宮沢賢治は鉄路で嘆き、悲しみ、問い続ける 妹は死後どこへ行ったか
現場へ! 「銀河鉄道」100年後の旅③ 〈こんなやみよののはらのなかをゆくときは/客車のまどはみんな水族館の窓になる〉 1923年8月1日。 詩人・宮沢賢治は、故郷の花巻から樺太へと向かう東北線の車内の様子を、詩「青森挽歌(ばんか)」の出だしでそう表現している。キラキラとした「銀河鉄道の夜」の描写と重なる。 一方で、前年に最愛の妹トシを亡くした悲しみが消えない。 賢治は、妹が死後、どこに行ったのか、今どこにいるのかを知りたがっている。 〈あいつはこんなさびしい停車場を/たつたひとりで通つていつたらうか/どこへ行くともわからないその方向を/どの種類の世界へはひるともしれないそのみちを/たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか〉 〈とし子はみんなが死ぬとなづける/そのやりかたを通つて行き/それからさきどこへ行つたかわからない〉(青森挽歌) 青森に到着し、函館へと渡る青函連絡船の船上で、海面を跳ねるイルカを見る。彼はその情景を「銀河鉄道の夜」の初期形に盛り込んでいる。旅路の詩 「胸が締めつけられる」 でもやはり、妹のことが忘れ…この記事は有料記事です。残り835文字有料会員になると続きをお読みいただけます。※無料期間中に解約した場合、料金はかかりませんSource : 社会 - 朝日新聞デジタル