不完全ながらも合流実現で、枝野氏の安堵と政権奪取宣言 「月が明けた頃くらいまでには新しい形でさらにパワーアップして、いよいよ政権奪取にむけて、さらなる大きな一歩を踏み出していきたい」 【画像】枝野代表と“豪腕”小沢氏 8月13日、立憲民主党の枝野代表は党両院議員懇談会でこのように語気を強めた。その2日前の11日に国民民主党の玉木代表が分党を表明したことで、去年12月から半年以上も続いた立憲・国民両党の合流協議にやっと道筋が見えたことを受けての発言だ。 1月に合流協議が頓挫した直後はいがみ合ったこともあった。立憲民主党から離党者も出た。そうしたことを乗り越えて、不完全ながらも長い協議をまとめ上げたことへの枝野氏自身の安堵感が漂う言葉だった。 “豪腕”小沢氏の怪気炎「次の総選挙後が我々の政権だよ」 そして同日、かつて「豪腕」「壊し屋」とも言われた国民民主党の小沢一郎氏が枝野代表と会談し、合流新党への参加を表明。「我々が自民党・安倍政権に代わって国民のための政治を実行すると言う気概で、総選挙で政権交代を考えていくし、それが国民の期待だと思う。絶対次の総選挙の後は我々の政権だよ。間違いない」と語った。 1990年代に二大政党制を追求し、小選挙区制度を導入した立役者である小沢氏の政権交代への思いは強い。小沢氏は「一緒になろうというのが最終目的じゃない。一緒になって政権をもう一度取る。それが日本の議会政治を定着させるさらに大きな歩みになる。それが最後のご奉公だ」と言い放った。「一兵卒の最後のご奉公」この言葉を小沢氏が使ったことは実は過去にも何度かあったが、78歳になった小沢氏の言葉はさらなる覚悟を感じさせるものだった。 さらに無所属の岡田元外相のグループも12日、全員が合流新党に参加する方向性を確認した。現時点では合流新党は衆参合わせ150人程度の野党第一党となると見られる。形の上では自民党に対峙する軸がようやくできあがることになりそうだ。 カギ握る連合も合流新党支援の方針 主要支持母体である連合の神津会長も12日、傘下の組織内議員に対し、新党への参加を求める方針を決めた。そして、神津会長は同日、玉木代表の示した「分党」の方針を疑問視し、玉木代表と会談した際に「わかりやすく伝えてほしい」と注文をつけた。 玉木代表の示した分党の何が「わかりにくい」のか。今回ややこしい点は、立憲民主党や国民民主党の一部、無所属議員らで合流する新党のほかに、「もう一つの新党」ができるということだ。これは現在の国民民主党が残ると言うことではない。玉木代表が合流新党には参加せず、国民民主党という同じ党名の「新党を立ち上げる」というのだから、確かにわかりにくい構図だと言える。 代表自らが新しい党を立ち上げるという前代未聞の事態だが、玉木代表がなぜ合流せずに新党を立ち上げるに至ったのか、改めて何が起こったのかを整理したい。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「貴女の心もいつしか…」戦死の祖父が送り続けた“ラブレター”(西日本新聞)
「戦死した祖父の事をもっと知りたい」。福岡市の北本直子さん(49)から、あなたの特命取材班に連絡があった。レイテ沖海戦で亡くなったと言われていた海軍少尉の祖父が、実は陸上で戦死していたことが最近はっきりしたという。鼻筋が似ていると言われる写真の中の祖父。北本さんと共に足跡をたどった。 【写真】戦場から送られた「ラブレター」 「小さい頃、フカヒレは食べたらだめだと母に言われていました」と北本さんは話す。乗っていた軍艦が撃沈され、祖父がサメに食べられたかもしれないというのが理由だ。ただ、いつ頃からか、親族の間で祖父は陸で戦死したと言われるようになった。 詳しい理由を聞かないまま、2003年に母紀代子さんが死去。翌年に祖母チエ子さんも亡くなった。疑問を解消しようと18年に厚生労働省から軍籍を取り寄せ、19年には海軍関係の博物館も訪ねた。戦死の状況はある程度把握できたが、祖父がどんな人物だったのかまでは分からない。そんな折、特命取材班から「戦争の記憶」に関する情報提供の呼び掛けがあった。 祖父、渡瀬次男さんの軍籍を見せてもらった。 1944年6月に駆逐艦夕月への乗り組みを命じられた次男さんは、同年10月のレイテ沖海戦には参加していない。その年の12月、フィリピン・レイテ島への海上輸送作戦中に米戦闘機から攻撃を受け、夕月は沈没。船を失った乗組員は海軍陸戦隊に編入され、首都マニラの防衛に当たった。45年2月、上陸してきた連合国軍と市街地で戦闘になり、「壮烈なる戦死を遂げた」と軍籍には記されていた。29歳だった。 「文章を書くのが上手だった」 次男さんには、一回り年が離れた弟がいた。北九州市の渡瀬卯二生(うじお)さん(93)。戦後、マニラ市街戦の生き残りを鹿児島県に訪ねた際、「切り込み隊になって敵に突撃し、全員死んだ」と聞かされた。卯二生さんは「兄はきちょうめんで手紙をよく書いていた。文章を書くのが上手だった」と話した。 筆まめだった次男さんが妻チエ子さんに宛てた手紙が、故郷の熊本県に残っているという。 球磨川に面する熊本県人吉市の菩提(ぼだい)寺を北本直子さん(49)と訪ねた。29歳で戦死した祖父渡瀬次男さんの納骨堂の棚を開けると、奥に100通もの手紙が保管されていた。祖母チエ子さんが長年、箱に入れてしまっていたもので、亡くなる直前、「一緒にひつぎに入れてほしい」と家族に頼んでいた。葬儀の席で初めて手紙の存在を知った北本さんは一部を除いて焼かずに残したままにしていた。 軍服と着物姿で並ぶ2人の写真に手を合わせた後、北本さんは手紙の束を取り出し、数通に目を通した。直接的な愛情表現こそないものの、それは次男さんがチエ子さんに宛てたラブレターだった。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
戦死した兄の供物は「ゆずの枝」だけだった。『お国のために働いてこい』と送り出した母の後悔を語り継ぐ(ハフポスト日本版)
長野県千曲市の田中頌子(たなか・のぶこ)さん(90歳)は2017年から18年にかけての冬、長い間心の中にしまっていた戦争体験を記録し始めた。 2017年の秋に体調を崩した頌子さん。「もしかしたら冬を越せないかもしれない」。いよいよ死を意識したとき、後世にどうしても伝えたい記憶があった。 戦死した兄のこと、そして息子を失った母が人知れず流した涙のこと。 「伝えなければ」。20枚の原稿用紙に思いを託した。 「何があっても慌てるな。親に孝行しろ」兄の言葉 頌子さんは、長野県東筑摩郡で、萬井(よろずい)家の次女に生まれた。一家は、父母と兄2人、姉妹4人の8人家族だった。 10歳離れた兄・美夫(よしお)さんが徴兵されたのは、1943年の春のこと。1年前に長野の師範学校(現在の信州大学教育学部)を卒業し、小学校の教員として働き始めたばかりだった。 その年の秋、美夫さんが突然、軍から2泊3日の外出許可をもらって実家に戻ってきた。 「いよいよ外地に出される日が近づいて、故郷へ別れに帰ったきたな」。美夫さんのいないところで、両親が小声でそう話すのが聞こえた。 部隊に戻る前夜、美夫さんは頌子さんたち妹4人を部屋に呼ぶと「話しておかなきゃいけないことがある」と目の前に座らせた。 「何があっても慌てるな。家を守り、父母を助け、親に孝行しろ。喧嘩はいけない、兄弟仲良くしろよ」。美夫さんはそう言うと、妹2人の頭を撫でた。 まだ6歳の末っ子は、兄の話すことがよく分からなかったからか「ワアワア」と泣きながらも、コックリと頷いた。母はそんな妹をあやしながら、兄弟の姿を見つめていた。 翌朝、美夫さんは遺書と髪の毛、爪を残し、家をあとにした。 「柚子一枝の葬」 美夫さんが戦死したという知らせが届いたのは、翌年1944年の6月だった。 「ありがとうございます」。そう言って戦死の公報を受け取る父を、頌子さんは不思議な思いで見つめた。 「人が死んで、なんしてありがたいのか」。 気丈な母・とみさんの涙を見たのは、美夫さんの遺骨を受け取ってしばらく経ったある日のことだ。 学校から帰ると、遺骨の前で声を押し殺して泣く母の姿があった。 我が子が戦死しても「軍国の母」と呼ばれ、声をあげて泣くことさえ許されない母。見てはいけないものを見てしまったように感じ、声を掛けることもできず立ち竦んだ。 「そういえば、母ちゃんから畑で頼まれていたことがあったっけ」。黙って外に出ると、ひとり畑へ歩いた。切なさがこみ上げ、涙が溢れた。 村で行われた美夫さんの葬儀はとても質素なものだった。供物は「花の代わり」に黄色い実が5、6個付いた柚子一枝だけ。それでも、花一輪ないよりはありがたかった。 「これがあの子の葬儀かねえ。一枚の召集令状で血の出るような努力をして」。葬式が終わると、母はそう呟いた。 頌子さんはあれから葬式に出るたびに、あの「柚子一枝の葬」を思い出す。 「今葬式に行ってみれば、これでもかというくらい花も弔電もある。これも葬式、あれも葬式。戦争中の人の命はなんて安かっただなあって思う」 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
自覚症状がない「かくれ熱中症」正しいチェックの仕方(ウェザーニュース)
連日のように熱中症対策が呼びかけられています。熱中症の初期症状といえば、めまい、立ちくらみ、唇や手足のしびれ、筋肉痛などが知られています。 しかし、自覚症状がない「かくれ熱中症」は、いきなり頭痛や吐き気、けいれん、意識障害を起こし、救急搬送されるケースがあります。 2019年にウェザーニュースが行ったアンケート調査によると、自己診断も含めると回答者の4割以上が熱中症になったことがあるようです(8月7~8日実施、1万720人回答)。回答者のコメントを見ると「一瞬にして目の前が真っ暗になり、気を失った」「急に冷や汗が出始め、頭がボーッとなった」という人が少なくありませんでした。いわゆる「かくれ熱中症」です。 自覚症状がないまま、急に重症化してしまう「かくれ熱中症」を自分でチェックする方法はあるのでしょうか? 体調変化に敏感な人、鈍感な人 「子どもや高齢者は熱中症になっても自覚しにくいので重症化しやすいと言われます。しかし、若くても体調変化に鈍感な人がいます。寝不足や二日酔い、風邪気味などで体のセンサーが鈍っていると、のどの渇きを感じなかったり、めまいや立ちくらみがあっても気にならないのです」と話すのは、横浜相原病院(神奈川県横浜市)の吉田勝明院長です。 ふだんは体調の変化に敏感な人も、寝不足や二日酔いだと体調変化を感じにくいのですが、寝不足や二日酔いは熱中症の危険因子です。そのため体調の変化に気づいたときは手遅れで、けいれんや意識障害を起こしてしまうというのです。 脱水状態かどうかチェックする 「熱中症になっているのに自覚がない『かくれ熱中症』は、すでに相当の汗をかいて脱水状態になっているので、次の方法でチェックできます」(吉田院長) (1)手のひらが冷たい 脱水状態になると手のひらに血液が行きわたらないため冷たくなります。手のひらで自分の頬や額に触れて熱く感じれば手のひらが冷たいのがわかります。 (2)舌が乾いている 脱水状態になると唾液が減少するので舌を出して鏡で見ると乾いていることがわかります。 (3)つまんだ皮膚が戻りにくい 脱水状態になると皮膚の弾力が失われます。手の甲の皮膚を指でつまんで放し、3秒上以上戻らなかったら脱水症の疑いがあります。 (4)親指の爪を押して赤みが戻るのが遅い 指先に流れている血液は爪の色でわかります。親指の爪をギュッと押したあと、赤みが戻るのに3秒以上かかったら脱水の疑いがあります。 「脱水状態をチェックする4項目の1つでも該当していたら、すでに熱中症にかかっている可能性があります」(吉田院長) すぐに水分摂取と涼しいところへ 「かくれ熱中症」とわかったらどうすればよいのでしょうか。 「脱水状態なので、まず水分摂取が必要です。水だけでなく塩分も摂れるスポーツドリンクがよいでしょう。脱水が進行していると思われるので、少なくともペットボトル1本(500ml前後)は飲んでください。そのうえでエアコンが稼働している屋内、屋外なら日陰の風通しがよいところで休息してください」(吉田院長) 水分を摂って休息したあと自覚症状が現れることがあります。めまい、立ちくらみ、しびれ、筋肉痛、頭痛や吐き気、けいれん、意識障害といった症状があれば、救急車を呼ぶなどして医療機関で診てもらってください。 ウェザーニュース Source : 国内 – Yahoo!ニュース
記録的な大雨で崩落した国道41号 復旧工事進み17日通行止め解除 岐阜・下呂市(中京テレビNEWS)
中京テレビNEWS 先月の記録的な大雨で、飛騨川の増水により崩落した岐阜県下呂市の国道41号について、高山国道事務所は14日、17日午前7時に通行止めを解除すると発表しました。 高山国道事務所によりますと、下呂市小坂町門坂の国道41号は、先月の記録的な大雨で飛騨川が氾濫するなどして、川沿いの約300メートルが崩落しました。 復旧工事は長雨のため、川の水位が下がらず難航しましたが、梅雨明けしてから24時間作業の結果、当初予定していた今月31日より約2週間前倒しで完了する見通しです。 17日午前7時から、車が1車線で交互通行できるようになります。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「コロナと原爆には共通点が」医師で被爆者の朝長万左男さん 長崎から世界へメッセージ発信(FNNプライムオンライン)
長崎原爆の日の8月9日。 2020年も長崎市の平和公園では、原爆犠牲者を悼む平和祈念式典が営まれた。 原爆投下から75年の平和祈念式典は、新型コロナウイルスの影響で参加者の数を大幅に減らすなど規模が縮小された。 【画像】医師であり被爆者の朝長さんは国際的に活動 被爆者で医師の朝長万左男さん。 朝長さんは、県内の被爆者団体の代表として式典に参列した。 新型コロナウイルスの影響で、2020年は核軍縮を話し合う国際会議などが中止になっている。 こうした中、被爆地・長崎から発信する被爆者のメッセージこそが、核兵器廃絶に向けた「地球市民」の自覚を促すことができると強く訴える。 被爆者・朝長万左男さん: 核兵器国が、核兵器を必要としている。核抑止論で、自分たちの国の安全を保とうとしている。これを無くすには、これらの国民が核兵器をなくそう、と自覚しないとだめだと思う。自覚させることができるのは、被爆地からの被爆者の体験の発信だと思う 朝長さんは元長崎大学の教授で、日赤長崎原爆病院の院長も務めた。 退任したあとは被爆者の養護施設・恵の丘長崎原爆ホームに移り、77歳になった今でも週に3回、被爆者の診療にあたっている。 75年前、2歳のときに被爆 75年前の1945年8月9日。 朝長さんが2歳のとき、爆心地から約2.5km、今の長崎市筑後町で被爆した。 被爆医師・朝長万左男さん: 1つ上の通りの角に大きな日本家屋があって、そこを借りて祖父が内科の医院をやっていた 元々家があった場所は、空襲の際の延焼を防ぐため立ち退きになり、数百メートル離れた場所に住まいを移した。 父親は軍医として海外の戦地に赴いていて、母親と、祖父の病院がある建物の2階で暮らしていて被爆した。 被爆医師・朝長万左男さん: この一帯は大火災になって、私は2階に寝ていたが、母親が下から上がってきて僕が布団の中にいることがすぐわかって、助け出して火災が起きる直前に逃げ出した。もちろん自分の記憶は無くて、母親の記憶で話している 今も同じ場所にあり、尖塔だけが焼け残った中町教会が、当時の惨状を物語っている。 朝長さんは医師として、そして被爆者として、平和活動にも積極的に取り組んでいる。 2017年6月。朝長さんはアメリカ・ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約の制定に向けた交渉会議で、長崎市の代表として演説し、条約の実現を訴えた。 2019年からは、被爆者団体のひとつ、県被爆者手帳友の会の会長を務めている。 長崎原爆の日に営まれる平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる担当者を選ぶ選考委員や、長崎市長が世界に向けて発信する平和宣言文の起草委員にも、有識者の1人として名を連ねている。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
AKB48の大家志津香さん、新型コロナに感染
アイドルグループAKB48の大家志津香さん(28)が新型コロナウイルスに感染したと、14日に所属事務所が発表した。 発表によると、11日昼に発熱症状があり、夕方には熱が下がった。しかし翌12日に次第に倦怠(けんたい)感が増したため、同日夕にPCR検査を受けたところ、13日に感染していると診断されたという。 14日時点では体温は36・5度で、頭痛、胸痛、味覚や嗅覚(きゅうかく)の異常があり、保健所の指導で自宅療養をしているという。AKB48の他のメンバー、スタッフらには濃厚接触者はいないとしている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「政治運動」で戒告経験の判事、依願退官 新聞で主張も
仙台地裁の判事補だった1998年、捜査機関による通信傍受などを認める法案に反対する集会で発言し、裁判所法で禁じる「積極的な政治運動」にあたるとして、戒告処分を受けた寺西和史・高松高裁判事が15日、依願退官した。 寺西氏は98年4月、通信傍受法案など3法案に反対する集会に参加。裁判官の身分を明らかにしたうえで、一般参加者席から「所長から懲戒処分もあり得ると警告を受けたので、パネリストとしての参加は取りやめた」などと発言した。 この発言をめぐって開かれた裁判官の懲戒を判断する「分限裁判」で、仙台高裁は同年7月、寺西氏を戒告処分とする決定を出した。最高裁は同年12月、この決定を支持。表現の自由について「裁判官の言動は一定の制約を免れない」と指摘して裁判所法の規定を「合憲」とする初判断を示し、議論を呼んだ。 寺西氏はこのほか、朝日新聞の「声」欄に身分を明かして複数回投稿。裁判所の令状実務を批判したり、自衛隊を違憲と主張したりするなどした。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
きょう終戦75年 コロナ禍で式典縮小、国歌斉唱なしに
75回目の終戦の日を迎える15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれる。天皇、皇后両陛下、安倍晋三首相をはじめとする三権の長らが参加。新型コロナウイルス拡大の影響で、規模を大幅に縮小し、参列者は前年の1割未満にとどまる。 追悼式には全国の遺族224人、国会議員、経済団体幹部ら計約500人が出席する。昨年は、台風で出席を見合わせた宮崎県以外の都道府県の遺族が参列し、参列者数は計約6200人だった。遺族の高齢化が進む中、今年は感染への懸念から20府県が遺族の参列を見送った。感染防止対策として、参列者はマスクを着用し、武道館へ入る前の検温が実施される。式典での国歌斉唱は行われない。 追悼式は午前11時51分に始まり、正午から1分間、黙禱(もくとう)を捧げた後、天皇陛下が「おことば」を述べる。昨年は即位後初めての参列となり、上皇さまが戦後70年以降繰り返し述べた「深い反省」に言及するなど、思いを継承する姿勢を示した。戦後75年の節目にどんなおことばを述べるのかが注目される。 厚生労働省によると、6日時点で参列予定の遺族のうち、85歳以上は15人(5・1%)で、戦後生まれは82人(28・1%)と世代交代が進む。戦没者との関係では、子が最も多い174人(59・6%)で、おい、めいが55人(18・8%)、孫が23人(7・9%)と続く。 15日は全国40都道府県でも自治体などが主催する追悼行事があり、約7千人が参列を予定する。(長谷文、石川春菜) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
滋賀 JRA厩舎で火事 競走馬4頭死ぬ(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 滋賀県にあるJRA(日本中央競馬会)のトレーニングセンターで火事があり、競走馬4頭が死にました。 14日午後5時40分ごろ、「厩舎(きゅうしゃ)から煙が出ている」と栗東市にある競走馬のトレーニングセンターから119番通報がありました。火は約3時間後に消し止められましたが、厩舎1棟約820平方メートルが燃え、競走馬12頭のうち4頭が死にました。また、消火にあたった消防隊員3人が病院に搬送されましたが、命に別状はないということです。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース