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Le guide sur la culture, la langue et l'histoire du Japon.

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Mois : janvier 2022

ニュース 社会
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「写真は我々の自画像」 コロナ禍の東京撮った写真家の問いかけ

23 janvier 2022
Japonologie
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 桜が満開なのに花見客がいない上野公園、マスク姿の参拝客でごったがえす初詣――。コロナ禍に揺れる東京を、写真家の初沢亜利さん(48)が記録した写真集「東京二○二○、二○二一。」が出版された。初沢さんは「歴史的な日々を撮ることになった」と話す。  初沢さんはパリ生まれ、東京都港区育ち。これまで北朝鮮や沖縄、東日本大震災の被災地などを撮影してきた。その過程で、「目新しいものがないと思ってきた東京に、あらゆる権力が集中していると見えるようになった」と感じたという。次は東京と決め、撮影を始めたころ、コロナ禍に突入した。  写真集には、2020年4月に初めて緊急事態宣言が出た前後から、衆議院選挙があった昨年10月までに撮った計168枚を収めた。ほぼ時系列に並ぶ写真から浮かび上がるのは、矛盾と対立だ。  使用禁止になった公園遊具が… この記事は会員記事です。残り490文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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パワハラ助教に狂わされた人生 相談後も動かぬ大学、私は退学選んだ

23 janvier 2022
Japonologie
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 大学院に進学して、2カ月が過ぎたころだった。  関西地方に住む女性は、指導教員である男性助教からのハラスメントに耐えられなくなり、大学院に行けなくなった。  「大学に行けてないし、もう、行くつもりもない」 大学で指導者の男性教員からハラスメントを受けても、女性研究者の多くは我慢している現実があります。勇気を出して大学の相談室に訴えても、立場の弱さもあって、適切な対応が受けられるとは限りません。二重のダメージが彼女たちを傷つけます。  「自分は価値のない人間だ」  実家に電話をかけた。  母親は、以前から娘が助教とうまくいっていないことは聞いていたが、ここまで傷ついていたとは知らなかった。すぐに実家に呼び戻した。  10年近く前のことだ。  女性の父親が思い切って、大学の研究室代表の教授にメールをした。  「突然のメールお許しください。成人した娘の事ですので口を出すまいと思っておりましたが、助教の教員として、いや社会人として常識のない指導のあり方に憤りを感じてメールしました。助教のパワーハラスメントについて親として許せません」  約10日後、父親は相談室を訪れて説明した。  「研究室で助教から『論文がぶさいくである』『研究者でなければ、人間のクズ』などと言われた」  「娘が『反省している』と述べたメールをほかの研究室員らに無断で同送された」  父親の説明は、その後、大学がまとめた相談概要の文書にも記載がある。 初めての研究室、「女か。男の方がよかった」  女性と両親は、助教からの謝… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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AIが予測した2050年 昭和の人生モデルから脱却のすすめ

23 janvier 2022
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 コロナ禍の始まりから2年。先行きが不透明な中、人々の不安を映すように、業界やテクノロジーの未来を予測する本が売れています。  未来予測は学術研究としても行われています。京都大「こころの未来研究センター」の広井良典教授は、人工知能(AI)を使って2050年を予測しました。日本社会が30年後も持続可能であるためには、何が必要か。AIが出した答えは――。 2万通りの未来  ――どんな予測をおこなったのですか。  将棋の藤井聡太さんが数十手先を読む姿を想像してください。どのコマを動かすかで、勝負のシナリオはいくつも枝分かれしていくと思います。  わたしの研究グループが行ったシミュレーションはそれに近いです。2050年までに日本社会はどう変化していくか。変化のシナリオを予測しました。人口減少が改善する場合、農業が衰退する場合、幸福度が上がる場合など、シナリオは2020年を出発点に無数に枝分かれし、2万通りの未来が示されました。 コロナ禍によって、職場でも、家でも、デジタル化が一気に進みました。技術革新は、私たちの生活を幸せにするのか。そのためには何が必要なのか。第一線の研究者たちの論考をお届けします。  ――どんな結果が出ましたか。  日本社会が30年後も持続可能であるためには「分散」が重要だということが見えてきました。  ――どういうことでしょうか。  人口や雇用、幸福度などを改… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「私はヒバクシャ、ひとりじゃない」 100歳女性、歩んだ22カ国

22 janvier 2022
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 大阪市東住吉区の山科和子さんが今月27日、100歳の誕生日を迎える。長崎で原爆に遭い、両親や弟妹を失った。「ヒバクは私の原点」。その一心で、国内外で核の脅威を語ってきた。「ひとりじゃない。生き残った被爆者には使命がある」。先達の被爆哲学者の言葉を胸に歩んできた。 ひとりでも、ひとりぼっちじゃない  今月12日、記者は、山科さんが代表を務める「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」の関係者とともに、サービス付き高齢者向け住宅で暮らす山科さんを訪ねた。一足早いバースデーカードを受け取った山科さんは「みなさんが良くしてくれるから、ひとりぼっちでもね、自分ではひとりぼっちとは思わないよ」とほほえんだ。  77年前の1945年8月9日、23歳だった山科さんは長崎で原爆に遭った。英文科で学び、旅行会社に勤めていた。父親は国の官吏で長崎駅長。一家で長崎に移り住んで数年がたっていた。  被爆時は爆心地からやや離れたビル内の職場にいた。2日後、爆心地から350メートルしか離れていなかった自宅に戻った。黒こげの両親の遺体があった。仰向けの父は両手で虚空をつかみ、母はうつぶせで、体の一部は灰になっていた。  弟と妹の姿を求め、長崎市内をさまよい歩いた。行方は今もわからぬままだ。  18年後の63年、体中に黒い斑点が出て入院した。一命は取り留めたものの、3年近い静養を余儀なくされた。原爆の放射線の影響だと思った。当時は神戸で教師をしていたが、退職せざるをえなかった。  転機は、65年に大阪に移って原水爆禁止運動に出会ったことだった。かつて通訳を務めるほど得意だった英語を生かし、海外で被爆証言をしてほしいとの声がかかった。  82年には、米ニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会に合わせて渡米し、世界各地から集まった市民らと国連本部前の広場からセントラルパークまで行進した。 原爆の光線を生き抜いて  そのとき、ひとりの男性に声をかけられた。広島で被爆した哲学者で、被爆者や原水爆禁止運動のリーダーとして活躍した森滝市郎さん(1901~94)だ。核が人間にもたらす惨禍への思索を重ねた結果、「核と人類は共存できない」と訴え続けてきた。  森滝さんは言った。「山科さん、死んでも当たり前の光線を生き抜いたんだから、原爆のことを後世に語るのがあなたの使命だよ。これまで生きてきたあなたの運命を神様が支えてくださったのだから」  その言葉は山科さんの心に深く刻まれた。「生き残った被爆者の使命」を果たすべく、国内外で証言を重ねた。これまで訪れたのは22カ国にのぼる。  ハワイの真珠湾で平和行進をしたとき、中年の女性が「ジャップ、ゴー、ホーム(日本人、帰れ)」と叫んで追いかけてきた。かつての日本軍の真珠湾攻撃で息子を失ったという。それまで原爆を投下した米国はただ憎いだけだったが、「戦争の被害者という意味では日本人も米国人も同じ」と悟った。  多くの学校でも体験を語ってきた。「平和の種」をまくため、子どもたちに必ず「三つのお願い」をしてきた。「戦争をしない」「外国の言葉を学んで」「一度は海外に出て」。相手の気持ちを知る。その大切さを学んでほしいとの思いからだ。  もう一つ、山科さんを突き動かしてきた核の惨事が、86年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故だった。「先輩ヒバクシャ」としていても立ってもいられなかった。91年11月に設立された「救援関西」の代表に就き、ベラルーシの被災地で被爆体験を語ったり、救援物資を送って人的交流を重ねたりしてきた。  「救援関西」の発足25周年誌には、こんなメッセージを寄せた。「『ヒバク』は私の原点です。ヒバクシャとして生きる。ヒバクのない世界をめざしてがんばりましょう!」  山科さんは記者に向かってこれまでの活動を振り返った。「できるだけ英語でしゃべった。言葉を継ぎ足し継ぎ足ししながらも、英語でね」。世界を回って訴え続けてきたことへの自負が伝わってきた。(編集委員・副島英樹) 世界中回った、言葉の力  サービス付き高齢者向け住宅で暮らす山科さんへの面会はコロナ対策用のアクリルパーティションを隔てて、30分以内との条件で許可された。  山科さんは記者を前に、問わ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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紙面からSNSへ 写真拡散一変 読者の新聞写真、66年で一区切り

22 janvier 2022
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会員記事 池永牧子、堀英治、大和久将志2022年1月22日 17時00分  多くの命が奪われた自然災害や大事件、大事故から、彩り豊かな花鳥風月の一枚まで、新聞紙面に幅広く掲載されてきた読者の投稿写真。だが、スマートフォンなどで「1億総メディア化」が進み、ここ10年ほどで写真の「拡散」の主流はSNSへ。投稿は引き続き受け付けるものの、名前を変えながら1956(昭和31)年から66年続いてきた朝日新聞の「読者の新聞写真」の特集は23日朝刊でピリオドを打つ。  羽田発香港行きのBOAC(英国海外航空)機が乱気流で空中分解して富士山麓(さんろく)に墜落、乗客・乗員124人が死亡した66年3月、事故機が偶然写った投稿写真が朝日新聞の朝刊1面に東京本社版は7段抜き、大阪本社版は9段抜きで載り、米AP通信が世界に配信した。  会社の慰安旅行で訪れた箱根駒ケ岳山頂で撮った京都府木津川市の池上拡朗さん(76)は「1カ月前に買ったばかりの望遠レンズで富士山にかかった飛行機雲のようなものを撮ったら、墜落していく飛行機だった。当時暮らしていた東京の会社の寮に帰ってから、大きな旅客機の事故だと知った。有楽町にあった朝日の本社へカメラごとフィルムを持っていった」と振り返る。いまも山岳写真を撮りにカメラを担いで山を歩いているという。  「自分の写真展を開いても来… この記事は会員記事です。残り1402文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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瀬戸内ブルーとクリームソーダと 大川オアシス、君と行けたら

22 janvier 2022
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会員記事 文・木下広大、写真・金居達朗2022年1月22日 17時00分 大川オアシスのクリームソーダ=2022年1月12日午前、香川県さぬき市、金居達朗撮影  クリームソーダの鮮やかな緑の先に青い海が広がる。ここは四国のオアシス。ドライバーの疲れも泡のようにはじけて消える。  打ち放しのコンクリートが古びた様は、まるで要塞(ようさい)のようだ。中に入って目を見開いた。ガラス窓一面に、瀬戸内海のマリンブルーが広がっている。  ドライブイン「大川オアシス」(香川県さぬき市)は、高松市と徳島市を結ぶ国道11号沿いにある。喫茶の区画は淡い青色で統一され、球体の照明は夕日のようなオレンジ色。カウンターは潜水艦をほうふつとさせる。窓際のボックス席でクリームソーダを注文すれば、爽やかな緑色と背景の海色とのコントラストが映える。  東京五輪があった1964年の開業。聖火リレー走者が真新しい建物の前を駆け抜けた。開業のきっかけは、運営会社の親会社である大川バスの専務が、米サンフランシスコで見たドライブインに触発されたこと。内装が米国のダイナー風なのはそのためだ。  開業時から四国を車で移動する人の休憩所として繁盛した。88年に瀬戸大橋が開通してからは本州からの旅行者も増え、1日に100台超の大型バスが入れ代わり訪れる日もあった。  しかし、良い時代は長く続かなかった。香川―徳島間に高速道路が通ると、客足は激減。建物内の宴会場の収入などでなんとか営業を続けてきた。 記事後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や会員登録すると応募できるプレゼントもあります。  「もう潮時かと思っていた」… この記事は会員記事です。残り750文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

22 janvier 2022
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 核兵器の使用や開発、実験などを禁止する核兵器禁止条約の発効から22日で1年を迎えた。広島市中区の原爆ドーム前では、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」が「核兵器禁止条約に全世界の参加を」と訴える横断幕を掲げ、日本政府の署名・批准などを求める声明を発表した。  新型コロナウイルス感染拡大のため、人数を制限し、スタッフ約10人のみが参加した。代表の足立修一弁護士(63)は「条約ができたのは、(核兵器が)非人道的なものであることが世界の人に理解されたからだと思う。最も被害を知る日本が世界に向けて発信しなければ、核兵器廃絶はできない」と述べた。  禁止条約は2017年7月に国連で採択。20年10月に批准国・地域が要件の50に達し、昨年1月22日に発効した。条約の批准国・地域は現在59。核保有国やその「核の傘」にある日本などは入っていない。被爆地・広島選出の岸田文雄首相は「『出口』だが重要な条約」とするが、条約参加に否定的だ。3月にはオーストリア・ウィーンで第1回締約国会議が開かれる。被爆者らは日本政府のオブザーバー参加を求めるが、政府は慎重な姿勢をとっている。(岡田将平) 「腫れ物に触るよう」 被爆者ら、日米声明に違和感  被爆地の広島、長崎両市などでは22日、核禁条約発効1年を記念した行事があった。被爆者らからは、日米両政府が21日に出した核問題に関する共同声明への違和感を訴える声が上がった。政治指導者や若者らに被爆地訪問を呼びかける一方、核禁条約には一切言及しなかったためだ。  「腫れ物に触るような感じがした」。広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(79)は共同声明が条約に触れなかったことについてこう表現した。  箕牧さんは、今年3月にオーストリア・ウィーンで開かれる核禁条約の最初の締約国会議に、日本がオブザーバー参加するよう求める手紙を地元・広島選出の岸田文雄首相に送った。岸田氏がめざす核保有国と非核保有国の橋渡しをするうえで、「避けては通れない問題だ」と訴える。  一方で、声明が政治指導者らの被爆地訪問を呼びかけたことについて箕牧さんは「被爆の実相を知っていただくため、広島に来てほしい」と歓迎した。 「具体的な行動を期待」広島市長  松井一実・広島市長は21日、共同声明へのコメントを発表した。延期になった核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、「意義ある成果を出すという強い決意を表すものであり、大変意義深いものと受け止めている」と評価した。  松井市長は声明が被爆地訪問を呼びかけたことについては「政治指導者が、被爆の実相に触れ、被爆者の体験や平和への思いを共有することで、核兵器は絶対悪であるとの思いを抱くことにより、核兵器廃絶に向けた意思を固め、核兵器のない世界の実現に向けた具体的な行動を起こすことを期待する」とした。 長崎では平和公園に150人  長崎市の平和公園では被爆者ら約150人が集まった。長崎原爆被災者協議会の田中重光会長は「世界で初めて核兵器を違法と示し、多くの国が批准する核禁条約を(日米は)無視し続けている。政府に圧力をかけていけるよう、国民に条約を広く知らせていきたい」と取材に話した。  長崎県被爆者手帳友の会の朝長万左男会長は「被爆地訪問を呼びかけたことは進歩だ。遅々として進まない核廃絶が動くことを期待したい」と述べた。そのうえで「訪問を実現するには日本の外交努力が必要」と注文した。 「オブザーバー参加、状況は完全に整った」ICAN・川崎さん  国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の国際運営委員を務める川崎哲さんは核禁条約への言及がない点については、「(条約に反対している)米国の状況を見ると予想通り。ただ、条約を強く批判している北大西洋条約機構(NATO)に比べると、『良い反応もないが、悪い反応もしていない』という見方もできる」と指摘した。さらに「岸田首相が重視する米国との信頼関係は(21日のオンライン)首脳会談で構築できたと思う。首相が締約国会議へのオブザーバー参加を決断できる状況は完全に整ったといえる」と話した。  川崎さんは声明が、「核兵器の使用の壊滅的で非人道的な結末」と明記したことや、過去のNPT再検討会議で合意した最終文書の重要性に言及したこと、政治指導者に被爆地訪問を呼びかけたことなどは「一定の評価ができる」としつつ、バイデン政権内で議論されているとされる核兵器の役割の縮小や「核の先制不使用」宣言は触れられていない点については、「注目度の高い重要な論点であり、不十分だ」と話した。(岡田将平、福冨旅史、石倉徹也) 核兵器禁止条約  核兵器禁止条約 米ロ英仏中の5カ国に核兵器保有を認めている核不拡散条約(NPT)と異なり、国際法として初めて、核兵器の開発、実験、生産、保有、使用などを全面的に禁じた。国連加盟の6割にあたる122カ国・地域の賛成で2017年7月に採択された。20年10月に批准国・地域が要件の50に達し、21年1月22日に発効した。現在の批准国・地域は59。今年3月にオーストリア・ウィーンで最初の締約国会議が開かれる。締約国以外ではドイツなどがオブザーバー参加する方針だが、日本政府は慎重な姿勢だ。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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週末の竹下通り、人出減ったけど…女子高校生「外出するか迷った」

22 janvier 2022
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 首都圏など13都県では22日、新型コロナウイルス対応のまん延防止等重点措置が適用されて初めての週末を迎えた。街の様子はどう変わったのか。  東京・原宿の竹下通りでは同日午後、マスク姿の若者や家族連れらが行き交っていた。犬カフェ店員の女性(23)は前週よりもスーツケースを引いた観光客や家族連れは少なくなり、人出自体は1、2割減った印象を持った。ただ、「もっと減ると思っていた。これくらいの人の減り方で本当に感染拡大が収まるのか」と話した。  友人と2人でやってきた都内の高校2年の女子生徒(17)は、外出するかどうか迷ったという。政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が「ステイホームは必要ない」と話す一方、東京都は不要不急の外出自粛を呼びかけていたからだ。「1カ月前からの約束だったので出かけることにしたけど、今も混乱してます」  一方、都内の高校2年の別の女子生徒(17)は、外出に迷いはなかった。「まわりの友達とも外出を自粛する話は出ていないです」と話した。  22日の各地の人出はどうだったのか。重点措置の適用地域である原宿駅、横浜駅、新潟駅の3駅の周辺を対象に、前週の土曜日(15日)と比べた。NTTドコモの携帯電話の位置情報から推計した午前10時~午後3時のデータでは、前週よりも、原宿、横浜の両駅はともに約8%減、新潟駅はほぼ横ばいだった。(渡辺洋介) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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純金5kgがだまし取られる 83歳女性が被害、3500万円相当

22 janvier 2022
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2022年1月22日 22時26分  千葉県警千葉西署は22日、千葉市稲毛区の女性(83)が純金5キロ(約3500万円相当)をだまし取られる特殊詐欺被害が発生したと発表した。  署によると、被害者の女性は21日、被害者の息子を名乗る男などから「携帯と財布をなくした。取引先にお金を振り込まなければならない」と電話があり、被害者の自宅に現れた男に純金5キロを手渡してしまったという。女性が直接息子に経緯を話して発覚し、22日に被害届を署に出した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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長田五郎さん死去 広島「原爆の子」編者の四男

22 janvier 2022
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2022年1月22日 20時30分  被爆した子どもらがつづった作文集「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」をまとめた元広島大教授、故長田新さんの四男で被爆者の長田五郎さんが18日、背中のけがによる感染症により死去した。95歳だった。通夜は25日午後6時、葬儀は26日午前11時から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は妻真澄(ますみ)さん。  爆心地から1・6キロで被爆。父の遺志を継ぎ、「原爆の子」の普及に努めた。父が初代会長だった「日本子どもを守る会」の常任理事も務めた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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