天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各会代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。 あの苛烈(かれつ)を極めた先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。 祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。 いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。 戦後75年、我が国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切りひらいてまいります。 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。 令和2年8月15日 内閣総理大臣・安倍晋三 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
全国戦没者追悼式 大島理森衆院議長追悼の辞全文「恒久平和の実現に全力尽くす」(産経新聞)
大島理森衆院議長は15日、東京都千代田区の日本武道館で開催された全国戦没者追悼式で「先の大戦に思いを致し、日本国憲法の精神を体して、恒久平和の実現、国民生活の安定と向上に全力を尽くす」と述べた。大島氏の追悼の辞の全文は次の通り。 ◇ 天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるに当たり、衆議院を代表して、謹んで追悼の言葉を申し述べます。 先の大戦の終結から75年の節目を迎えました。国民や物資が残らず動員され、人々の多くが飢餓や窮乏にさらされる極めて厳しい状況下、戦い、働き、暮らし、それぞれ力を尽くした方々が、戦場や、戦禍をこうむった各地、あるいは、戦後、異郷の地において、国や家族を思いながら犠牲となられたご無念を思うとき、いかに年月が経とうとも悲しみは尽きません。 ここに、全戦没者の御霊(みたま)に対し、衷心より哀悼の誠をささげます。 また、戦後長い間、計り知れぬご労苦を重ねられたご遺族の皆さまに、深くお見舞い申し上げます。今日の平和と繁栄が、戦没者の方々の多くの犠牲によって築かれていることを決して忘れず、心を合わせて平和のために不断の努力を続けていくことは、私たちに課せられた使命です。 さて、今般の新型コロナウイルス感染症の世界的な流行拡大は、改めて私たちに国際協力の重要性を認識させました。他方で、世界では人々の間に従前以上に深い分断が生じているという指摘もされているところです。 この時に当たり、これまで、日本国憲法前文にあるように「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ことの実現を一貫して追求してきたわが国が果たすべき役割は、ますます大きなものとなっていると存じます。 私たちは、内外の歴史への認識をさらに深め、叡智を尽くし、誠実に、より一層高い倫理観と勇気をもって、国際社会の安定と世界の全ての人々の幸せのために行動していかねばなりません。 終戦以来長い年月が過ぎ、戦争の体験と記憶の風化が危惧されているところです。戦争のもたらした多くの犠牲や苦難について、戦争を直接体験された方々から学び、過去を省みて、未来へ永く語り継いでいくことは、再び戦争の惨禍を繰り返さないためにも、極めて重要であります。 われわれ国会議員は、先の大戦に思いを致し、日本国憲法の精神を体して、恒久平和の実現、国民生活の安定と向上に全力を尽くしてまいる所存です。 結びに、戦没者の御霊の安らかならんことを心からお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆さまのご平安とご健勝を切に祈念いたしまして、追悼の言葉といたします。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「子供も遺体を運んだ」 »修羅場”で救護に当たって被ばくした”救護被爆 慰霊碑で伝える史実 【長崎発】(FNNプライムオンライン)
長崎市から25kmほど離れた諫早市。 長崎県の中心部にあたる交通の要衝で、JR諫早駅の周辺では、九州新幹線西九州ルートの建設にともない再開発が進められている。 【画像】被爆者が「修羅場」と語った当時の現実とは… 装いも大きく変わりはじめた町に、75年前の8月9日を伝える碑がある。 原子野を走る列車は、爆心地近くから多くの負傷者を乗せて、当時、海軍病院があった大村や諫早を目指した。 『諫早市原爆被爆者救護活動の記録』より 「貨車の中を見た途端、一瞬息をのみました。ほとんどの人が裸かそれに近い状態でこれが人間だろうかと思うくらいでした。」 地域の消防団や婦人部など総出で救護にあたったが、車内や駅で息絶える被爆者も多く、地元の子供も遺体を火葬場まで運んだ。 「もう修羅場」救護被爆者が語る当時の凄惨 こうした活動に携わる中で、服などについた残留放射性物質を吸い込んだりして体内被ばくした人が「救護被爆者」。 清水多喜男さんも、その1人だった。 諫早市原爆被災者協議会 清水 多喜男会長(2018年当時): もう修羅場ですね。8月9日は(遺体を)ただ持っていっただけ。それから1週間、毎日朝7時半出勤で夜8時まで遺体を運んだり、火葬した。それでメシが食べられない、臭いとかで 「諫早にも慰霊碑を」 「救護被爆者」など被爆者援護法に基づく3号被爆者は、全国に約1万5,000人いる。(2020年3月末現在) しかし救護被爆の体験は、あまり表立って語られてこなかった。 当時、諫早市内唯一の市営火葬場があった場所。 400~500人の原爆犠牲者を荼毘に付したとの記録が残っているが、今は公園として整備され、当時を物語るものはない。 長崎被災協・被爆二世の会・諫早 髙屋 忠義 副会長: ここで多くの方が火葬されたということを聞いて、長崎は碑があるのになんで諫早はないのかなって。じゃあ、二世の会でやってみようって 3年ほど前から、諫早市原爆被災者協議会と計画し、被爆75年の2020年、市の内外の被爆者と被爆二世、市民の募金などで、碑が建てられることになった。 しかし、数年前から入退院を繰り返していた救護被爆者の清水さんは、碑の完成を前に、2020年5月 この世を去った。 清水さんの遺族・鳥巣 安則さん: 元気なうちは(百日紅公園の)清掃活動に行っていた。慰霊碑ができるのも楽しみに、それまで生きとかないといけないなと言って、最期まで公園のことを一番気にしていた Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「戦争の惨禍、繰り返さない」 首相の全国戦没者追悼式辞全文(産経新聞)
安倍晋三首相が全国戦没者追悼式で述べた式辞全文は次の通り。 天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。 あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。 祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、全ての御霊(みたま)の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。 いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。 戦後75年、わが国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り開いてまいります。 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまにはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
就寝中に家侵入の男 現金盗み女性にわいせつ行為か(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 東京・目黒区のアパートにベランダから侵入して現金を盗んだうえ、寝ていた女性にわいせつな行為をしたとして無職の31歳の男が逮捕されました。 諸橋恵太容疑者は先月5日の午前4時ごろ、目黒区内のアパートの部屋に侵入して現金約7万円を盗んだうえ、寝ていた20代の女性にわいせつな行為をした疑いが持たれています。警視庁によりますと、諸橋容疑者はベランダから侵入していて、当時、窓の鍵は掛かっておらず、網戸だけの状態だったということです。女性が目を覚ましたため、諸橋容疑者は現場から逃げていました。取り調べに対して「金を盗み、女性を触りました」と容疑を認めています。警視庁は余罪があるとみて捜査しています。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
大雨被害の広島・JR芸備線 約1カ月ぶりに全線再開(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 先月の大雨の影響で一部区間が運休していた広島県のJR芸備線が約1カ月ぶりに全線で運転を再開しました。 15日朝、広島市のJR芸備線下深川駅では久しぶりの運転再開を心待ちにしていた地元の住民の姿が見られました。 三次方面に向かう女性:「これから上深川で仕事です。やっぱり芸備線が良いです。代行バスだと渋滞もあるので時間通りに着かない」 先月14日の大雨の影響でJR芸備線では三篠川の護岸が崩れるなどしたため、三次-下深川間で運転を見合わせていましたが、復旧工事を終えて全線で運転を再開しました。これで広島県内の鉄道は夏休み明けを前にすべての区間が復旧したことになります。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
きょうも各地で猛暑日 名古屋などで40℃に迫る予想(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 15日は猛暑が一段と厳しくなります。東日本や西日本の各地で猛暑日となり、40度に迫る地域も出てきそうです。 太平洋高気圧がさらに勢力を強め、14日以上に広い範囲で厳しい暑さとなっています。15日午前11時20分までの最高気温は静岡の天竜で38.6度、東京でも35度に達するなど、すでに多くの地域で猛暑日となっています。気象庁は甲府や静岡の浜松、名古屋、京都で39度を予想し、記録的な暑さとなる恐れもあります。また、関東甲信には全域に熱中症警戒アラートが発表されるなど、各地で熱中症に厳重な警戒が必要です。16日も東海や関東甲信では40度近い暑さが予想され、猛烈な暑さは来週にかけて続く見込みです。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
戦争まだ終わってない 元特攻隊、97歳の裏千家前家元
敗戦から75回目の夏が来た。茶道裏千家前家元の千玄室さん(97)は学徒出陣し、特攻隊員となった体験を持つ。戦後、六十数カ国を訪問し、茶道を通して世界平和の実現に向けて活動してきた大宗匠は、自分にとっての戦争はまだ終わってないと言う。平和とは何なのか。どうすれば手に入れられるのか。他人同士でも家族のようになる場づくりを目指す藤代健介さん(32)、伝統文化を通じて心の豊かさを提案する矢島里佳さん(32)と語り合った。 拡大する茶道裏千家前家元の千玄室さん(中央)と矢島里佳さん(左)、藤代健介さん=7月21日、京都市上京区、筋野健太撮影 沖縄の海でお茶を点てる 千 今年は戦後75年。沖縄へ慰霊に行ってきました。慰霊祭は毎年開いています。ご遺族も少なくなりましたが、お連れして、お茶を点(た)てて一服差し上げ、祈念してきました。私も沖縄のどこかの海で死んでいたはずでした。生き残って忸怩(じくじ)たる思いです。毎回のことですが、戦友の名前を呼んで拝みました。 藤代 大宗匠は戦争体験をされた上で、国連などで平和活動をしています。平和に対するとらえ方、リアルな平和観をうかがいたい。平和とは何でしょうか。 千 私は戦争末期に大学生でした。当時は20歳になると徴兵検査を受けなければならなかったのですが、大学生には徴兵猶予という制度がありました。願いを出して許されると、卒業するまでは徴兵検査を待ってもらえる。兵隊のことはあまり考えなくていいと思っていました。 私の家は茶の家元ですが、武家でもあった。私は大正生まれでもあり、小さい時から、武家の作法で、茶の家の跡継ぎとして大変厳しく育てられました。背が高くて、乗馬もしました。体には自信があった。 東条内閣によって、理工系はいいが、法文系の学生は徴兵猶予を取り消され、1943(昭和18)年、徴兵検査を受けました。体が良かったので合格しました。 拡大する千玄室さんは常に柔和だが、その眼光は鋭い 親しい仲間10人のうち8人は陸軍へ行った。フィリピン、中国、旧ソ連などへ行って、ほとんど亡くなりました。2人は海軍に。私は海軍の適性検査を受けました。通信、航空、主計などのコースに分かれていて、私は目が良かったので航空隊にとられました。土浦(茨城県)の海軍航空隊の予備学生となり、2カ月半の士官教育を受けました。 海軍には「型相判断」というのがありましてね。最終検査の時、名前を呼ばれて前に出ると、じっと顔を見られた。左右、後ろ、手を見て、何か書いている。何故こんなことをするのか分隊長に聞くと、「大学から来た連中は貴重な人材だから、事故で死んでもらっては困る。だからそれを見てもらっているのだ」と言う説明でした。 配属先の発表は3日後にありました。私は大学時代に水上機の操縦訓練を受け、単独飛行もしていたので、水上機に行くと思ったら、「陸上機に回ってくれんか」と隊長から言われてね。「水上機ならすぐに役に立てます」と3度言いましたが、「上からの指示だからダメだ」と言われました。隊長は「言いたくないが、お前には死相が出ている」と言う。日本大学出身で後に俳優になった戦友の西村晃にそれを話すと、彼は「出ていない」と言ってくれましたが、命令に従って、私は徳島海軍航空隊へ行きました。 日本の飛行機は優秀でねえ。機体が軽金属で造られていたので、スピードが出る。だが、操縦席の背もたれが薄くて、後ろから撃たれたら弱かった。私が乗った偵察機は大型機で、1年3カ月かかる教育を10カ月で受けた。殴り飛ばされ、大変な毎日。訓練は死にものぐるいで、「ああ、よく今日も生きていたなあ」というものでした。 そうしたなかで、飛行機と一緒に死ぬのだと自己認識しました。いろんな意味で悲しく、苦しい。自分で気合を入れ、朝来て夕方まで訓練。昼飯なんか食べている時間もないほどでした。 飛行機の操縦では、上がっていく高度、時速、風速、風の流れなどを計算に入れなければならない。操縦しながら、高度計や速度計、油圧計などの計器板を見ないといけない。操縦のこつはお茶のお点前に通じるところがあると思いました。 終戦の5カ月前に特攻隊を「熱望」 特殊訓練もしました。44(昭和19)年12月。高度1500メートルから突っ込んでいく訓練でした。45(昭和20)年1月ごろになると、どうもきな臭いなと思ってね。我々も特攻に回されるのではないか。 案の定、3月に私たち搭乗員2… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報】悠長にできない名人、激戦へ 予想通りの封じ手
豊島将之名人(30)=竜王とあわせ二冠=に渡辺明二冠(36)が挑戦している第78期将棋名人戦七番勝負(朝日新聞社、毎日新聞社主催、大和証券グループ協賛)の第6局は15日午前9時、大阪市福島区の関西将棋会館で2日目が始まった。 1日目の14日は、戦端は開かれたものの本格的な戦いには至らなかった。ただ互いに指す手は限られ、戦機は熟してきている。2日目は午前中から攻め合いになることが予想される。 9:00 自然な封じ手 1日目と同様、渡辺挑戦者、豊島名人の順に入室。記録係の井田明宏三段の読み上げに従って両対局者が1日目の指し手を再現した。 立会人の谷川浩司九段が封じ手… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
小泉環境相が靖国参拝 終戦の日の閣僚参拝は4年ぶり
終戦の日の15日、小泉進次郎環境相と萩生田光一文部科学相が東京・九段北の靖国神社を参拝した。現職の閣僚が終戦の日に参拝するのは2016年に当時の高市早苗総務相と丸川珠代五輪相が参拝して以来で、4年ぶりとみられる。 小泉氏は午前8時前、神社に入った。約15分で参拝を終え、記者団の問いかけには答えず神社を後にした。萩生田氏は参拝後、「先の大戦で尊い犠牲となられた先人の御霊(みたま)に謹んで哀悼の誠を捧げた。一政治家として恒久平和を次代にしっかりと守り抜き、不戦の誓いを新たにした」と語った。私費で玉串料を納め、「文部科学大臣衆議院議員 萩生田光一」と記帳したという。 昨年9月の改造後の現在の安倍内閣の閣僚では、改造直後の秋の例大祭時に高市総務相と衛藤晟一沖縄北方相が参拝している。 安倍晋三首相(自民党総裁)は15日、代理を通じて私費で玉串料を神社に奉納し、参拝は見送った。首相は13年12月に参拝したが、その後は参拝していない。 首相の代理を務めた高鳥修一・自民党総裁特別補佐によると、「自民党総裁 安倍晋三」の肩書で玉串料を納めた。首相からは「こんにちの平和の礎となられた戦没者の方々に対して、心から敬意と感謝の念を捧げ、御霊の平安と、恒久平和を祈ります」という言葉を預かったという。 一方、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=尾辻秀久・元厚生労働相)は毎年行っていた会としての一斉参拝を取りやめる。新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受け、4月の春季例大祭時と同じ対応をとるという。(小野太郎、坂本純也) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル