放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(21) 水俣病など公害を学んでいたゼミで「患者になりたくないなら、水俣から出て行けばいいじゃないか」と発言した同級生と大げんかし、ゼミを放棄した私でしたが、代わりの単位が取得でき、青山学院大経済学部を卒業するめどが立ちました。もっとも、学生運動の影響で、多くの授業がリポート提出で済んだので助かりました。 【写真】笑いあり、涙ありの半生を振り返る海老原靖芳さん さて「卒業後は?」と考えました。「自分は何をすればいいのか」。書き込んでみようとノートに向き合いました。鉛筆は少しも動きません。ならばと、逆に「何をしたくないのか」と題目を変えました。するとどうでしょう。すらすらと書けるではないですか。 当時の私はロン毛(長髪)にひげを蓄えたヒッピーのような格好。3、4年になっても就職活動はしませんでした。「朝から満員電車に乗りたくない」「ネクタイを締めたくない。スーツも着たくない」「毎日同じ時間に同じ建物に出入りしたくない」「知らない人がいきなり上司となって、いろいろと命令されたくない」「佐世保に帰りたくない」。ノートに書き切れないほどの文字であふれました。これで明確になったのです。「私はサラリーマンになりたくない。組織に加わりたくない」でした。 それは、長崎県佐世保市に住む年老いた両親たちの「故郷に戻って親和銀行か、市役所に就職を。食堂みよし乃を継いでもよかし」という願いを裏切ることでした。ごめんなさい。 少し余談を。現在、私は地元長崎県の高校生に講演をしていますが、将来何をしたいのかを考えるときは「自分がしたくないことをノートに書き込んでごらん」と伝えています。逆説的ですが、消去するものを挙げると頭がすっきりし、やりたいことがはっきりします。 当時付き合っていた女性(ゆかり)とは互いに結婚を考えていましたが、就職したくないから収入はゼロ。だけどそれでもいいかと告げたところ「いいよ。私が働くから。あなたは好きにして」と言ってくれたので決心しました。卒業直後に若さだけで結婚しましたが、妻は内臓の病気で職場に立てなくなったのです。 「公害」を巡って大げんかしたあのゼミの同級生はいわゆる一流企業に就職が決まりました。卒業間近のキャンパスをスーツ姿で歩く彼のまぶしいこと。 焦る1975年春。さあ、これからの新郎新婦の食いぶちをどがんすればよかか。 (聞き手は西日本新聞・山上武雄) ……………… 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。 ※記事・写真は2019年07月10日時点のものです Source : 国内 – Yahoo!ニュース
キャバクラ勤務の20代女性感染 新潟で20人以上接客
新潟市は18日、17日に新型コロナウイルスの感染が判明した新潟市東区の飲食店従業員の20代女性について、新潟駅前のキャバクラ「Club NOA(クラブ ノア)」に勤務していたと発表した。不特定多数の客と接触している可能性があるとしている。 市によると、女性は7~10日に勤務。少なくとも20人の接客をしたという。この4日間に同店を訪れ、発熱などの症状が出た場合は帰国者・接触者相談センター(025・212・8194)に電話するよう呼びかけている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
収穫直前のホウレンソウ550キロ盗難「素人じゃない」
群馬県太田市内の農家で4月上旬から、収穫する直前だったホウレンソウが相次いで大量に盗まれた。少なくとも軽トラック3台分(約550キロ)で、被害総額は数十万円にのぼる。太田署が窃盗事件として捜査し、夜間パトロールを強化している。 被害に遭ったのは、いずれもJA太田市藪塚本町支所管内の農家で、ビニールハウスで栽培していたホウレンソウが根元から刈り取られていた。 太田市藪塚町の藤生武男さん(67)は13日朝、収穫のため畑を訪れて異変に気付いた。入り口のカバーが外れていたハウスの中を見ると、棟内はほぼ土がむき出しに。一瞬何が起きたのか分からず、立ち尽くした。 まだ収穫時期ではない小さな株は、そのまま残されていたという。「あまりにきれいに刈られていて素人とは思えない。丹精込めて育てたものを収穫間際に奪われたのはつらい」 隣接する羽賀一雄さん(69)のハウスでも、約200キロのホウレンソウが盗まれた。別の畑から盗んだとみられるスイカをハウスの中で食べたような跡もあった。「金銭的よりも、精神的なショックの方が大きい」と肩を落とした。 2人は「(ハウスほぼ1棟分の… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「水道の蛇口ではない」に込めた思い 表現活動はいま
新型コロナウイルスの感染拡大で、音楽や映画、演劇、落語など文化や芸術に関わる人たちの活動の場が失われています。感染拡大防止のため、やむを得ないとはいえ、これまで私たちに豊かな出会いや喜び、笑いを提供してくれていたアーティストの多くが苦境にあります。先の見えない状況の中、表現活動に関わる人たちに話を聞きました。 拡大する活動が制約される中、アーティストたちの思いは? 芸術止める痛み 感じて 指揮者・沼尻竜典さん 3月、びわ湖ホール(大津市)制作のオペラ「神々の黄昏(たそがれ)」公演が新型コロナの影響で中止になりました。4年を費やした、ワーグナー4部作の集大成。ここでやめたらみんなで作りあげてきた全てがなかったことになる。館長やスタッフと協議し、無観客での上演と配信を決めました。 上演後の記者会見で「文化・芸術は水道の蛇口ではない。いったん止めてしまうと、次にひねっても水が出ないことがある」と述べたら大きな反響がありました。首相会見でも、ジャーナリストの江川紹子さんが質問で引用してくださいました。 この言葉の裏には、蛇口の向こう側にいる人々や、普段は人目に触れない芸術の営みに、少しでも心を寄せていただきたいとの思いがありました。小道具、照明、衣装など、フリーランスの専門家たちによって長年継承されてきた世界のノウハウが、劇場に血を通わせている。歌手や演奏家も、プロの技術を獲得するために膨大な時間を費やし、途方もない努力を何十年と続けています。 文化は社会や経済との循環の中で育てられる。低速回転でもいい、回り続けないとダメなんです。経済が戻ってくるまで止めておけと言われても、ひとたび日常が戻ったときにすでに全てが失われていたら? そうならないための最低限の補償を、多くの文化の現場は国に求めているのです。 僕たちは「好き」と引き換えに、それだけのクオリティーのものを提供する矜持(きょうじ)と覚悟を持っている。イソップ童話の「アリとキリギリス」では、バイオリンを弾いて暮らしていたキリギリスが最後にアリたちに見捨てられますが、働いている時に、アリがキリギリスの演奏に活力をもらい、癒やされたこともあったのでは? 人を楽しませるための技術を獲得するためにキリギリスが費やしてきた時間と労力にも、敬意が払われていいのでは。 今が公演を止めるべき時期だということは分かっています。ただ、文化・芸術の蛇口に手をかけている政治家の方々には、芸術の営みを止めることへの痛みを感じる想像力を持っていただきたく思います。(聞き手 編集委員・吉田純子) ◇ 1964年、東京都生まれ。指揮者、作曲家、ピアニスト。90年、ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。独リューベック国立歌劇場音楽総監督などを歴任。滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール芸術監督。17年紫綬褒章。 泥臭い新宿らしさ 残したい 新宿区長・吉住健一さん 文化芸術や娯楽は、新宿らしさの一つで、パワーの源でもあります。新宿の表現活動は、お抱えの劇団や作曲家に自分たちのための作品を作らせた王侯貴族の文化とは違う。もっと泥臭くて、劇場がないなら路上でパフォーマンスしてしまうくらい、とても生命力にあふれたものです。 太平洋戦争で新宿は焼け野原になったが、戦後すぐに劇団やダンスホールなどが立ち上がった。そして今は、末広亭や文学座、紀伊國屋ホール、TOHOシネマズ、ルミネtheよしもと、ライブハウス、クラブなどで、様々な文化人や団体が活動されています。 終戦直後の世代から、野外劇で知られる劇団「椿組」を主宰する外波山(とばやま)文明さんの世代、そして若い世代が新宿らしさの精神を受け継いでいます。活動の場を失い困窮する状況を現場で相談を受ける身としては、緊急事態宣言をめぐる業種の選定や、経済対策や雇用支援などをめぐって国と東京都が綱引きするような状態は首をかしげたくなる。実際に窓口となる我々のような自治体の現場も混乱します。 以前、子ども向けの音楽イベントで「ドイツのベルリン放送管弦楽団は第2次世界大戦中、ベルリン陥落直前まで活動を続けた。今も爆撃音の交じった音源をきける」という話をしました。今まさに戦時下に例えられるぐらい非日常な状態が続いています。先の見えない中で、芸術や娯楽は、自分が人間であることを取り戻して落ち着いたり、やすらぎを得て何かホッとしたりできる力を与えてくれると信じています。 現在、緊急融資の必要がある方や失業の恐れのある方への相談の窓口を拡大しています。今後事態が収束して、文化や芸術に携わる方々が活動を再開する際、区は「活動の場」の確保や活動にあった支援を練る必要があると考えています。長期戦になるウイルスとの闘いの中で、新宿らしさが失われないよう、力を尽くしたいです。(聞き手・伊藤恵里奈) ◇ 1972年、新宿区生まれ。区議会議員、都議会議員などを経て、2014年に新宿区長に就任。現在2期目。 「軽視」される私たち 劇団「東京マハロ」主催・矢島弘一さん スポーツや文化イベントの2週間自粛を安倍晋三首相が要請した2月末から、都内の劇団では次々と公演が中止され、多くの仲間が職を失っています。ある劇団員は、5月の舞台が中止になり、さらにバイト先の飲食店も自粛を受けて休業して、仕事がない状態です。 「東京マハロ」は、東京・赤坂で3月19~26日の日程で始めた公演を途中で打ち切りました。「自粛」すべきか最初は悩んだ末、「演劇の灯を消してはいけない」と開幕しました。「自粛の要請」で公演を中止した場合の経費負担の問題も考えました。入り口で手指消毒や非接触型の検温をして、お客様にはマスクを着用してもらった。「公演には行けないがチケット代を振り込む」と応援してくださる方もいました。 ですがその後、23日に都が打ち出した「4月12日までの自粛要請」で力尽きました。「感染者を出せば、自分が演劇の灯を消してしまうのでは」と考えると選択肢は一つしか残っていなかった。その時点でチケットは8割ほどが売れていましたが、千秋楽の土日4公演を中止。その代わりに、本番中に撮影した映像をインターネット上で無料配信しました。 出演者やスタッフにとって、上演中止は職場を失うことです。政府は文化芸術に関わる人たちを「企業に属すのを嫌うフリーター」程度にしか見ていないと感じます。演劇は人々の生活の中にあるピースにすぎず、それが時に大切なものになるという存在。ですから声高に言いたくないのですが、補償云々(うんぬん)の話を置くと、そこが一番悔しくて悲しい。 日本ではなぜ表現活動に関わる人たちが軽視されるのか。それは政治だけではなく、作り手や受け手にも責任があると思います。例えばドラマや映画をみても、俳優の人気だけに頼った作品になっていないか。昨年のあいちトリエンナーレでの「表現の自由」をめぐる論争をみても、日本の状況は非常にお粗末です。 他劇団で脚本と演出を手がけた公演を6月に予定していますが、無事に開幕できるかどうか……。我々演劇人は何年も前から劇場を予約し、公演を企画しますが、今は全く先が見えない状況です。(聞き手・伊藤恵里奈) ◇ 1975年、東京都生まれ。2006年に劇団「東京マハロ」を旗揚げ。ドラマ「コウノドリ」や「毒島ゆり子のせきらら日記」などの脚本を担当。第35回向田邦子賞を受賞。 文化守るため 国が支援を ミニシアター運営・浅井隆さん 東京の渋谷と吉祥寺で運営する映画館アップリンクは3月下旬から週末の上映をやめ、、今月8日から当面、全面休館としました。16日に予定していた京都での開業も5月21日に延期します。社会を構成する一員として、「感染拡大を防ぎ人命を守る」との思いからです。 ただ、ミニシアターの多くがもともと厳しい経営状況で、今はかつてない苦境にあります。小池百合子東京都知事が緊急会見で自粛を要請した3月23日以降は、客足が通常の1、2割に減りました。平日に開けていても完全に赤字でした。 3月27日からはネット動画配信の「アップリンク・クラウド」で映画60本以上の見放題を販売し始めました。映画に出会う場を提供する立場で「家で映画が見られる」と宣伝していいのか悩みましたが、会社を潰さないための決断です。 私は経営者として利益を出し、毎月の家賃や従業員の給料を払う責任を負っている。国や都は「自粛」というが、それは経営者に「国民の生命の危機」と「会社を潰さない」の両方をてんびんにかけさせることなのです。 政府は緊急経済対策で、売り上げが半減以上した中小企業に200万円を上限に給付し、都は2店舗以上の事業者には最大100万円の「感染拡大防止協力金」を支給するとのことですが、映画館の賃料すらまかなえません。 映画製作は文化庁が助成し、日本のコンテンツを海外発信する「クールジャパン」関連事業は経済産業省が主導する。一方で映画館は公衆衛生の観点から厚生労働省の管轄です。ですが、特に映画の多様性を担うミニシアターには文化庁の助成などを考えてほしい。文化施設の休業中の賃料を国が肩代わりするなど、公平な仕組みで支援を考えてほしい。 ミニシアターがなくなることは、映画文化の多様性を失うことを意味します。簡単に潰すわけにはいかないのです。(聞き手・伊藤恵里奈) ◇ 1955年、大阪府生まれ。87年にアップリンクを設立し、映画製作や配給、映画館運営を手がける。 ライブハウス「5月末までもつか…」 2月以降、全国のライブハウスは消毒など感染防止に努めてきました。現在は東京都の休業要請で、都内の店はほぼ営業していません。 東京・原宿で40年以上続くロック系ライブハウス「クロコダイル」。4月の売り上げは普段の1%未満の見込みです。約100人で満席ですが、今月初めのライブ配信に1人来店したのみ。店長の西哲也さん(73)は「まともに営業した日がない。銀行の借金が増えて、家賃を減額してもらっても厳しい状況です」。 5月に公演予定の即興パフォーマンス集団は、各団員の自宅で同時にライブ配信するものを一つの画面で見せる手法を検討。後日のライブで使えるドリンク券を売る予定ですが、「その日までうちの店が存続しているか……」。20日からクラウドファンディング「SAVE CROCODILE PROJECT」を始めます。「ライブハウスはミュージシャンが初めてお金を払ってくれる人と出会い、初めて他人と近い距離で音のやりとりをする場。私のライフワークです」と西さん。 大岡山のフォーク系ライブハウス「Goodstock Tokyo」(大田区)は開店して約4年。数十人で満席のこぢんまりとした店ですが、4月は公演予定がなく、売り上げもありません。店長の新見知明さん(61)は「5月も難しいと思う。以前と同じぐらいに客足が戻るのは1~2年先でしょう。長期戦になるのでライブ配信を含め、何か稼げる方法を考えないと」。 最大の問題は家賃。3カ月分は保証金から償却されることになりましたが、防音工事をした天井や壁を退去時に原状復帰させる費用を残すため、保証金での代替はこれが限界です。 今月初め、日本政策金融公庫に融資を申請。連絡はまだ来ません。「融資や協力金がなければ5月末までもつかどうか。とにかく早急にわかりやすい処理をお願いしたい」(坂本真子) 各国の公的支援は 世界中のアーティストがいま、感染拡大によって休業や制作中止に追い込まれています。各国の公的支援の状況を調べました。 【米国】 全米芸術基金(NEA)は、非営利の芸術団体や各州の文化機関に対して、事業や雇用の継続などのため7500万ドル(約83億円)の支援。アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーは、映画業界関係者の支援に600万ドル(約6億6千万円)を寄付し、動画配信サービス大手の米ネットフリックスは1億ドル(約110億円)の基金を設立。 【ドイツ】 政府が小規模事業者や自営業者に500億ユーロ(約6兆円)を拠出し、フリーランスや従業員5人までの事業者には最大9千ユーロ(約105万円)を支給。さらにベルリン市ではアーティストらの生活費穴埋めなどのため、1人5千ユーロ(約60万円)を給付した(現在終了)。 【フランス】 第1段階として、緊急支援2200万ユーロ(約26億円)を拠出し、音楽業界に1千万ユーロ(約12億円)、舞台芸術と出版業界に各500万ユーロ(約6億円)、美術分野に200万ユーロ(約2億4千万円)。映画業界に向けては映画入場税の徴税猶予や、劇場や配給会社への助成金支払い前倒しを実施。音楽業界には困窮するプロのため支援基金設立やチケット代の徴税猶予など。中止になった文化イベントへの助成金の返金も免除される。 […]
橋下徹氏、政府の緊急経済対策に憤慨…「痛み苦しみなんかまったくわからない国会議員がいろんな制度を作っている」(スポーツ報知)
元大阪府知事の橋下徹氏が、18日放送のTBS系「新・情報7days ニュースキャスター」(土曜・後10時)にリモート生出演した。 【写真】橋下徹氏、安倍首相の緊急事態宣言の全国拡大意向を猛批判「この特措法はクソ法律だった」 番組では、安倍晋三首相が緊急事態宣言を全国に拡大したことや、緊急経済対策に盛り込んだ現金給付で減収世帯への30万円の給付から国民1人当たり現金10万円の一律給付への方針転換を表明したことなど、今週の政治の動きを報じた。 さらに自民党の森山裕、立憲民主党の安住淳両国会対策委員長が14日に国会内で会談し、当面1年間、国会議員歳費を2割削減することで合意したことも伝えた。 こうした動きに橋下氏は「全般的に国民に対して血の通った制度になっていない」とした。その理由を「国会議員が黙っていても給料が保証されて、明日の飯に全然困らないような人たちがいろんな制度を考えているからです」と明かした。 さらに歳費2割削減に「2割っていう数字にだまされちゃいけません」とし「国会議員は全体で年に5000万から6000万円のキャッシュをもらっているんです。そのうちの240万円ぐらいのカットなんて実質、4パーセントから5パーセントのカットです」と指摘した。 さらに議員事務所、秘書の給与を「この固定費は100パーセント税金で保証されているんです」と指摘し「だから固定費で本当に頭を悩ましている民間の飲食店の人、中小企業の人の痛み苦しみなんかまったくわからない。そういう国会議員がいろんな制度を作っているもんだから、そんなもん血の通った制度になりません」と断じていた。 番組では国会議員の年収が歳費・約1240万円、期末手当・約640万円、文書通信交通滞在費・約1200万、立法事務費・約780円でトータルで約4170万円となっていることを紹介した。「国会議員の給料全体で2割、3割カットする」と同時にこうした固定費も「半分ぐらい削減して自分たちも困った立場になって初めて血の通った制度ができると思います」と提言していた。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
コロナ なぜいつもコウモリ?/ニュースの教科書(日刊スポーツ)
世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルスは、コウモリが持っているコロナウイルスが野生動物を通じて人間にうつったと考えられています。2002年の重症急性呼吸器症候群(SARS)、12年の中東呼吸器症候群(MERS)もコウモリが原因です。なぜコウモリなんでしょうか。動物から人にうつる病気(人獣共通感染症)を研究している東京農工大の水谷哲也先生に聞きました。 ◇ ◇ ◇ -なぜいつもコウモリなんですか 水谷先生 ひとつは接触の仕方です。上空から来る。脳炎や呼吸器の病気を起こすニパウイルスという致死性の高いウイルスがあるのですが、果実を食べにきたコウモリがおしっこをして、下にいたブタが感染して、ブタから人にうつります。ウイルスが上から落ちてくるんです。死んだコウモリを野生動物が食べて感染する経路もありますから、上下、横横と2つの感染経路があるんです。 -上からというと、鳥もそうですよね 水谷先生 鳥と違うところは哺乳類ということです。鳥インフルも危ないけれど、人には感染しにくい。哺乳類-哺乳類の方が感染しやすいんです。コウモリはネズミの次に種類が多いんですよ(※ネズミは世界に約1300種、コウモリは約1000種)。いろんなコウモリがいて、いろんなウイルスを持っていると考えた方がいいと思います。種類が多ければ人に感染するものも多くなります。 -未知のウイルスがたくさんあるんですね 水谷先生 コウモリというと、洞窟の中でぎっちりぶら下がっているイメージですよね。外に出てウイルスをうつされて帰ってくるケースもある。ウイルスをインキュベート(培養)しやすい状況にあるんです。 -なるほど洞窟は密閉空間で、多数が集まる密集場所。密接もあるだろうし、3密がそろってます 水谷先生 洞窟の中にいくつもの種類がいてウイルスが回りやすい。コウモリの中で変異して、いろいろな種類のウイルスができるのかもしれません。 -ニパウイルスはブタから人間でしたが、SARSはハクビシン、MERSはヒトコブラクダから人間でした 水谷先生 SARSはハクビシンだけでなくタヌキも感染していました。今回はセンザンコウと言われてますが、もうちょっと結論は待った方がいいです。アナグマ、タケネズミの可能性もあります。コウモリの中で変異したコロナウイルスに野生動物が感染したのか、野生動物に感染することで変異したのかは分かりませんが、その野生動物を人が捕ってきて市場に出したため、広がったのです。【中嶋文明】 ▼人間に感染するコロナは7種類 約60種が確認されているコロナウイルスのうち人間に感染するのは7つ。SARS、MERS、今回の新型コロナウイルスを除く4つは風邪で、水谷先生によると、誰もがかかっているそうです。昔からあるため、もともとどこにあったウイルスかは不明ですが、水谷先生は「経由した動物は違うけれど、ほとんどコウモリと考えられてます」と話していました。 ▼なぜいつも中国? 新型コロナウイルスは中国で発生しました。「感染症の中国史」(中公新書)を書いた青山学院大の飯島渉先生は日本記者クラブでの講演で「中国南部はDisease Pool(病気のプール)。生態系と人との間の距離が近い」と話していました。 人獣共通感染症は、人間が農耕を始め、野生動物を家畜化した1万年前に、生態系を改変された自然界からの反応として現れました。中国は今でも野生動物を「野味」と呼んで珍重しています。ピュリツァー賞を受賞した「銃・病原菌・鉄」で知られるジャレド・ダイアモンドは「中国人にとって野生動物は、フランス人にとってのチーズや赤ワイン以上に文化の根幹をなしている」と言っています。野生動物の取引をやめない限り、新たな感染症が発生する恐れがあります。 ◆センザンコウ 体がウロコに覆われた唯一の哺乳類で、肉は食用、ウロコは漢方薬の材料として中国で取引されています。アジアに4種、アフリカに4種いますが、すべて絶滅危惧種。「世界で最も密輸されている哺乳類」とも呼ばれています。香港大などのチームが中国に密輸され、押収されたマレーセンザンコウから新型コロナウイルスによく似たウイルスを発見し、科学誌「ネイチャー」に発表しました。日本では上野動物園の「夜の森」にいます。 ◆中嶋文明(なかじま・ふみあき)1981年(昭56)入社。趣味は山歩きとソロキャンプ。この春は祖母山(そぼさん)傾山(かたむきやま)大崩山(おおくえやま)など九州の山をテント泊しながら歩く予定が、不要不急の外出にジャストミートしてしまい、断念。粛々とテレワーク中。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
ビートたけし、国会議員の歳費2割削減に憤慨…「半分以上減らさないとしょうがねぇぜ」(スポーツ報知)
タレントのビートたけしが、18日放送のTBS系「新・情報7days ニュースキャスター」(土曜・後10時)にリモート生出演した。 【写真】ビートたけし、初のリモート生出演に困惑「棺おけの中に入っているみたいな感じ」 番組では、安倍晋三首相が緊急事態宣言を全国に拡大したことや、緊急経済対策に盛り込んだ現金給付で減収世帯への30万円の給付から国民1人当たり現金10万円の一律給付への方針転換を表明したことなど、今週の政治の動きを報じた。 さらに自民党の森山裕、立憲民主党の安住淳両国会対策委員長が14日に国会内で会談し、当面1年間、国会議員歳費を2割削減することで合意したことも伝えた。 こうした動きにたけしは「国会議員の2割とかなんか言っているけど、半分以上減らさないとしょうがねぇぜ」と憤り「あと若手の元気なヤツは現場行って助けろっていうんだよ」と提言していた。 さらに番組では国会議員の年収が歳費・約1240万円、期末手当・約640万円、文書通信交通滞在費・約1200万、立法事務費・約780円でトータルで約4170万円となっていることを紹介した。 これにたけしは「交通費とか飛行機とかタダで八千万円ぐらいいっちゃうんだから」と指摘していた。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
孫正義氏、ツイッターで医療用防護服を約100万枚入手の見込みを明かす…一方で消毒液は「大量に入手可能なのですが日本の許認可手続きに一年くらいかかるそうで入荷出来ません」(スポーツ報知)
ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が19日、自身のツイッターを更新した。 孫氏は、これまでにマスクを月間3億枚を仕入れ値で供給することを決めたほか、100万枚の寄付も表明しているが、ツイッターで「医療用防護服も100万枚くらい入手出来るかもしれません…たった今、前進しました…これから詳細を確認します」と明かした。 【写真】孫正義氏、前澤社長の「彼女とも楽しく生きていたい」をイジる「うらやましい限り」 さらにフォロワーから「消毒液もお願いします」と要望されたが「実は消毒液も大量に当方で入手可能なのですが日本の許認可手続きに一年くらいかかるそうで入荷出来ません。とても残念です」とつづった。 その上で「それらは全て米国やEUその他の国々に行きます」とツイートしていた。 報知新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
東京で22℃予想 天気回復し前日との気温差に注意(ウェザーニュース)
昨日18日(土)は発達した低気圧の通過により、各地で荒れた天気となりました。 天気が回復した関東では朝からスッキリとした青空が広がり、すでに17.7℃(8時48分)まで気温が上がっています。 東京は5月上旬並みの暖かさに 関東は夕方以降に雲が増える予想ですが、日中は晴天が続きます。 暖かな空気が残っているところに日差しが戻って気温は上昇、20℃を超えるところが多くなります。 東京では予想最高気温が22℃と5月上旬並みの気温となる見込みです。前日との気温差が大きくなるため、体調管理にお気を付けください。 日差しの活用がおすすめ 西からは早くも次の低気圧や前線が接近中です。 関東では今日は雨の心配はありませんが、週明けは再び天気が崩れるので、日差しを有効に活用してください。 ウェザーニュース 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
かつては「ブック戦争」も…大型書店が林立した福岡市・天神の歴史(西日本新聞)
本をめぐる時間旅行にお付き合いください。九州一の繁華街、福岡市・天神では1990年代末に大型書店が林立し「ブック戦争」と呼ばれた。しかし2000年代に閉店が相次ぎ、再開発の影響もあって来年までに在庫数上位の2店舗が姿を消す。天神の大型書店の「大転換期」を前に、私たちはどこで本を買い、知的好奇心を満たしてきたのか、人々の記憶や当時の資料を基に振り返ってみる。 【画像】どう変わった?1991年・2020年の主な書店 1970年代~80年代 最初に天神に登場した大型書店は1971年に福岡ショッパーズプラザにできた、りーぶる天神だった。開店当日の新聞広告には「童話から洋書・専門書まで常時25万冊!!」「五階独占!一九〇〇平米」と、福岡市民を驚かせる数字が並んだ。「写真集や楽譜などが容易に手に入った」。同市東区で学習塾を営む竹林由起夫さんは、当時中学生。「このころから本を買うため天神に行く習慣ができた」 りーぶるができる前、天神では新天町のしにせ、福岡金文堂と積文館が書店の代表だった。大型店ではないが、自宅近くの「街の本屋」にはない専門書や参考書はここでそろえた。 76年、天神コアの開業時に紀伊国屋書店福岡店がオープンした。6階のワンフロアを占め40万冊の在庫をうたう巨大店は、東京資本の有名ブランドゆえ地元関係者に「黒船」と呼ばれた。 しかし市民は歓迎ムードだった。「新しい文化の風が吹いてきたようだった」。当時九州大1年だった医師の田北昌史さん(63)=同市早良区=が語る。「専門書は大学生協にもあったが、品揃えは圧倒的に紀伊国屋だった」 田北さんより10歳年下の記者は、天神コアのエレベーターが紀伊国屋に行くオジサンたちで満杯だったことを思い出す。コアはおしゃれなファッションビルではなく知の集積地だった。やがて紀伊国屋が天神の書店の“顔”となっていく。 1990年代 記者は91年、天神の書店を取材し、記事にまとめた。主なものが大小合わせて12店があった。各店とも個性を競っていた。りーぶるや紀伊国屋は展示スペースのフェアを通して文化情報を発信し、丸善イムズ店は店舗をしゃれたインテリア店のようにした。 90年代後半に大きな波が来た。大型店の開店ラッシュだ。96年=リブロ(岩田屋Zサイド、40万冊)▽97年=紀伊国屋・博多大丸店(8万冊)、八重洲ブックセンター(福岡三越、30万冊)。97年はイムズなどから福岡ビルに丸善(75万冊)が移転した。 詩人の樋口伸子さん(78)=同市東区=は「喫茶店のある書店もでき、待ち合わせでよく使った。『本を買う』だけじゃない書店の魅力が伝わった」と振り返る。96年は、全国で出版物(書籍と雑誌の合計)の売り上げが史上最高の約2兆6564億円に達した年。天神の出店ラッシュはそんな好景気が背景にあるが、「福岡の都市規模と比べ、書店数が多いと感じたが…」と樋口さん。 次ページは:2000年~ 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース