宣言で、16歳で被爆して背中に大やけどを負った故・谷口稜曄(すみてる)さんの言葉を引用。「原子雲の下で人間に何が起こったのかという原点に立ち返り、核戦争が始まったらどんなことが起きるのかという根源的な問いに向き合うべきだ」と訴えた。11:02「11時2分の風景」写真に残し続ける 今年はじいじと孫で 長崎市内の繁華街、浜の町アーケードでは原爆が投下された「午前11時2分」にアーケード内にサイレンが響き、行き交う人が足を止めて犠牲者らへ黙とうを捧げた。その街の様子に、被爆者の小川忠義さん(79)がカメラを向けていた。小川さんは長崎原爆から78年が経ち歴史の風化を懸念し、市民が平和の尊さを改めて考える機会にしようと約10年前から「日常」を感じ取れるアーケード内の同じ場所で、「午前11時2分の風景」を切り取り発信している。 今年もカメラを向けると行き来する人が目を閉じて足を止める姿があった。アーケードにある11時2分を示す時計に対峙(たいじ)し、シャッターを切った。 この日は孫の大学生の長門百音さん(20)も同行した。長門さんは「わたしたち世代も原爆の歴史を風化させないように受け継ぎ考える努力をしないといけない。じいじの背中からそう感じました」。2人はカメラを持ってほほえみ合った。11:02あす甲子園初戦の創成館 兵庫の練習場近くで黙禱 夏の甲子園に出場し、10日に初戦を迎える長崎代表の創成館の野球部員は、兵庫県内の練習場近くで長崎の方向を向いて黙禱(もくとう)した。長崎県出身の岩永尚大選手(3年)は普段、学校の生徒会で平和学習の企画も担っている。「平和が当たり前だということが感じられる日だと思った。まずは1勝して全国から応援されるようになりたい」と語った。11:02午前11時2分、各地で黙とう 会場で公園で 平和祈念式典で、原爆投下時刻の午前11時02分、参列者らが1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。11:02「長崎の鐘」鳴らした田中さん 「犠牲者、安らかに眠って」 被爆者や被爆2世らでつくる「長崎県被爆者手帳友の会」のメンバーらが長崎市の平和公園にある「長崎の鐘」を鳴らした。鐘を鳴らした被爆者の田中守治さん(83)は「原爆で亡くなった人たちが安らかに眠って欲しいとの思いで鐘を鳴らした」と話した。 田中さんは5歳の時に親類を捜索するため、母と爆心地近くに入り、入市被爆した。「核兵器が存在する以上、いつ使われてしまうかわからない。国の指導者たちは一日も早く核兵器を廃絶してほしい」10:45平和祈念式典始まる 台風迫り60年ぶり屋内開催 長崎市尾上町の出島メッセ長崎で、平和祈念式典が始まった。台風6号の接近に伴い、市は平和公園から会場を変更。各国大使や来賓、遺族らの招待を見送り、市関係者のみで実施した。式典が屋内で開催されるのは、1963年以来60年ぶり。10:30合唱など中止 会場には折り鶴も 出島メッセ長崎で開かれた平和祈念式典は台風の影響で60年ぶりの屋内開催となった。来場までの安全を考慮し、来賓や一般参加者の招待を見送った。被爆者や遺族の他、小学生や高校生の参列も見送られ、例年式典で行われる小学生や高校生による合唱も中止となった。献花や献水は例年通り行われる予定。 会場の脇には、医療施設や保育園など全国の団体から寄せられた折り鶴が並べられた。献花台には海外の駐日公使や各政党が献花した花輪が並べられた。10:00式典準備進む出島メッセ 「平和公園の会場イメージで」  台風6号の接近に伴い、屋内で開かれることになった長崎平和祈念式典。会場の「出島メッセ長崎」(長崎市尾上町)では式典の準備が進められていた。 会場の中央には、通常の屋外会場と同様に、原爆犠牲者を慰霊する碑が置かれた。碑を挟むように設けられたスクリーンには、平和公園にある平和祈念像の写真が映し出されていた。長崎市の担当者は「なるべく平和公園の会場のイメージと近づけようと設営しました」と話す。09:10「イベントで終わらせない」 爆心地公園を訪れた被爆者の思い 小雨が降る中、長崎市松山町の爆心地公園には朝から、原爆犠牲者に祈りを捧げる人々が訪れていた。公園には、原爆死没者名簿が納められている。 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子事務局次長(79)も9日朝、原爆落下中心地碑を訪れた。「訳も分からず亡くなった人、今も苦しんでいる人を思うと涙が出る」。自身も1歳の時、爆心地から2・9キロで被爆した。 式典は縮小開催となったが、この日を「犠牲者を思い、被爆者の声を伝える日にしたい」と話す。「イベントで終わってほしくない。私たちは一年中被爆者ですから」08:00「平和への誓い」 今年の読み上げは工藤武子さん 今年の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げるのは、熊本市の工藤武子さん(85)。熊本県内で工藤さんと共に活動する被爆2世らも長崎入りしていたが、台風の接近に伴って、式典開始を待たずに熊本に帰る。 熊本県で高校生平和大使を務める島村理彩さん(16)は、工藤さんの誓いを式典会場で聞く予定だった。原爆投下時刻の午前11時2分は移動中だが、「普段熊本での平和への関心の低さを感じているからこそ、どの場所にいても追悼の時間を過ごしたい」。熊本被爆二世・三世の会の青木栄会長(62)も誓いを楽しみにしていたが、自宅に帰ってからテレビで見る。「式典が中止になるかもしれないと心配していたが、屋内でも実施できてよかった。工藤さんの誓いは、若者へのエールにもなる」と話した。07:30高校生50人が平和訴える「人間の鎖」 台風下、今年は室内で 長崎市大黒町の自治労会館には9日朝、長崎県内外の高校生約50人が集まり、手をつないで「人間の鎖」をつくった。原爆犠牲者への鎮魂と、平和な未来をつくる決意を示している。例年は100人超が集まって原爆落下中心地碑を囲んで鎖をつくるが、今年は台風接近の影響で断念した。 生徒らは日頃、核廃絶を訴える署名を集める「高校生1万人署名活動」などに取り組んでいる。長崎市の塚根みづなさん(17)は「この日を爆心地公園で迎えられないのは悔しいが、広島や長崎以外の仲間と集まれたことに意味がある。これからも、被爆者の思いや事実を知ってもらうためにアピールを続けていきたい」と話した。07:30在外被爆者、アリランで悼む 爆心地公園のそばにある「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」前で早朝集会があり、朝鮮半島から渡り長崎で犠牲となった在外被爆者を支援してきた市民や在日朝鮮人らが悼んだ。 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が1979年から開いている。朝鮮の伝統芸能や文化を伝える「福岡朝鮮歌舞団」の3人が福岡県から駆けつけ、「アリラン」や「故郷の春」など3曲を歌い、踊った。歌手の徐美香(ソミヒャン)さんは「アリランは北、南、在日に関係なく民族を象徴する魂のような民謡。ここに眠る方々の悔しさを私たちが受け継ぐ決意を込めて歌いました」と話した。06:00浦上天主堂でミサ 家族失った信徒「戦争やっちゃいけない」 爆心地から約500メートルにある長崎市の浦上天主堂で、原爆の犠牲者を追悼するミサが開かれた。1925年に完成し、「東洋一の大聖堂」とうたわれた浦上天主堂は原爆により全壊、信徒8500人が犠牲になったという。台風6号による強風が吹く中、天主堂内では白いベールをかぶった信徒らが平和への祈りを捧げた。 あの日、16歳だった田川清さん(94)は原爆で両親ときょうだい5人の家族全員を亡くした。愛媛県の航空隊で訓練中だった田川さんは「新型爆弾が使われた」と聞き、爆心地近くの自宅へ。「自分の家も家族も何も残ってなくて一人になってしまった」。焼け跡をぼうぜんと見たことを覚えているという。 その後、結婚して子や孫に恵まれたが、原爆のことは話さなかった。「どこかで生きているかもしれないと思って。思い出したくなかったんですね」。語るようになったのは80歳を過ぎてからだ。 今は大阪府に住み、この日は、孫の山田哲嗣さん(44)の付き添いで数年ぶりにミサに訪れた。田川さんは「戦争はやっちゃいけないです。何もかもなくなります」と語った。■■■8月8日(日本時間)■■■19:00宗教の違い超え350人が被爆者慰霊 宗教や宗派の違いを超えて平和を祈る原爆殉難者慰霊祭が8日夜、長崎市上野町の長崎カトリックセンターであった。当初は爆心地公園での開催を予定していたが、台風接近に伴い、急きょ会場を変更した。県内の宗教関係者でつくる県宗教者懇話会が主催し、今年で51回目。1973年から毎年8月9日の前夜に開かれている。 仏教やキリスト教などの関係者約350人が参加し、式は午後7時に始まった。今年は原爆が開発されたロスアラモス研究所がある米ニューメキシコ州のカトリック代表や、ウクライナ正教の司祭も出席。心を一つに原爆の犠牲者を追悼した。18:00被爆したガラス瓶を再現して展示、開催に望みつなぐ 爆心地近くのギャラリーで9日に開かれる予定の「祈りの花瓶展」。企画した長崎市出身の毎熊那々恵さん(33)は「せっかくだから開けたいんですけどね」と心配そうに天気予報を確認していた。 この展示は、長崎原爆資料館にある被爆して変形したガラス瓶を3Dスキャナーで読み取り、伝統の波佐見焼で再現したもの。2017年から活動を始め、東京や香港でも展示をしてきた。爆心地から約5キロの矢の平町で被爆した芳子さん(93)を祖母に持つ毎熊さんにとっても9日は「1年で最も祈りを捧げる日」だ。今年はガラス瓶が発見された場所からわずか200メートルのギャラリーで、平和公園などを訪れた人たちに花瓶に触れてもらおうと準備を続けてきた。あいにくの予報だが「雨にも風にも負けずに、継承や祈りを続けていきたい」と話した。 企画展は11~13日にも開かれる。午前11時~午後7時(13日は午後6時まで)。長崎市浜口町の「Tol.GALLERY」で。17:10原爆資料館のガイド「多くの人に伝えていかなくては」 長崎市のボランティアガイド、福田弘子さん(77)は平和公園近くの駐車場で、大阪から来た団体客を見送った。8日は長崎原爆資料館で来訪者を案内したり紙芝居を朗読したりし、午後からは著書「長崎の鐘」などで原爆被害を訴えた医師、永井隆博士ゆかりの如己(にょこ)堂などを案内した。 台風6号の接近で、9日に予定されていた平和祈念式典の平和公園での開催が中止となった。式典の機材が撤去された公園をみて、「ロシアによるウクライナ侵攻などで核の脅威が高まる中、核廃絶の訴えを世界に伝える機会だっただけに、とても残念です」と語った。 「たった1発の原子爆弾でたくさんの命が奪われ、一瞬にして一生続く(放射線の)影響が出る。無関心の人もいるが、一人でも多くの人に、核兵器を二度と使ってはならないことを伝えていかなくてはいけない」16:10子どもたちが平和学習「ひとごとには思えなくなりました」 台風6号の接近で時折、降雨や強い風が吹き始めた8日夕、長崎市の平和公園に、北九州市内の小中高校の児童生徒約20人らが平和学習で訪れた。 北九州市の小倉は、広島に続く原爆投下地の第1目標だったが、1945年8月9日朝の小倉上空は視界が悪く、原爆を積んだB29が予備の目標だった長崎に転戦した、という経緯がある。同市高校1年生の珠久カエラさん(15)は「もしかしたら、私の街にも原爆が落ちていたかもしれず、わたしは生まれていなかったかもしれません。ひとごとには思えなくなりました」。友人とも平和について話したい、と思うようになったという。15:00被爆者で医師の朝長万左男さんが講義 被爆者団体の一つ、「長崎県被爆者手帳友の会」事務所で、「ヒバクシャと語ろう」と題した催しが開かれた。最初に、被爆者で医師の朝長万左男さん(80)が、集まった10人ほどを前に、放射線が人体に与える影響について解説。「原爆放射線は被爆者を生涯にわたって苦しめる」と話し、「放射線のことを学んで、自分なりに原爆の恐ろしさを理解することが、今後、自分の身を守ることにつながる」と訴えた。 講義の後、被爆者の三田村静子さん(81)が紙芝居で、小学校1年生のときに長崎で被爆した菅原耐子さんの体験を紹介した。三田村さんは「子どものころから平和教育をしていくことが大切。子どもにも伝わりやすい紙芝居を通じて平和の大切さを伝え続けたい」と話した。14:30爆心地公園で追悼する人々「核兵器は絶対ダメ」 原爆死没者名簿が納められて…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

【速報中】きょう長崎原爆の日 台風迫るなか平和への誓い新たに

 1945年8月9日、長崎に落とされた一発の原子爆弾が、7万3884人もの命を奪いました(45年末時点)。日常が一瞬で奪われた、あの日から78年。「長崎を最後の被爆地に」との願いを次の世代につなげるための平和祈念式典が今年も開かれます。台風接近のため、屋内開催となりましたが、この日が持つ意味は変わりません。8日から9日にかけての出来事を速報していきます。■■■8月9日(日本時間)■■■10:45平和祈念式典始まる 台風迫り60年ぶり屋内開催 長崎市尾上町の出島メッセ長崎で、平和祈念式典が始まった。台風6号の接近に伴い、市は平和公園から会場を変更。各国大使や来賓、遺族らの招待を見送り、市関係者のみで実施した。式典が屋内で開催されるのは、1963年以来60年ぶり。10:00式典準備進む出島メッセ 「平和公園の会場イメージで」  台風6号の接近に伴い、屋内で開かれることになった長崎平和祈念式典。会場の「出島メッセ長崎」(長崎市尾上町)では式典の準備が進められていた。 会場の中央には、通常の屋外会場と同様に、原爆犠牲者を慰霊する碑が置かれた。碑を挟むように設けられたスクリーンには、平和公園にある平和祈念像の写真が映し出されていた。長崎市の担当者は「なるべく平和公園の会場のイメージと近づけようと設営しました」と話す。09:10「イベントで終わらせない」 爆心地公園を訪れた被爆者の思い 小雨が降る中、長崎市松山町の爆心地公園には朝から、原爆犠牲者に祈りを捧げる人々が訪れていた。公園には、原爆死没者名簿が納められている。 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の和田征子事務局次長(79)も9日朝、原爆落下中心地碑を訪れた。「訳も分からず亡くなった人、今も苦しんでいる人を思うと涙が出る」。自身も1歳の時、爆心地から2・9キロで被爆した。 式典は縮小開催となったが、この日を「犠牲者を思い、被爆者の声を伝える日にしたい」と話す。「イベントで終わってほしくない。私たちは一年中被爆者ですから」08:00「平和への誓い」 今年の読み上げは工藤武子さん 今年の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げるのは、熊本市の工藤武子さん(85)。熊本県内で工藤さんと共に活動する被爆2世らも長崎入りしていたが、台風の接近に伴って、式典開始を待たずに熊本に帰る。 熊本県で高校生平和大使を務める島村理彩さん(16)は、工藤さんの誓いを式典会場で聞く予定だった。原爆投下時刻の午前11時2分は移動中だが、「普段熊本での平和への関心の低さを感じているからこそ、どの場所にいても追悼の時間を過ごしたい」。熊本被爆二世・三世の会の青木栄会長(62)も誓いを楽しみにしていたが、自宅に帰ってからテレビで見る。「式典が中止になるかもしれないと心配していたが、屋内でも実施できてよかった。工藤さんの誓いは、若者へのエールにもなる」と話した。07:30高校生50人が平和訴える「人間の鎖」 台風下、今年は室内で 長崎市大黒町の自治労会館には9日朝、長崎県内外の高校生約50人が集まり、手をつないで「人間の鎖」をつくった。原爆犠牲者への鎮魂と、平和な未来をつくる決意を示している。例年は100人超が集まって原爆落下中心地碑を囲んで鎖をつくるが、今年は台風接近の影響で断念した。 生徒らは日頃、核廃絶を訴える署名を集める「高校生1万人署名活動」などに取り組んでいる。長崎市の塚根みづなさん(17)は「この日を爆心地公園で迎えられないのは悔しいが、広島や長崎以外の仲間と集まれたことに意味がある。これからも、被爆者の思いや事実を知ってもらうためにアピールを続けていきたい」と話した。07:30在外被爆者、アリランで悼む 爆心地公園のそばにある「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」前で早朝集会があり、朝鮮半島から渡り長崎で犠牲となった在外被爆者を支援してきた市民や在日朝鮮人らが悼んだ。 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が1979年から開いている。朝鮮の伝統芸能や文化を伝える「福岡朝鮮歌舞団」の3人が福岡県から駆けつけ、「アリラン」や「故郷の春」など3曲を歌い、踊った。歌手の徐美香(ソミヒャン)さんは「アリランは北、南、在日に関係なく民族を象徴する魂のような民謡。ここに眠る方々の悔しさを私たちが受け継ぐ決意を込めて歌いました」と話した。06:00浦上天主堂でミサ 家族失った信徒「戦争やっちゃいけない」 爆心地から約500メートルにある長崎市の浦上天主堂で、原爆の犠牲者を追悼するミサが開かれた。1925年に完成し、「東洋一の大聖堂」とうたわれた浦上天主堂は原爆により全壊、信徒8500人が犠牲になったという。台風6号による強風が吹く中、天主堂内では白いベールをかぶった信徒らが平和への祈りを捧げた。 あの日、16歳だった田川清さん(94)は原爆で両親ときょうだい5人の家族全員を亡くした。愛媛県の航空隊で訓練中だった田川さんは「新型爆弾が使われた」と聞き、爆心地近くの自宅へ。「自分の家も家族も何も残ってなくて一人になってしまった」。焼け跡をぼうぜんと見たことを覚えているという。 その後、結婚して子や孫に恵まれたが、原爆のことは話さなかった。「どこかで生きているかもしれないと思って。思い出したくなかったんですね」。語るようになったのは80歳を過ぎてからだ。 今は大阪府に住み、この日は、孫の山田哲嗣さん(44)の付き添いで数年ぶりにミサに訪れた。田川さんは「戦争はやっちゃいけないです。何もかもなくなります」と語った。■■■8月8日(日本時間)■■■19:00宗教の違い超え350人が被爆者慰霊 宗教や宗派の違いを超えて平和を祈る原爆殉難者慰霊祭が8日夜、長崎市上野町の長崎カトリックセンターであった。当初は爆心地公園での開催を予定していたが、台風接近に伴い、急きょ会場を変更した。県内の宗教関係者でつくる県宗教者懇話会が主催し、今年で51回目。1973年から毎年8月9日の前夜に開かれている。 仏教やキリスト教などの関係者約350人が参加し、式は午後7時に始まった。今年は原爆が開発されたロスアラモス研究所がある米ニューメキシコ州のカトリック代表や、ウクライナ正教の司祭も出席。心を一つに原爆の犠牲者を追悼した。18:00被爆したガラス瓶を再現して展示、開催に望みつなぐ 爆心地近くのギャラリーで9日に開かれる予定の「祈りの花瓶展」。企画した長崎市出身の毎熊那々恵さん(33)は「せっかくだから開けたいんですけどね」と心配そうに天気予報を確認していた。 この展示は、長崎原爆資料館にある被爆して変形したガラス瓶を3Dスキャナーで読み取り、伝統の波佐見焼で再現したもの。2017年から活動を始め、東京や香港でも展示をしてきた。爆心地から約5キロの矢の平町で被爆した芳子さん(93)を祖母に持つ毎熊さんにとっても9日は「1年で最も祈りを捧げる日」だ。今年はガラス瓶が発見された場所からわずか200メートルのギャラリーで、平和公園などを訪れた人たちに花瓶に触れてもらおうと準備を続けてきた。あいにくの予報だが「雨にも風にも負けずに、継承や祈りを続けていきたい」と話した。 企画展は11~13日にも開かれる。午前11時~午後7時(13日は午後6時まで)。長崎市浜口町の「Tol.GALLERY」で。17:10原爆資料館のガイド「多くの人に伝えていかなくては」 長崎市のボランティアガイド、福田弘子さん(77)は平和公園近くの駐車場で、大阪から来た団体客を見送った。8日は長崎原爆資料館で来訪者を案内したり紙芝居を朗読したりし、午後からは著書「長崎の鐘」などで原爆被害を訴えた医師、永井隆博士ゆかりの如己(にょこ)堂などを案内した。 台風6号の接近で、9日に予定されていた平和祈念式典の平和公園での開催が中止となった。式典の機材が撤去された公園をみて、「ロシアによるウクライナ侵攻などで核の脅威が高まる中、核廃絶の訴えを世界に伝える機会だっただけに、とても残念です」と語った。 「たった1発の原子爆弾でたくさんの命が奪われ、一瞬にして一生続く(放射線の)影響が出る。無関心の人もいるが、一人でも多くの人に、核兵器を二度と使ってはならないことを伝えていかなくてはいけない」16:10子どもたちが平和学習「ひとごとには思えなくなりました」 台風6号の接近で時折、降雨や強い風が吹き始めた8日夕、長崎市の平和公園に、北九州市内の小中高校の児童生徒約20人らが平和学習で訪れた。 北九州市の小倉は、広島に続く原爆投下地の第1目標だったが、1945年8月9日朝の小倉上空は視界が悪く、原爆を積んだB29が予備の目標だった長崎に転戦した、という経緯がある。同市高校1年生の珠久カエラさん(15)は「もしかしたら、私の街にも原爆が落ちていたかもしれず、わたしは生まれていなかったかもしれません。ひとごとには思えなくなりました」。友人とも平和について話したい、と思うようになったという。15:00被爆者で医師の朝長万左男さんが講義 被爆者団体の一つ、「長崎県被爆者手帳友の会」事務所で、「ヒバクシャと語ろう」と題した催しが開かれた。最初に、被爆者で医師の朝長万左男さん(80)が、集まった10人ほどを前に、放射線が人体に与える影響について解説。「原爆放射線は被爆者を生涯にわたって苦しめる」と話し、「放射線のことを学んで、自分なりに原爆の恐ろしさを理解することが、今後、自分の身を守ることにつながる」と訴えた。 講義の後、被爆者の三田村静子さん(81)が紙芝居で、小学校1年生のときに長崎で被爆した菅原耐子さんの体験を紹介した。三田村さんは「子どものころから平和教育をしていくことが大切。子どもにも伝わりやすい紙芝居を通じて平和の大切さを伝え続けたい」と話した。14:30爆心地公園で追悼する人々「核兵器は絶対ダメ」 原爆死没者名簿が納められて…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

鹿児島で線状降水帯が発生 山陽新幹線9日夜から計画運休 台風6号

張春穎 藤田大道2023年8月9日 10時58分 台風6号の影響で、非常に激しい雨が同じ場所で降り続く線状降水帯が9日午前、鹿児島県(奄美地方を除く)で発生した。九州のほかの地域でも9日から10日にかけて線状降水帯が発生するおそれがあるとして、気象庁が土砂災害や低い土地への浸水などに注意を呼びかけている。湿った空気が流れ込むため、西日本から東日本の太平洋側でも激しい雨が降るおそれがある。 同庁によると、台風6号は9日午前9時現在、鹿児島県枕崎市の西南西を時速10キロで北北西へ進んでいる。中心気圧は975ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は30メートル、最大瞬間風速は40メートル。今後、九州の西の海上を北上する見込みという。 10日午前6時までの24時間に予想される雨量は多いところで、九州と四国で300ミリ、東海で250ミリ、奄美で200ミリ、近畿で180ミリ、中国で120ミリ。 JR九州によると、九州新幹線は熊本―鹿児島中央間で9日終日、運転を見合わせる。博多―熊本間は通常通り運転する予定という。JR西日本は、山陽新幹線の広島―博多間の一部の列車で9日夜~10日午前、計画運休を実施する。 航空路線では9日、日本航空の252便と全日空の96便が欠航する。両社の10日午前の一部の便も欠航するという。(張春穎、藤田大道)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

【毎日更新】原爆搭載機、目標を変更し…1945年の今日、長崎

 学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。 広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。 1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介してきました。 しかし、3人の日記は途切れてしまいました。この日の長崎 午前11時2分、上空500メートルで 9日午前2時49分、原爆搭載機「ボックス・カー」がテニアン島を離陸した。13人が搭乗した。その後、原爆投下の第一目標である小倉の上空に達したが、視界不良のために投下を断念。第二目標の長崎に向かった。 9日午前11時2分、米軍の原爆搭載機「ボックス・カー」が長崎市にプルトニウム型原爆「ファットマン」を投下。現在の長崎市松山町の上空約500メートルで爆発した。 長崎原爆資料館などによると…この記事は有料記事です。残り558文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

件名には【重要】 リンク先に個人情報を入力直後、3度震えたスマホ

 大阪府警がインドネシア人を逮捕した事件をもとに警察庁とインドネシア国家警察が行った共同捜査は、「フィッシング」の手口で他人のクレジットカード情報を盗み取り、不正購入を繰り返す容疑者らを摘発した。身近に迫るフィッシング詐欺。どう気を付ければいいのか。 3月半ばの土曜日。仕事中だった神奈川県に住む50代女性のスマートフォンに、1通のメールが届いた。 差出人名の表記は、よく使うクレジットカードの会社名。件名には「【重要】」「大切なご連絡です」とあった。 本文を見ると、日頃の利用への感謝の言葉とともに、「セキュリティシステム更新を実施する為ご登録された個人情報を更新する必要がございます」と書かれている。 そのために、「ご利用確認のお願い」というリンク先にアクセスするよう促していた。手続きをしなければ、「セキュリティ上の観点からご利用制限をかけさせていただく」とある。 「早くやらないと」と思いつつ過ごした4日後の水曜日、再び同様のメールを受信した。せかされているように感じ、仕事の合間にスマホで手続きを急いだ。 メールにあったリンク先をタップして開くと、いつも利用明細の確認で見慣れているサイトにつながった。求められるまま、氏名や住所、クレジットカードの番号や有効期限、セキュリティコードなどを入力。完了したと思った直後だった。 スマホが3度、震えた。 確認すると、情報を入力した…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

戦争のイメージから「悲惨さ」が抜け落ちた 小説家・平野啓一郎さん

 広島と長崎に米軍が原爆を投下してから78年。5月に被爆地・広島で開催された主要7カ国首脳会議(G7サミット)では、「核兵器のない世界」が主要テーマの一つとして議論されました。核兵器で国を守ろうとする動きからどう脱却していくのか。小説家の平野啓一郎さん(48)に聞きました。 故郷の北九州市は原爆教育が盛んでした。小学生のころ、8月6日、9日に合わせて登校したり、原爆の映画を見たり。本当は(長崎原爆は)北九州市に投下されるはずだったんだという事実を教育を通じて知りました。自分の故郷が被爆していたかもしれないということを強く受け止めました。被爆作家・林京子さんに感銘 小説家になってから(長崎で被爆した作家の)林京子さんの「長い時間をかけた人間の経験」という作品を読んで、非常に感銘を受けました。 原爆というと「あの日あの時に起きたこと」と考えがちですけど、小説のタイトルの通りに長い時間、被爆の経験とともに生きてきた事実の重みを感じました。 林さんが書かれている長崎弁は僕の地元の北九州弁と近いようなところがあるんです。そういう言葉で、被爆直後に情報もない中で色んなことを語っているんですよ。「石油缶を大量に落として、そこに焼夷(しょうい)弾を撒(ま)いたのだ」とか。 戦争について考える時にどうしても「何人の被害者が出た」と人間を抽象的に考えがちです。ただ、方言で語っている人たちが実際に被爆して死んでいったことを描いた文学を読むと、本当にその土地に根ざした「人の生活」が感じられます。市街地の上に原爆を落とすというのは改めて人道に背くことだと痛烈に感じます。 林さんには直接お目にかかってインタビューもさせて頂きました。原爆による死は、人間の死じゃないんだっていうことをおっしゃるんですね。 死んでいい死ではない、人間に与えられていい死ではないんだっていうような意味合いです。原民喜も同じことを言っていますが、人間があのように扱われて死んでいいはずがないと、そのようにおっしゃったのが印象的でした。肯定的に捉えようがない いま、戦争のイメージから悲惨さっていうものが抜け落ちているように感じます。 僕が子どもの時、日本の戦争に関する映画として「ビルマの竪琴」がヒットしました。ジャングルの中で何にもないまま若者たちが放り出されて、飢えや病でたくさん亡くなっていく。そういう場面もあります。 僕の祖父も徴兵されてビルマ(現ミャンマー)に行きました。「まさにあの通りだった」と言っていました。「天皇陛下のため」「国のため」と、雄々しく死んでいくんじゃなくて、補給もないまま餓死したり、赤痢にかかって死ぬというのは、侵略の加害だけでなく、自国民に対する政府の仕打ちとしても、どう考えたって肯定的に捉えようがないです。 ただそういう旧陸軍の悲惨な…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

コンビニ店員2人刺され重傷 男が無言で刃物、自転車で逃走 足立

高島曜介 遠藤美波2023年8月9日 7時39分 9日午前2時半ごろ、東京都足立区谷在家2丁目のコンビニエンスストア「デイリーヤマザキ足立谷在家月の友店」で、「2人が刺された」などと110番通報があった。いずれも店員の40代女性と60代男性が、男に刃物で刺されるなどして重傷。男は何も取らずに刃物を持ったまま自転車で逃走したという。警視庁は殺人未遂容疑で捜査している。 西新井署によると、男は店に入り、無言のままレジ付近にいた女性店員の背中などを持っていた刃物で切りつけ、バックヤードにいた男性店員の右腕などに刃物でけがを負わせたという。男の店内の滞在時間は約1分だった。当時、店内には3人の店員がおり、襲われたのとは別の女性店員が悲鳴を聞いて110番通報したという。 男は身長170~175センチくらいの丸刈り。青っぽいジャンパー、黒色のズボン、赤色の手袋をつけていたという。 現場は日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅の北西約300メートルの環七北通り沿いで、付近には団地などが立ち並ぶ。(高島曜介、遠藤美波)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

被爆者の戦後、ユーモアと風刺交えた4コマ漫画に 西山さんの追悼展

2023年8月8日 20時45分 17歳の時に長崎で被爆し、自らの体験を描いた紙芝居や漫画などを通して核廃絶を訴えた漫画家西山進さん(2022年10月死去)の追悼展が長崎市岡町の長崎原爆被災者協議会2階で始まった。ユーモアと風刺を交え被爆者の戦後を描いた4コマ漫画「おり鶴さん」の未公開原画などを含め約50作品を展示。原爆の惨状を描いた油絵もある。 初日の8日には、被爆者の思いを語り継ぐ交流証言者の調仁美さんが西山さんの紙芝居「つたえてくださいあしたへ……」を披露。愛らしい表現だが、被爆の実相を鋭く描いたストーリーに来場者は見入っていた。調さんは「自分が見た被爆地の風景を誰もがわかりやすい紙芝居の形で残してくれた。作品はずっと残り続ける。新しい平和の伝え方をみんなで模索していきたい」。追悼展は10日まで。有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ゴルフ場跡地の切断遺体事件 死体遺棄や損壊容疑で男4人を逮捕

高橋淳2023年8月8日 20時53分 栃木県日光市で、ゴルフ場跡地や空き家から男性の切断された胴体や頭部などが見つかる事件があり、県警は住所不定、無職の石川泰治容疑者(75)ら男4人を死体遺棄などの疑いで逮捕したと8日、発表した。4人の認否は明らかにしていない。県警は遺体の身元の特定を進めている。 県警によると、ほかに逮捕されたのは、東京都足立区の代表社員中山正弘(64)、ともに宇都宮市在住の無職五代正一(55)と自称アルバイト従業員大塚泰史(43)の3容疑者。 4人の逮捕容疑は2020年2月ごろ~21年3月、共謀してスーツケースなどに入った男性の遺体を日光市内の空き家などに隠してその後、22年1月までの間に男性の胴体を同市内のゴルフ場跡地に遺棄したというもの。石川、中山、五代容疑者は、遺棄にあたって遺体の一部を電動工具で切るなどした疑いもある。県警は4人が別の人物から遺体が入ったスーツケースを預かった可能性があり、石川容疑者が遺棄を主導したとみて調べている。 亡くなった男性は身長160~170センチ程度、血液型はA型で40~70歳くらいとみられるという。(高橋淳)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル