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(ひと)武富慈海さん 「ふれてください戦争に」を著した戦争資料館の副館長(朝日新聞デジタル)

 軍服や日章旗、飯盒(はんごう)、千人針など無数の戦争遺品が20畳のプレハブを埋め尽くす。「手をふれて下さい」と紙に書かれている。 福岡県小竹町の「兵士・庶民の戦争資料館」。従軍が7年にも及んだ父の登巳男さんが、戦争の理不尽さを伝えようと、私費を投じて設立した。自身が持ち帰ったものや収集・寄贈の品々が並ぶ。 「戦争の実相を知るには戦場をくぐったモノを見て触れること」 その信念を貫いてきた資料館が40周年を迎え、「ふれてください戦争に」(燦葉(さんよう)出版社)を今月出版した。3千点にのぼる収蔵品のうち110点余りを解説した。…… 本文:606文字 この記事の続きをお読みいただくには、朝日新聞デジタルselect on Yahoo!ニュースの購入が必要です。 朝日新聞社 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

「患者さんと月を眺めた」 ホスピス、知られざる日常

 東京都小金井市にある聖ヨハネ会桜町病院(小林宗光院長)のホスピス(緩和ケア)病棟で、主にがん末期の患者さんと家族をそっと支えてきたボランティアたちが、活動を記した冊子を作った。「風をつむぐ 聖ヨハネホスピス ボランティア30年史」。ここでは、ボランティアはホスピスに吹く「社会の風」だと言われてきた。どんなことをしてきたのか。  同病院のホスピスの始まりは1989年。日本にまだホスピスが多くなかった頃で、この前年、当時の院長が、アルフォンス・デーケン上智大教授(当時)が企画した米国ホスピス視察旅行に参加し、多くのボランティアが働くのを見た。  帰国後、ボランティアを募って研修を開始。1床でホスピスを始めたときからボランティアが活動した。94年に現在の高原のロッジのようなホスピス専用棟が完成。これまでの30年間でボランティアは計700人を超え、いまも60代を中心に、約100人が各曜日に分かれて活動を続けている。  活動内容として多くの人が想像する「話し相手になる」ことは、実は少ない。患者さんの足などをさすったり、入浴を介助したり、散歩につきそうなどの直接的サポートもするが、むしろ、ささやかな日常をそっと支える仕事が多い。  すべての病室が庭の緑に面して… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

特別な羽生九段 対戦は勝負度外視、楽しさと奥深さ実感

杉本昌隆八段の「棋道愛楽」  お盆休みに里帰りや家族旅行など、遠くへ出かけた方も多かったことでしょう。私は弟子との研究会やイベント出演など、将棋ざんまい。そして8月9日には、棋王戦の挑戦者決定トーナメントで約8年ぶりに羽生善治九段と公式戦で対局しました。  アマチュアの方はもちろん、私たち棋士も「対戦したい棋士は?」と聞かれたら、「羽生九段」と答える人がほとんどでしょう。将棋界のスーパースターの羽生九段は、やはり特別な存在なのです。私も今回の対戦を楽しみにしていました。  前回、将棋は「間の競技」と書きました。羽生九段との対局ほど、それを実感するときはありません。  あえて手の広い局面に誘導する羽生九段の指し回しは「どうしますか?」と問いかけられているようで、一手ごとに考えさせられます。指し手を読むだけではなく、「この戦型をもっと研究しておくんだったなあ」と反省させられることも。対局中に、勝負を度外視して将棋の奥深さと楽しさを感じるときでもあります。  対局は終盤に私のミスが出て負け。将棋は楽しくも、勝負は厳しいです。  東京での対局の感想戦が終わったのは夜遅く。もう最終の新幹線には間に合わず、羽生九段ら数人と遅い夕食をとりました。  将棋盤から離れると、やはり弟子の藤井聡太七段の話になりました。こんなときに思い出すのは、昨年の第11回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)の準決勝と決勝。藤井七段が羽生九段と広瀬章人竜王を相次いで破って初優勝を決めた日のことです。控室の隅にいた私に羽生九段が近づいてこられ、「おめでとうございます」と真っ先に声をかけてくれました。第一人者は切り替えの速さも一流だと感服したもの。私も見習いたいものです。  夕食後は急きょ予約したホテルへ。私の場合、対局後は興奮のため、なかなか寝つけません。悶々(もんもん)としたまま朝を迎え、仕事のため始発の新幹線で名古屋へ帰りました。お盆休みの初日で指定席も自由席も空いておらず、完全に満席状態。デッキ付近で立ったまま名古屋まで帰る道のりは長かった……。その日の仕事中、お子さん相手の指導対局で何度か意識が飛びそうになったのはここだけの内緒です。  羽生戦から2日後、将棋日本シリーズJTプロ公式戦の福岡大会で藤井七段が公開対局に臨み、インターネット中継を見ていました。藤井七段にとっては初の和服での対局でしたが、こちらも残念ながら負けてしまいました。師弟そろっての痛い敗戦ですが、やはり切り替えの速い人が最後には勝ち残ります。次を頑張るのみです。      ◇  すぎもと・まさたか 1968年、名古屋市生まれ。90年に四段に昇段し、2019年2月に八段。第20回朝日オープン将棋選手権準優勝。藤井聡太七段の師匠でもある。 Source : 社会…

展示中止の少女像、海外実業家が購入 来年展示へ

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止された企画展「表現の不自由展・その後」に展示されていた慰安婦を表現した少女像を、スペインの実業家が購入したとロイター通信が14日報じた。検閲で展示に至らなかった世界各地の芸術作品とともに、来年にも同国北東部バルセロナで展示する計画だという。  同通信によると、購入したのは映像関連企業を共同経営するタチョ・ベネト氏。ベネト氏は同通信の電話インタビューに、少女像を先週購入したと明かした。1年半ほど前から「政治、倫理、道徳、あるいは性的理由」で展示されなかった芸術作品の収集を始め、これまで約60点を集めたという。中には、米国のトランプ大統領を風刺した絵や、スペインのカタルーニャ自治州の独立運動指導者の写真などが含まれる。  ベネト氏は来年にも、バルセロナに「自由ミュージアム」を開く計画で、少女像とともにこうした作品を公開する計画だ。ベネト氏は同通信に「芸術界における検閲というテーマで常設展をしたり、資料センターを作ったりするだけの十分な材料を集められたと思う」と語っている。(パリ=疋田多揚) Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

5分間にわたり女性の車にあおり運転‥47歳の男を逮捕 愛知・豊橋市(CBCテレビ)

CBCテレビ  愛知県豊橋市で、幅寄せなどのあおり運転をしたとして、会社員の男が逮捕されました。 逮捕されたのは、豊橋市の会社員 山本果(はたし)容疑者(47)です。 警察によりますと、山本容疑者は、7月17日、豊橋市の路上で、56歳の女性が運転する乗用車に、軽乗用車で執拗にあおり運転をして、女性の車をガードパイプに接触させた器物損壊などの疑いが持たれています。 あおり運転は、約5分間続き、山本容疑者は警察の調べに対し、「ぶつけるつもりはなかった」などと、容疑を一部否認しています。 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

不戦を令和につなぐ戦没者追悼式 天皇陛下初参列、お言葉注目(共同通信)

 終戦から74年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、参列した遺族らが先の大戦で亡くなった約310万人を悼み、不戦の誓いを新たにする。令和初の追悼式で、戦後世代の天皇陛下が平和への思いをお言葉でどのように表現されるか注目される。第2次政権発足後、アジア諸国への加害責任に言及していない安倍晋三首相の式辞も焦点。戦争体験者が減る中、記憶の風化をどう防ぐかが社会全体の課題となる。 1960年生まれの陛下は今回が初の参列。上皇さまは戦後70年だった2015年の追悼式から、お言葉に「深い反省」という文言を毎年盛り込んでいる。 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

丸山穂高氏が「ガラスのうさぎ」著者・高木敏子さんの自身への「ぶん殴りたい」発言に反論!「こりゃこの世から未だ戦争がなくならない訳だ」(スポーツ報知)

 「NHKから国民を守る党」(N国)に入党した丸山穂高衆院議員が15日、自身のツイッターを更新。1977年に出版された「ガラスのうさぎ」の著者高木敏子さん(87)が14日放送のTBS系「NEWS23」(月~木・後11時、金・後11時半)で放送された自身への発言に反論した。【写真】HGの妻・住谷杏奈痛烈!「おっぱいだけ触ってて欲しい」 番組では15日の終戦記念日を前に高木さんの「最後の講演」を特集した。講演の中で高木さんが「丸山っていう代議士が北方領土に行って、4島を取り返すそれには戦争しかない。もうぶん殴りたいぐらい」と憤りを露わにした。この発言に丸山氏はツイッターで「反戦平和を訴える「ガラスのうさぎ」の著者高木敏子氏がTBSの番組で丸山穂高をぶん殴りたいくらいって発言に苦笑。戦争は怖い!戦争はダメ!だから、戦争に関して発言した議員をぶん殴りたい!って、、こりゃこの世から未だ戦争がなくならない訳だ」とつづっていた。 高木さんは1977年に「ガラスのうさぎ」を出版。同書は1945年3月10日の東京大空襲で母と妹2人を亡くし、同年8月5日に神奈川県の二宮駅で米軍による機銃掃射で父を亡くした体験をつづった。高木さんはこれまで1300回以上、講演してきたが体調面の理由で8月6日の二宮での講演を最後にすると番組は報じていた。 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

胎内被爆で発症“原爆小頭症” 「生まれながらに不条理」患者や家族、苦難の人生(西日本新聞)

 被爆直後のナガサキの街は「70年は草木も生えない」と言われた。被爆した妊婦からは「肢体の不自由な子が生まれる」-。しばらくすると、そんなうわさも流れた。 臨月に入っていた当時19歳の岳野カズヱさん(93)=長崎県西海市=はあの日、自宅で裁縫中だった。夫は不在で、身重の体がつらく、早朝に空襲警報が鳴っても防空壕(ごう)に行かなかった。爆心地から3・2キロ。ピカッと感じ、とっさに布団をかぶった。爆風で壁やタンスが吹き飛んだが、辛うじて生き延びた。 「無事に生まれてくれてよかった」  長女が生まれたのは2週間後の8月22日。自宅再建もままならない中、元気な産声に胸をなで下ろした。「ただただ、無事に生まれてくれてよかった」。今春入所した特養ホームで岳野さんは振り返る。 胎内で被爆した長女はいま、73歳になった。放射線の健康への影響は今でもはっきりしないことが多いが、幸い、大きな病気もなく過ごしてきた。  長女によると、米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)の調査を小学4、5年まで年1回受けた。ジープ型の車が家の前まで迎えに来て、体のあちこちを調べられた。お菓子をもらえるので最初は行くのが楽しみだったが、学校では「原爆はうつる」と陰口をたたく人もいた。 中学卒業後に就職した長女。「生活が苦しく、自分が被爆者かどうかなんて考える余裕はなかった」。友人にも、自分が被爆者だと伝えたことはない。 生を受けたときから苦難の道を歩んできた人たち  放射線の影響による流産や死産を免れたものの、生を受けたときから苦難の道を歩んできた人たちがいる。知能や身体に障害を伴う「原爆小頭症」の被爆者だ。 長崎原爆に遭った大場幸江さん(仮名)=当時18歳=の長男、正一さん(同)もその一人。幸江さんは爆心地から1キロで被爆し、高熱や吐血などの急性症状に苦しめられた。髪の毛は抜け落ち、ようやく床を離れられるようになった1946年1月に出産。正一さんは頭が小さく、発育が遅かった。年を経るにつれて2歳下の弟との間に知能の差が現れた。その「違い」がやるせなかった。 次ページは:原爆症と認定したのは被爆から22年後 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

室戸岬で最大瞬間風速40メートル超え(tenki.jp)

台風10号の接近に伴い、西日本の太平洋沿岸で風が強まってきました。高知県室戸岬では、午前8時に最大瞬間風速41.1メートルを観測しました。 大型の台風10号の接近に伴って、西日本の太平洋沿岸で風が強まってきています。高知県室戸岬では午前8時に最大瞬間風速41.1メートル(東南東)、香川県東かがわ市引田では6時31分に32.8メートル(東南東)を観測しています。この後も、台風の影響で四国地方では最大風速で30メートル、最大瞬間風速で45メートルの猛烈な風が吹く所がある見込みです。暴風と、海上海岸ではうねりを伴った高波に厳重に警戒してください。日本気象協会 本社 日直主任 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース

前堺市長の資金問題、百条委第4回も「足踏み」(産経新聞)

 竹山修身・前堺市長の後援会などの政治資金収支報告書に総額2億3千万円超の記載漏れが発覚した問題を調査する市議会調査特別委員会(百条委)は14日、第4回委員会を開いた。証人尋問にだれを呼ぶかについて議論が交わされたが、結論は出なかった。次回は21日の予定。 大阪維新の会の委員は「一番権限のある出納責任者から先に説明をしてもらうべきだ」と主張。これに対し、ほかの委員からは「竹山氏が証言し、真相を解明する責任がある」として最初に竹山氏を呼び、そのうえで別の証人尋問が必要か否かを判断すべきだなどとする意見が出た。 【関連記事】 Source : 国内 - Yahoo!ニュース