社会

ドラマ「30までにとうるさくて」男性目線でも刺さる20代のリアル

 30代を前にした女性たちの悩みや葛藤を描いた「ABEMA」オリジナルドラマ「30までにとうるさくて」。主人公の彼氏役を演じた俳優の堀井新太さん(29)は、男性目線から見ても「リアルで、刺さる内容」だったと振り返ります。男女に関係なく20代後半が抱く迷いや焦りにどう向き合うべきか。いままさに29歳として葛藤する堀井さんに、ドラマにも触発された心の内や30代に向けた思いを聞きました。ドラマ「30までにとうるさくて」インターネットテレビ「ABEMA」で今年1月から配信されているオリジナルドラマ(全8話)。それぞれ異なった感性や価値観を持つ、現代の東京を生きる29歳独身女性たち4人組の恋、キャリア、性、友情の物語。「30歳までに結婚しないと…って焦るけど、なんで?」「29歳、私たちこのままでいいのかな」など、“30歳”という節目の年齢を意識する女性ならきっと誰もが一度は感じたことがある悩みや焦り、怒りを抱えながらも、自分たちの意思で乗り越えていく姿を、ユーモラスかつ痛烈にオリジナルストーリーで描く。主演は、人気バンド「ゲスの極み乙女。」のドラマーとして活動しながら、女優としても活躍するさとうほなみさん。脚本は劇作家で劇団「贅沢(ぜいたく)貧乏」主宰の山田由梨さん。責任を感じるようになる年代が20代後半 ――女性の生きづらさに焦点を当てたドラマで、共感する女性も多かったと思います。キャリアをとるか家庭をとるかという、主人公・遥の悩みに、男性として共感する部分はありましたか 「僕も結婚や子育てをするとなったら、この仕事を続けていけるんだろうかとかやっぱり考えたりします。自分の場合は人気商売なので特殊ですが、『応援し続けてくれる人はいるのだろうか』とか思うときもあります。脚本を読んだとき、自分も30歳を迎えるに当たって、胸に突き刺さる内容だなと一番に思いました。 この年代って、責任を感じる…この記事は有料会員記事です。残り2010文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

もう「臭くて苦いやつ」と言わせない ホヤの弱点判明、ブランド化へ

 「海のパイナップル」とも呼ばれるが、「臭い」「苦い」などといわれ、敬遠されがちな海の食べ物、ホヤ。東北の太平洋側ではなじみのある食材だが、ほかの地域での知名度はいま一つ。そこで、生産量日本一の宮城県の業界関係者がブランド化をめざし、「極み」をつくった。取り組むなかでホヤの弱点もわかった。 ホヤ生産の中心地で太平洋に面する石巻市で発表会が開かれたのは5月31日。「ほやの極み」と名付け、ブランド展開を始めるという内容だった。 会場に行くと、試食品が配られた。小さな容器に3切れ。オレンジ色が美しく、パイナップルというよりはマンゴー。口に入れると爽やかな磯の香りが広がり、臭みや苦みはほぼない。ほんのりと塩味がして、食感も味も生がきに似ている。石巻に赴任して初めてホヤを食べ、1年あまりたつが、正直、ここまでおいしいホヤは食べたことがなかった。 ブランドづくりをしかけたのは、宮城県内の加工業者や県、県漁協などでつくる「宮城ほや協議会」(田山圭子会長)だ。遠隔地にホヤを運ぶと、鮮度が落ちてしまう原因を探ろうと、宮城大の協力で様々な条件を変えて試食した。 分かったホヤの弱点は「真水…この記事は有料会員記事です。残り895文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

燃えさかる炭火にかけた地鶏 宮崎県民の脳裏に刻まれる味のルーツは

 数年前に勤務した宮崎県が大好きだ。コロナ禍前は長期休暇のたび、癒やしを求めて訪れた。お目当ては、現地での取材がきっかけで始めたサーフィンと、指導してくれた親友たちに会いにいくことだ。 南国特有の強い日差しを浴びながら、海につかるだけで気持ちがいい。そして夜は友人との宴会。必ず出てくるのが「地鶏の炭火焼き」だ。焼酎のソーダ割りと一緒に口にすると、日ごろのストレスは吹っ飛び、宮崎に帰ってきたことを実感する。 炭火焼きを初めて見たとき、その黒さにぎょっとした。だが、いつしかくせになり、飲み会で欠かさず頼むようになった。スーパーでも購入でき、専門のデリバリー業者があるほど、地元から愛されていた。 東京で本場の味を楽しめる店はないか。宮崎の友人が教えてくれたのが、恵比寿駅(東京都渋谷区)から徒歩3分の居酒屋「てにゃわん」だ。店の前には、方言で「宮崎料理やっちょります」の看板。大都会で宮崎が感じられて気分が上がる。居酒屋などで楽しんだことがある方も多いのではないでしょうか。記事の後半では、そのルーツに迫ります。 てにゃわんとは宮崎弁で「手に負えない」という意味だ。宮崎県高鍋町出身の店主・小澤拓郎さん(39)が幼いころにわんぱくで、周囲からそう言われたことにちなんでつけた。 こだわりはほとんどの食材を宮崎から取り寄せていること。肉、魚、野菜。どれをとってもおいしい地元の素材の良さを知ってほしいからだ。炭火焼きに使うのは県内のブランド地鶏「妻地鶏」か「黒岩土鶏」。肉質が柔らかく、たたきとして出せるほど良質なものだという。 切り分けた地鶏に、塩とコショウ、料理酒で下味をつけた後、金網に入れて炭火にかける。そこに鶏油(チーユ)をかけると、天井近くまで炎が上がる。炭でいぶされることで肉が黒くなり、香りをまとうという。小澤さんは「この香りが食欲をそそるんです」。 てにゃわんでは、キャベツを敷いた鉄板にゆずこしょうを添えて出される。「ジュジュジュ」と音を立てる鉄板から口に運ぶと、鶏のうまみといぶされた香りが広がる。ややレアの状態で仕上げるため柔らかくて食べやすい。 小澤さんの実家は、町内で名の通った仕出し店を営む。冠婚葬祭や運動会などのたびに大量の注文が入り、幼いころから毎日のように仕込みや配達を手伝った。大変だったが、地元の人から「おいしかったよ」と、声をかけられるのが誇らしかった。 高校卒業後に上京。都内の大学を卒業した後、飲食の道を志して、食品卸会社に就職。その後、故郷に恩返ししたいとの思いが強まり、都内の宮崎料理店などでの修業を経て、約7年前に開店した。 小澤さんが東京で感じるのは、宮崎県出身者の仲間意識の強さだ。出身者同士が出会うと意気投合し、ことあるごとに店で宴会を開いてくれる。コロナ禍で店が打撃を受けたときも、「大丈夫か」と足を運んでくれたり、商品をテイクアウトしてくれたりした。 将来は海外にも宮崎料理店を出したいと考えている。「料理のおいしさだけではなく、人と人のつながりを大事にする宮崎人の温かさも広めていきたい」(堀川勝元) そもそも地鶏の炭火焼きはどのようにして生まれたのか――。 たどり着いたのが、宮崎市の繁華街「ニシタチ」にある1954年創業の「丸万焼鳥本店」だ。3代目の前田龍好さん(61)は「祖母が考案したものです」と教えてくれた。 前田さんによると、漁師町出身だった祖母の故・トモエさんは54年、県庁前でスズメの丸焼きや鶏の串焼きの屋台を出した。アジの開きを参考に、鶏のもも1本を開いて短冊状に切り目を入れて出すと、物珍しさから行列ができた。これが始まりという。 翌年、現在の場所に店を構えた。当初は農家が飼う地鶏を使っていたが、売れ行きが好調で、次第に鶏が足りなくなり、肉のうまみが強く、歯ごたえがある採卵鶏を使うようになった。トモエさんは焼き鳥と呼んでいたが、いつしか、もも焼きや炭火焼きと呼ばれるようになったという。 前田さんは「初めてだと見た目で戸惑う方もいるが、お酒にも合い、一度食べると、また食べたくなる。祖母の味を末永く守り続けていきたい」。 観光に詳しい宮崎産業経営大学元教授の渡辺綱纜(つなとも)さん(91)によると、1960年代、新婚旅行で宮崎に訪れた著名人が炭火焼きを味わったことが報じられ、その存在が全国に知られるようになったという。「食を通じて宮崎を有名にしたものの第一号だ」と説明する。 渡辺さん自身も、交流のあった故・永六輔さんらをたびたび丸万に案内したといい、「『鶏がこんなにおいしいものとは知らなかった』とみんな大絶賛していた」と振り返る。 こうした老舗に続いて宮崎市内でも多くの店ができた。1990年創業の名店「ぐんけい」もその一つだ。創業者の黒木賢二さん(84)が独自に取り組んだのが大きな金べらを使って一度に大量の地鶏を焼くことだ。大きな炎が上がることが話題となった。またブランド地鶏「みやざき地頭鶏(じとっこ)」をいち早く取り入れ、認知度向上に一役買った。 いまや宮崎県民にとって地鶏の炭火焼きは欠かせない存在だ。新宿駅近くの県のアンテナショップ「新宿みやざき館KONNE」の杉尾重和さん(52)は、県出身者同士で酒席があるときは必ず地鶏の炭火焼きを頼む。仲間と鶏をつまみながら過ごす楽しい時間が、その味とともに脳裏に刻み込まれるという。 杉尾さんは「炭火焼きは宮崎の人の心に根付いたソウルフード。県外の人も食べてほしい」。 取材を終え、またあの懐かしい味に触れたくなった。(堀川勝元)えびす宮崎料理 てにゃわん住所:東京都渋谷区恵比寿西1-13-6 ブラッサムZEN 地下1階電話:03-6452-5262営業時間:午後5時~午前0時 不定休■宮崎県 人口105万人。温暖で日照時間が長く、日向灘に面する約400キロの海岸線に約40のサーフスポットが点在する。畜産や農業が盛んで、ブロイラーの飼養頭数は全国1位、豚は2位、肉用牛が3位(いずれも昨年2月現在)。特産品のマンゴーも有名だ。最近は、宮崎市のギョーザの年間支出額が宇都宮市や浜松市をおさえて日本一となったことで脚光を浴びている。■太陽のタマゴ 1名様に 宮崎特産で今が旬の完熟マンゴー。その中でも糖度15度以上などの基準を満たした最高級品「太陽のタマゴ」(2個入り、1万2千円相当)を、抽選で1名様にプレゼントします。締め切りは12日。朝日新聞デジタル会員が対象(無料でご登録いただけます)。応募は専用ページ(http://t.asahi.com/gotochi0603)へ。QRコードからもアクセスできます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

漁船転覆、80代男性2人死亡、70代男性は避難 能登半島沖

2022年6月4日 12時30分 4日午前7時ごろ、石川県珠洲市の折戸漁港沖で、漁船「隆昌丸」が転覆していると、僚船から118番通報があった。能登海上保安署によると、乗組員3人のうち、80代の男性2人が海上で漂流しているのが見つかり、搬送先の病院でいずれも死亡が確認された。70代男性は岩場に自力で避難した。 同署によると、同日午前6時ごろに家族から「漁に出たまま戻らない」と連絡があり、僚船が捜索していた。転覆現場は能登半島最北部の漁港を出てすぐの岩場近く。波がおさまるのを待って船体を陸揚げするという。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

自宅で女性死亡、肋骨など折れる 家族から事情聴く 大阪・八尾

2022年6月4日 8時51分 3日午後6時半ごろ、大阪府八尾市志紀町西4丁目の住宅で、「母親が階段から落ち、呼吸をしていない」と住人の男性から119番通報があった。男性の母親で無職の小関恵美子さん(65)が搬送され、死亡が確認された。小関さんには外傷があり、八尾署は事件の可能性もあるとみて捜査を始めた。 同署によると、小関さんは左あごと肋骨(ろっこつ)が折れていた。夫(68)と息子(39)との3人暮らしで、通報当時は夫は外出していた。署は2人から事情を聴いている。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

そのまま、溶ける…?大量クラゲ、どうやって海から9キロの市街地に

 「クラゲがいっぱい泳ぎよる」 日差しがまぶしい1日の昼下がり。岡山市の市街地にかかる大きな橋の上で、その言葉に私は耳を疑った。 十数人が欄干にひじをつき、川を指さしたり、スマホで写真に収めたりしている。 まさか。橋の下をのぞき込むと、15センチぐらいの半透明のクラゲがうじゃうじゃと漂っていた。数百匹はいるだろう。 日本三名園のひとつ「岡山後楽園」と官庁街を結ぶこの「鶴見橋」は、河口から9キロはある。 川幅は約100メートル。ふだんはカワムツやオイカワなどの淡水魚が泳ぐ清流だ。川魚と海のクラゲが一緒に泳いでいる姿はなんとも奇妙だ。 川の流れの影響か、クラゲは橋脚の近くで1カ所に集まり、重なり合っている。 「かわいそう」。子どもたちの声が聞こえた。 「なんで川にクラゲがおるん?」。ある子は大人に尋ねていた。 承知しました。私が調べましょう。寄ってきたクロダイの群れに 翌日、岡山河川事務所に聞い…この記事は有料会員記事です。残り616文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

牛乳は白いのにバターはなぜ黄色いの?

「牛乳は白いのにバターはなぜ黄色いの?」新潟県・斉藤桂さん(21)からの質問ののちゃんのDo科学ののちゃんは、朝日新聞に連載されている漫画の主人公で、小学3年生。学級担任の藤原先生を相手に、身の回りの不思議を質問します。聞いてほしい疑問はこちらへ。science@asahi.com ののちゃん きょうの朝食はバターたっぷりのトーストと牛乳。おいしかったー。 藤原先生 バターは牛乳からつくられているよ。 のの そうなんだ。牛さんのおかげだね。でも牛乳とバターって色がちがうね。 先生 私たちが飲む牛乳には、カゼインと呼ばれるたんぱく質と、乳脂肪でできた脂肪球が含まれていて、それらが液体中に溶けずに分散して浮いている状態なの。 のの とても小さいのかな。 先生 カゼインは大きさが5…この記事は有料会員記事です。残り982文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

あのショックから30年、止まらぬ少子化「一つの施策で回復しない」

 2021年に生まれた日本人の子ども(出生数)は81万1604人で、過去最少となった。政府が少子化を課題として捉え始めたのは1990年。前年の合計特殊出生率が1・57となり、戦後最低だった66年の「ひのえうま」の1・58を下回ったからだ。「1・57ショック」と騒がれた。 その後、少子化対策の計画もつくり取り組むが、30年以上が経つ今も歯止めがかからない。 内閣府の国際調査(21年発…この記事は有料会員記事です。残り985文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

三笠宮妃百合子さま、白寿迎える 女性皇族で最高齢の99歳に

多田晃子2022年6月4日 6時00分 三笠宮妃百合子さまは4日、白寿となる99歳の誕生日を迎えた。宮内庁によると、明治以降の皇族では100歳で逝去した夫の三笠宮崇仁さまに次ぐ長寿で、明治以降の女性皇族では最長寿となる。 同庁によると、百合子さまは東京・元赤坂の宮邸で健やかに過ごしている。健康維持のため、午前中は毎日30分程度、テレビ番組の体操やリハビリ体操で運動。天気が良い日は庭で日光浴をしたり、車いすで散策したりしている。 複数の新聞や雑誌を読むのが日課で、国内外の記事に幅広く目を通し、特に新型コロナで苦労する多くの人々を深く案じているという。テレビ鑑賞も好きで、ニュースや野球中継を視聴。近年は、ひ孫の成長をとても楽しみに過ごしているという。 直近の公務では、今年1月1日に新年祝賀の儀に参列。故・三笠宮さまの月命日には墓所に参拝しているほか、長男寛仁さまの命日である今月6日には逝去から10年の節目に行われる式年祭に参列する。(多田晃子)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「デジタル以上」の解像度 フィルム前、ガラス乾板が映す世界観とは

 フィルムが登場する前、写真撮影には「ガラス乾板」が使われた。 透明なガラス板に感光するための写真乳剤を塗ったもので、その解像度は「デジタル以上」といわれる。 朝日新聞社でも、20世紀初頭から1930年代にかけて、ガラス乾板を多く用いていた。 豊かな描写力によって、京都…この記事は有料会員記事です。残り222文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル