東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げました。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える一日。各地の動きをタイムラインで記録しました。 ■■■3月11日■■■ 19:10 午後7時直前。宮城県石巻市渡波地区の真っ暗な防潮堤に、ぞろぞろ50人ほどの人が集まってきた。「星がきれい」と子どもの声が響く。その数分後、夜空を季節外れの大輪が彩った。 被災したメンバーらが立ち上げた地元のボランティア団体が企画した慰霊の花火だ。今年は能登半島地震の被災者への追悼と復興の願いも込められた。 仙台市から見に来た会社員の西尾亮汰さん(23)は、大震災の時は小学4年生だった。あの日の夜は家族と車の中で過ごしたが、真っ暗でどこの家も静かだったことを覚えている。「災害の時に花火はできないので、平和、普通の日々の大切さを感じた」としみじみとした様子だった。 19:00 夜空と水面に「白菊」の輪広がる 岩手県釜石市 岩手県釜石市の根浜海岸で、東日本大震災と今年1月の能登半島地震の犠牲者を追悼するため、白い花火「白菊」が3発打ち上げられた。空と水面に美しい輪が広がった。 白菊は、新潟県長岡市の花火師によって、シベリア抑留で死亡した戦友を弔うため打ち上げられた。釜石では、市民有志が2020年から毎年、震災の日に合わせて、打ち上げてきた。 今年は資金不足で打ち切る方向で検討していたが、能登半島地震を受けて継続を決め、クラウドファンディングや、根浜海岸前にある旅館の女将(おかみ)岩崎昭子さんらが寄付を募った。 花火は白菊の後も何十発も続き、住民たちの心をいやした。岩崎さんは海辺で花火を見ながら、「3発分のお金しか出していないのに、花火師さんにプレゼントしてもらってありがたい。長岡や能登の人と思いを共にした」と話した。 18:30 政府の地震調査委員会「安定な状態には戻っていない」 政府の地震調査委員会の定例会があり、終了後に会見した平田直委員長=東京大名誉教授=は「13年経っても力学的には安定な状態には戻っていない。大きく滑らなかった場所では、マグニチュード7、マグニチュード8の発生確率が高い場所もある」と述べた。 定例会では、この13年間の余震活動などについて「地震の発生数は依然として東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)前より多い状態が続いている」と評価した。 18:13 夕闇に浮かぶ「NOTO&NATORI」 宮城県名取市 宮城県名取市閖上の震災メモリアル公園で、約700個の電子絵灯籠(とうろう)に明かりがともり、「NOTO & NATORI(能登と名取)」の文字が、夕闇に浮かび上がった。 企画をした一人で、元市教育委員長の武田堆雄(たかお)さん(76)は「13年たち、閖上も少しずつ復興に向けて歩みを進めている。そのことを能登の人に伝えたい」と話した。公園にはここを襲った津波の高さと同じ8・4メートルの慰霊碑もある。 灯籠の絵は市内の公民館などで住民が描いたほか、全国からも寄せられた。閖上にあるこども園の4歳児クラスの子たちが、亡くなった「お空のお友達」にあてて書いたメッセージもあった。「いっしょにあそびたかったよ」などの言葉が描かれていた。 17:15 旧大川小で「竹あかり」輝く 宮城県石巻市 児童と教職員計84人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市の旧大川小学校で、竹灯籠(とうろう)にあかりをともす「大川竹あかり」が開かれた。当時の児童数と同じ108本の竹が輝いた。 今年で3回目。竹を磨いたり、穴を開けたりする作業は市内外の大勢のボランティアが担った。集まって作りながら交流を深めることで、震災の記憶をより広く伝える狙いがある。 5年生だった次女を亡くした紫桃隆洋さん(59)は「年に1度、みんなで明かりを眺めながら命について語る大切な場として、ずっと続けていきたい」。 17:15 約1万1千個の灯籠にあかり 盛岡市の公園 盛岡市の盛岡城跡公園では、「祈りの灯火(ともしび)2024~記憶を語りつぐ日~」と名づけられた追悼の催しがあり、牛乳パックでつくられた約1万1千個の灯籠(とうろう)にあかりがともった。 震災翌年から毎年3月11日に開かれてきた。運営するボランティアは延べ約500人で、中学生や高校生なども多く参加している。 実行委員長の吉田光晴さん(45)は「13年がたち、高校生の中にも震災の記憶がない子もいます。当時の記憶を語り継ぎ、追悼と防災の意識を風化させないよう高めていけたらと思います」と語った。 灯籠は主に市内の小中学生や一般市民の手作りだが、関東や関西、沖縄方面など他県の人たちからも寄せられた。能登半島地震への思いを込めたものもあり、「希望」「心ひとつに」などのメッセージが記されている。 16:00 「原発事故は終わっていない」 福島県郡山市で原発反対デモ 福島県郡山市では午後4時から、原発に反対する市民や原発関連の裁判原告ら約90人がデモ行進した。 「原発事故は終わっていない」として、東京電力福島第一原発からの処理水放出即時停止や、今年9月ごろに予定される東北電力女川原発2号機の再稼働撤回などを訴え、JR郡山駅前まで歩いた。 デモに先立つ集会には約150人が参加した。13年前の福島第一原発の事故が、避難生活による経済的苦境や住民同士の分断など数々の被害を福島県民にもたらしたと指摘。「地震大国で原発を動かせば第二の福島が生まれかねない」とし、政府の原発回帰を批判した。 15:30 立憲・泉代表が献花、災害援護資金について「返済期間の延長を」 立憲民主党の泉健太代表は、13年前の津波で被害を受けた宮城県岩沼市の食品加工会社「にしき食品」を訪ねたほか、仙台市若林区と多賀城市の慰霊碑で献花した。 泉氏は、民間企業の再建に公的資金を使うグループ補助金などで再建を果たした経緯や、働き手不足の現状を聞き取った。視察後、記者団に「人手不足が深刻だ。若者の移住、定住の取り組みが改めて大事だと感じた」と述べた。 また、被災者に市町村が貸し付ける「災害援護資金」の返済期限が今春から迎えており、滞納額が9都県で57億円を超えることについて「未曽有の災害で仕事や家を失った方々にとって資金は非常に役に立った」とする一方、「公平性に配慮しながら返済期間の延長を考えないといけない。政府に言っていきたい」と語った。 15:22 風船を大空へ 犠牲者を追悼 仙台市の小学校 津波で大きな被害を受けた仙台市若林区の震災遺構・市立荒浜小学校では、犠牲者を追悼する風船が大空へ放たれた。 このイベントにはバスケットボールのB1仙台の選手たちも参加。阿部諒選手(28)は、「この日は、仙台のチームに所属する僕らにとっても特別な日。皆さんの希望となれるようなプレーをしていきたい」。 15:15 仙台市で追悼式 市長が献花 仙台市宮城野区では午後2時半から、市が主催する追悼式が開かれ、220人が参列した。仙台フィルハーモニー管弦楽団の献奏後、午後2時46分の時報にあわせて1分間の黙禱(もくとう)をした。 郡和子市長は式辞で「時を経ても亡くなられた方々のご無念、最愛のご家族を失ったご遺族の深い悲しみはたやすく消え去るものではない。ご冥福を心よりお祈り申し上げる」。その後、合唱団による「花は咲く」などの合唱があり、郡市長らが献花をした。 […]
雪氷学会が利尻山雪崩事故の調査報告、700メートル崩れ落ちたか
松尾一郎2024年3月11日 17時30分 北海道利尻富士町の利尻山でバックカントリー中の女性1人が死亡した雪崩事故について、日本雪氷学会北海道支部の雪氷災害調査チームは11日、北海道庁で記者会見を開き、現地調査結果(速報)を発表した。 今月3日の事故では、バックカントリースキーをしていた8人のグループのうち3人が雪崩に巻き込まれた。救助されたものの、帯広市の40代女性1人が全身圧迫で死亡。道警は業務上過失致死傷の容疑も視野に調べている。 調査チームの国立研究開発法人土木研究所・寒地土木研究所の原田裕介・主任研究員らによると、雪崩は、利尻山の北東斜面の標高310メートル~650メートルの一帯で起きた。雪崩発生箇所の最上部に130メートルの破断面があり、そこから、長さ約700メートル、標高差340メートルにわたって崩れ落ちたという。発生原因となるメカニズムは分析中だが、付近に積もっていた雪が2月中旬の気温上昇や雨でいったん溶け、その後再び寒くなったために凍結。固くなったその上に雪が積もったがそれが不安定な積雪層になったと考えられるという。ただ、雪崩の引き金となった直接的な原因はまだわかっていないという。(松尾一郎) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
早くも動き出した原発回帰 「二度壊された」福島からの疑問
記者コラム 「多事奏論」 編集委員・中川透 事件や事故が起きたらまず現場へ。記者の仕事の基本だが、東京電力福島第一原発事故のときだけは勝手が違った。 事故前後の3年あまり、私は福島総局で働いていた。原発で爆発が起き、沿岸部へは近づけない。国の出す避難指示区域が次々と広がる。総局のあった福島市内は電話が通じず取材もままならない。最前線の地にいる身ながら、原発の状況を伝える枝野幸男官房長官(当時)の会見のテレビ中継にかじりつく日々。無力感に包まれ、福島県はこの先どうなるのか、とぼうぜんとしたことを思い出す。 あれから13年。日本がこんなに早く、原発の「最大限活用」へ動きだすとは思わなかった。政府は昨年、脱炭素社会へ移行する「GX(グリーン・トランスフォーメーション)」の実現を理由に、方針転換の戦略を決めた。聞こえのよい言葉だが、ふるさとを奪われた福島の人たちには、どう映るだろうか。 「唐突な原発回帰に驚いた… この記事は有料記事です。残り1023文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
病気休暇中にフィリピン旅行、小学校教諭を処分 大阪・堺市教委
井石栄司2024年3月11日 18時15分 堺市教育委員会は8日、病気休暇の申請期間中に海外旅行に行っていたなどとして、市立小学校の男性教諭(24)を減給10分の1(3カ月)の懲戒処分にしたと発表した。教諭は依願退職したという。 市教委によると、教諭は昨年7月から9月にかけて病気で休んだ。しかしこの期間中の8月10~16日、主治医の許可を得ずに、友人とフィリピン旅行に行っていた。職場復帰後の昨年10月、同僚に「夏休みに海外旅行に行った」と話したことから発覚した。 教諭は「仕事には行けないが、旅行なら行けると判断した。仕事に行っていないので管理職への報告は必要ないと思った」と話したという。 このほか、今年1月には「研修に参加する」と言って実際は帰宅したのに、研修に参加したという虚偽の出張申請をした。 市教委はまた、のぞきや盗撮の目的で昨年9月、市内の住宅敷地内に侵入したとして住居侵入の疑いで大阪府警中堺署に今年1月に逮捕された市立小学校の男性教諭(48)を懲戒免職処分にした。10年ほど前から同様の行為を繰り返していたという。(井石栄司) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
飼っていた四国犬が児童らにけがさせた疑い、夫婦を書類送検 群馬県
杉浦達朗2024年3月11日 14時30分 群馬県伊勢崎市の公園で2月、小学生らが四国犬にかまれてけがをした事件で、県警は11日、四国犬7頭を飼っていた同市の会社役員の男(62)と妻(57)を、過失傷害や狂犬病予防法違反などの疑いで書類送検し、発表した。いずれも容疑を認めているという。事件を起こした四国犬は、昨年にも小学生にけがをさせていたことも判明した。 伊勢崎署などによると、男の送検容疑は、狂犬病予防注射を7頭に受けさせておらず、そのうち4頭は市に飼育の登録もしていなかった▽2月7日に脱走した2歳のオスが西部中央公園にいた児童ら7人にけがをさせた、というもの。妻はこの事件に加え、昨年12月13日にも同公園でこのオスのリードを放してしまい、遊んでいた女児をかんでけがをさせた疑いもある。 県警は、夫婦が7頭を自宅の庭で放し飼いにしていたことから、柵の設置以外に鎖でつなぐといった脱走防止策をしていなかったとみている。加えて、4頭が市に未登録だったことや狂犬病予防注射をしていなかったこと、過去にも他人にけがをさせていたことなどからも、悪質性が高いと判断しているという。 市によると、昨年末と2月に児童らを襲ったオスは狂犬病検査で陰性だった。7頭は事件後に予防接種を受け、夫婦から第三者へ譲渡されたという。(杉浦達朗) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
早期英語教育「最大の課題」は 子どもが「話せる」ために必要な視点
有料記事 聞き手・塩入彩2024年3月11日 15時00分 学校、趣味、学び直し……。「学ぶ」「教える」の現場にいる方に取り組みや魅力を聞く「楽問(がくもん)のススメ」を始めます。 NPO法人早期英語教育研究会理事長 羽織愛さん 東京都内で子ども向けの英語教室を運営するとともに、2019年にNPO法人早期英語教育研究会(EEYC)を設立しました。保護者向けの英語絵本読みワークショップや、学童での英語アクティビティー、全国の塾や小中学校の英語教師との勉強会などを開催しています。 「日本の英語教育を変えたい」という思いがあります。大学時代の恩師で英語教育学者の故・若林俊輔先生は、「日本の英語教育は、主に教える側に問題がある」とおっしゃっていました。その影響を受け、「教える側の知識と技術を上げ、日本の子どもたちが英語を話せるようになる教え方を確立したい」と取り組んできました。また、自分の教室に限らず、全国の子どもたちが英語を話せるようになってほしいと思い、EEYCの活動を始めました。 記事後半では、英語教育に取り組む際の注意点なども紹介しています 日本の早期英語教育の最大の… この記事は有料記事です。残り1294文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報中】東日本大震災から13年 慰霊碑に花 手を合わせる人々
東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。 ■■■3月11日■■■ 14:46 輪島朝市で元店主ら黙禱「能登も東北のように必ず復興」 能登半島地震で「輪島朝市」の店舗など200棟以上が焼けた石川県輪島市河井町でも、午後2時46分、元店主らが東日本大震災の被災地の方角を向いて約1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。 朝市通りでラーメン食堂を営んでいた板谷吉生さん(48)は、「東北の人たちが体験した13年前の大変さに、思いをはせた」。自身の家や店舗は全焼したが、「能登も東北のように必ず復興できると、気持ちを新たにしました」と話した。 14:30 大船渡で「祈りのモニュメント」除幕式 岩手県大船渡市が整備を進めてきた東日本大震災の追悼施設「祈りのモニュメント」の除幕式があった。 モニュメントは横1・7メートル、高さ2メートルで、ガラス素材でつくられた。「未来へ祈る」などとメッセージが刻まれた。 震災の記憶を風化させることなく、未来への教訓とするという思いをこめている。 13:30 浪江町の海岸で行方不明者を捜索「少しでも手がかりを」 福島県浪江町請戸の海岸で、県警と地元消防の約40人が行方不明者の捜索をした。町によると、町内では津波で150人が亡くなり、今も31人が行方不明だという。 警察官らは一列に並んで砂浜を掘り起こし、骨片や漂流物など行方不明者の手がかりを捜した。 秋田県警から福島県警に特別出向で1年間来ている船木駿巡査部長(34)は「自分たちよりも困っている福島のために働きたい」と出向を希望したという。船木さんは「ご遺族の方のためにも、少しでも手がかりを見つけたい」と話した。 この日は同県富岡町仏浜でも、県警など約40人が捜索にあたった。県警によると、県内での行方不明者は196人という。 12:15 宮城県名取市閖上の災害公営住宅の集会室で、追悼のつどいが開かれた。「天にとどけ 閖上の祈り」と書かれた紙の上に、今年は「能登半島地震」の文字もある。 手を合わせた高橋春子さん(88)は、「地震のニュースを見て、13年前ああだったと思い出した。苦労は私らと同じ。元気でがんばって」と思いを込めた。 閖上地区は津波で大きな被害を受け、住民はかさ上げされた新しい市街地で暮らす。6階建て災害公営住宅は高齢者が多い。つどいは住民と支援者らが久々に集まる機会で、皆でトランプを楽しむなどしていた。 11:35 JR石巻線で避難訓練「何が起きてもお客様を無事に」 宮城県女川町のJR石巻線で、JR東日本東北本部による避難訓練があった。運転士は2両編成の列車を停車させると、「津波です! 率先避難者について、指定避難場所に向かってください!」と、車内のスピーカーで呼びかけた。 震度6強の想定。運転士と車掌の指示で、乗客役の社員らは列車のドア枠に腰かけてから車外に飛び降り、「率先避難者」役の男性に連なって約200メートル離れた高台の指定避難場所に移動した。 防災責任者の蓬田(よもぎだ)祐史(ゆうじ)安全企画ユニットリーダーは閉会式で、「東日本大震災を経験したからには、あれ以上の地震や津波が起きても、『想定外』という言葉は使えない。なにが起きてもお客様を無事に避難させられるように、『1分1秒でもはやく、遠くに高く』を心がけてほしい」と語りかけた。 11:30 宮城県の村井知事「真の笑顔を取り戻すまで諦めることなく」 宮城県の村井嘉浩知事は記者会見で、発災から13年を振り返り、「県の力だけではなく、国の力を借り、市町村の力をあわせて被災者にできるだけ寄り添った対応を心がけてきた」と語った。 村井氏は、インフラなどハードの整備はほぼ終わったという認識を示した一方、「いまだ心のケアを必要とされる方もいる。被災者のみなさんが真の笑顔を取り戻すまで、みんなで力をあわせて最後まで諦めることなく対応し続けて参りたい」と語った。 元日に起きた能登半島地震については、復旧・復興の人手が足りていない点を指摘し、「かなり長丁場になると思うが、引き続き、石川県並びに富山県、そして能登町への支援を継続していきたい」と述べた。 11:00 白河市の慰霊碑、遺族らが手を合わせる 土砂崩れで13人死亡 東日本大震災の地震で土砂崩れが起き、13人が亡くなった福島県白河市の葉ノ木平地区では、地震後に整備された震災復興記念公園で午前11時から犠牲者追悼供養のつどいが営まれ、遺族ら約50人が慰霊碑に手を合わせた。 当時小学2年だった酒井美緒さん(21)は一緒に住んでいた祖母、祖父、叔父の3人を亡くした。避難所生活で支えてもらった経験から看護師をめざし、22日に合格発表を控えている。 この日は慰霊碑に花を供え、「私がんばってるよ。応援してね」と3人に話しかけた。将来は災害派遣医療チーム(DMAT)で、自身の経験をいかしたいと思っている。「今度は私が支える立場になって、困っている人たちを助けたい」 10:35 浪江町の請戸小学校に多くの見学者 震災遺構として保存されている福島県浪江町の町立請戸小学校には、朝から多くの見学者が訪れた。 請戸地区は15メートルを超える津波に襲われ、請戸小学校は校舎2階の床上10センチほどが浸水したとされる。天井や壁ははがれ落ち、鉄筋もひしゃげている。 地区では約150人が犠牲になったが、子どもたちは近くの高台に逃げて無事だった。 福島市から来た堀金千紗さん(3)は母親の朋子さん(30)に「ここにいた子たちはどうなったの?」「どうしてぐしゃぐしゃになっているの?」などと質問していた。 高校生の時に震災を経験した朋子さんは「子どもは地震が起きたら津波が来るかも、ということはもう理解しているみたい。これからも、本人が興味を持った時に、防災のことを教えていきたい」と話した。 10:30 原子力規制委員会の委員長が訓示「原子力に100%の安全はない」 東京電力福島第一原発の事故を受けて発足した原子力規制委員会では、山中伸介委員長が、職員ら約150人に訓示をした。「あのような事故を二度と起こさないために、原子力に100%の安全はないということを肝に銘じながら、常に科学技術に基づいた判断をしてください」と述べた。 山中委員長は能登半島地震についても触れ、「日本では地震や津波、さまざまな自然災害は避けることができない。どのような自然災害に対しても、二度と福島第一原発のような事故を起こしてはならない」と話した。 福島第一原子力規制事務所長の小林隆輔さんも登壇し、処理水の放出開始などこの1年間の作業の進捗(しんちょく)などについて報告した。作業員の身体汚染や汚染水の漏洩(ろうえい)などトラブルが相次いだことについて「組織体として何を行うべきか、いま一度しっかり考える必要がある」と強調した。 10:17 津波で妹を亡くした女性「私が妹に今してあげることだから」 […]
処理水放出に「互いを尊重して」 マーシャル諸島大統領インタビュー
冷戦期、米国の核実験場にされた太平洋・マーシャル諸島のヒルダ・ハイネ大統領(72)が、朝日新聞などのインタビューに応じた。70年前にビキニ環礁で実施された水爆実験では、同国の住民や日本の漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴びた。核兵器に反対する国として日本に連帯を求める一方、東京電力福島第一原子力発電所からの処理水放出には注文も付けた。 ハイネ大統領は10日に来日し、14日まで滞在する予定。インタビューは4日、マーシャル諸島の首都マジュロで行った。 ――マーシャル諸島では1946~58年、米国が67回の核実験を行い、被害が残っています。 「土地を住めるようにし、人びとの健康を守る責任は核実験をした米国にありますが、被害を回復するための補償は足りていないのが現状です」 「日本は、広島、長崎、第五福竜丸、福島と核被害を経験しています。日本が学んだことを、マーシャルの人びととも共有してほしいです。お互いに核の影響で、物理的にも精神的にも被害を負ってきた国です。共に助け合い、核武装や核拡散に反対する立場を強めていきましょう」 ――近年は気候変動による海面上昇でも危機に直面しています。 「温室効果ガス排出量は世界の中で少ないにもかかわらず、私たちにどうやって気候変動と闘えと言うのですか。排出を抑えて、気候変動をコントロールしなければいけないのは大国です。行動を起こさなければいけないのは、私たちではない」 ――マーシャル諸島の国会は昨年3月、日本が福島第一原発の処理水の海洋放出を計画していることに、深い懸念を表明する決議を可決しました。 「太平洋は歴史的に欧米の核実験場にされてきました。決議では『太平洋に放出するより、安全な代替策を検討するよう強く要請する』などと立場を伝えました。放出してほしくありませんでしたが、実際に始まってしまいました。本来なら、始まる前にもっと相談してほしかった。お互いを尊重し、話し、視点を共有する必要があったはずです」 「両国の間には長い歴史があり、友だちであらねばなりません。だからと言って、全てで意見が一致しているという意味ではない。本当の友とは、意見が合わない時こそ話し合えるものでしょう」 ――マーシャル諸島は現在、核兵器禁止条約に署名していません。 「私は1日にあった核被害者の追悼式典で、支持はするけど、署名・批准には至らないという明確な立場を示しました。条約を核兵器廃絶を目指す一つの考え方として支持します。でも、マーシャル諸島が抱える課題を条約の方が支持してくれていると思えない」 「第6条の『被害者に対する… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
イカナゴ新子漁解禁、不漁と向き合い 播磨灘 大阪湾は初の休漁に
熊谷姿慧 鈴木春香2024年3月11日 12時01分 春の訪れを告げるイカナゴ新子漁が11日、兵庫県の播磨灘で解禁された。近年、深刻な不漁が続き、播磨灘と大阪湾で統一の解禁日を定めるようになった1993年以降、大阪湾では初の休漁に。播磨灘でも早期に休漁となる可能性がある。 この日夜明け前、林崎漁港(明石市)から8隻が出航。午前11時前の水揚げ分はさっそく競りに出され、25キログラム約17万円の値段がついた。不漁のため大きく高騰しており、仲買人は「聞いたことのない価格」と話した。 兵庫県内のイカナゴの漁獲量は2016年までほぼ毎年1万トン以上だったが、17年から急減。20年は142トンで過去最低を記録し、23年も1209トンだった。兵庫県水産技術センターによると、海中の栄養が減ったことや水温の上昇が原因とみられるといい、今年も昨年以上の不漁が見込まれている。 大阪湾を漁場とする摂津船びき網漁業協議会は、資源を守るため休漁に踏み切った。前田勝彦会長(57)によると、漁業者の中でも休漁とするかどうか意見が分かれたという。前田会長は「苦渋の決断だった。今年の漁獲量は(過去最低だった)20年並みか、それを下回るのではないか」と話す。(熊谷姿慧、鈴木春香) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報中】東日本大震災から13年 大槌町長「教訓発信し続ける」
東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。 ■■■3月11日■■■ 10:30 原子力規制委員会の委員長が訓示「原子力に100%の安全はない」 東京電力福島第一原発の事故を受けて発足した原子力規制委員会では、山中伸介委員長が、職員ら約150人に訓示をした。「あのような事故を二度と起こさないために、原子力に100%の安全はないということを肝に銘じながら、常に科学技術に基づいた判断をしてください」と述べた。 山中委員長は能登半島地震についても触れ、「日本では地震や津波、さまざまな自然災害は避けることができない。どのような自然災害に対しても、二度と福島第一原発のような事故を起こしてはならない」と話した。 福島第一原子力規制事務所長の小林隆輔さんも登壇し、処理水の放出開始などこの1年間の作業の進捗(しんちょく)などについて報告した。作業員の身体汚染や汚染水の漏洩(ろうえい)などトラブルが相次いだことについて「組織体として何を行うべきか、いま一度しっかり考える必要がある」と強調した。 10:17 津波で妹を亡くした女性「私が妹に今してあげることだから」 157人が亡くなった仙台市宮城野区蒲生地区にある「なかの伝承の丘」では、近くの誓渡寺(せいとうじ)や京都市の妙心寺の僧侶が法要を開いた。かつての住民ら約30人が参加し、祈りを捧げた。 法要に参加した宮城県塩釜市の氏家清子さん(75)は蒲生地区で、津波から車で逃げていた妹(当時57)を亡くした。当時は、津波が到達した夕方の時間帯になると、涙が止まらなかった。 「今も3月11日の夕方は涙が出てくる。でも、私が泣いてたら、妹は安心してできない眠れないから、笑顔を心がけています」 震災から13年の時が経ち、参加者は年々減っているという。それでも、氏家さんは「腰が曲がってでもくる。それが、私が妹に今してあげられることだから」。 10:03 減る月命日の墓参 大槌町の夫婦「彼岸だけにしようかと」 岩手県大槌町の佐々木徳志さん(73)が妻と同町安渡の墓地を訪れた。震災で亡くなった母のナツさん(当時84)と親類に手を合わせた。 ナツさんは高台に避難したが、津波に流され、大槌湾内の蓬萊島付近で見つかった。墓は、その島を望む丘にある。 「優しくて、字も達筆で裁縫もうまい母でした」 月命日に墓参りに訪れる人が減っている。佐々木さんも「先に死んだ父が、なぜ俺の命日には来ないんだと怒られそうなので、(墓参りは)彼岸だけにしようかと思っている」と話した。 10:00 南三陸町の海岸で行方不明者の捜索を開始 宮城県南三陸町の泊漁港の海岸で、宮城県警南三陸署員ら10人が、行方不明者を捜索した。 震災後に警察官になったという巡査長は、今回が2度目の捜索。沿岸部の署に配属されることが多く、地域を回る中で震災当時の住民の話を多く聞いた。 「少しでも行方不明者の手がかりを発見できればという思い。丁寧に捜索したい」 県によると2023年9月時点で、南三陸町では211人の行方不明者がいる。 南三陸署の大山栄太地域課長は「捜索の環境は年々厳しくなっているが、帰りを待つ方々の気持ちは変わらないはず」と話した。 10:00 今も415人が行方不明 大槌町の海岸で捜索を開始 岩手県大槌町吉里吉里の小久保海岸では、岩手県警釜石署と釜石海上保安部などの約40人が行方不明者の捜索を始めた。町内では今も415人が行方不明のままだ。 今回初めて、ドローンを使った捜索を実施。釜石署の田中洋二署長は「今まで見られなかったところを、広範囲に見ることができる」と話した。(小泉浩樹) 09:00 慰霊に来られない人の代わりに手を合わせ 女川 宮城県女川町の精神保健福祉士、内海章友(あきとも)さん(49)は町の慰霊碑前で手を合わせた。慰霊に来られない人の代わりに、そして自分のために。 公営住宅で一人暮らしをする高齢者のもとを仕事で訪れると、「つらくて慰霊には行けない」との声を多く聞く。 内海さんのおばもその一人だ。町内で、夫やその親族を亡くし、今は隣の石巻市に住む。「代わりに手を合わせてきて」。そう言われ、毎年慰霊碑に通う。 「スーパーができ、列車が通って、普通に暮らしているように見えても、みんなまだ傷ついている」 慰霊は、内海さん自身の気持ちに「区切り」をつけるためでもある。震災直後、地面に横たわる遺体を横目に、両親を探しまわった。その後7年間、耳の不自由な両親と、実家の石巻市から東京都内に避難した。 職を見つけて女川町に戻ってきたが、「ひどいことをした」「自分だけ逃げてしまった」という気持ちにさいなまれ続けた。 今後は女川、石巻で一生を終えたいという。 「この地に残った人が少しでも生きやすくなるよう、見届けたい。それが生きた人の務めだと思うんです」 09:00 「今も寂しいまま」 慰霊碑に記された名前を手でなで 石巻市 「おばあさん、おじさん、また来たよ」 宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園で、今川栄子さん(61)と夫房一さん(67)が、慰霊碑に記された祖母の斉藤咲子さん、叔父の斉藤忠一さんの名前を手でなでた。 おおらかでおしゃべり好きな祖母は、90歳を過ぎても社交的な人だった。北上地区にある自宅にいて、津波にのまれた。迎えに行った叔父も犠牲になった。 今川さん夫妻は当時、雄勝地区に住んでいた。自宅は全壊したが、たまたま用事で仙台に出かけており、無事だった。 自宅は石巻市街地の近くに再建した。散歩で祈念公園の近くを通ると、必ず慰霊碑に立ち寄る。 「気持ちは今も寂しいまま。もっと色々なことがしたかった。一緒に旅行にも行きたかった」 08:00 「教訓を発信し続ける」 大槌町の旧役場庁舎跡地、職員と遺族が献花と祈り […]