浜に戻った笑顔、「常磐もの」に復興の兆し 処理水放出になお懸念

 2011年の東京電力福島第一原発事故による放射能汚染で、福島県の農林水産業は深刻な打撃を受けた。12年が経ち変化の兆しがある一方、生産現場には様々な形で事故の傷痕が残る。福島で食べ物を生み出す人の声を聞いた。

 東京・代々木公園に2月下旬、即席の屋台村が現れた。「さんまのポーポー焼き」「うに貝焼き」「アンコウパエリア」……。魚食文化を発信するイベントと同時開催された、福島の海の幸をPRする企画だ。香ばしいにおいに吸い寄せられるように、家族連れなどが列を作った。

 いわき市などで活魚や加工品を扱う大川魚店の大川勝正社長(48)は「ほっき飯」などを販売した。「このイベントはいつも盛況だけれど、福島の魚が普通に売れるということを確認する場になっています」

 県外の百貨店物産展などを回ってきたが、原発事故の3、4年後ぐらいまでは「放射能汚染の心配はないのか」と聞かれることが多かったという。福島産の魚は厳しい基準で検査をしていると接客時に伝えていたが、ある時、言えば言うほど売れなくなるのではないかと感じるようになった。「お客さんは楽しく買い物をしたいのに雰囲気を壊しているような感じがしました」

 売り上げが少しずつ戻ってき…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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