19歳の新米教師が守った青い目の敵性人形 教え子が語りつぐ理由

 1941年4月、茨城県の山あいにある大子(だいご)町の黒沢国民学校に、師範学校を卒業したばかりの菊池博子さんが着任した。19歳になったばかりだった。

 当時、学校には子どもたちから「メリー」の名で慕われた人形があった。

 その14年前、日本人移民の排斥問題で悪化した日米関係を憂慮したアメリカの団体から、日本に贈られた約1万3千体の「青い目の人形」のひとつだった。

 41年12月8日、太平洋戦争が始まる。

 ほどなくして菊池さんは、校長からメリーを燃やすよう命じられた。青い目の人形は「敵性人形」と見なされ、各地で処分の対象となっていた。

太平洋戦争のさなかに着任した新米教師と、学校に飾ってあった人形の物語。60年以上経った後に流した涙のわけとは。70歳を超えた教え子たちが語り継いでいます。

もし見つかれば…処分されていたのは

 菊池さんは、図書室の人目に…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

Japonologie:
Leave a Comment