大阪府は3日、府内で新たに847人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表した。また、50~90代の男女19人の死亡も確認された。府内の感染者は延べ8万4417人、死者は計1532人になった。 重症者は前日より4人増の429人。このうち重症病床(361床)に入院しているのは360人で、病床使用率は99・7%に達した。69人は中等症病床などで治療を続けている。軽症・中等症病床(2094床)の入院患者は30人減の1607人で、使用率は76・7%となった。 泉佐野市の府警第3機動隊の職員6人の感染が新たに判明。待機室や仮眠室で感染した可能性があるという。ほかに、吹田市の医療機関や河内長野市の高齢者施設など4カ所で計30人の感染が確認された。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
関越道で事故対応中の高速隊員はねられ死亡 新潟・湯沢
2021年5月3日 17時52分 新潟県湯沢町土樽の関越道下り線で2日午後10時20分ごろ、交通事故の現場対応中だった県警高速隊湯沢分駐隊の大橋城巡査部長(36)が、さいたま市南区、男性会社員(45)運転の乗用車にはねられた。大橋巡査部長は搬送先の病院で死亡が確認された。死因は出血性ショック。 県警高速隊によると、大橋巡査部長は別の事故の処理のため車線規制をしていた。事故の捜査で月夜野インターチェンジ(IC)~湯沢ICが通行止めになった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
住宅と長屋の10戸が全焼 けが人なし 大阪・摂津
2021年5月4日 1時10分 3日午後10時55分ごろ、大阪府摂津市鳥飼西(とりかいにし)4丁目で、「建物から煙が出ていてにおいもする」と119番通報があった。市消防本部によると、4日午前0時40分現在、木造2階建て住宅1棟と木造2階建て長屋2棟の計10戸の延べ計600平方メートルが全焼し、なお燃え続けている。府警摂津署によると、負傷者や逃げ遅れた人はいないという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Shohei Ohtani questionable for next start on mound after being hit by pitch
Seattle – Shohei Ohtani is questionable for his scheduled start Monday against the Tampa Bay Rays after being hit in his pitching arm by a fastball during the Los Angeles Angels’ 2-0 loss to the Seattle Mariners, Angels manager Joe Maddon said. Batting second in the lineup as designated hitter, […]
Eric Thames’ injury mars debut of Giants’ high-profile foreign stars
Last week was one of contrasting fortunes for two of the biggest signings of the NPB offseason. Eric Thames and Justin Smoak finally got on the field for the Yomiuri Giants on April 27, after having their arrival to Japan delayed by coronavirus travel restrictions and then enduring two weeks […]
署名集め依頼、認める 愛知知事リコール不正で事務局長
偽造署名事件に発展した愛知県の大村秀章知事のリコール署名運動で、運動団体事務局長の田中孝博・元愛知県議(59)が3日、朝日新聞の取材に、名古屋市の広告関連会社に「署名を集めるよう依頼した」と認めた。 田中氏は「予定通り署名が集まらず、焦りがあった」といい、様々な団体に署名集めを依頼していて、その一環で同社にも依頼したという。中日新聞などが「署名の書き写しを(田中氏が)依頼した」と報じた内容は否定した上で、依頼はしていないが、事後に書き写された署名の本人に会って確認する前提で「書き写し」行為があったことは認識していたと話した。 田中氏は広告関連会社から渡された署名用紙は各市区町村選挙管理委員会には提出せず、11月11日に廃棄したとしている。 署名をめぐっては佐賀市でアルバイトが署名の代筆作業をしたことが判明している。運動団体の幹部が名古屋市内の広告関連会社にバイト集めを依頼したとされているが、この幹部は関与を否定している。 署名活動を支援した河村たか… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
内定取り消し、大学退学…コロナ禍の支援に行列 5日も
3度目の緊急事態宣言下で迎えた大型連休に、新型コロナ禍で生活に困っている人を支援する催し「ゴールデンウィーク大人食堂」が、5日正午から午後6時まで東京都千代田区の聖イグナチオ教会で開かれる。3日夕も催され、食事や食材を無料提供したり、生活・医療・法律などの相談に応じたりする窓口に、訪れた人たちが長い列を作った。 支援団体などの主催。3日に食べ物を受け取りに訪れた飲食店従業員の男性(40)は、貯金が底を突き、アパートの家賃の支払いも「ギリギリ」の状態。勤める店はコロナ禍で客が激減し、緊急事態宣言で3度目の休業に追い込まれた。これまでは休業しても減額された給与が支払われたが、今後の見通しは立たない。「まさか、自分がこうなるとは」 スリランカ人の男性(32)… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
阪神支局襲撃から34年 訪れた市民「忘れたらいかん」
2021年5月3日 21時22分 朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)で小尻知博記者(当時29)ら記者2人が殺傷された事件から3日で34年になった。支局には市民らが訪れ、入り口の祭壇に設けられた小尻記者の遺影に手を合わせた。 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、2年連続で記帳台は設けず、3階の事件資料室の一般開放もとりやめた。事件発生時刻の午後8時15分には朝日新聞の社員たちが黙禱(もくとう)した。 事件は1987年5月3日夜に起きた。支局に目出し帽をかぶった男が侵入して散弾銃を発砲し、小尻記者が死亡。犬飼兵衛記者(故人)が重傷を負った。 支局を訪れた西宮市職員の谷口博章さん(50)=神戸市灘区=は「報道の自由を守ることは市民を守ることにもつながる。資料室などを通し、事件を伝え続けてほしい」。毎年足を運んでいるという会社員の清水一さん(74)=兵庫県三田市=は「当時事件を知ったとき、こんなことがあっていいのかと怒りを覚えた。ここに来ると、自分自身が憲法や言論を守っていかなければいけないという気持ちになる。忘れたらいかん」と話した。 広島県呉市川尻町にある小尻記者の墓では、石井暖子・朝日新聞広島総局長らが手を合わせた。大阪などに緊急事態宣言が出されたため、大阪本社幹部らの墓参は控え、杉林浩典編集局長が寄せたコメントを石井総局長が代読した。 「自分とは異なる考えを暴力で封じ込める動きは、34年たった現在も世界からなくなっていない。多様な考えを尊重し、自由に語り合える社会を守り、その実現に尽くすことは報道機関の責務だ」と誓った。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
日本人に教わった野球 スリランカでのアジア大会夢見て
かつて日本人から野球を教わったスリランカ人が、東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会で野球・ソフトボール競技の運営を支えている。コロナ禍で五輪開催に不安はあるが、「人を、国を、成長させてくれる野球の素晴らしさを世界に発信したい」との思いを込め、準備を続ける。 拡大するスジーワ・ウィジャヤナーヤカさん=本人提供 スジーワ・ウィジャヤナーヤカさん(37)=千葉県市川市=は高校生の時、物珍しさから母国で野球を始め、日本人の青年海外協力隊から教わった。審判や観客へのあいさつ。グラウンド整備やゴミ拾い。チームのために自分を犠牲にするバント。「相手を思いやる精神に感銘を受け、とりこになった」 2004年からは協力隊員の後田(うしろだ)剛史郎さん(42)=宮崎市、現宮崎大学職員=と一緒にスリランカ国内を回って学生に野球を広めた。06年には日本の大学に留学し、野球部に入部。卒業後は日本でホテルに就職し、働きながらアマチュア審判としてグラウンドに立った。15年春には春の選抜高校野球で塁審を務めた。 一方、母国では09年まで民… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
残さなければならない思い 山寺の石碑に刻んだ憲法9条
長野県北部、中野市の山寺の境内に憲法9条の条文を刻んだ石碑がある。20年ほど前に建てられた。寺がたどった歴史が、住職だった男性を動かした。 標高1351メートルの高社山(こうしゃさん)のふもとにある谷厳寺(こくごんじ)。境内にある駐車場の隅に高さ約2メートル、幅約90センチの御影石が立ち、「戦争の放棄」という言葉と共に憲法9条の全文、平和を象徴するハトの絵が刻まれている。建てたのは前住職の萩原宣章(のぶあき)さん(77)だ。 戦時中の1944年6月、政府は学童疎開を進め、少なくとも全国13都市の児童40万人が学校単位で疎開。長野県には温泉地などを中心に3万人近い子どもがやってきたとされる。 谷厳寺にも東京都足立区の国民学校から女児約40人が来た。萩原さんが祖父から聞いた話によると、女児らは地元の学校に通いながら、勤労奉仕で家畜のえさになる草集めなどをした。鐘や火鉢、米を供出した寺で子どもたちが口に出来たのは芋。夕方になると、山門の石段に座って親元の東京の方角をじっと眺めていたという。 女児らが東京に戻ったのは終戦直後。それから約50年後、中野市で疎開体験者を招いた催しがあった際、谷厳寺を当時の女児ら10人ほどが訪れた。寝泊まりに使っていた衆寮などを見て回った。境内で風呂釜に入ったことを思い出し、「今じゃ考えられないよ」と話す人もいた。 外で裸になる恥ずかしさも、親に会えないさみしさも、空腹によるひもじさも、子どもが口にできない時代があったのだ――。萩原さんは思った。 97年、「疎開児童の碑」を本堂の横に建てた。「子どもが本音をかくして生きる時代を二度とつくらないため(中略)疎開者名を深く刻み、永劫の平和を希求し、ここに絆の碑を建立する」と刻んだ。彼女らが故郷を眺めた山門や芋の絵とともに。裏には確認がとれた29人の名前を入れた。 女性たちとはしばらく交流が… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:438文字/全文:1236文字 【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル