ブルー・コメッツのジャッキー吉川さん、81歳で死去…「ブルー・シャトウ」が大ヒット(スポーツ報知)

 ヒット曲「ブルー・シャトウ」で知られるグループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダーを務めたジャッキー吉川(本名・板岡公一=いたおか・こういち)さんが群馬県内の自宅で死去していたことが21日、分かった。81歳。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。1961年に人気グループサウンズ「ブルー・コメッツ」にドラマーとして加入し、グループサウンズ黄金期の一翼を担った。

 昭和のグループサウンズ黄金期を支えた「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダーが天国へ旅立った。所属事務所によると、関係者が20日午後3時ごろに吉川さんの自宅を訪問した際に、ベッドで横たわって亡くなっていた吉川さんを発見した。死因は分かっておらず、一人暮らしで、家族はいないという。同関係者が最後に会ったのは今月5日夜。自宅を訪問し、「ちゃんと食べなよ、と話しました」。最近の様子については「足腰が弱くなっていました。高齢でしたので、老衰ではないかと思います」と話した。

 吉川さんは61年にブルー・コメッツに加入。66年、「青い瞳」「青い渚」がヒットすると、同年に来日したビートルズの公演ではザ・ドリフターズや故・内田裕也さんらとともに前座を務めた。同年から3年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。

 67年に発売した「青」シリーズ第3弾「ブルー・シャトウ」が130万枚の大ヒットをし、第9回日本レコード大賞を受賞した。「♪森と泉に囲まれて」の歌い出しは、子供たちから「♪森トンカツ、泉ニンニク~」の替え歌で親しまれた。

 学生時代に水泳の選手として全国大会で入賞したほどの運動神経の持ち主。そこに資質も加わり、シャープでドラマチックな奏法は、「他の追随を許さないほどのレベルの高さ」と評価された。プライベートでは釣りに熱中し、腕前はプロ級。米アラスカにフィッシングツアーに行くと、その模様が専門雑誌で紹介されたこともあった。

 72年にメンバーチェンジ、74年にはグループは事実上解散したが84年、若いメンバーを加えて再結成した。元祖フルート、サックス、リードボーカル担当・井上大輔(本名・忠夫)さん(享年58)が2000年に自殺するという悲劇を乗り越え、01年には約30年ぶりに残されたオリジナルメンバーでワンマンライブを開催。「70歳になってもロックンロールをやっていたい」と意気込み、02年には新曲も発売した。

 10年には転倒が原因で頭を強打。脳出血を患ったが、12年に行われたギターの三原綱木(74)の活動50周年コンサートでは、元気な姿を見せていた。

 ◆ジャッキー吉川(じゃっきーよしかわ)本名・板岡公一。1938年8月1日、東京都出身。法政大学経済学部中退。高校2年時に映画「グレンミラー物語」を見てジーン・クルーパに憧れ、独学でドラムを学ぶ。58年、先輩の大橋道二の紹介で「ブルー・コメッツ」のバンドボーイに。「ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ」などで腕を磨き、61年「ブルー・コメッツ」の正式メンバー。63年にバンドリーダーになり、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」として黄金時代を築く。

◆メンバーもショック

 小田啓義「10代からずっと一緒だったので、本当にショックで言葉が出ません。彼は器用なドラマーでなく、努力一筋でやってきた。リズムを一つ覚えると、誰もまねできないリズムになる。ブルコメサウンドの要と言っていい彼のドラムと、もう一緒に演奏できないのがつらいです」

 三原綱木「別れは悲しいが、きっと天国でドラムをたたいてくれると思います。僕はまだまだこっちでギターを弾きますが、いずれ向こうへ行ったら再会して、一緒に演奏したい」

 高橋健二「ジャッキー吉川のドラムでしかベースを弾いたことがないので、今後どうしていけばいいのか分からない」

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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