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カンカン、ランランから50年 上野に「パンダバルーン」が復活へ

 ジャイアントパンダが東京・上野動物園(台東区)にやってきて半世紀。これを記念して10月下旬、上野公園に巨大な「パンダバルーン」がお目見えする。50年前にパンダを見に訪れる人を出迎えたバルーンを復活させたもので、歓迎ムードで街を盛り上げる。 1972年10月28日。日中国交正常化の象徴として中国から2頭のパンダ、オスのカンカンとメスのランランが来日した。当時の上野では巨大なパンダバルーンが設置され、パンダのお面を配布するなど街全体が歓迎ムードに包まれた。 それから半世紀。リーリー、シンシンらが来日するなど、パンダは日中親善の架け橋役を担ってきた。昨年6月には双子のシャオシャオとレイレイが生まれ、現在、同園には5頭のパンダがいる。 上野観光連盟名誉会長の二木…この記事は有料記事です。残り440文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

JR大阪駅にヒョウ現る 迫力ある立体映像 行き交う人も釘付け

白井伸洋2022年10月1日 17時00分【動画】大阪駅にヒョウ現る 3D立体広告=白井伸洋撮影 大阪市北区のJR大阪駅で、コンコースにある大型ビジョンに立体映像のヒョウが登場した。3メートルほどのヒョウが画面から飛び出してあたりを見回すかのような映像に、行き交う人々もスマホで撮影しながら、驚きの声を上げていた。 「JR西日本コミュニケーションズ」などが制作し、9月28日から放映を始めた。平面の画面に映し出した場合の実際の見え方などを検証したり、ビジョン自体の存在を知ってもらったりする狙いがある。 同社によると、2日までは約3分に1度、ヒョウが登場する。3日以降は、不定期で放映される予定。(白井伸洋)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

3年ぶりに大漁旗掲げてパレード 世界文化遺産・宗像大社のみあれ祭

堀英治2022年10月1日 17時00分【動画】100隻以上の漁船が玄界灘をパレードした=堀英治撮影 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されている宗像大社(福岡県宗像市)の秋季大祭が1日、玄界灘の海上神幸「みあれ祭」で始まった。 沖ノ島の沖津宮(おきつみや)と大島の中津宮(なかつみや)のご神体を年に1度、本土の辺津宮(へつみや)に迎える祭り。 ご神体を乗せた2隻の「御座船」が大島を出発、新型コロナウイルスの影響で3年ぶりに参加した漁船100隻以上が大漁旗を掲げ、勇壮なパレードをした。例大祭は3日まで。感染防止に注意しながら行われる。(堀英治)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

11年半「住民ゼロ」だった青い空の町 移り住む男性の決意と希望

 1日朝、真っ青な秋の空が、東京から来た男性を迎え入れた。東京電力福島第一原発から北西に4キロ。荒廃した家や雑草が伸び放題の空き地が目立つ福島県双葉町内の多くの地域とは対照的に、JR双葉駅の西口は青々とした森を背に真新しい町営住宅がずらりと並ぶ。 この日は町営住宅への入居の開始日。劇作家の谷賢一さん(40)は、これから生活を始める住宅の前に立ち、声を弾ませた。「双葉町に人が立ち入れない頃から見ているので、住めるのは信じられない。非常にワクワクしている」 隣接する浪江町出身の母と福島第一原発などで働いた技術者の父を持つ谷さんは同県石川町で生まれ、幼い頃に千葉県内に引っ越した。小中学生の頃に父から「原発には最先端の技術があって、ぴかぴかしている」と聞き、漠然と「すごいもの」と思っていた。だが17歳の頃、茨城県東海村の核燃料加工会社で社員が死亡する臨界事故が起き、衝撃を受けた。「放射能で人が死ぬのか」「なぜ福島に」 疑問を描いて 大学で演劇学を専攻し、在学…この記事は有料記事です。残り1486文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

駅弁でいかが「広島大学弁当」 詰め込まれた思い

有料記事編集委員・副島英樹2022年10月1日 14時00分 2024年に創立75周年、最も古いルーツの白島学校創立からは150周年を迎える広島大学が、駅弁販売の老舗「広島駅弁当」(本社・広島市)とコラボして、記念の「広島大学弁当」を売り出すことになった。地元食材で彩られた特製弁当に込められた思いとは――。 10月16日から25年3月末までJR広島駅構内の売店で販売する予定で、予約も受け付ける。価格は税込み1620円。 学生たちがアイデアを出し合ったメニューには、広島大学ゆかりの食材がふんだんに詰め込まれている。 白飯に振りかけられている「菜の花サラダソルト」は、菜の花、塩、大豆、エゴマを原料に、広島大生と東広島市豊栄町の地域おこし協力隊とが共同開発したものだ。 広島大と村上農園(広島市)…この記事は有料記事です。残り622文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「地域の味」食用ジャンボうさぎ危うし 鶏肉に似た味、なぜ減った?

 秋田県内で100年以上にわたって飼育されている食用のジャンボうさぎが危機に直面している。近年はうさぎを食べることへの抵抗感もあり、飼育農家が大幅に減少。一方で、古くから愛された地域の食文化を守ろうとする動きも出ている。 かつて飼育が盛んだった同県大仙市によると、この地域でのジャンボうさぎの飼育は1899(明治32)年ごろに始まった。 農家の食生活の改善のため、岐阜県から大型の品種を導入し、さらに改良を重ねてきたという。大きなものは体重が11キロを超え、一般的なうさぎの数倍のサイズになる。 当初から食肉用や毛皮用として飼育されてきた。近年は実験用動物としての需要もある。食用としては鶏に似た味で、癖がなく、鍋に入れたり、焼き鳥のようにして食べたりして地域で愛されてきた。 しかし、うさぎを食べること…この記事は有料記事です。残り1281文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

2日続けてダムを訪れた若者 声をかけた監視員に明かした胸の内

 京都府宇治市の天ケ瀬ダムは琵琶湖の水をためて宇治川に注ぐ。高さは73メートル。眺めを楽しもうと観光客が多く訪れる。 8月8日の訪問者は違った。 ダム頂上の通路から下を見たかと思うと、その若い男性は2度、欄干の土台のブロックに足をかけた。ブロックといっても高さは約1メートル。とても危ない。 監視員は見逃さなかった。 福田勤さん(73)。家電営業の仕事を定年退職した後、ハローワークでこの仕事を見つけ、ダムの安全を守ってきた。「どこから来はったんですか」 昼食から戻るとすぐに異変を察知。男性を刺激しないよう歩み寄り、やんわりと声をかけた。 「足をかけはったんと違いますか。どうしたんですか」 「死にたい」 男性は力なく座り込み、そう漏らした。 福田さんは覚えていた。前日…この記事は有料記事です。残り1083文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

記事の価値は閲読数で決まるの? 肩身が狭い「読んで欲しい記事」

 東日本大震災直後から、朝日新聞デジタルで「やっぺし」という不定期連載を続けている。東日本大震災の被災地で取材する私のような記者が思いを前面に出し、復興の現状を住民の息づかいとともに伝える。 喪失感、過疎、防災など、被災地の外の人にも共感してもらえる内容にしているつもりだが、閲読数はだんだん減る傾向にある。その数字を見るたび思う。記事の価値って何を基準にして決まるのだろうか。 ウェブサイトの目立つ場所に…この記事は有料記事です。残り593文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

1周回っておしゃれ、暮らして知った新鮮さ 団地が舞台の映画に注目

 この秋、団地を舞台にした映画がスクリーンをにぎわしている。 深田晃司監督の「LOVE LIFE」の主人公・妙子は息子を連れて今の夫・二郎と再婚し、団地で暮らしている。向かいの棟には二郎の両親が住み、玄関を出れば向こうのベランダの様子が見え、大きな声を出せば会話もできる。 団地の中で起きた事故で悲しみの淵に沈み込む妙子の前にホームレスをしている元夫が現れる。二郎の両親が引っ越していった部屋に身を寄せる元夫……。団地という設定が、近くにいるはずの夫婦や親子に生まれる心理的な「距離」を巧みに表している。 ロケ地は東京都八王子市の都営長房アパート。夜のとばりが下りる一歩手前、2千戸超の団地が順繰りに点灯する光景が美しい。妙子を木村文乃さん、二郎を永山絢斗さんが演じる。老朽化した団地をめぐる冒険物語 9月半ばから全国ロードショーとともに、ネットフリックスでも配信が始まったアニメ映画「雨を告げる漂流団地」は、老朽化して取り壊される団地が登場する。団地に忍び込んだ小学6年の航祐と夏芽、その級友らが、突如として襲った豪雨とともに団地ごと海に投げ出される冒険物語だ。 脚本・監督の石田祐康(ひろやす)さん(34)は、実際に東京都調布市と狛江市にまたがる神代団地に住んでいる。 世間の団地への関心を、石田さんはどう見ているのだろうか。「級友たちのセリフで『おばけ団地』などと言わせたように、一部は取り壊され、時代遅れだと見る人がいるのも確かでしょう」と、一般的には団地に対してネガティブな印象があることを説明する。 そのうえで、「でも、自分の世代からすると、団地は原風景の一部になっている。とくに1960年代に建てられた4~5階建ての中層団地あたりは、1周か2周して新鮮に感じられたり、おしゃれに見えたりして、ちょっとした回帰があるんじゃないでしょうか」と語る。「LOVE LIFE」「雨を告げる漂流団地」に続いて、この秋に公開予定の「ぼくらのよあけ」。いま団地が映画の中で描かれる理由を監督らに聞きました。さらに記事後半では、東京都内に1970年代に登場して話題を集めた高島平団地の歴史も振り返ります。「住むのが最大のロケハン」 石田さんが生まれ育ったのは…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

あの赤ん坊が島PRのYouTuber 青ケ島が無人にならない理由

 1984年4月、筆者はアサヒグラフの取材で日本一人口が少ない自治体となった伊豆諸島、東京都青ケ島村を訪れた。そして2022年8月、現在でも人口最少の絶海の孤島を再訪した。 「あっ、これは僕と母ですよ!」。筆者が持参した38年前の取材時に撮った親子の写真を見せると荒井智史さん(41)は驚いた。 筆者も驚いた。84年の訪問時は船の欠航が続き、1週間近く島に滞在した。時間をもてあまして、島の人を片っ端から撮影していた。今回の取材で「ところで、この写真、どなたか分かりますか?」と聞いた相手が偶然にも本人だったのだ。苦難の歴史を忘れない太鼓の音 38年ぶりに訪れた青ケ島。海路は八丈島からの連絡船だけなのは変わらないが、船の総トン数は10倍になり、船酔いした人がバケツリレーをする光景はなくなった。約200メートル上の断崖絶壁上の道路に空中ケーブルで荷揚げしていたが、この火山島の外輪山を貫くトンネルの開通で、波止場から自動車で村まで行けるようになった。 荒井さんは家業である自動車整備工場、レンタカー、運送業、食料品店などの仕事をする傍ら、太鼓をたたいている。その名も「青ケ島還住(かんじゅう)太鼓」だ。 1978年、荒井さんと父親と当時の村長が始めた。 火山島の青ケ島はたびたび噴火に見舞われてきた。1785年の大噴火で200人あまりが八丈島に脱出したが、100人以上が島で亡くなり青ケ島は無人島になった。 島に戻る試みは幾度となく失敗し、多くの犠牲者を出した。そしてようやく半世紀後に、「還住」した苦難の歴史を忘れないように、祭事などで演奏される。 荒井さんは中学までは島で育った。千葉の高校を出て、和太鼓奏者として東京で活動していたが、11年前に島に戻った。 今は島おこしNPOの代表を務め、島を盛り上げる若手リーダーの一人だ。「まず島の人に青ケ島の良さを再発見してほしい。昔から変わらない青ケ島の伝統、文化、共同体を次の世代に伝えていきたい」と話す。赤ちゃんが青ケ島PR大使になった 38年前、母に抱かれていた女の子の赤ちゃん。再訪すると、青ケ島PR大使と呼ばれるYouTuberになっていた。  佐々木加絵さん(38)は島を出て神奈川の高校を卒業後、美容やアパレルの仕事をしていた。民宿の開業準備をしていた父が亡くなり、母を手伝うために19年に帰島した。グラフィックデザイナーでもあり、島のパンフレットなどのデザインもしている。 「島では夜、することがない」と昨年、動画配信を始めた。20年に島に光回線が開通したことも大きな理由だ。島や加絵さんの日常を撮影して流しただけなのに、「青ケ島ちゃんねる」(https://www.youtube.com/c/aogashimachannel)の登録者は7万人を超す。 動画を見て、ひかれて島に来た人も多い。「行政など大きな仕組みでは大変。私個人でやるのもいいかな」。島外の人にとっては非日常の「日常」をゆるゆると発信している。中学校をなくすな、亡き父の思いを胸に ただ、荒井さんや佐々木さんが巣立った村立青ケ島中は昨年度の在籍が2人の3年生だけ。この2人が卒業すると、1年間は生徒がゼロになってしまう事態が見込まれた。その場合、休校しなければならない。 海水を地熱蒸気で熱して作る特産品「ひんぎゃの塩」を製造する青ケ島製塩事業所の経営者、山田アリサさん(60)は「中学校をなくしてはいけない」と立ち上がった。1年間の「島留学」を全国に呼びかけたのだ。 その結果、今年度は3人が中学校の生徒になった。 このうち2人は山田さん宅にホームステイする。 もう1人は中学3年生の戸来(へらい)仁響(さねみち)さんの一家。父母と妹2人の一家5人で、青森県六戸町から一家で移住してきた。家族で役場職員住宅に住んでいる。 さらに、来年度も2人の入学が決まった。島留学は山田さんの個人的な取り組みだ。なぜ、そこまでしてやるのか。 「昔、父が村長選挙に出るとき、中学生だった私に言ったんです。『アリサ、このままだと島は学校がなくなる。学校がなくなるということは、村がなくなるっていうことなんだ』って」。山田さんは父の言葉が、いま実感として胸にしみている。 山田さんの亡き父である常道さんは、筆者が38年前に訪れたときの村長だった。ここでもまた、過去の縁と結びついた。還住の精神を胸に島に住み続ける 島の最も大きい課題はマンパワー不足だ。人を呼び寄せようにも、住宅を建てることが大変だ。立川佳夫村長は「資材の海上輸送コストなどで、家1軒建てるのに1億円近くかかるんですよ」と実態を語る。 昔に比べれば格段に便利になったとはいえ、島の生活になじめずに帰ってしまう人も多い。「時々村の職員がね、八丈島の方をボーッと見ていることがあるんですよ」と村長は心配そうだ。村役場はいつも職員を募集している。 島の人口を維持するには。これには色々な考え方がある。荒井さんは「じっくりと態勢を整えたい」。佐々木さんは「スピード感を大事にしたい」。山田さんは「短期間でもいいから、島に来る人を少しでも増やしたい」。 「その多様性がいいんです」と荒井さん。山田さんは「この島に50年かけて戻ってきた人たちがいる。私たちがそれを必死になってつないでいかないといけない」。 人手、雇用、住宅、お金――。島に足りないものは多い。だが、島出身者が共有してきた「還住」の歴史がある限り、この絶海の孤島・青ケ島に人々は住み続けるだろう。(勝又ひろし)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル