6月30日、東京電力福島第一原発事故で被害を受けた福島県大熊町の一部で避難指示が解除された。対象区域は、町の面積の1割だが、事故前は住宅街で役場もあり、町の中心部だった。住民の登録数は約5900人で、町全体の6割になる。
ただ、町が住民基本台帳で把握する住民の数は6人(7月4日現在)。昨年12月に始まった準備宿泊の登録も18世帯49人にとどまった。直近の住民意向調査では回答した2185世帯の約58%が「戻らないと決めている」と答え、将来的な希望を含め「戻りたいと考えている」は13%だった。
11年以上、人が住めなかった現実が重くのしかかる。
避難指示が解除されたばかりのJR大野駅の西側では、建物の解体が進み更地が広がる。かつては居酒屋に魚屋、家電店などが並ぶ商店街だった。
毎朝、仕事で駅の清掃をしている伏見明義さん(71)は、窓から見える風景を眺め「小さい頃から住んでいた街だからやっぱり寂しいねぇ。町が良くなるために犠牲を払ってるんだ」と言い聞かせるようにつぶやいた。3年前から、町で最初に避難指示が解除され、復興拠点として整備が進む大川原地区に夫婦で暮らす。少しでも町の役に立てればと約2年前から清掃の仕事をしている。
今後は駅近くの避難指示が解除された地域にある自宅に帰るつもりだ。
昨年11月末、避難指示の解除前に先行して行われた立ち入り規制緩和の方が、生活への変化は大きかったという。「自宅なのに帰れるのが1年で(最大)30回に制限され、草かってもすぐボウボウ。家に来てもかえって現実が見えて、逆に気分が落ち込んでた……」。町の今後には「ただこれからを見守っていくだけ」。
大野駅で目に留まるのは、町の公式マスコットが描かれた生活循環バスだ。大川原地区と駅の間は、年中休みなく1日10往復走る。電動で定員は24人。ただ、朝と帰宅時間帯以外に駅で乗り降りする人はほとんどいない。
平日の夕方、運転手のひとりに乗客の現状を聞くと「さっき交代したバスの運転手は『始発から昼過ぎの交代まで乗ったのは3人だけだった』って言ってたね」と教えてくれた。
町の担当者は「乗客は片道1人か2人程度。避難指示が解除されても乗客の数に変化はないが、まずは住民の利便性を高める先行投資だと考えています」。
午後5時を過ぎる頃には解体作業員などがいなくなり、鳥や虫の声がいっそう際立ってくる。午後7時をまわると駅舎以外は真っ暗闇に――。街灯のともっていない駅前の更地を、生活循環バスの前照灯が照らす姿は、復興の厳しさと、その中の小さな生活の営みという現状を象徴しているようだった。
町は今後、この一帯に商業施設や産業交流施設などを整備する予定だ。
ほとんど民家の明かりがつかない中、クリスマスの電飾が輝いている家があった。
避難先の福島県いわき市と大…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル