《二つの街で過ごした時間と過ごしていく時間は 過去と未来の俺にとって絶対に必要な人生のピース(中略)Represent(レペゼン)浪江 Represent(レペゼン)いわき》 福島県出身のラッパー木幡龍司さん(31)は3年前、「二つの空」を発表した。「レペゼン」は、ヒップホップ文化で「代表」を意味する。曲作りを通し、故郷と移住先の間で揺れた思いを突き詰め、一つの答えにたどり着いた。 浪江町に生まれ、地元の高校時代から、同級生らとライブハウスでラップを披露した。卒業後は原発の点検を手がける会社に就職。「外の世界を見たい」の一心だった。全国の原発を飛び回り、東日本大震災が起きた時は石川県の原発にいた。翌日、東京電力福島第一原発が爆発。浪江の両親と祖母、妹は県外へ避難した。 「地元の現状を知りたい」と… この記事は有料記事です。残り711文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「三重苦の夏休み」シングルマザーのSOS、悲鳴の現場を訪ねた
【動画】夏休みの困窮家庭への食料支援の様子=細川卓撮影 困窮する子育て世帯にとって、この夏休みは三重苦だった――。ひとり親家庭の支援をするNPOは、こう訴える。国も支援策を進めているが、必要とする世帯に必ずしも届いていない。NPOの活動に同行し、さまざまな「三重苦」の現場を見た。 8月下旬の夕方。NPO法人「ぱんだのしっぽ」(宇都宮市)の小川達也代表は、栃木県内のひとり親家庭に米、レトルト食品や生理用品などを配って回った。小学1年生と2歳の子どもを育てる女性(38)は4月に離婚したばかりで、初めて利用した。「冷凍食品で何とか学童のお弁当をやりくりしたけど、苦しかった。お菓子もあるのがうれしい」と喜んだ。 別のシングルマザーの女性(54)は、小学5年生と高校3年生の2人の息子を育てる。元夫からの養育費に加え、旅館の清掃員としてほぼ休日なく午前9時から午後2時まで働き、月給は6、7万円。比較的安価な品ぞろえが魅力のスーパーが頼みの綱だが、約20キロ離れている。自家用車は車検代が払えていないため動かせず、電車で通う。 夏休み中、子どもたちは「昼に起きていても行くところがないから」と夜通しスマートフォンでゲームをしていた。朝5時に寝て、夕方に起きるという昼夜逆転の生活。食事は1日1食だった。「規則正しい生活を送らせたいけど、いっぱいいっぱいです」とため息をついた。 「ぱんだのしっぽ」には夏休… この記事は有料記事です。残り924文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「痴漢だ」消えぬあの日の後悔 五輪目指した元ソフト選手、警察官に
昨夏の東京五輪のソフトボールで、日本代表は金メダルを手にした。かつてその舞台をめざし、実業団の強豪チームでプレーした女性が、神奈川県警川崎署にいる。高校生の頃に痴漢犯を逃した後悔、応援してくれた母親の急死……。すべてを力に変え、セカンドキャリアを歩み出している。 「(夜間の勤務で)寝られない日が続くこともありますが、全部が経験です」。そうにこやかに話すのは、昨年2月に拝命した鈴木理恵巡査(25)だ。 警察学校や職場実習を経て、歓楽街の南町交番(川崎市川崎区)で働いている。1日3交代制で泊まり勤務もあり、酔っ払いのけんかや万引きの取り締まりに日々追われる。 3年前はアスリートだった。ソフトを始めたのは小学4年から。ポジションは捕手で、小柄ながら積極的な打撃とリードが信条。中学と高校で全国大会に出場し、その頃開催地に決まった東京五輪に出場するのが目標だった。「一生に一度の機会。支えてくれた人たちの間近でプレーしたい」 高校卒業後に日立製作所のソフトボール部(横浜市)に入部。しかし、日本代表入りをアピールするためのリーグ戦で、満足する結果を残せない。2019年11月、現役を引退した。 それからは、社員としての仕… この記事は有料記事です。残り806文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
部落問題、戦争、非正規…人が大切にされなければ差別はなくならない
「人の世に熱あれ」。100年前の1922年、日本初の人権宣言といわれる水平社宣言は被差別部落出身者の尊厳を説いた。いま、差別はなくなっていますか――。部落解放同盟の中央執行委員長を歴代最長の24年間務めた組坂繁之さん(79)に尋ねた。若い世代から部落問題を見つめる映画監督、満若勇咲さん(36)にも話を聞いた。 組坂繁之さん (部落解放同盟前委員長) ――1922年の「水平社宣言」から1世紀が経ちました。 「部落差別は江戸時代、幕府が農民や町人の下に賤民(せんみん)身分を置くことで、人民を分断して統治するために使われた『つくられた差別』です。明治時代の解放令で被差別身分が廃止されてもなお差別が残るなか、部落民が自ら人間解放を訴えたのが水平社宣言でした。部落解放運動の原点です」 ――時代を経て運動を進めるなか、差別はなくなっていますか。 「国の同和対策事業は1969年、生活環境の向上が阻害された地域を整備するため始まりました。住宅や教育に多額の公費が投じられ、消防車も入れない集落や貧しくて学校に通えない長欠児童の問題などは改善された。しかし、結婚や就職など人生の大事な場面で出身を理由に排除される差別は、なかなかなくなりません」 ――部落解放同盟で、組坂さんが中央執行委員長に就いたのは98年でしたね。 「2002年に同和対策の事業法が終わるのを控え、残る差別をどうなくすかが委員長として課題でした。00年に人権教育・啓発推進法が制定されたのもその一環です。しかしその数年後、関西で相次いで不祥事が明らかになりました。行政との癒着、部落出身者の公務員への優先採用枠などを背景とした問題が、大阪や京都、奈良で噴き出したのです」 ――なぜそのような問題が。 「解放同盟が設置した第三者委員会は、『行政要求一辺倒になったことによる組織の空洞化や運動の衰退』や『こわもての権力構造』があったと指摘しました」 「社会から排除された部落の若者が、アウトローの世界に流れることもあります。解放同盟は大衆組織です。様々な立場の人を受け入れ、更生もさせてきた。だが差別をなくす手段だったはずの事業が、自己目的化した側面がありました。私は自らを律してきたつもりでしたが、問題の発覚まで思いが至らず、責任を痛感しました」 ――第三者委は、差別追及のために行われてきた糾弾闘争にも、「怖い」「つるし上げ」というイメージがあると指摘しました。 「糾弾闘争は本来、差別について対話し、差別の誤りを学び合う場です。差別発言などがされた時、私たちは組織として、当事者や行政など第三者をまじえて事実確認をする場や、差別した理由やどうしたら差別がなくせるかを考える公開の学習会を開いてきました。威圧的な言動はすべきではありません。しかし、それがなかったとしても、解放同盟の存在そのものに相手が脅威を感じるなら、真摯(しんし)に受けとめねばなりません」 「踏まれた者」だが、「人の足を踏んでいた」 ――人が差別をするのはなぜだと思いますか。 「生まれながらに差別をする人はいません。差別意識は幼少期以降、まっさらな心のキャンバスに絵の具を落とされるようなものです。いったん塗られると、消し去ることは難しい。それは、気づかぬうちに心に染みていきます」 海外に行きたい――。部落差別から逃げようとした若いころ。運動に加わるまでの葛藤について、組坂さんが振り返ります。今年、ドキュメンタリー映画「私のはなし 部落のはなし」が公開された若手映画監督・満若勇咲さんにも話を聞きました。 「私は女性差別が当たり前だ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Strikeout artist Yu Darvish credits success to getting good breaks
Los Angeles – Upon reaching his milestone 3,000th strikeout in elite pro competition Friday, Yu Darvish reflected on how having fun as a child in Japan’s rigid baseball culture by making the ball bend made him the pitcher he is today. Darvish joined Hideo Nomo as just the second pitcher […]
Yugo Bando pitches Hawks one game clear in PL lead
Fukuoka – Inexperienced starting pitcher Yugo Bando allowed two runs over seven innings as the Fukuoka SoftBank Hawks beat the Seibu Lions 5-2 and moved a full game ahead of their opponents in the Pacific League standings on Saturday. Making just the fourth start of his career, Bando (2-1) struck […]
山小屋に響く「密になっています」 標高3000mの世界にも第7波
9月になり秋山シーズンを迎えましたが、北アルプスなど全国の登山者が訪れる山域では、新型コロナウイルスの「第7波」が登山事情に大きな影響を与えています。8月中~下旬に北アルプスの黒部源流を訪れた山岳ジャーナリストの近藤幸夫さんが、対応変更を余儀なくされている山小屋や登山者の現状を報告します。 最新情報のチェックを これから山小屋を利用する登山を計画している方は、小屋や山域に関する最新情報をチェックしてから現地入りをすることをおすすめします。 相次いだ人気エリアでの営業自粛 夏山シーズン中、全国の登山者に人気がある北アルプスでは新型コロナによる山小屋の営業自粛が続きました。主な山小屋は、穂高連峰の登山基地の涸沢(からさわ)ヒュッテ、白馬岳山頂直下の白馬山荘、燕岳(つばくろだけ)の燕山荘(えんざんそう)など、人気の山域が目立ちました。八ケ岳でも黒百合(くろゆり)ヒュッテが営業を自粛しました。 いずれも、一定期間の措置ですが、あくまで安全対策を考えた山小屋の判断です。新型コロナの登山への影響は2020年から始まりました。これまで山小屋は、宿泊定員の削減や完全予約制など感染対策に努めてきました。しかし、第7波は、山の世界でも猛威を振るっています。 8月下旬、黒部源流域を歩いた 8月20日から2泊3日で… この記事は有料記事です。残り1118文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
平家としば漬けの意外な歴史 有名にした歌と「ショッキング」なCM
古都ぶら 京都三大漬物の一つ、しば漬けは、京都・大原が発祥の地とされる。樽(たる)だしの新漬けも味わえるこの時期、大原には爽やかな香りが広がっていた。あの紫色を生む葉の香りだ。 京都市街からバスに揺られて北へ、山あいの道を行く。車窓から見える山里の風景にほっとする。 バスを降り、「大原女(め)の小径(こみち)」と呼ばれる参道を通って記者が訪れたのは、漬物店「志(し)ば久(きゅう)」。名物のしば漬けは随筆家、大村しげさんもひいきだった。 しば漬け作りを見せてもらった。ベテラン従業員が一枚一枚、茎から摘んでいたのは、赤シソの葉。しば漬けの紫色は、この葉と関係している。摘むたび、爽やかな香りが広がった。 「葉の軸が入ると食感が悪くなる。昔ながらの手作業を守っています」と店主の久保勝さん(79)。 しば漬けの基本材料は、赤シソ、薄く切ったナス、そして塩。志ば久ではミョウガも入れ香りを高める。樽に入れて乳酸菌の力で発酵させると紫色になる。2週間ほどで出す新漬けは新鮮な食感を、秋以降に出したものは熟成した味わいを、楽しめる。 冬は雪も積もる大原の地に伝わってきた夏野菜の保存食の知恵がしば漬け。香りと酸味が食欲を刺激する。 「ごはんにのせて食べてもおいしいし、地元では細かく刻んでしょうゆを少しかけ、かつお節やちりめんじゃこを好みで添えて食べます」と久保さんが教えてくれた。 しば漬けを命名したのは 「小径」を西へ進み、寂光院を訪ねた。平家が滅亡した後、平清盛の娘、建礼門院徳子が残りの生涯を過ごした寺だ。 記者がここへ来たのは、平家… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「感情揺さぶられた」ハワイ州知事が初の広島訪問 原爆死没者に黙禱
広島県と米国ハワイ州の友好提携25周年を記念し、ハワイ州の日系3世デービッド・ユタカ・イゲ知事(65)らが広島を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花して黙禱(もくとう)し、平和を祈った。4日に6日間の日程を終える。イゲ知事が朝日新聞の書面での取材に応じ、ハワイ州知事として初めての訪問を語った。 ハワイと広島の縁は1885年にハワイ政府と明治政府間の「官約移民」に始まり、全国最多の約1万1千人が広島から渡った。州内には現在も四つの広島県人会がある。1997年には県とハワイ州が友好提携を結び、交流を続けてきた。 今回、広島を訪れたのは、イゲ知事やハワイ州議会議員ら60人超。湯崎英彦知事と会談したり、フラダンスやウクレレ演奏など文化を紹介するイベントに出席したりしたほか、県立図書館とハワイ州公共図書館の姉妹図書館協定も結んだ。10月には、湯崎知事らがハワイ州を訪問し、互いに交流を深める予定だ。 訪問団は8月31日、原爆死没者慰霊碑を訪れた。花を手向け、目を閉じて手を合わせたイゲ知事は書面取材に「原爆で亡くなった人に敬意を表し、感情を揺さぶられた」と振り返った。 「多くは知らないが…」日系人部隊に所属した父親 ハワイ移民の足跡をまとめた資料によると、旧日本軍によるハワイの真珠湾攻撃で幕を開けた太平洋戦争開戦時、ハワイ在住の日系人は15万人に及んだとされる。米国では多くの日系人が「敵性外国人」として扱われ、日系社会の「リーダー格」とされた人が強制収容された。米国への忠誠を証明しようと、米軍に志願した日系人も多かった。 イゲ知事の父親も戦中、欧州戦線で激闘を展開したことで知られる米軍の日系人部隊「第442連隊」に所属した。イゲ知事は「父が戦時中に何をしたのか、多くは知らない。だが、日系人たちは戦後、武器を置き、未来の建設を始めた。かつて敵国同士だった日米両国(関係)を共に再建した」と答えた。 ハワイ州には広島で被爆した日系人も暮らす。イゲ知事は「原爆で亡くなった人たちのことを考えると深い悲しみを覚える。オバマ元大統領が(平和記念資料館の芳名録への記帳で)述べたように、『共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう』」と強調した。 イゲ知事は広島で感じたことをハワイで次の世代に伝えていく意向だ。「広島で学んだ教訓を、将来の世代がより良い世界を築くために役立つように伝えていかなければいけない」(戸田和敬) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
3千戸超が停電、強風でけが人やタンクの倒壊も 台風最接近の沖縄
【動画】強い風で街路樹が倒れる 宮古島に台風11号が接近=金子淳撮影 一部が台風11号の暴風域に入った沖縄・先島諸島では3日、風雨が強まり、厳戒態勢がとられた。 宮古島では立っていられないほどの強風が吹き、断続的に横殴りの雨も降った。飲食店やホテルが集まる宮古島市の中心部は、コンビニエンスストアも含めてほとんどの店が休業。午後になると、外出している人の姿はまったく見られなくなった。 島を発着する航空便は全便欠航となり、空港ターミナルビルは終日閉館。宮古島と伊良部、池間、来間の三つの離島をつなぐ橋がそれぞれ通行止めとなった。 各地で被害も確認され始めている。沖縄県防災危機管理課によると、那覇市で70代の女性が強風にあおられて転倒し、左腕に軽傷を負ったほか、民家屋上のタンクが倒壊したという。 沖縄電力によると午後9時現在、宮古島市で2380戸が停電しているほか、石垣市など各地で停電が相次いだ。 警戒が強まるなか、避難所を設ける動きも広がった。石垣市は2カ所に避難所を開設し、午後6時時点で16世帯24人が避難。竹富町も20カ所で開設しており、1人が避難した。 宮古島市は市役所のロビーなど計7カ所に避難所を設置。市によると、午後6時10分時点で12世帯15人が身を寄せたという。 市内のアパートで暮らす女性(46)は午前10時過ぎ、友人の車で市役所まで避難してきた。「風の音が怖くて眠れず、避難することにしました」。いつまで避難が必要か先は見通せないが、近くに職員がいることは安心だという。 60代の男性は、透析治療のため池間島から宮古島を訪れていたが、橋が通行止めとなり、帰宅できなくなった。「自然のことだから、仕方ない。じっとして過ごします」と話した。(釆沢嘉高、板倉大地) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル