河野大臣のツイッターブロックから考えた 「分人」時代の公と私

メディア空間考 伊藤大地

 「ツイッターで国民をブロックし、コミュニケーションを遮断している」。自民党総裁選に立候補した河野太郎行革担当相が自身のツイッターで、特定の人からのアクセスを制限する「ブロック機能」を多用していることが議論を呼んだ。

 河野氏はツイッターで240万を超えるフォロワーを持つ人気者。政治家は国民の声を聞かなければいけないのに、それでいいのかと問題視する声が出た。これに対し、加藤勝信官房長官は「ツイッターは個人の活動」とコメント。河野氏も、公式ページや記者会見はオープンにしているから問題ない、と主張している。

 ブロックの問題点は別の場所で考えるとして、私が疑問に思っているのは、SNSが「個人」と「仕事」で切り分けられるのか、ということだ。

 河野氏のツイッターには業務についても頻繁に投稿されている。なら、個人用と切り分けて業務用アカウントでやれば済むかといえば、そう簡単な話ではない。仮にそうだとしたら、そのツイッターは240万ものフォロワーを獲得することはなかっただろう。なぜなら、日常生活で身近なことや、パッとした思いつきを投稿しやすく、人間の多面性を浮き上がらせるのが、ソーシャルメディアの魅力であり、本質だからだ。

 スマホの登場以降、個人の手元でいつでもどこでも投稿できるようになり、ひとりの人間の多面性を映す性格は、いっそう強まった。

 SNSは、固定されたアイデ…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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