昨秋以降に相次いだ台風で大きな被害を受けた千葉県内の被災地を支援しようと、ジャニーズ事務所副社長の滝沢秀明さん、V6の三宅健さんら計8人が18日、南房総市と館山市を訪れ、壊れたビニールハウスを解体するボランティアをした。 滝沢さんらは、昨年の台風被害を受け、県内の被災地で、がれきの撤去や炊き出しなどのボランティアをしている。 この日は午前9時半過ぎに、南房総市の青木文男さん(69)のビニールハウスを訪問。降りしきる雨の中、ぐにゃりと曲がった鉄製の骨組みをバールなどを使って解体し、30分ほどで作業を終えた。青木さんは「高齢で力仕事がなかなか出来ない中、早く作業をして頂いて本当に感謝。被災者に思いを寄せて頂き、ありがたい」と話した。 続いて館山市の石井昭一さん(46)が経営するイチゴハウスなどへ。みぞれ混じりの雨の中、滝沢さんは工具を使ってビスをはずしたり、骨組みを切断したり。三宅さんは金づちを使って骨組みを解体し、ばらしたパーツを黙々と片付けていた。石井さんは「イチゴ栽培の管理で精いっぱいなので、大変助かる。被災地を忘れず思ってくれているのはうれしい」と笑顔を見せた。(多田晃子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
高崎山のサル、半世紀ぶり異変 理由不明の仁義なき分派
野生のニホンザルに餌づけをしている大分市の高崎山自然動物園で、餌を与える寄せ場に現れるサルの群れに異変が起きている。一部のサルが群れから分派し、新しいグループを形成。半世紀以上ぶりに本格的な新しい群れの誕生となるか、注目が集まっている。 同園の寄せ場には現在、B群とC群の二つの群れが出現している。市観光課によると、新たな分派を作ったのはC群にいたサルと、高崎山周辺のほかの群れのサルだ。昨年11月に実施した調査では202頭が確認された。この群れにはリーダー格のサルがいることも確認されている。 最初に分派が確認されたのは昨年6月。山をパトロールしていた高崎山管理公社の職員が、C群の生息地域で別のサルの集団を発見した。その後の調査で、その中にC群のサルがいたことや、C群が寄せ場に来るのと同じ時間帯に山中にいることが確認された。分派したと判断したが、中にはC群本体との間を行き来しているサルもいるという。 分派した群れのサルが集団で寄せ場に現れたことは確認されていない。高崎山では、寄せ場に降りてくる集団を群れとして名前を付ける。現段階では認めていないが、リーダー格のサルが集団を率いて寄せ場に訪れるようになれば、新しい群れとして認める方針だ。 分派の理由は分かっていないが、最初に確認された直前の昨年5月には、C群が寄せ場に姿を見せない時期が続いたことがあった。 現在寄せ場を訪れるB群とC群も、過去に寄せ場に姿を見せていたA群から分かれて誕生した。B群は1959年8月、A群の中で寄せ場のエサを食べられずにいた集団が「独立」。C群は1964年3月、ほかの山から移ってきた力の強いオスザルに、一部のメスザルがついていったことで生まれたとされる。 昨年11月の個体数調査では、… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
近畿や中四国で空に虹色の輝き 幻日やアークが出現(ウェザーニュース)
穏やかな日曜日の朝、近畿や中四国など西日本の空には鮮やかな虹色の輝きが見られました。大阪市では空の高い所に弓なりの虹が現れています。逆さ虹とも呼ばれる、環天頂アークです。太陽高度が比較的低い朝や夕方に、空の高い所に見える現象です。 午後にかけての下り坂サインに 岡山県など中四国で見られたのは幻日。太陽と同じ高度の左右に現れ、条件が良ければキレイな虹色に見えます。こうした現象は上空高い所に広がる薄雲を構成する氷の粒が、太陽の光を屈折させることで現れます。 今日19日(日)は日本海を進む低気圧の影響で、中四国から近畿にかけて薄雲が広がってきました。午後は雲が厚みを増して、にわか雨の可能性があります。天気下り坂のサインとなる見込みです。 様々な虹色現象 【ハロ・日暈(ひがさ)】 太陽の周りに現れる、虹のような光の輪のこと。 ハロは、雲の中にある氷の粒に太陽の光が屈折してできる現象。薄い雲が太陽にかかった時に見ることができます。 【アーク】 高層の雲(氷の粒で構成)の氷の結晶がプリズムの役割をして、太陽の光が屈折して色が分かれて、虹色の輝きが現われます。太陽を中心とし、できる位置で名前が変わります。 【幻日と幻日環】 太陽の横で、薄雲の中に現われる虹色に輝く現象。これを幻日(ゲンジツ)といいます。また、太陽の両端に出来た幻日を通る輪のことを幻日環といいます。 ウェザーニュース 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「次の命につないでいきたい」臓器提供受けた若者の夢(西日本新聞)
病と共に生きる2人の若者を紹介したい。 1人は、看護師を目指す大学生安坂(やすさか)優汰さん(19)=福岡市。2017年、臓器移植に関する取材で出会った。当時は高校2年生だった。 【画像】臓器提供件数と移植希望登録者数 中学1年で原発性硬化性胆管炎が分かった。根治治療は難しく、進行すれば命にかかわる。中3の秋、急変して入院、肝臓移植を待つ身となった。しばらくして、臓器移植法に基づく臓器提供を受けた。 「命をつないでもらった自分だから、次の命、その次の命につないでいきたい」。取材当時から、看護師となって移植コーディネーターになる夢を語っていた。 彼にしかできない、ずしりと響く質問 昨秋、手紙をもらった。移植医療の第一人者、藤堂省教授がいる聖マリア学院大(福岡県久留米市)に進み、看護学を学んでいるという。臓器移植についての市民公開講座で自らの体験を語ると知らせてくれた。 11月下旬、同市であった「命の大切さを考える」と題した講座。登壇した安坂さんは心臓外科医や宗教家に質問をぶつけた。以前の取材では名前も写真も掲載しなかったが、今回は初めて実名でレシピエント(移植を受けた患者)であることを明かした。「誰かの死を待つ(移植待機)患者をどうサポートしますか」などと問題提起。彼にしかできない、ずしりと響く質問だった。 「絶対に夢を実現する」 今も免疫抑制剤を服用し、定期通院する。一方で塾のアルバイトをこなし、大学の系列病院で移植に携わる医療者と接する。ドナー(臓器提供者)とその家族、臓器提供を提案する医療者の葛藤など、多面的に臓器移植を見つめている。その上で「自分だからできることがある。絶対に夢を実現する」。そう語る顔はすがすがしい。 9歳で急性リンパ性白血病を発症… もう1人は大学3年生、山本芙優(ふゆ)さん(20)=福岡県宗像市。昨夏まで医療面で「小児がん 母と娘の闘病日記」を執筆してくれた。9歳で急性リンパ性白血病を発症、1年弱の入院生活を送った。今も筋力が弱く、再発、放射線や薬などの治療の影響による異変への不安は消えない。 昨年12月、福岡市での講演を聞いた。電車通学の高校時代、重いかばんが持てず、キャリーバッグを引いて通った。教室までの階段に困っていたら、ある男子生徒が毎回運んでくれるようになった。病や障害がある人と過ごすとはどういうことかを同世代に知ってほしくて、学校には「私を実験台にして」と伝えていたそうだ。 現在、北九州市立大で生命工学を学び、自分と同じようながんの子どもを救いたいとの夢に向かっている。同級生に病気について聞かれれば隠さず語り、大学に必要な配慮は求める。体調不良の日もあるというが、未来を切り開いていく姿はまぶしい。 「病気になったから今の自分がある」 2人ともつらい闘病生活だったに違いないが、「病気になって良かった。病気になったから今の自分がある」と言い切る。死を身近に感じ、より真剣に生きるようになったとも。強がりではなく、心の底から発せられる言葉に病との向き合い方を教えられる。 病とどう闘い、それをどう支えるか。時代に合った医療のあり方、命との向き合い方を深め、病と共にある2人が夢を実現できる社会をつくっていく責任をかみしめている。 (編集委員・井上真由美) 西日本新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「バス運転手は極めて異例」乗客の詐欺被害防ぐ 福岡・田川署が感謝状(西日本新聞)
田川署は14日、偽電話詐欺を未然に防いだとして、赤村営デマンドバスの運転手、中谷千佳代さん(58)=福岡県田川郡同村内田=に感謝状を贈った。中谷さんは、高齢の乗客が見知らぬ男からお金を準備するよう指示されたことを知り、同署赤駐在所にバスを止めて自ら事情を説明した。中谷さんは「オドオドして普段と様子が違った。被害に遭わず良かった」と話した。 署によると、昨年12月27日昼、村内の80代女性の携帯電話に「未納料金が発生している」とのメールが届いた。女性が連絡すると、男から「30万円を振り込んでくれ」と指示され、同日午後に村内の農協へ向かおうとしていたという。 デマンドバスは予約乗り合い制で、中谷さんは5年以上前から村営バス運転手として勤務。常連客だった女性を自宅に迎えに行った際、身に覚えのない未納料金の支払いで相談されたという。中谷さんは「日頃から乗客と話をするので、様子がおかしいと気付いた。私にも高齢の母がいて、変な電話には出ないように言っている」と話した。 森山仁署長は「金融機関の職員やコンビニ店員が詐欺被害を未然に防ぐケースは多いが、バス運転手は極めて異例。地域密着で、乗客とコミュニケーションを取っていたから気付けたのだろう」と感謝した。(座親伸吾) 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
遺品から「原爆学級」記録見つかる 被爆者支援の先駆け、杉本亀吉氏(西日本新聞)
長崎原爆被災者協議会(被災協)の初代会長、杉本亀吉氏=1979年、77歳で死去=の長崎市の遺族宅で、被爆児と非被爆児の成長を比較調査した「原爆学級」の報告書が見つかった。原爆で妻子を失いながら、被爆者支援の人生を貫いた杉本氏の功績は時代に埋もれ、あまり知られていない。専門家は「(報告書の存在は)杉本氏が活動の先駆者だった事実を証明する」と指摘している。 【写真】遺品から見つかった「原爆学級」の調査報告書 「被爆児の心身発達について」と題されたガリ版刷りの報告書は70ページ超。52年、爆心地に近い城山小に設置された学級での1年に及ぶ身体と学力の成長などの比較調査をまとめている。当時は教育関係者らに配布されたが、市教育委員会が現存を確認しているのは、保管する1冊に続き今回が2冊目という。 報告書では「被爆児は非被爆児に疲労回復などで劣る」との分析が示されたが、学級は40人程度で調査対象が少なく、その後に活用された記録はない。卒業後にがんや白血病で早くに亡くなったケースもあり、健康面への影響について、調査結果を生かして何かできなかったかと悔やんだ教員もいる。 警防団を務めた杉本氏は被爆直後から救護に当たり、がれき下で妻、長女、三男を見つけたのは2日後だった。終戦2年後に市議になって被爆者の公的支援を求め、56年には被災協の初代会長に就任。翌年の原爆医療法(現被爆者援護法)成立に向けて奔走した。72年出版の自著には報告書に関する記述があり、活動の下支えになっていたとみられる。 長崎原爆資料館の奥野正太郎学芸員は「(被爆者支援に人生を懸けた)杉本氏の思いを裏付ける証拠だ」と指摘。近く報告書の寄贈を受ける被災協の横山照子副会長(78)は「貴重な資料を保存、活用していきたい」と話している。 (華山哲幸) 西日本新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
初鹿氏の離党届受理 立民の「二重基準」はお家芸か(産経新聞)
女性への強制わいせつ容疑で書類送検された初鹿(はつしか)明博衆院議員に対する立憲民主党の対応がおかしい。過去に自民党議員らが週刊誌で女性問題を報じられた際には議員辞職を求めたが、身内の初鹿氏は離党届の受理にとどめた。立民は性暴力の根絶などを訴えてきたはずだが、有権者はこうしたダブルスタンダードとも取れる対応をどう感じるだろうか。 「なんか、もう。黙ってて欲しい。政治家のイメージを激しく破壊される」 立民の蓮舫副代表はツイッターで、麻生太郎副総理兼財務相の成人式での発言に噛み付いてみせた。 麻生氏は12日、福岡県直方市の成人式で「20歳を境に何が違うのか。もし今後、万引きでパクられたら名前が出る」などと語り、大人の責任を独特の言い回しで説いた。 しかし、蓮舫氏の「政治家のイメージを激しく破壊される」との投稿には「同じ事を初鹿議員に言いたい」「今日も綺麗なブーメランですね!」といった書き込みが1700件以上も相次いだ。 初鹿氏は昨年12月10日、タクシーに同乗した女性にキスを迫り、自身の下半身に女性の顔を引き寄せるなどの強制わいせつ容疑で書類送検された。初鹿氏は立民の結党当初から参加した1人で、若手論客として頭角を現す一方、たびたび週刊誌などで類似の行為を報じられてきた。 初鹿氏は同月17日、記者団に、今回の強制わいせつ容疑について「現在進行中の案件であり、お答えは差し控えたい。いずれにしても捜査当局に対して全面的に協力している。判断は捜査当局に委ねたい」と述べるにとどめた。その後、初鹿氏は党に離党届を提出した。 立民の福山哲郎幹事長は同月24日の記者会見で、離党届を受理した理由について「嫌疑を持たれたことは甚だ遺憾であり、おわび申し上げたい。本人から離党届が出たので、速やかに処理させていただいた」と述べた。記者団から「起訴されたら『除名』にするのか」と問われると、福山氏は「捜査当局の判断を待っているときに、仮の話をしたら予断を与える」と慎重な言い回しに終始した。 立民は平成30年、他党と協力して「性暴力被害者支援法案」を衆院に提出したほか、「#MeToo」(私も)などセクハラ問題の啓発に積極的に取り組んできた。同年、福田淳一前財務事務次官に女性記者へのセクハラ疑惑が浮上した際には、立民、社民、共産各党などの女性議員らが喪服のような格好で「#MeToo」と書かれたプラカードを掲げて行進し、福田氏や麻生氏の辞任を求めた。 31年2月には、交際していた女性から準強制性交罪で刑事告訴され、自民党に離党届を提出した田畑毅衆院議員(当時)をめぐり、立民の辻元清美国対委員長(同)が「(女性問題が)事実なら議員辞職に値するのではないか。離党で済む話ではない」と語った。田畑氏は同年3月に議員辞職した。 政府・与党には厳しい立民だが、一方で、同じ党に所属していた初鹿氏の書類送検には乏しい反応に終始したのではないか。 立民は昨年の参院選でジェンダー平等や性暴力の根絶などを政策の柱として訴え、女性候補も積極的に擁立した。今後も、こうした政策に力点を置く姿勢は「全く変わらない」(福山氏)という。 ただ、初鹿氏への対応には、立民の女性議員から「女性をバカにした話だ」との声があがるほか、党関係者からも「きちんと処分しなければ、有権者から『立民が掲げる性犯罪被害者への救済など嘘じゃないか』と批判される」といった恨み節も出始めている。 20日召集の通常国会で、立民など主要野党は安倍晋三首相主催の「桜を見る会」など政府・与党への追及を強める考えだ。ならばこそ、立民は結党の原点である「真っ当な政治」の意味をもう一度見つめ直し、追及する資質に胸を張ることができるような「真っ当な」姿を示すべきではないか。(政治部 千田恒弥) Source : 国内 – Yahoo!ニュース
Mr.マリックさん、70歳で免許返納 「運転する時の超能力が弱ってくる」(弁護士ドットコム)
スプーン曲げなどの「超魔術」で一世を風靡したMr.マリックさん(71)。2019年12月に自身のツイッターで「高齢者の方、返納期がきてます!」と運転免許証を返納したことを明かし、話題となりました。 運転免許証の自主返納者に交付される「運転経歴証明書」は、免許証と見た目がそっくり。マリックさんは「運転免許証に代わる公的な本人確認書類とは知らなかった」と言います。 1月に71歳の誕生日を迎えましたが、仕事は現役バリバリのマリックさん。なぜ免許返納を決意したのか。迷いはなかったのか。マリックさんの元を訪ねました。(編集部・出口絢) ●「自分が運転できないような車に変わってきたのが怖かった」 ーー「#運転免許返納しました」とつぶやいたツイートは、大変な反響がありました。いつ免許返納すると決めたのでしょうか。 返納を考えたのは、2019年12月よりずっと前でした。実は車を手放して、数年経つんです。 きっかけは、まだ免許返納が世の中であまり話題になっていない5~6年前ですかね。車検が切れたタイミングで車を変えようかなと思い、最近の車を見たとき、車の様子が全く変わっていたんです。 鍵をさすところがない。クラッチペダルがない。音がしない。私は長らく外車のマニュアル車に乗っていたから、車が進化していく過程を知らないままでした。 自分が運転できないような車に変わってきたのが怖かった。それで「一から覚えるのもな」と車の買い替えをためらった時に、タレントが交通事故をしたら、記事で大きく取り上げられるようになってきた。 その辺りから「気をつけなきゃいけないな」と用心していて、車に乗るのは大変だなと思い始めていたんです。それと、孫が私の運転を怖がりだしたのも大きかったですね。 ●「じいじ危ない」孫が自分の運転を怖がり出した ーーお孫さんに運転を注意されたのですか? ショックですよ(笑)。 これも5~6年前のことですが、運転していたら、後部座席にいた当時11歳の孫が「危ない危ない危ない」、「じいじ、今まっすぐじゃないよ」と言うんです。最初は「何を言ってるんだろう」と思ったのですが、そのあとも「電信柱に寄っていったよ」、「ずーっと寄ってったから危ない」と後ろから一生懸命言ってきた。 その時は自分が正しいのか、孫が正しいのか、よく分からなかった。別の日にカミさんにも「今、危ないじゃない」と言われて、視野が狭くなっていることに気づき始めたんです。 ものすごく印象に残っていますね。「まっすぐに走っていない」と気がつくと怖い。当たってからじゃ遅いですからね。 ーー家族からの指摘が運転をやめるきっかけになったんですね。言われて初めて気づくというのは怖いですね。 車庫入れをするとき、後ろの角なんか見えていないですよね。見えていないのに、ギリギリでバックで駐車する。ということは、人は車を運転する時に、超能力使っているわけでしょ。見えていないんだから。 これは凄いことですよ。その超能力が弱ってくるんですよ。年齢は出ますよ。若いうちはそういう力があるんだろうね。 息子の車なんか乗っていると、最近の車は前にモニターがついていて、それを見て、バックで駐車しているよね。そうすると超能力いらない。自動運転になったら、超能力どころか人間の才能もいらない。ハンドパワーもいらなくなりますね(笑)。 ●加山雄三さんの自主返納で「運転経歴証明書」を知る ーー「超魔術」をあやつるマリックさんも、運転する時の「超能力」の衰えには抗えなかった…。それで車を手放したものの、免許返納はしていなかったんですね。 運転免許証を返納したら身分証明書がなくなるので困るなと思って、返納はあまり考えていなかったんです。 カミさんもペーパードライバーなんですが、身分証明書代わりになるからとずっと免許証を持っていた。映画もシニア割引されて1000円で見られるし、役立つんですよね(笑)。 運転経歴証明書がもらえることを知ったのは、2019年9月に秋の交通安全運動に関連しておこなわれた警視庁のイベントでした。 私は「交通安全超魔術ショー」に出演したのですが、同じくイベントに参加していた俳優で歌手の加山雄三さん(82)が、舞台の上で運転免許証を自主返納したと明かしたんですね。そこで初めて、免許返納した後は身分証として免許証にそっくりな運転経歴証明書がもらえると知ったんです。 ーー加山さんの免許返納はニュースにもなっていましたね。運転免許証を返納すると、顔写真付きの運転経歴証明書がもらえることは、まだまだ知られていません。 1月1日生まれなので、ちょうど免許更新の時期が迫っていたんです。身分証と同じように使えるんだったら、運転しないんだから返納してもいいかなと思って、2019年12月10日に運転経歴証明書をもらいました。ずっと持っていたものを捨てるのは、なかなか難しいですよね。 そしたら運転経歴証明書が、あまりにも運転免許証と同じ見た目だったから驚いた。写真を撮ってマネジャーに「顔写真をぼかしてツイッターに上げておいてね」と送ったら、サングラスのスタンプをつけてアップしてくれたんです。 カミさんはあの写真をみて「サングラスかけて、よく写真通ったね」と言ったんですが、「そんなことあるわけないだろ、遊ばれたんだよ」と(笑)。 穴が空いている免許証は持っていたくないし、運転経歴証明書は大正解ですね。特典があるのですが、デパートでズボンを買ったら送料が無料でした。「こんなの持っているんです」と運転経歴証明書を提示したら、「はい、ただです」と言われてね(笑)。 ●「自分だけ守ってても事故は防ぎようがない」 ーー車を手放してからの生活はどうですか。 もうタクシーでいいなと思いました。若い子が車離れするのは、お金がかかるからでしょうね。 東京は駐車代もとても高いでしょう。場所によっては、10分600円のところもある。ちょっとご飯を食べて帰ってきたら8000円。「間違えてないか」とびっくり。ちょっと異常だなと思います。 タクシーは、初乗りが410円。東京に関しては、個人で車を持っていなくても生活しやすくなったなと思いますね。 ーー東京など都市圏と地方では、全く状況が違いますね。マリックさんは営業で地方に行くことも多いと思いますが、どう感じていますか。 地方に行くと、車がないとどうしようもないところも多いですよね。地方の会館などでショーをしますが、みなさん車で来られます。タクシーだったら来ないでしょう。 東京では知り合いにも免許返納した人が何人もいましたが、困っているという人がいなかったんですよ。地方では車は生活必需品だし、この問題は、都市圏と地方に住む人とではちょっと差がありすぎるかもしれないですね。 ーー2019年は高齢ドライバーによる交通事故や逆走が相次いで報道されました。「親の運転を辞めさせたい」と思っている人は、全国にいると思います。 2019年は、ターニングポイントでした。免許返納した人たちの話を聞いていたので、私も「いつかは返そうかな」と思っていましたが、こんな早く返すとは思わなかった。でも、もう70歳で返納したほうがいいですよね。 とはいえ、いきなり「免許を返納しなさい」と言っても、なかなか難しい。人間って意外とやめられないですよ、どこかで何かのきっかけがないと。放っておいても返さない。 車を取り上げるとか、運転を止められる方法を考えないと、自分は歳をとっても運転できるとますます自信がついてしまう。高齢者でいきなり事故を起こす人はいないと思います。皆、ひやっとした経験をしているはず。危ないと思った経験で気づけばいいんだけど…。 マジックは失敗しても笑ってごまかせるけど、運転はとちったら終わり。命は一つしかない。歳を重ねた人は、運転の怖さを知らないといけないと思います。自分のことだけ守っていても、事故は防ぎようがないですからね。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
維新除名の下地氏、議員辞職はせず 無所属で活動の意向
カジノを含む統合型リゾート(IR)事業を巡る汚職事件に関連し、中国企業側から100万円を受領した下地幹郎衆院議員(58)=比例九州=は18日、議員辞職しないと表明した。所属していた日本維新の会を除名されており、無所属で活動する意向を示した。 下地議員はこの日、那覇市で進退について後援会幹部らと協議。その後、記者団に「辞職せず頑張っていく」と議員を続ける考えを示した。理由として後援会から慰留され、中国企業側に便宜を図っていないことを挙げた。 一方、100万円を政治資金収支報告書に記載していなかったことに対する責任を問われると、報告書を修正する議員は他にもいるとして「私(のケース)が特別なのか」と主張した。 下地氏は前回衆院選の沖縄1区… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「私には限界を見極める力がある」引退のアシュケナージ
公の場でのすべての演奏活動からの引退を表明した世界的ピアニストで指揮者のウラディーミル・アシュケナージさん(82)は2018年11月、朝日新聞のインタビューに応じていた。 拡大するアイスランド交響楽団との共演のため来日したウラディーミル・アシュケナージさん=2018年11月、名古屋で アシュケナージさんは、アイスランド交響楽団との公演で指揮者として来日。翌19年5月に予定されていた息子のピアニスト、ボフカさん(58)とのデュオコンサートについて話す中で、自らの人生を振り返る言葉を語った。 「私は自分の人生に感謝しています。与えられた才能を生かせたこと。そして、その限界を見極める力があったことにも」 輝くような美しい音色で同時代のポリーニ、アルゲリッチらと並ぶ名手として知られた。1963年、旧ソ連から亡命。その後に始めた指揮でも名声を高めた。 「引退」の報は、2007年に… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル