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畑の一軒家が高層マンションに 台湾のTSMC工場周辺で地価高騰

 TSMCが本社を構える「新竹サイエンスパーク(科学園区)」の最寄り駅、高速鉄道(高鉄)新竹駅に着いて驚いたのが、高層マンションの林立ぶりだった。駅前に広がる緑地を取り囲むように高層の建物がニョキニョキと伸びる。 建設中の建物も多い。周辺には「竹科(新竹科学園区)」、「新世代」などと書かれた不動産広告も目立った。新竹市内を車で走ると、川沿いにも競うように高層ビルが並んでいるのが見えた。 科学園区管理局のホームページによれば、中で働く人は約17万人。台湾の不動産事情に詳しいエイブル台湾店の担当者によると、新竹の不動産価格は近年高騰しているという。「2年前は2LDKで家賃3万5千台湾ドル(約15万4千円)だった物件が今は6万台湾ドル(約26万4千円)まで上がっている」 原因は科学園区に勤務するエンジニアの給与の高さだ。「最近は投資目的の購入も多い。台北並みの価格の物件もある」という。 科学園区内の半導体メーカーに勤務する男性によると「業界全体の給与もいいが、なかでもTSMCは別格。飛び抜けている」という。 台湾の総務省に相当する内政…この記事は有料記事です。残り968文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

子育て支援は女性支援?格差施策にだまされるな 阿部彩教授に聞く

 男女雇用機会均等法施行から37年。企業の総合職や一般職で男性と同様に働いてきた女性たち、民間や公務員の世界で非正規で働く女性たち、中小企業やスタートアップを率いる女性たち……。立場は違えど、あらゆる場で女性たちは理不尽な男女格差に直面しています。なぜ、いまだに、この差がなくならないのか。格差をなくすために何をすべきなのか。東京都立大学の阿部彩教授(貧困・格差論)に聞きました。 ――様々なデータにあらわれる根強い男女格差をどう見ていますか。 私が大学を卒業したのは男女雇用機会均等法が施行された1986年。当時は、「私たち均等法第一世代が管理職になるくらいの時には、男女格差の問題はなくなっているだろう」と思っていました。それから30~40年経ち、キャリア終盤となるのに、変わっていません。 一部の人はそれでも、「初の女性」というものを背負って上にのぼっていきましたが、ほんの一握り。その道すらなかった以前よりはいいとは思いますが、進むペースがあまりにも遅すぎる。子どものいない、シングルでバリバリのキャリアの人であっても格差がある。もっと画期的に動かしていかなければならないと思います。 男女間の賃金格差は正社員同士でもまだ大きく、日本は先進国の中でも差が開いています。そのうえ、女性は当初は正社員として就労しても非正規に移ってしまう。この両輪の問題があります。 このため、高齢期の貧困率は女性が高く、その男女格差はむしろ広がっています。厚生労働省の国民生活基礎調査をもとに年齢別・男女別で相対的貧困率をはじくと顕著です。記事後半、阿部教授は若い世代の女性たちに向けて「だまされるな」と強いメッセージを送ります。格差が縮まらない現状を変えるため、思い切った施策が必要だと提言します。 ――なぜこうした状況が放置されているのでしょうか。 女性施策の多くが「子育て支…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

春の訪れ告げる「日本一早い」山開き 宮崎県諸塚村の諸塚山

森田博志2023年3月12日 15時49分 「日本一早い山開き」とうたう宮崎県諸塚村の諸塚山(1341・6メートル)の山開き(諸塚村など主催、朝日新聞社など共催)が12日にあり、約200人が早春の山歩きを楽しんだ。 村が朝日森林文化賞を受賞した翌年から始まり、今年は第38回。新型コロナウイルスの影響などで5年ぶりの通常開催となった。 飯干緑地広場での神事などの後、集まった登山愛好家らが西登山口から山頂をめざした。好天に恵まれ、山口市からグループで訪れた開地成久さん(79)は「今日は暑かった」と気持ち良さそうに汗をぬぐった。参加は6回目といい、仲間たちが祝賀飛行で訪れたヘリコプターに向かって、持参した日の丸の旗を振っていた。 全国的には元日から山開きをする山もあり、実際には日本一早くはない。九州中央部の豊かな自然を、春の訪れとともに感じてほしいと、長くキャッチコピーを使い続けている。(森田博志)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

引き揚げ待つ日々、銃剣を突きつけられた 戦時の性暴力を考える

 ロシアのウクライナ侵攻から1年。現地ではロシア兵による性暴力の被害が相次ぎ報告されています。個人の尊厳を深く傷つける行為は、いつ、どこでも起こりえます。朝日新聞「声」欄には、太平洋戦争後の混乱期の被害を打ち明ける投稿が届きました。「戦時には女性が『コミュニティーの所有物』という意識が強化されることがある」と、ジェンダー研究者の秋林こずえ・同志社大学教授は語ります。性暴力被害をなくすために何ができるのか。2人の読者の肉声とともに考えます。ポッドキャストで聞けます番組では、投稿を寄せてくださった2人の女性のインタビュー音声とともに、秋林こずえ教授をスタジオに迎えて、戦時の性暴力の根底にあるものを考えます。 1945年8月15日の敗戦後、外地から引き揚げてきたのは約629万人。中国からは約154万人、旧満州(中国東北部)からは約127万人が日本の地を踏みました。引き揚げるまでの避難生活で起きた出来事、「一生、言わないつもりだった」という被害をつづった手紙が「声」編集部に届きました。 東京都の清水久枝さん(88)の投稿「伝える 生きながらえた証し」(2022年7月18日掲載)をご紹介します。        ◇ 1945(昭和20)年8月15日、国民学校5年生の私は、中国・西安の叔母の家で敗戦を知った。9月初旬には「日本人を皆殺しにせよ」と暴動が起きた。ゴボウ畑の中に隠れて難を逃れたが、母は捕らえられ、腰巻き姿で解放された。 1カ月後、母の使いで外に出たら突然、八路軍兵士に銃剣を突きつけられ、廃屋まで歩かされた。兵士は私の周囲をゆっくりと歩き、銃剣でスカートをめくった。直立不動、泣き叫ぶことも抵抗もできない。兵士は127センチの小娘の私に「歩け」とあごで合図。私はゆっくりと歩いて外へ出て、脱兎(だっと)のごとく走った。 12月初旬には、日本軍の元兵士が「お手伝いしてほしい」とやってきた。彼の後に従って行くと、体育館についた。戸を開けると、元兵士にいきなり押し倒され、両手を押さえつけられた。「何するんだ! 離せ!」と両足をばたつかせ暴れた。すると、パッと自由になり、裸足で一目散に逃げた。元兵士は股間を押さえて走っていった。 数々の危険な体験は生涯、秘密にするつもりだった。しかし、軍国時代を生きながらえた証しを残したく、ペンをとった。        ◇ 清水さんに、当時の様子や思いをさらに伺いました。■震える体 母にも言えなかっ…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「政治がやるべき」だけれど… 阿部彩教授が若い女性に伝えたいこと

 男女雇用機会均等法施行から37年。企業の総合職や一般職で男性と同様に働いてきた女性たち、民間や公務員の世界で非正規で働く女性たち、中小企業やスタートアップを率いる女性たち……。立場は違えど、あらゆる場で女性たちは理不尽な男女格差に直面しています。なぜ、いまだに、この差がなくならないのか。格差をなくすために何をすべきなのか。東京都立大学の阿部彩教授(貧困・格差論)に聞きました。 ――様々なデータにあらわれる根強い男女格差をどう見ていますか。 私が大学を卒業したのは男女雇用機会均等法が施行された1986年。当時は、「私たち均等法第一世代が管理職になるくらいの時には、男女格差の問題はなくなっているだろう」と思っていました。それから30~40年経ち、キャリア終盤となるのに、変わっていません。 一部の人はそれでも、「初の女性」というものを背負って上にのぼっていきましたが、ほんの一握り。その道すらなかった以前よりはいいとは思いますが、進むペースがあまりにも遅すぎる。子どものいない、シングルでバリバリのキャリアの人であっても格差がある。もっと画期的に動かしていかなければならないと思います。 男女間の賃金格差は正社員同士でもまだ大きく、日本は先進国の中でも差が開いています。そのうえ、女性は当初は正社員として就労しても非正規に移ってしまう。この両輪の問題があります。 このため、高齢期の貧困率は女性が高く、その男女格差はむしろ広がっています。厚生労働省の国民生活基礎調査をもとに年齢別・男女別で相対的貧困率をはじくと顕著です。記事後半、阿部教授は若い世代の女性たちに向けて「だまされるな」と強いメッセージを送ります。格差が縮まらない現状を変えるため、思い切った施策が必要だと提言します。 ――なぜこうした状況が放置されているのでしょうか。 女性施策の多くが「子育て支…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

地方にも広がるタワマン開発 三大都市圏以外で16棟が今年完成予定

 タワーマンション(タワマン)開発が地方にも広がっている。タワマンは一般に20階以上の超高層マンションを指す。不動産調査会社の東京カンテイによれば、今年完成予定のタワマンは東京・名古屋・大阪の三大都市圏以外で16棟2698戸にのぼる。三大都市圏(31棟1万1164戸)に比べれば市場は小さいものの、昨年に完成した12棟1805戸を上回る。 今年完成予定のタワマンのひとつ、JR札幌駅にほど近い「ONE札幌ステーションタワー」は地上48階建て全624戸で、北海道では最高層・最大となる。最高価格5億円にもかかわらず、販売分の9割以上がすでに売れた。販売する大和ハウス工業は「投資目的の購入は3割ほど。あとは実需で、既存の住宅を売らずにセカンドハウスなどとして購入する『買い増し』のほか、リタイア世代を中心に札幌市内など郊外の戸建て住宅から住み替える需要も一定数見られます」と説明する。 地方での活況について、東京カンテイの高橋雅之主任研究員は背景を二つ挙げる。 一つ目は、土地の高度利用が…この記事は有料記事です。残り471文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

20歳で妊娠、父の死、離婚…運命の1冊で「死」にのめり込む

僧侶 松山照紀さん 小学校低学年で祖父を亡くして死に関心を持った私は、中高生時代には下手ながらも卓球に打ち込み、地元・福岡県の大学へ進みました。しかし20歳の時、予期せぬ妊娠が発覚。当時交際していた卓球サークルの仲間と結婚し、中退して長女を産みました。夫は大学を卒業して就職し、神奈川県平塚市に赴任したので、私たちも引っ越しました。 やがて2人目を身ごもった私は、里帰り出産に備えて長女と実家へ戻りました。その直後、父が突然死してしまったんです。農業を営む父は作業中、トラクターのタイヤにもたれかかるようにして亡くなっていた。近所でも評判の働き者で、多くの人に惜しまれました。入れ替わるように次女が誕生して、私は家事と育児に追われました。 実はここから約1年間、私に異変が起きました。何をしても心が動かず、特に「楽しい」「美しい」といったポジティブな感情が一切湧かない。悲しみだけが時折、襲ってきます。 そのころ、夫が自分の故郷で…この記事は有料記事です。残り1179文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

よみがえる明治、あの財界人も訪れた和風「迎賓館」 4月から公開

迫和義2023年3月12日 10時00分 金色の壁や天井、シャンデリア、鈍く黒光りする銘木の重厚な外観――。政財界の重鎮が訪れたという明治期の和洋折衷の豪華な木造建築が、新潟県新発田市に移築、復元された。4月から一般公開が始まる。 帝国ホテルや大成建設、サッポロビールなど多くの企業を設立した実業家、大倉喜八郎(1837~1928)の別邸の迎賓施設だった「蔵春閣」だ。 1912(明治45)年4月に隅田川沿いの東京・向島に建てられた。延べ床面積296・87平方メートルの2階建て。33畳の大広間や食堂などがある。 復元を担当した大成建設によると、別邸には「中国革命の父」孫文、東京市長や内相を歴任した後藤新平、財界人の渋沢栄一や安田善次郎らが訪れたという。 関東大震災や東京大空襲をくぐり抜け、戦後は千葉県船橋市へ移築されて飲食店やホテルの付属施設として使われていた。移築を前提に2012年に解体後、部材を管理していた大倉文化財団の申し出で、喜八郎の故郷・新発田に復元されることになった。 JR新発田駅近くの東公園で大成建設が復元工事を手がけた。新潟の雪の重みにも耐えられるよう、見えない形で屋根部分を補強しているという。(迫和義)有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「うそやろ」枝から根が出るガジュマル工法 老いた桜の復活に挑む

 放牧地が広がる山のふもとに立つ、老いた一本桜。熊本県南阿蘇村の「観音桜」は、もとは名もなき「ただの桜」だった。 背後に雄大な阿蘇山を望むロケーションのよさが口コミで評判になり、近くにある馬頭観音にちなんで地元住民が名前をつけた。2010年から本格的に保全活動をはじめた。 樹木医にみてもらい、風で揺れても枝が折れないように支柱を何本もたてた。新しい桜の名所になり、多くの見物客が訪れた。ただ、樹齢70~100年とされる老木だけに、高い所の枝が枯れるなど衰えも目についた。協力金を200円ずつもらって保全の資金にした。 「こんなに弱った桜を見せて、お金をとるなんて」 18年春、桜を管理する住民グループの代表だった今村久也さん(64)は、見物を終えた男性から文句を言われて驚いた。福岡市東区で造園業を営む石谷統冶さん(82)だった。しばらくして電話がかかってきた。「このままではあと何年ももたない」と、独自に開発したという「樹木の再活性化法」を勧められた。枝から根、一石二鳥の工法 「なんで?」 その方法は「枝の途中から根…この記事は有料記事です。残り1295文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

住民じゃない人も巻き込む日本橋の町内会 関わり方は3段階、柔軟に

 地域作りの中核を担ってきた自治会・町内会。ただ、高齢化が進み、加入率も低下したいま、一部の人に負担が偏るなど、多くの課題も抱えています。負担を減らし、多くの人が関われるようにするにはどうすればいいのか。各地の取り組みを取材しました。活動を支える地元の「ファン」 東京都中央区の日本橋中洲に位置する「中洲町会」では、日本橋の知名度を生かし、特定の人に負担が偏らないための仕組みを作った。 イベント運営を担う青年部は、地域に住む人たちからなる「部員」と、地域の「ファン」であれば誰でも参加資格がある「準部員」から成る。四十数人のうち、約3分の1が準部員だ。 準部員は総会での意思決定には参加できないが、祭りなどの活動では中核を担う。町内のみこしの責任者を、元々中洲に住んでいた「準部員」が務めたこともある。 関わり方にも柔軟性を持たせた。①イベントに参加②当日準備から参加③事前準備から参加、の3段階に分け、仕事が忙しいときは①、時間があるときは③などと、状況に応じて変えられるようにしている。 仕掛け人は、青年部長の高木亮さん(47)だ。鹿児島県出身。30歳のころに日本橋に越してきて、町会に入った。周りは50代以上。「仲間というより親という感じだった」。 当時、地域には新築マンションが増えていたが、新たに住み始めた人たちに町内会の印象を聞くと「何をしているのかわからない」「町会に入りたくても誰に言えば良いのかわからない」などと返ってきた。 新旧住民の垣根をなくすため、広報部を作り、ホームページやチラシ、動画で活動を紹介し、全戸にイベント案内を配った。徐々に関わる人が増え、2017年に約20年ぶりに青年部を復活させた。 都市部では住民の入れ替わりが激しいため、持続可能な運営方法について日々考えている。「日本橋には伝統があり、守るべきことがたくさんある。ただ、新しく来る人も増え、変えるべきこともある。10年、20年後、元々町に住んでいない人が町会長になる時代がくるかもしれない。住民や時代に合わせたバージョンアップが必要だ」集金はキャッシュレス、現金派は… 集金のキャッシュレス化に取…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル