悲しみを力に変えた12歳のスーパーアスリート、聖火リレーを走る…3・11から9年〈上〉(スポーツ報知)

 1万5899人が亡くなり、今も2529人の行方が分からない東日本大震災の発生から11日で9年を迎える。6月、年齢資格下限で聖火ランナーを務める仙台市立大野田小6年・小林まなみさん(12)は3歳で震災を経験した。自宅と親族3人を失ったが、9年後の今、空手や重量挙げなど複数種目で輝く立つスーパーアスリートに成長した。

 あの日はまだ3歳だったが、まなみさんの記憶は明確に残っている。「テレビを見ていて…奥には大きな棚があったんです。お母さんが掃除機を掛けていて…」。突然鳴り響く緊急地震速報の音、地鳴り、そして激しい揺れ。天井の高さまである巨大な棚がダンボの陶器フィギュアを載せて倒れてきたが、当時妊娠4か月の母しのぶさん(46)が身を呈して守ってくれた。

 自宅は全壊した。帰る場所が無くなった。避難所では、心に刻まれた恐怖で夜になると泣いた。1週間以上も車中泊をした後、沿岸部に住む親族の元へ向かい、遺体を探した。亡くなった3人の中には仲の良い同い年の子もいた。同年9月に弟の一輝君が誕生したが、しばらくは家族5人、6畳一間のアパートで暮らさなくてはならなかった。

 3歳で心に傷を負ったが、命を救われた自分は前を向くと決めた。「たくさんの人が亡くなって、悲しいこともたくさんあったけど、自分は生きているんだから、前向きに生きたいと思いました」。母はいつも励ましてくれる。「助からなかった人の分も、自分のやりたいことをやりなさい。後悔しないように毎日を過ごしなさい」。だから、12歳でも「命」への強い関心がある。沖縄にはレジャーではなく、平和について学ぶために行った。

 運動能力は幼少期から際立っていた。6歳で始めた剛柔流空手は二段。組手・形ともに大会になれば優勝する。恵まれた158センチの長身。50メートル走は7秒フラットで走る。県が将来の五輪メダリストを育成する「みやぎジュニアトップアスリートアカデミー」に小4から参加。ライフル射撃、重量挙げ、ボウリングに挑戦すると、すぐに県内トップの結果を残した。

 学業もテストで100点を逃すと落ち込むレベル。習い事は空手、水泳、アクロバット体操、習字、公文式。将来、世界で活躍することを視野に入れて英会話にも取り組んでいる。アカデミーは修了するが、中学では各競技の県協会に所属し、より高いレベルを目指す。「まだ、やりたいことがたくさんあるんです。中学のうちに種目を決めなくちゃと思いますから、基礎体力をつけるために陸上部に入るつもりです」

 新型コロナウイルスの影響で小学校生活最後の1か月を失ったが、ショックよりも未来へのワクワクの方が大きい。4月、中学に入学する。5月には13歳になり、6月22日にはいよいよ聖火リレーのランナーを務める。中学1年は走者として年齢資格下限。生まれ育った仙台市内を走る。「被災地の皆さんを勇気づけられたらいいなって思います」

 五輪では、やはり空手に熱視線を送る。「組手はラファエル・アガイエフ選手(世界選手権金5回を誇るアゼルバイジャンの英雄)のトリッキーな技を見たいです。形は喜友名諒選手(同3連覇中)がすごくカッコイイので楽しみです!」

 将来の夢は―。「世界のトップアスリートになって…五輪で連覇できるような選手になりたいです」。少女は夢を「金メダル」ではなく「連覇」と言った。悲しみを力に変えた12歳の大いなる決意だった。(北野 新太)

 スポーツ報知は、復興への途上にある被災地の現状と人々を3回にわたって掲載します。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment