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就活生を探るSNS調査、どう思いますか? 賛成2割、反対5割

SNSの「裏アカ」調査の流れ 就職活動中の学生らが匿名で使うSNSアカウント(裏アカ)を特定し、その投稿を調べる企業が増えています。投稿内容によっては不採用にすることも。法律的な問題はないのか、就活生側はどうすればよいのか。裏アカ調査について考えます。 朝日新聞は裏アカを調査する会社や就活生らを取材した。 東京・飯田橋にある調査会社は、コロナ下の採用ではオンラインの面接が主流となり、人柄が把握しにくくなった現状を受けて昨年9月、裏アカを特定するサービスを始めた。 閲覧するのはネット上に公開されたもの。履歴書をもとに出身地や出身校、誕生日などが一致する匿名のアカウントを探す。実名アカウントの写真、フォローしている友人、投稿内容のくせなども加味して絞り込み、特定していく。 差別的な投稿や、機密情報の漏洩(ろうえい)なども見つかるという。多くの場合、完全に問題なしの「A」から採用を控えたほうがいい「D」までの4段階で評価し、企業に報告する。 別の調査会社は、これまで担った3万人近い調査対象者のうち3割弱で、中傷やデマといった問題のあるネット上の言動を確認したという。依頼する企業数は年々増え、延べ400社近くになった。 2020年度は前年度比で2・5倍の依頼があったという。従業員の投稿が炎上を招き、企業に多大な損害を与えるケースが増えた。さらに、対面の採用活動が難しいコロナ下が拍車をかけた。同社は「企業側が、志望者らの見えない側面をより気にするようになっている」と説明する。 いまの就活生は「SNSネイティブ」とも称される世代だ。学生らは「投稿は公開されているとはいえ、プライバシー。勝手に裏まで見ないで」と反発。企業側は、応募時に調査への同意の署名などを得ていると説明するが、「そんな文章はよく読まないし、受けたい企業だったら同意せざるをえない」と話す。 就活を所管する厚生労働省は「本人の適性・能力に関係のない情報が把握されかねず、採用に影響する懸念があるため、望ましくない」との考えを示す。 フォーラムアンケートで裏アカ調査について聞くと、20代を中心に10~80代の270人が回答。賛成17・4%、反対48・5%、どちらとも言えない34・1%。こうした調査を知っていたのは6割だった。 賛成では、就活生は匿名での発信であっても内容に責任を持つべきで、企業としては将来のリスクを考えて調査する必要があるとの意見が目立った。反対では、裏アカまで調べるのはプライバシーの侵害という声が多かった。朝日新聞デジタルのアンケート寄せられた主な意見はこちらです。●なりすましの恐れ 特定したアカウントが本当にその就活生のものである保証がない。なりすましや誤解により人生を大きく左右した場合、誰に責任があるのかあいまい。採用活動に採り入れるのは無責任。(千葉県 20代女性)●ネットリテラシーがある人を採用したい 元採用面接官です。勤務先は膨大な個人情報、機密を扱うので、用心深く、ネットリテラシーが身についている人を採用したい。いったん採用したら解雇は困難で、調査はやむをえない。(東京都 60代女性)●過去の投稿で判断、意味がない 昔からSNSを使っている人の過去の投稿内容は、現在の自分と人柄が異なるため、そこで判断されてもあまり意味がない。(岩手県 20代女性)●発言には責任を 世の中に発信された時点で、匿名であってもオフィシャルと考えるべきだ。プライバシーを守りたいのならば非公開にすればよい。発言には責任を持つ覚悟が必要。(東京都 60代男性)●優秀なら本音と建前使い分ける ツイッターで愚痴くらい言っても許される社会であってほしい。調査が常態化したら、心の吐き出し口をなくす人が増えるのではないか。「社会はクソ」と言いつつ結果を出している人なんてごまんといる。本音と建前を使い分けられるのも優秀さの一つ。(北海道 20代男性)●陰湿な攻撃している人は・・・ 医療関係者です。能力以上に、人柄のよい方を職場に迎え入れたい。SNSは本音が出る。陰湿な攻撃などをやっている人は、いじめのリスクがある。SNS調査はきちんとした人が評価される一要素としてポジティブにとらえてよい。(海外 40代女性)●採用のやり方、変革を 学生の内面的な部分を知りたいなら、面接や採用行事の変革などやり方はたくさんある。むやみに調査を行うべきではない。(岩手県 10代男性)●「監視の目」が秩序に 企業が判断材料にするのはあり。そのような監視の目があればSNSにも秩序が生まれると思う。(岩手県 20代女性)●批判と中傷の区別あいまい 中傷や内密な情報を垂れ流すのはだめだと思う。しかし、批判と中傷の区別があいまいになっている今、不安を感じる。(東京都 10代女性)●状況を作ったのは若者 調査をしなければならない状況を作ったのは我々若者。間違った自己表現(バカッターなど)によって会社が損害を受けてしまう可能性を防ぐ方法の一つと考える。私が採用権のある側ならやる。(沖縄県 20代男性) 担当記者は30代後半と40代後半。SNSを駆使した現代の就活は見聞きしていましたが、採用企業が調査会社に依頼してまで裏アカ調査をしているのを知ったのは最近でした。この現状を特集「探られた 裏アカ」で報じました。 形は違えど、僕らが学生時代に飲み会で愚痴っていた光景と、匿名アカウントでのつぶやきは重なるように思います。飲み会での私的な話を企業に調べられたら嫌なのと同じく、今の学生からしたら閲覧者を限定する「鍵」はかけていなくても、私的につぶやいた内容を調べられるのは不快でしょう。 一方で、「身元調査」に当たる恐れがあるとは言え、採用後のリスクを考えて調べたくなる企業の気持ちも分からないではありません。SNS時代に合った何らかのルール作りが必要だと思います。(市原研吾、矢島大輔)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

大学発の災害調査ロボット、400万円余りで実用化 その実力は

 がれきを乗り越えて負傷者を見つけたり、災害現場のデータを集めたり。そんな災害用ロボットを長年研究してきた愛知工業大工学部の奥川雅之教授(50)の調査ロボットが、インフラや工場の監視点検を想定して実用化され、販売が始まった。 実用機は、コンピューターシステム会社サンリツオートメイション(東京都)の「監視点検用クローラロボット」(全長80センチ、幅46センチ、高さ32センチ、重さ24キロ)。奥川教授が2010年から研究してきた災害調査用ロボット「スコット」の技術を初めて実用化し、昨年4月に400万円余りで販売を始めた。 仕組みは重機と似ている。駆動輪にあたるクローラー四つで走り、悪路で姿勢を安定させるサブ(補助)クローラーも四つある。カメラやセンサー、連続駆動1時間半のバッテリーなどを搭載している。 最高時速は2・7キロ。高さ…この記事は会員記事です。残り502文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

炭治郎と禰豆子が向かった「六区」 信仰と娯楽が築いた最大の繁華街

大正時代の浅草・雷門通り(絵はがき)。現在の雷門周辺から西側をのぞむ。左後方は東本願寺。右後方は浅草公園六区の映画街周辺=江戸東京博物館所蔵 「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎が、妹の禰豆子とともに向かった「浅草公園六区」。 その話の前に、簡単に浅草の歴史を振り返りたい。といっても、縄文時代までさかのぼる。 東京都台東区浅草――。 台東区の西部は、「武蔵野台地」の東の端にあたる。 東京の「山の手」と「下町」の境を縫うように、南北に走る京浜東北線。上野から日暮里をへて王子あたりまで、京浜東北線が崖の脇を走っているのを思い出す人もいるだろう。特に、山手線と並走する日暮里や西日暮里は、駅のホームのすぐそこが崖になっている。 縄文時代はいまよりはるかに温暖で、海水面は高く、東京の下町は海の底だった。この崖は、縄文時代の海岸線だ。当時は海沿いだった現在の崖の上で、縄文人が暮らしていた。その痕跡である貝塚が、崖の上のあちこちから発掘されている。 JR上野駅から上野公園に向かうと、そこにも崖がある。崖の上を「上野台」という。上野「台」と、その「東」の低地を合わせた地域――ということで1947(昭和22)年に名付けられたのが「台東区」だ。 さて。鬼が出入りする「鬼門」に浅草寺、家康が庇護大正時代、多くの人でにぎわう浅草仲見世(絵はがき)。関東大震災の前で、れんが造りの建物が並んでいた=江戸東京博物館所蔵 隅田川の右岸沿いの低地に位置する台東区浅草は、江戸初期から戦後まで300年以上、国内最大の繁華街であり続けた。その浅草の隆盛の起点をつくったのは、徳川家康だ。 いまいる場所から北東(丑寅…この記事は有料会員記事です。残り1763文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「出世できないかもよ」それでも選んだ妻の姓 2人が本当に望むこと

ペーパー離婚しました 自分の名前で生きたい 和也さん(36)と美樹さん(31)は今月、離婚した。 といっても、書類の上での話だ。 地元の東京都葛飾区役所に離婚届を出した。6日後に再び、婚姻届を出す。 今度は、妻の氏になる「妻氏婚」を選ぶことにした。 そこまでには、長い道のりがあった。 2人が結婚したのは5年前。 結婚することを周囲に伝えると、決まってこんな反応が返ってきた。 美樹さんには、「新しい名前、何になるの?」。 和也さんには、「奥さんの名前、何?」。 和也さんは当初、美樹さんが自分の名字になったことがうれしかった。婚姻届。「夫の氏」「妻の氏」のどちらにチェックを入れるかで、夫婦の姓は決まる 婚姻届で名字を選ぶ欄で「夫の氏」にチェックをつける前、妻と話した記憶はあるが、内心では「普通は夫の名字だし、わざわざ話す必要もないんだろう」と思っていた。 新たな戸籍は、自分が筆頭者になり、自分の名字で統一されている。それを眺める気分は、悪くなかった。 母は「この家にお嫁に来てくれるのよね」とうれしそうに話していた。 一方の美樹さんは、落ち込んでいた。 「名字を変えたくなかった」…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

茨城など関東4県で震度4の地震 震源は茨城県南部、津波の心配なし

2021年12月12日 13時06分 12日午後0時半ごろ、茨城県南部を震源とする地震があった。気象庁によると、茨城、栃木、群馬、埼玉の4県で震度4を観測した。震源の深さは約50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・0と推定される。この地震による津波のおそれはないという。 気象庁によると、震度4を観測したのは、茨城県の笠間市、結城市、栃木県の足利市、栃木市、佐野市、鹿沼市、群馬県の桐生市、太田市、館林市、埼玉県の加須市、久喜市、春日部市など。 この地震の影響で12日午後1時現在、JRや私鉄で運転見合わせや遅延が相次いでいる。JR東日本のホームページによると、宇都宮線の東京―宇都宮間の上下線で運転を見合わせている。横須賀線など複数の路線でも遅れが出ている。私鉄では、東武の日光線やスカイツリーラインなどで遅れが出ている。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

夫が心底嫌い、でも離婚は嫌だ 脱「仮面夫婦」へ姜尚中さんの答え

 40代女性です。数年前に、子供の進学問題をきっかけに夫婦間、父子間に深い溝ができてしまい、今に至ります。 ただの同居人のような関係で、会話は最小限。家族で買い物に行ったり、テレビをみたり、雑談をしたりすることもありません。夫はコロナ以来、在宅ワーク中心となり、仕事部屋を確保して、休日も食事の時間以外は自室で過ごしています。 夫はいわゆる「勝ち組」です。自分の服にアイロンをかけたり、私の出勤日は自分で昼食を調達したり、世間的には手のかからない夫とも言えます。一方で、常に優位な立場にいようとするところがあります。例えば「電気がつけっぱなしになっていたよ」と言うと、「何が悪い。消し忘れたものは仕方ない。もう消したのならいいだろう」という具合です。 夫からみれば、私にはダメなところがたくさんあるでしょう。でも「俺と同じだけ稼いでみろ」という見下す態度は許せません。子供たちも生活が父親の力で成り立っていることは理解していますが、「ああはなりたくない」と口をそろえます。 下の子が成人するまで約10年。打算的ですが、別居や離婚は考えていません。ただ心底夫を嫌いだと思ってしまう自分を許せなくなることがあります。この先、自分の感情とどう折り合いをつけていけば良いか、アドバイスいただければ幸いです。回答者 政治学者・姜尚中さん 「女子どもは俺が食わしてや…この記事は有料会員記事です。残り990文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

10代から続いた母の介護…「あのときの自分を許せない」娘の償い

 母が倒れたのは、約30年前。女性(46)が中学生のときだった。 夜8時過ぎ、部活を終えて帰宅すると、母はろれつがまわらなくなっていた。それでも夕食の支度をしてくれたが、まもなくイスから滑り落ち、口から泡をふいて倒れた。 2歳年上で高校生だった姉がちょうどそのとき塾から帰宅した。姉が救急車を呼んだ。母は病院に運ばれた。 脳出血だった。「すぐに大人を呼びなさい」。医師から強い口調で言われた。だが、女性が小学生のときから父はほぼ別居状態で家に戻らなくなっていて、連絡先も居場所もわからなかった。 母は命をとりとめたが、右半身のマヒが残った。それから1年ほど病院を転々としながら治療とリハビリが続いた。退院してからも、料理や洗濯などの家事は難しくなり、入浴も1人ではできなくなった。 当時の母は50代になったばかり。倒れる前は、事務職と飲食店のパートを昼と夜でかけ持ちし、母子3人の家計を支えた。 料理上手だった。毎朝起きると、姉妹のために大きなお弁当が食卓の上に準備されていた。 そんな母が、牛乳パックをあけることもできなくなった。買い物や調理などの家事一切に加え、母の着替えの手伝いも姉妹の日課になった。「ごめんね」繰り返す母 「ごめんね」。母は口癖のようにそう言った。母のつらさはわかっていた。だが頼れる母が突然いなくなってしまったことを、現実として受け止められなかった。 「こっちだっておなかすいてるんだよっ」。疲れて帰宅した時など、母からあれこれ頼まれると、思わず大きな声を出し、いらだちをぶつけてしまうこともあった。母は泣き、女性も泣いた。重苦しい家の空気が嫌で、玄関先で立ち止まり、家に足をふみいれることができなかった日もあった。     ◇ 姉は大学を卒業した後、教師として働くために家を出た。女性は母と同居しながら大学に通い、卒業後は旅行会社で働くようになった。 女性には、海外で日本語教師の仕事をしたいという夢があった。 20代半ばを過ぎたときだった。自分が母と同居すると姉が言ってくれた。姉妹でバリアフリーマンションを買った。母の介護・見守りを姉に託し、女性は日本語教師のインターンのため英国に渡った。 だが、想像もしない悲運に見舞われた。 ある日、母が泣きながら国際…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

アリスちゃんの最善は? 法律や倫理の専門家からアドバイス

小児看護専門看護師・萩原綾子さん 脊髄性筋萎縮症(SMA)のアリスちゃん。急変して挿管され、神奈川県立こども医療センターに運ばれました。意識はほとんどない状態でした。主治医の小坂仁医師によると、「脳死に近い状態」でしたが、容体はやや落ち着き、HCU(高度治療室)で過ごしていました。 2009年7月、アリスちゃんの5歳のお誕生日は病棟の個室で家族一緒に過ごされました。急変してから6カ月が経っていましたが、お母さんの純枝さんは毎日、お父さんのジョンさんも週に2、3回は面会に来て、アリスちゃんに絵本を読んだり、手をお湯につけてマッサージしてあげたりしていました。 こども医療センターには、長期間入院している方について病院幹部も交えて現状を共有する「長期入院検討会議」があります。会議の場ではご家族の意向を確認しながら、法律や倫理の専門家の意見を改めてもらう場を設定することについて相談しました。私はこども医療センターに、アリスちゃんのご家族の意見を丁寧に受け止める風土があることを感じました。長期間にわたって口から挿管されて人工呼吸器で管理することは、病院としては大きなリスクになります。しかし両親は、気管切開をすることには反対でした。そして同年11月夕方に大学の法律の専門家、倫理の専門家のお二人に来ていただき、病院長や副看護局長、看護師長、関係医師や看護師、緩和ケアチームの医師など17人、アリスちゃんのご家族を交えて、会議室で医療倫理検討会が開かれました。 私は会議の司会を務めました…この記事は会員記事です。残り973文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

日米開戦、重大局面を支配した「空気」 盧溝橋事件から真珠湾攻撃へ

会員記事編集委員・永井靖二2021年12月12日 10時00分 日本から東へ約6千キロの海に浮かぶ、米・ハワイのオアフ島。80年前の1941年12月8日未明(日本時間)、日本軍が真珠湾を攻撃し、3年8カ月余り続く太平洋戦争が始まった。中国との戦争がすでに泥沼化する中、圧倒的な国力差があった米との開戦に、なぜ至ったのか。旧軍人らが残した言葉から、ひもとく。 「空気からすれば」 中国侵略の起点となった31年に始まる満州事変、翌年の傀儡(かいらい)国家「満州国」建国を経て、北平(現・北京)の南西約15キロの盧溝橋で、全面戦争のきっかけとなる出来事が起きた。 37年7月7日午後10時40分ごろ、演習中の日本軍に何者かが発砲。これを機に近くの中国軍と小規模な戦闘に突入する。当初は、現地も東京の参謀本部も方針は「不拡大」。中国通として知られる大使館付武官室の今井武夫少佐が単身で和平工作にあたった。 今井は現地の中国軍幹部と接触し、調印と同時に双方が盧溝橋から撤兵する協定案を同7月11日に合意させる。だが、報告に戻った今井を待ち受けていたのは、邦人保護を名目に援軍を送るという、参謀本部の方針転換だった。 「今更現地交渉の必要もないし、また既に協定が出来たなら、これを破棄せよ」。参謀本部の意向を受けた現地軍参謀の要求を、今井は拒否した。だが、静観していた周囲の幕僚らが強硬論に転じ、交渉継続を訴える今井を「手ぬるい」と批判し始める。 こうした経緯について、今井は戦後に出版した回想録「支那事変の回想」(64年)で、「無暴(謀)な強硬論を軽率に放言する」と厳しく指摘しながら、こうも言及した。 「当時の空気からすれば、奇…この記事は会員記事です。残り1778文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

1年の世相を表す「今年の漢字」は? 13日発表へ 最多は「金」

 1年の世相を漢字1文字で表す「今年の漢字」が13日午後2時過ぎ、京都市東山区の清水寺の舞台で発表される。新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年の漢字は「密」だったが、果たして今年は――。 立派な袈裟(けさ)を身にまとった森清範貫主(81)が、大きな和紙に太い筆で一気に書く様子は、師走の風物詩となっている。ただ、あの字は清水寺のお坊さんたちが会議を開いて決めているわけではない。森貫主も当日まで、どの字を書くか知らないという。 決めているのは、日本漢字能力検定協会(京都市東山区)。日本全国からはがきやインターネットで募った漢字の中から、最も多いものを選んでいる。目的は漢字に関心を持ってもらうこと。1995年に始まり、今年で27年目だ。 これまで最も多く選ばれたのは「金」の3回。シドニー五輪のあった2000年、ロンドン五輪の12年、そしてリオデジャネイロ五輪の16年とくれば、東京五輪が開催された今年も可能性はあるかもしれない。ただ、日本選手の金メダル獲得という明るい話題だけでなく、政治資金が関わる「政治とカネ」の問題が繰り返されてきたことも背景にあるという。 次いで多いのが「災」の2回。西日本豪雨や北海道胆振東部地震など、大規模な災害が相次いだ18年と、新潟県中越地震が起きた04年に選ばれた。過酷な自然現象が漢字となった年はほかにもある。全国で猛暑を記録した10年は「暑」、阪神・淡路大震災に見舞われた95年は「震」だった。(原田達矢)この10年の「今年の漢字」と、選定理由となった主な出来事2020年「密」=新型コロナウイルスが世界的に流行。日々の活動が制約される一方、大切な人との関係が密接になった 19年「令」=新元号が「令和」に。法令改正による消費増税があった 18年「災」=各地で大規模な自然災害が多発し、多くの人が被災。防災や減災意識が高まった 17年「北」=北朝鮮のミサイル発射や九州北部豪雨などにより、平和や安全の尊さを実感した 16年「金」=リオ五輪で多くの日本選手が金メダル。「政治とカネ」に絡んだ問題が相次いだ 15年「安」=安全保障関連法案に国民が注目。テロや異常気象、建築偽装などで不安が広がった 14年「税」=消費税率が17年ぶりに8%に引き上げ。税に関わる話題が政財界で多く取り沙汰された 13年「輪」=東京五輪の開催決定や富士山の世界遺産登録で日本中が輪になって歓喜に沸いた 12年「金」=京都大の山中伸弥教授のノーベル賞など多くの金字塔。各地で金環日食を観測した 11年「絆」=東日本大震災などで絆を再確認。サッカー女子「なでしこジャパン」のチームワークも注目されたSource : 社会 - 朝日新聞デジタル