能登半島地震の被災地では、上下水道の損傷が大きく広がったことが復旧の遅れにつながっている。これまでに3回被災地を回り、被災状況を見てきた金沢大学の宮島昌克名誉教授(ライフライン地震工学)は、復旧の難しさを四つ指摘したうえで、「国が本腰を入れなければ、次の災害でまた同じことが繰り返される」と話す。 「被害は近年最大」 宮島教授は水道復旧に時間がかかっている理由の一つ目として、「国内の直下型地震としては被害が近年最大で、多くの水道施設や管路が壊れたことが大きい」と指摘する。 二つ目は構造的な要因だ。大都市にみられる網の目状とは異なり、上流につながっている太い水道管から各家庭へ放射線状に細い水道管が広がっている。 この太い水道管を直さない限り通水できず、漏水調査して修繕し、また漏水箇所がないか確認し、という「尺取り虫に似たような方法なので時間を要する」という。 三つ目は地理的な要因だ。奥… この記事は有料記事です。残り1058文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
市民3万人の住まい再建「とにかく早く」 13年を経た元市長の反省
現場へ! 能登へ 首長の教訓② JR石巻駅(宮城県石巻市)の東側に、旧北上川の雄大な流れが広がる。川幅が広く、河口が近いことを実感できる。 駅から川へ向かう途中の中心市街地を歩くと、空き地やシャッターを閉じた建物が目立つ。 目抜き通りの楽器店は閉店したまま。向かいの空き地は、ずいぶん長い間そのままだ。 東日本大震災で、石巻市の人的被害は被災自治体で最大だった。行政は「コンパクトでにぎわいのあるまちづくり」を掲げ、津波で被災した川沿いエリアの再開発などを進めた。だが、にぎわっているとは言いがたい。 石巻市長を3期務め、2021年に引退した亀山紘(81)は、日課の散歩の時にいつも考えることがある。 「中心街のにぎわいがないと、復興したと自信を持って言い切れないな」 13年前の発災直後、それを思う余裕はなかった。 沿岸部の家々は広範囲に津波… この記事は有料記事です。残り925文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
一審で死刑判決の工藤会トップ、控訴審の判断は 12日に判決
四つの市民襲撃事件で殺人などの罪に問われ、一審で死刑判決を受けた特定危険指定暴力団工藤会のトップで総裁の野村悟被告(77)と、無期懲役判決を受けたナンバー2で会長の田上不美夫被告(67)の控訴審判決が12日、福岡高裁で言い渡される。2人が事件に関与した直接的な証拠がないなかで、「厳格な序列の定められた暴力団組織」でトップが意思決定に関わったと推認した一審判決が維持されるか否かに注目が集まる。 一転して関与認めたナンバー2 「総裁は何もしていない」 起訴状などによると、両被告は1998年の元漁協組合長射殺事件、2012年の元福岡県警警部銃撃事件、13年の看護師刺傷事件と14年の歯科医師刺傷事件に関与したとされる。 両被告は一審では一貫して無罪を主張。しかし田上被告は二審で主張を一変させ、2事件で「(野村被告に相談せず)独断で指示した」と関与を認めた。 被告人質問で田上被告は、野村被告の施術を担当していた看護師が刺傷された事件については「(野村)総裁が馬鹿にされたと聞いてカッときた。見せしめのため、一生傷が残って恥ずかしい思いをすればいいと思った」と話した。 主張を変更した理由について一審で野村被告に死刑判決が出たことを念頭に、「総裁は何もしておらず、全く関与していないのに、推認推認で死刑になった。申し訳ない気持ちになった」と説明した。 野村被告は一審に続いて全事件の関与を否定。田上被告が関与を認めたことについては、「私のことを思いすぎてくれるくらいの人間やから(田上被告に)すまんなと思っている」と話した。 検察側は最終弁論で、看護師刺傷事件について「野村被告が事件の意思決定をした事実を隠し、田上被告が意思決定者であると取り繕うため、不自然かつ不合理な虚偽弁解に終始せざるをえなかった」と指摘。「一審判決は論理則、経験則に違反する不合理な点はない」と述べた。 高裁は、弁護側が提出した複数の現役組員の陳述書など約150点の証拠のうち、両被告の陳述書など3点のみを採用しそのほかは却下した。公判中、弁護側が請求した「新証言をする組員の証人尋問」の採用をめぐり、弁護人が強い口調で異議申し立てをする場面もあったが、採用されなかった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
復興で「安全な町」になったはずが 限界集落の懸念、町長の教訓とは
現場へ! 能登へ 首長の教訓① 宮城県南三陸町の湾岸に、東日本大震災の復興事業で整備された「うみべの広場」がある。ここに2体のモアイ像が並ぶ。 「1960年のチリ地震津波を縁にチリと町が友好を深めた証し。新しい方は震災から2年後にチリから贈られ、復興する町を見守ってきた」。公務の合間に立ち寄った町長の佐藤仁(72)は説明した。そして、この13年間を能登半島地震被災地の「これから」に重ねる。 像の前に広がるかさ上げ地はかつて町の中心街だった。住宅や役場は高台へ移った。湾沿いに点在する漁業集落も高台へ集団移転した。 「安全な町」になったはずだが、佐藤の表情はさえない。 「時間とともに空き家が増えて限界集落になりそうだ」 震災後、町は27カ所の移転地を造成。国が「10戸以上」の原則を特例で「5戸以上」に引き下げたのを受け、11カ所が1桁の小規模になってしまった。 「住民の意向だった。でも人口減と高齢化を考えれば、もっと議論し集約すべきだった」 能登でも集落再建が課題。南三陸町と似て、山が海に迫る地形なので、佐藤にはひとごとと思えない。 被災者の意向に沿うか、反対されても持論を貫くか――。 能登ではホテルや旅館も2次… この記事は有料記事です。残り889文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
朝市の大火、焼け残った輪島塗 「復興支えたい」と和菓子店が即売会
能登半島地震の後、大規模な火災で一帯が焼失した石川県輪島市の「輪島朝市」。国の重要無形文化財・輪島塗の産地でもあるこの地区で、焼けずに残った漆器があった。輪島塗の復興を支援しようと、大津市で展示即売会が開かれている。長年の付き合いがある和菓子店が企画した。20日まで。 すすで黒くなったおわんや重箱が、被害の大きさを物語る。大津市の会場には約100点の漆器が並び、ほのかに煙のにおいが漂う。被害を知ってもらうため、すすのついた飾り皿なども展示している。 製造元の「小西庄五郎漆器店」は、輪島朝市の中ほどにあった。江戸時代から、輪島塗漆器の製造・販売を手がける。2代目と3代目が、庶民でも買い求めやすいよう、年賦で払う販売方法を考案。行商で顧客を開拓し、全国に輪島塗を広めたとされる。 いまは8代目の小西泰輔さん(72)と、9代目で長男の弘剛(ひろよし)さん(43)が切り盛りする。弘剛さんの妻・紋野(ふみの)さん(40)は蒔絵(まきえ)作家だ。 「人生そのものが…」瞬間を見届けた 元日の夕方、泰輔さんは店舗… この記事は有料記事です。残り1179文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
知らずに受けていた「福島の電力の恩恵」 埼玉から移住の女性の願い
福島県双葉町にあるJR常磐線の双葉駅西口を出ると、真新しい町営住宅が並ぶ。そのうちの一軒に、埼玉県から移住した島美紀さん(52)が暮らしている。 埼玉県春日部市で、家族と暮らしていた島さんは、2022年7月、福島県楢葉町に単身で移住。双葉町での居住制限が解除された後の昨年4月、当初から望んでいた双葉町での生活を始めた。 震災発生当時、埼玉県のホテルの宴会場に勤務していた。震災後、開かれる宴席のメニューに「福島県産の食材は使用していません」というメッセージが書かれていた。ショックを受けた。「福島というだけで、どうしてこんなに傷つけられなければならないのか」 2021年、転職していた埼… この記事は有料記事です。残り651文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません こどもと被災地 東日本大震災が起きてからの13年という月日は、子どもが大人へと成長するほどの長さです。それぞれの土地で暮らす子どもたちの物語。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
いつもドアたたくと「はい」と出てくるのに 郵便局員が気づいた異変
高木文子2024年3月9日 10時25分 ノックすると、鍵のかかったドアの向こうから「助けてください」というか細い声が聞こえてきた。 2月16日の昼下がり。岐阜西郵便局員の紺田龍司さん(29)が岐阜市内の一軒家に配達に訪れた時のことだ。住民の80代の男性はなじみのお客さん。いつもあいさつを交わし、ドアをたたけば「はい」と返事をして出てきてくれる。ドアが開くまでの時間も想像できた。 「助けなきゃ」。郵便配達をして9年目。初めての経験だったが、その後の対応は冷静だった。 まずは「状況の把握」と心を落ち着かせた。「いつから倒れていますか」「近くに携帯電話はありますか」。男性とやり取りしてから110番通報し、たまたま家を訪れた男性の同僚にも声をかけ、手分けして救急車を呼んだ。 「日ごろから地域でしっかりあいさつしてコミュニケーションしていたおかげで、わずかな異変に気づくことができた」と紺田さん。つまずいて玄関前で倒れていた男性は病院に搬送され、命に別条はなかったという。「とても安心しました」 人命救助に貢献したとして、紺田さんには3月8日、岐阜県警岐阜北署から感謝状が贈られた。加藤強署長は「機転の利いた対応で尊い命を救うことができた。本当に素晴らしい」とたたえた。(高木文子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
女性と家と戦争について問い続ける 「反戦の詩人」小原麗子さん
岩手県北上市の詩人・小原麗子さん(88)の自宅は、「麗(うら)ら舎」と呼ばれています。岩手の「おなご」たちが集って語らい、文章を書き、自らの「生」を取り戻す場になってきました。農村に身を置きながら、女性と家、戦争について書き続けてきた小原さん。インタビューに膨大な詩作や文章を交え、半生を振り返ります。 「世間の話のとおり、嫁の私の態度が悪かった。死ねば、痛くもないし、世間の話も耳に入らない」 1945年7月、小原さんが10歳のとき、姉は遺書を残して命を絶ちました。農村で嫁は「角のない牛」と言われ、忍従が求められた時代。過労がたたって病気になり入院中だった姉は、従軍中の夫が戦死したといううわさをきいて、命を絶ったのです。しかし、戦死は誤りで、のちに姉の夫は生還しました。 《姉を追い詰めたのは、「病気」だったのでしょうか。「世間」だったのでしょうか。「国の非常時に死んでゆくのは申し訳ない」「戦地の兄さん(夫)に申し訳ない」と姉は遺書にしたためました。国と夫。姉は、男の体制に詫(わ)びたのか》 世界では戦闘が続き、女性も兵士となっています。暴力や抑圧に苦しむ人も絶えません。戦争が人々に及ぼす影響とは。戦争とジェンダーについて考える研究者や平和活動に尽力する識者らに聞きます。 《国と夫に囚(とら)われて… この記事は有料記事です。残り2476文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Think Gender 男女格差が主要先進国で最下位の日本。この社会で生きにくさを感じているのは、女性だけではありません。性別に関係なく平等に機会があり、だれもが「ありのままの自分」で生きられる社会をめざして。ジェンダー〈社会的・文化的に作られた性差〉について、一緒に考えませんか。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
旧大河ドラマ館の活用「難しい」 徳川家ゆかりの品、展示施設検討で
大平要2024年3月9日 10時35分 徳川記念財団(徳川家広理事長)などが所有する徳川家ゆかりの美術・工芸品の収蔵・展示施設の整備を検討している浜松市は8日、現時点の検討状況を有識者委員会に報告した。1月に閉館した大河ドラマ館の跡地利用をめぐり「建物や敷地を活用した施設の整備は難しい」との見解を示し、さらに検討を続けるとした。 同財団は、東京都内などに分散して所有している約2万点をすべて浜松市内に移す意向を伝えている。国の重要文化財や刀剣類もある。 現在の旧ドラマ館の建物をそのまま活用した場合、展示室と収蔵庫に、それぞれ約300平方メートルしか確保できない。市は国の指針に加え、ほかの施設の事例を調査した結果、展示施設に800平方メートル、収蔵庫には少なくとも600平方メートルが必要で、再整備は困難だとした。 また、既存建物をすべて解体して敷地に新たに施設を建設した場合には、「広場から浜松城天守が見えない」とし、景観上の問題も生じるという。 一方、展示や収蔵に「のぞましい施設」を新たに整備する場合、概算で65億2千万円かかるとの試算も公表した。ドラマ館をすべて活用した場合の23億6千万円のおよそ3倍で、有識者委員から「実現には市民の理解が必要だ」との意見も出された。市は、基本計画の決定を今秋以降に先送りする方針も示した。(大平要) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
まるでミニイプシロン? 発射近づく民間ロケット、開発6年なぜ完成
設立から6年の日本のベンチャー企業が、小型ロケットの打ち上げに初めて挑む。めざすのは、「宇宙宅配便」サービス。ただ、運ぶためのロケットは、開発中も含め公開されていない。いったい、どんなロケットなのだろうか。 ベンチャー企業「スペースワン」(東京都)が開発したのが、小型ロケット「カイロス」。契約から打ち上げまでの時間を短くするなどの思いから、「時」をつかさどるギリシャ神話の神の名に由来する。 3月9日午前11時1分、和歌山県串本町にある発射場から打ち上げ予定。小型衛星1機を高度約500キロの軌道に乗せることがミッションだ。 衛星は、内閣官房が運用する本物の衛星。爆発などトラブルがつきもののロケット開発において、打ち上げ経験のない会社が、初号機から荷物を運ぶのは珍しい。 奈良の大仏と同じ高さ カイロスは、全長約18メートル、直径約1.4メートル、重さ約23トン。高さは奈良・東大寺の大仏(台座を含む)とほぼ同じ。重さは荷物を載せた大型トラック並みだ。 特徴は固体燃料を使う点にある。 花火のように、燃料を混ぜて固めた固体燃料ロケットは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)などが打ち上げたH3などの液体燃料ロケットと比べて、部品が少なくて開発が比較的容易とされる。 とは言え、スペースワンは2018年に発足したばかり。時間のかかるロケット開発は、一筋縄ではいかないのが普通だ。 JAXAの的川泰宣名誉教授(宇宙工学)は「日本が培ってきたロケット技術が積み重ねられている」とみる。固体燃料ロケット「イプシロン」を手がけるIHIエアロスペース(東京都)が参画していることが大きいという。 70年続く「ロケット屋」から技術者が出向 日本の固体燃料ロケットの歴史は1955年、全長23センチのペンシルロケットに始まり、日本初の人工衛星を打ち上げたラムダ、小惑星探査機「はやぶさ」を運んだM(ミュー)5、現在のイプシロンへと進化してきた。 ペンシル以来、固体燃料ロケットを70年近く製造する企業が、IHIエアロスペース(前身を含む)だ。同社によると、技術者十数人がスペースワンに出向し、開発に従事。社内の工場でロケット部品も製造した。 「イプシロンをつくった当社の技術が応用されている」と担当者。スペースワンの豊田正和社長も「ゼロからの出発なら相当時間がかかった」と語る。 カイロスは、3回加速する3段式ロケットと、軌道投入するための小型エンジンからなる。構成はイプシロンと同じだが、カイロスの方が一回り小さい。「『ミニイプシロン』のようだ」と表現するロケット開発者もいた。 一方、「ミニ」ゆえの難しさ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル