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Le guide sur la culture, la langue et l'histoire du Japon.

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dimanche mai 1, 2022

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Mois : mai 2022

ニュース 社会
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天皇陛下の地方訪問、再開の判断難しく 令和流の象徴像、続く模索

1 mai 2022
Japonologie
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 天皇陛下が即位してから1日で3年を迎えた。即位後1年を待たずに新型コロナが流行して活動が制限され、オンラインを通じた活動が今も続く。各地に足を運び、国民に寄り添う機会が見通せないなか、「象徴の務め」をどう実践し、発信するのか。模索が続いている。(多田晃子)  大型のモニターが置かれた皇居・御所。陛下は皇后さまと並び、モニター越しの高校生に「動画を作る上で苦労されたのはどんなことですか」と問いかけた。  熊本市で4月23日に開幕した「第4回アジア・太平洋水サミット」に天皇、皇后両陛下はオンラインで出席。水問題の研究がライフワークの陛下は記念講演を行った。高校生らとの懇談時間は予定の倍近くに及び、熊本地震からの復旧状況を説明した大西一史市長には「今一番大きな課題はどういうことでしょうか」などと質問した。  代替わりで陛下は2019年5月1日に即位。だがコロナ禍で行事や式典の中止・延期が相次いだことから、オンラインによる活動が20年8月に導入された。コロナに対応する病院の視察で医師らと交流したほか、記録的豪雨に見舞われた熊本県の被災者らを見舞い、東日本大震災の被災3県の被災者らと交流した。  陛下はオンラインの活用について、今年2月の誕生日に先立つ会見で、複数の場所にいる人々と同時に会い、通常では訪問が難しい離島や中山間地域などの人々とも比較的容易に交流できる利点や可能性を挙げ、「有効な手段」と言及。状況に応じた形で引き続き活用したい意向を示した。 「存在感希薄になりかねない」  陛下は、全国各地を巡り、国… この記事は有料会員記事です。残り1390文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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コロナやウクライナ情勢で雇用不安定に「人への投資を」 メーデー

1 mai 2022
Japonologie
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朝日新聞デジタルに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。Copyright © The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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見たこともなかったサンゴが続々 志摩沿岸で起きている「異変」とは

1 mai 2022
Japonologie
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 何度も仕事で潜った海の中がいつもと違う。これまで見たことがなかったサンゴが続々と。三重県志摩市の沿岸。一帯では、海藻が姿を消す「磯焼け」が起きている。海でいったい何が……。  サンゴを撮影したのは、志摩市阿児町でダイビングショップを経営している清水憲夫さん(69)。ダイビング歴は40年以上。体験教室を開く一方、市からの委託で、設置した人工魚礁にどれぐらい魚がいるかなどを調べる海底調査も手がけている。  昨年11月、志摩市志摩町和… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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「国は水俣病を断ちきろうとしている」水俣病解決へ危機感と決意新た

1 mai 2022
Japonologie
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 まだ終わっていない――。水俣病は公式確認から66年を迎えたが、行政が水俣病と認める審査はなおハードルが高く、全国で続く裁判では、被害者にとって厳しい判決が相次ぐ。追悼の祈りが捧げられた熊本県水俣市では1日、これからも語り継いでいくことへの決意の言葉が聞かれた。  鹿児島と熊本の県境近く。不知火海を望む山腹の石組みの墓の前に、今年も約70人の参列者が集った。  「乙女塚」と呼ばれるこの場所では、水俣市などが主催する慰霊式が定期的に開かれるようになった1992年より前の81年から、水俣病の裁判を闘う被害者らが独自に慰霊祭を営んできた。  亡くなった胎児性患者の少女を含む、すべての水俣病犠牲者を悼む場に、下田良雄さん(74)の姿もあった。保健所への届け出により公式確認された4人の1人、田中実子さん(68)の義兄。慰霊祭冒頭のあいさつで「66年は長いようで、あっという間でした」と振り返った。  自身も認定患者だが、行政に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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「鎌倉殿の13人」登場の木曽義仲はどこまで逃げた? 落人伝説探る

1 mai 2022
Japonologie
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 平安末期、絶世を極めていた平家を都から追放した猛将・木曽(源)義仲(よしなか、1154~84)。NHK大河ドラマにも登場した義仲や側近らにまつわる伝説に焦点をあてた企画展が、群馬県中之条町で開かれている。挙兵の際に使ったと伝わる矢筒など義仲に仕えた一族の子孫宅に伝わる貴重な史料が展示されている。  義仲は清和源氏の嫡流(ちゃくりゅう)・源為義(ためよし)の次子義賢(よしかた)の次男。義賢が討ち死にし、孤児となるが、信濃の豪族がかくまったといわれる。  一方、企画展を主催した中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の山口通喜館長は語る。「義仲には幼少期、信濃から落ち延び、深い山々に囲まれた旧六合(くに)村入山の世立地区(現在の中之条町)の首領に預けられたという言い伝えがある」  義仲は1180年、以仁王(もちひとおう)により平氏討伐の令旨(りょうじ)が発せられたため挙兵。83年には平維盛(これもり)の大軍を倶利伽羅(くりから)峠(現在の富山、石川県境)で破るなどして平氏を京から追い払い「旭(朝日)将軍」と呼ばれた。  だが、都における義仲軍の粗野な行動が後白河法皇らの反感を買い、源頼朝が派遣した源範頼・義経軍に京を追われた。翌84年、琵琶湖畔を敗走していたところ流れ矢にあたり戦死。享年31と伝えられている。  今回の企画展は「木曽義仲落人伝説~旭将軍義仲と鎌倉殿頼朝が残したもの~」と題し、義仲にまつわる伝承を取り上げた。山口館長は「伝承をつなぎ合わせることで、おぼろげながらも『史実』が見えてくるのではないか」と語る。  家臣の娘が義仲の子を身ごも… この記事は有料会員記事です。残り319文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「親じゃないくせに」にグサッ 笑い、泣き、けんかしてつむぐ絆

1 mai 2022
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 福岡県の高柳直美さん(54)と俊治さん(53)は、特別養子縁組した2人の子を育てる。  息子(14)は中学3年、娘(12)は中学1年。思春期まっただなかの息子と「バトル」の日々だ。  けんかするたび息子は「おれの親じゃないくせに」と言う。  「おれを産んだお母さんだったらスマホを買ってくれるはず」  「もっと若いお母さんがよかった」  初めて「親じゃないくせに」と言われたとき、直美さんは「グサッときた」。  私はだめな親なのかな。  やっぱり妊娠の「十月十日」がなかったからな。  でも先輩の養親に相談したら、「順調、順調! どんなことを言ってもこの人たちは自分を嫌いにならないって安心してるから、そう言えるんだよ」と言われ、救われた。  いまは堂々と「でも、あなたのお母さんは私やけんね」と言い返す。  「先輩養親さんの生の声があるから、ここまでやってこられた。心が折れても、話を聴いてもらうことで、立て直すことができた」と直美さん。  俊治さんも「おかげで孤立しないで済んだ」と話す。  特別養子縁組で育ち、「みそぎ」の名前で活動する男性(26)とは1年ほど前に知りあった。当事者団体「Origin」の養親サロンにもよく参加する。 「弱音は吐けない」と思っていた  夫婦そろって子どもが好き。不妊治療を5年ほどがんばったが、精神的にも経済的にもきつくなり、区切りをつけた。  そのころ住んでいた福岡市の市政だよりがきっかけで、特別養子縁組を知った。  研修や面接を夫婦そろって受けて、2007年秋、特別養子縁組を前提に里親登録をした。  2カ月後、生後半年の男の子を託したいと児童相談所から声がかかった。夫婦そろって乳児院へ行った。  児相の職員が「あの子ですよ」と示した先に、小さな赤ちゃんがいた。こわごわ近づいた。抱っこを促され、直美さんはガチガチに緊張した腕で抱きあげた。「すごく小さいのに、すごく重たい」と感じた。  それから毎日、直美さんは乳児院に通った。  保育士に教わりながらミルクをあげ、おむつを替え、泣けば抱っこした。一緒にいればいるほどかわいく、いとおしくなった。  年末年始は自宅で一緒に過ごすことを打診され、「大丈夫です。任せてください」と答えた。  年が明けて3月には、本格的に3人暮らしが始まった。  最初の半年は里親として育てる試験養育期間だ。問題があれば縁組話はなくなる。  暮らし始めてまもなく、息子が突発性発疹で熱を出した。医院に連れていったが、熱が下がらない。ミルクも果汁も飲んでくれない。  俊治さんが「乳児院に連れていこう」と言った。  だが、直美さんはためらった。「任せてください」と言ったのに、弱音を吐いたら、だめな親だと思われてしまう。「親として失格。もう子どもは返して」と言われてしまう。そう思ったからだ。  一睡もせずに看病して、朝方、俊治さんの車で乳児院へ向かった。  引き離されることを覚悟した直美さんに、職員が「お母さん、精いっぱいがんばってくれましたね」と笑顔で言った。  ほっとした瞬間、どっと涙があふれた。抱え込まずにSOSを出すことの大切さを、かみしめた。 「いつ言う?」告知のタイミングに苦悩  息子が1歳の時に縁組は成立した。  3歳になるころ「きょうだいがいるといいね」と夫婦で話し、まもなく生後3カ月の女の子と縁があった。  家族4人の生活が始まってまもなく、次の課題がもちあがった。  生みの親がいることを伝える「真実告知」だ。  「3歳までに告知しましょう」と言われていた。  子どもがいとおしいからこそ、直美さんは「私が産んだ」と錯覚しそうになっていた。  二人とも赤ちゃんのころから一緒にいる。縁組後半年もしたら児相の家庭訪問もない。  「言わなくても、どうにかなるんじゃないか」。そんな思いにとらわれた。  だが、俊治さんが「真実は分かるんだよ」と言った。  戸籍や住民票に記録は残る。いきなり乳児がきたことを近所の人も知っている。一生懸命育てても最後に「うそをついた」と言われたら、どうなるか――。  「真実は隠し通せない。伝えても崩れない親子関係をつくっていくしかない」  最初の告知は息子が4歳になる直前。リラックスした時がいいだろうと選んだのは、温浴施設の家族風呂だった。  なかなか言い出せず、「いつ言う、いつ言う?」と夫婦で目配せしているうちに、息子がのぼせてしまった。  あわてて直美さんが「○○に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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東京都の感染者数は3161人 20日連続で前週の同じ曜日を下回る

1 mai 2022
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 東京都は1日、新型コロナウイルスの感染者を新たに3161人確認したと発表した。前週の同じ曜日(4月24日)より1775人減っており、20日連続で前週の同じ曜日を下回った。1日までの1週間の感染状況をみると、1日あたりの感染者数は4238・3人で、前週(5467・1人)の77・5%。  1日に発表された感染者を年代別にみると、最多は30代で616人。20代566人、40代519人、10歳未満512人と続いた。65歳以上は195人だった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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厳しい患者認定や裁判に危機感 公式確認から66年、水俣病慰霊式

1 mai 2022
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 水俣病が公式確認されてから1日で66年を迎えた。新型コロナウイルスの影響で2年連続中止になっていた犠牲者慰霊式が熊本県水俣市で営まれた。  水俣病は、原因企業チッソの水俣工場がメチル水銀を含んだ廃水を不知火海に垂れ流したことで起こった。1956年5月1日、水俣保健所に患者の発生が届けられた。92年から市主催の慰霊式がこの日に営まれてきた。2019年は天皇即位で10月に変更。20、21年はコロナで中止された。  今年は3月に熊本県内を対象にした「まん延防止等重点措置」が解除されたため、いったん例年の半分程度の400人規模で開催する方針を決めたが、その直後に水俣市内でクラスター(感染者集団)が発生。大幅に規模を縮小し、出席者17人で開かれた。  式典は、不知火海に面する「水俣病慰霊の碑」前で午後1時半から始まった。山口壮環境相、蒲島郁夫・熊本県知事、木庭竜一・チッソ社長はリモートで参加。患者・遺族代表が、亡くなった認定患者10人(20、21年奉納予定分を含む)の名簿を奉納し、サイレンに合わせて黙禱(もくとう)を捧げた。  水俣病に認定された患者は… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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あの日取った1本の電話 35年前の支局襲撃 兵庫県警元幹部の悔恨

1 mai 2022
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 1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入して散弾銃を発砲し、記者2人を殺傷した。犯行声明を報道機関に送りつけながら「赤報隊」は事件を重ね、いずれも未解決のまま2003年に完全時効となった。  35年前の憲法記念日に放たれた銃弾は、分断と不寛容が指摘される現代に、何を問いかけているのか。元兵庫県警捜査1課長の山下征士さん(83)は「とげが残ったまま」と言う。  やました・せいし 1938年、鹿児島生まれ。58年に兵庫県警採用。「グリコ・森永事件」などの捜査に当たった。96年に捜査1課長に就き、神戸連続児童殺傷事件の捜査を指揮した。98年に定年退職。未解決に終わったグリコ・森永事件や阪神支局襲撃事件の経緯や後悔についてまとめた著作「二本の棘(とげ)」(角川書店)を今年3月に出版した。  事件発生当時に山下さんは県警捜査1課の班長だった。98年に退職した後も事件の報道のスクラップや録画を続け、本を集めている。「私の中では時効はない」  今も気になっている1本の電話がある。  事件発生直後の未明だった… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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なぜ襲撃「今も知りたい、2人に伝えたい」 事件目撃の元阪神支局員

1 mai 2022
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 1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が侵入して散弾銃を発砲し、記者2人を殺傷した。犯行声明を報道機関に送りつけながら「赤報隊」は事件を重ね、いずれも未解決のまま2003年に完全時効となった。35年前の憲法記念日に放たれた銃弾は、分断と不寛容が指摘される現代に、何を問いかけているのか。  事件では小尻知博記者(当時29)が死亡し、事件時に42歳だった犬飼兵衛記者も18年に死去した。事件を目撃したのは、当時支局員だった朝日新聞社員の高山顕治(60)だけになった。「事件が忘れられていくのが怖い」と話す。  あの時はすき焼きを食べ終え、雑談していた。気づくと、3メートルほどのところに目出し帽の男がいた。1発目の発砲で耳がツーンとし、2発目は聞こえなかった。男が反転して支局のドアに向かう時、銃口が目の前を通り過ぎていった。わずか1分ほどだった。  小尻記者の遺影になった笑顔… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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