「ツトム君」のらんぼうさん、マルチな活躍支えた一言

 公開中の映画「いのちの停車場」で44年ぶりに映画に出演したシンガー・ソングライターのみなみらんぼうさん(76)。音楽のほかテレビリポーターやラジオパーソナリティー、登山、エッセーの執筆、俳句とさまざまな分野で活躍してきたが、スクリーンへの登場は意外にもこれが2作目だ。だが、その多彩な活動を支えてくれた言葉に出合ったのも、映画がきっかけだった。

 1944年、宮城県生まれ。71年に「酔いどれ女の流れ唄」で作詞・作曲家として、73年に「ウイスキーの小瓶」で歌手としてデビュー。映画「いのちの停車場」では新たに書き下ろした曲を劇中で歌っている。

 1976年、作詞・作曲した「山口さんちのツトム君」がNHK「みんなのうた」で放送され、ミリオンセラーを記録する一大ブームを巻き起こした。ちょうどそのころ、詩人・北村透谷の半生を描く映画への出演依頼が舞い込む。それも主演の透谷役だった。「映画なんて、出たこともないし、出たいとアピールしたこともなかったのに」。おおいに迷って相談したのは、後にドキュメンタリー作品「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」シリーズで知られるようになる映画監督龍村仁さん(81)だった。

 龍村さんのテレビ番組にナレーターとして起用され、アフガニスタンへのロケに同行して帰国後すぐに飛び込んできた出演依頼だった。マネジャーの勧めで龍村さんに相談すると、龍村さんはこう言った。

 「面白いと思ったらやってみろ」

 面白いと思って挑めば、失敗しても傷にはならない。そんな内容のアドバイスだったと覚えている。

 その言葉で腹をくくった、わけではなかった。「そんなものかなあ」と思いながら、それでも龍村さんの言葉に後押しされて出演を決めた。77年公開の「北村透谷 わが冬の歌」。芸術的な映画づくりで熱狂的なファンも多かったATG(日本アート・シアター・ギルド)の作品だった。

 だが、初めての映画は最後まで納得できないまま演じた。「ほろ苦い経験といいますかね、そんな経験も必要なんだと知りました」。そういう意味では確かに「傷」にはならなかった。

 吉永小百合さん主演の「いの…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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