Bリーグ千葉ジェッツ島田会長が「29歳の新社長」に託した試練 ── これが初の純利1億円超の勢いだ(BUSINESS INSIDER JAPAN)

バスケットボール男子・Bリーグの千葉ジェッツふなばしは8月21日、島田慎二社長(48)が会長のポストに退き、副社長だった米盛勇哉氏が新社長に「昇格」したことを発表した。前日20日の取締役会で承認された。島田・新会長と米盛・新社長は共に代表権を持つ「ダブル代表」体制をとる。

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米盛社長は29歳。慶應義塾大学商学部を卒業後、野村證券や香港系投資ファンドのCLSAキャピタルパートナーズジャパンで活躍。2019年4月から千葉ジェッツの取締役副社長に就任していた。

会長になった島田氏は、Bリーグ、国内のスポーツビジネス業界においても「敏腕社長」と知られた存在だ。2012年2月、当時赤字経営だったチームの社長に就任すると、旅行会社やコンサルティング会社を起業・経営してきた手腕を千葉ジェッツでも発揮。すぐさま黒字経営に転換するとともに事業を拡大させていった。

千葉ジェッツは、8月20日に開いた第9期の通期決算会見にて、売上高が前期比24%増の約17億6000万円、経常利益は同比12%増の約1億円だったと発表している。最終利益は、初の1億円超になった。

一方、島田氏はチーム強化でも辣腕を発揮し、日本代表の司令塔である富樫勇樹選手を中心に据え、3大会連続で天皇杯全日本バスケットボール選手権大会を優勝している。

「7年半で、このスポーツクラブがここまで成長したのは希有なこと。当然、選手やスタッフの頑張り、ファンの支え、スポンサーなど皆様のおかげ」(島田氏)

島田氏「1、2年前から後継者探しを意識した」

しかし、自分自身が前面に立ってチーム経営を引っ張っていくことに不安を感じ始めていた。

「おおむね、(経営判断を)独断で決断してリスクを取ってきた。目標を設定したら、何が何でも達成するようにしてきた。これがジェッツの源泉かなと思う。ただ、奇跡の急成長を遂げたという点で陽かなと思う一方で、短期間で急成長したら痛みが伴う。(社員など)皆には多少無理してもらったこともある」(島田氏)

「また、Bリーグ2年目にリーグのバイスチェアマンを兼務した頃から、こういうスタイルで私が引っ張っていく中で、万が一事故でもあったら大変だと考えるようになった。100年続くクラブを作っていくための礎まではしっかりやろうとこの1、2年ずっと考えてきた。

その礎はなんだ?となると、1つは資金力。経営力がないと戦っていけない。もう1つは(メインで使用する)アリーナがすでに満員(約5000人)になっている中で、大きな箱を持って事業規模を拡大することが必要不可欠だった。

そして、私が自信を持ってバトンタッチできる後継者を発掘・育成する必要があると考えてきた中で、米盛と出会った」(島田氏)

島田氏は米盛氏が加わって以降、経営の現場への同席や、経営判断の考え方を伝えるなどのコミュニケーションを通じて、「後継者」育成につとめてきた。

ただ、米盛氏がチームに加わったのは今春のこと。まだ、半年ほどしか経過してないにもかかわらず、島田氏は米盛氏にバトンタッチした。それには、経営者は経験しないと育たないという判断があったからだという。

「本来であれば早いとは思う。ただ、彼が後継者でいくべきだろうと明確に決め、あとは時期だけだった。1年、2年一緒に社長、副社長としてやった後なのか、すぐなのかと(悩んだ)。

ただ、経営者はやらないと育たない。思い切って、彼は若いし、私が会長として彼を支えればいいと思い、バトンを渡すことにした。ジェッツが勢いのあるうちに継承したかった。経営が苦しい時、チームが勝てない時に継承されても苦しいと思う。今の状況であれば、米盛も現場で経験を積むには良いと」(島田氏)

また、島田氏の頭の中には、後継者を育てる上で、副社長のままで経験することと、社長として経験することは全く違うという考えがあった。

「1(社長)と2(副社長)の責任の重さやプレッシャーの強さは雲泥の差。1、2年、なんとなく社長業的なことを経験しているようで、それは実は2の経験。2の経験をずっとしてきた中で、突然1になった時、全く違うものにブチあたる。そこからまた1年、2年と経験を積んでいかないといけない。経営者の育成というのは、こういうもの」(島田氏)


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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