空を守り、パイロット育て半世紀 F4ファントムが退役

 「ファントム」(幻、お化け)の愛称で親しまれてきた航空自衛隊のF4戦闘機が12月、退役した。日本の領空に近づく外国軍機や国籍不明機への警戒にあたる戦闘機部隊のうち、唯一のF4部隊となっていた「第301飛行隊」が百里基地(茨城県)から三沢基地(青森県)へ移転するのに伴ってF4の運用を終えたためだ。  F4を運用する部隊として最後の第301飛行隊長を務めた岩木三四郎2等空佐は「最後の飛行隊を率いたことを光栄に思っています」と書面で感想を寄せた。  空自の戦闘機のなかで、通信ネットワークや電子装備が充実しているF15やF2が「第4世代」と分類されるのに対し、F4は米国開発の「第3世代」の戦闘機だ。  各国の空軍で採用され、生産総数は約5200機にのぼる。米軍はベトナム戦争にもF4を投入した。日本では1968年に機種選定され、空自は140機を導入。三菱重工業がライセンス生産を担当した。  空自トップで自身もF4パイロットの井筒俊司・航空幕僚長は記者会見で「(空自の戦闘機として)単一機種で最も長い期間(運用されたの)ではないか。防空能力、対艦・対地能力を発揮してきた機体」と話した。  第301飛行隊はF4を運用する最初の飛行隊として、73年に百里基地で編成された。85年に新田原基地(宮崎県)に移動したが、2016年に百里基地へ戻った。12月15日、F4のすべての運用を終えて三沢基地に移転。新たに、最新鋭ステルス戦闘機F35Aを運用する飛行隊として改編された。  岩木2佐は、F4の総飛行時間約3千時間で、生粋の「F4ライダー」だ。書面を通じた朝日新聞の取材に対し「多くの先輩方のしんがりとして飛行隊長に就任し、無事にF35Aへとバトンをつなぐ重い使命を常に感じながら勤務してきた。F4は空自における私のパイロット人生のすべて。ファイターパイロット人生をF4だけで歩み、最後の飛行隊を率いたことを光栄に思っています」と答えた。  緊急発進(スクランブル)の任務を担当するすべてのF4が退役した一方、空自の装備品の試験を担当する飛行開発実験団(岐阜基地)に配備されているF4の飛行は21年3月まで続けられるという。同基地周辺には、退役を惜しむ「F4ファン」がカメラを手に訪れているという。(土居貴輝) F4とはどんな戦闘機だったのか。記事の後半では、F4とともに歩んできた自衛官が、その魅力を語ります。 ベトナム戦争の教訓生かした戦闘機  導入から半世紀にわたって日本の空を守ってきたF4戦闘機。元F4パイロットで元空自航空支援集団司令官(空将)の織田邦男氏(68)に、F4の導入が空自の運用や米軍との連携、その後の戦闘機の整備に与えた影響について聞いた。  ――織田さんにとって、F4戦闘機とともに歩んだ自衛官人生と伺いました。  「国防会議で空自へのF4の導入が決まったのが1969年。翌70年に防衛大学校に入った。(卒業後、航空自衛官として任官する予定の)航空要員になり、74年に卒業した時にはF4の飛行隊が編成されていた。その後、F4のパイロットとなり、長くスクランブル任務につき、飛行隊長も経験した。2009年に退官するときもF4は現役。戦闘機の一般的な運用期間から考えればパイロットは戦闘機の生まれと終わりをみとるものだが、逆にF4にみとられて退官した」  ――F4に指名されたときの心境は。  「戦闘機操縦課程では単座のF……

「十万石まんじゅう絶対買う」羽鳥慎一さんに宿る埼玉愛

 「ださいたま」と揶揄されることもある埼玉県に、強い愛着を感じている人がいます。羽鳥慎一さん(49)と斎藤ちはるさん(23)です。 テレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」でコンビを組む2人は埼玉出身。ムーミンバレーパークから十万石まんじゅうまで、埼玉をテーマに熱く語り合いました。  羽鳥 斎藤さんはどこの出身ですか。  斎藤 さいたま市です。  羽鳥 でた。さいたま市のどこだった?  斎藤 中央区です。北与野です。  羽鳥 北与野。埼京線が走っているね。いつまで? 拡大する埼玉への思いを語る羽鳥慎一さん=北村玲奈撮影 〈はとり・しんいち〉 1994年に日本テレビへ入社し、2011年に退社。フリーアナウンサーとなり、同年4月からテレビ朝日「モーニングバード!」、15年9月から「羽鳥慎一モーニングショー」でキャスターを務める。1日午前6時から「羽鳥慎一モーニングショー新春特大スペシャル」を放送予定。  斎藤 一番最初は2歳から6歳ぐらいまで所沢で、そこからさいたま市です。  羽鳥 ちょっと都会にきたんですね。埼玉は東京より住みやすい?  斎藤 うーん。東京に来てあんまり違いを感じない。  羽鳥 ほんとかよ。  斎藤 (笑)  羽鳥 それは言い過ぎじゃない。…

大雪警戒、首相「不要不急の外出控えて」「先手先手で」

 年始にかけて日本海側を中心に大雪が予想されていることを受け、政府は30日夕、首相官邸で関係閣僚会議を開いた。菅義偉首相は「大雪に備えるため、不要不急の外出は控えてほしい」と国民に向けて呼びかけた。  首相は、今月中旬の大雪では、関越自動車道で多数の車が長時間立ち往生したと説明。その上で、備えの確認と、国民への迅速でわかりやすい情報発信の徹底など「先手、先手の対策を講じ、安全・安心の確保に万全を期す」ことを閣僚らに指示した。また、大雪が予想される地域の住民らに対し、最新の気象情報や道路交通情報に留意するよう注意も促した。 Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

夢見て渡った日本で「死ね」「帰れ」 技能実習生の明日

【TBSラジオ「荻上チキ・Session」 in 朝日新聞ポッドキャスト】⑤  日本に来る技能実習生が増え続けてきたなか、多くの人が厳しい生活を強いられています。職場で「死ね」「帰れ」と言われたり、急に解雇されたり。命を絶つ人もいるそうです。  TBSラジオ「荻上チキ・Session」で放送された「朝日新聞ポッドキャスト in Session」で、パーソナリティーの荻上チキさん、南部広美さんと、朝日新聞の神田大介・コンテンツ編成本部音声ディレクターが語っています。朝日新聞デジタルでは、放送で流せなかった部分も含めたディレクターズカット版をご紹介します。その一部を記事にして公開します。 このほかディレクターズカット版では、経済危機で困窮したベネズエラの話題にもなりました。読者の声を代弁するポッドキャストのあり方も議論します。ぜひお聴きださい。     ◇ 荻上:技能実習生の方々が、コロナ禍で生活が大変になっています。このテーマについて、朝日新聞はたくさん記事を掲載していますね。 神田:ベトナム人は約41万人いて、2009年から10倍に増えたと言われています。ただ、コロナの影響で日本人でもなかなか仕事がない状況です。ベトナム人は雇用の調整弁になっていて、厳しい状況になっている。 荻上:技能実習制度で来られる方は、多額の借金を背負っている方も多いですよね。それを返すために劣悪な労働を強いられても、逃げることができない。そういった問題は、多くの方がご存じだと思います。今回リポートした平山亜理記者は、どんな方ですか。 神田:平山記者はブラジル生まれで、幼い時はエジプトに住んでいました。朝日新聞でもロサンゼルス支局長兼ハバナ支局長となり、アメリカとキューバの国交正常化や、銃乱射事件などの取材を担当していました。現在は東京本社社会部の武蔵野支局にいます。 荻上:そんな平山記者が取材した、技能実習生に関するリポートの一部をご紹介します。     ◇  「コロナの関係で、失業しました。技能実習生として来たんですけど、いまベトナムで小さい子ども、2人いる……」 平山:話しているのは、ティック・タム・チーさんという、ベトナム人の尼さんです。埼玉県本庄市の大恩寺で、大勢のベトナム人の若者を預かっているんです。…

片目のだるま、願い込めて 宮澤さん母に寄り添う元刑事

 家族4人が殺害された世田谷一家殺害事件から31日で20年。刑事として64歳までの16年間、遺族を支え、退職後も宮澤みきおさん(当時44)の母の節子さん(89)に寄り添う人がいる。警視庁捜査1課の元刑事松森みつ子さん(66)。事件を解決できない申し訳なさ、悔しさを胸に、容疑者逮捕の報を待ちながら、支援を続ける。  埼玉県の節子さん宅の居間には小さなだるまが五つ並ぶ。松森さんが定年後に毎年一つずつ贈ってきた。どのだるまも片目だけ。事件が解決したら2人で目を描く約束だ。  遺族を担当する刑事は、寄り添いながら、犠牲者の生前のことを聞くなどして事件解決の糸口を見つけるのが役割だ。捜査のセンスはもちろん、共感する力が求められるという。  松森さんが担当を命じられたの… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

一家殺害事件を解決したい…時効撤廃へ動いた元警察署長

 家族4人が殺害された2000年12月の世田谷一家殺害事件は31日で発覚から20年になる。殺人の公訴時効が10年に撤廃されなければ、15年末で時効を迎えていた。各地の遺族が手を取り合って声を上げたことで実現した時効撤廃。彼らを陰で支えたのは世田谷事件の捜査を警察署長として指揮した男性だった。「捜査を続けられる体制はご遺族が整えた。警察は威信にかけて解決して欲しい」と期待をかける。  土田猛さん(73)は、警視庁が世田谷事件の捜査本部を置く成城署で05年10月から署長を務め、07年3月に定年退職した。  重大事件の解決は国民の体感治安を左右すると言われ、警視庁にとってこの事件は最重要案件の一つとされる。  署長時代、解決の糸口を決して見逃さないため、1日も欠かさず署員にこの事件の話をしたという。街のパトロール、交通事故の処理、空き巣の捜査、警察署での来客対応――あらゆる現場で意識してほしかったからだ。自身も交通安全や犯罪抑止のイベントでは必ず、市民に情報提供を呼びかけた。捜査も従来とは違う切り口で聞き込みをするなど、試行錯誤を繰り返した。 引退後も事件が頭から離れず…  未解決のまま退職したが、署を去る際、自身に「やるべきことはやった」と言い聞かせた。気持ちの整理はできたはずだった。  しかし、引退しても頭から離れ… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

不安な年の瀬、西成で相談会 食料や住まいなども提供

 新型コロナウイルスの感染拡大による影響で仕事を失ったり収入が減ったりし、年末年始の生活が不安な人たちを救おうと、大阪市西成区のNPO法人などが30日から緊急相談会を始めた。必要な人には、食料や年明けまでの住まいを提供する。  相談会は西成区太子1丁目で開かれた。NPO法人の「釜ケ崎支援機構」や「ビッグイシュー基金」などが連携。この日は対面に加え、メールや電話で連絡があった計6人の相談に乗った。近くのビジネスホテルの計20室を来年1月7日まで確保し、必要だと判断した人に提供するという。  相談に来た男性(37)は大阪市内の実家に身を寄せながら仕事を探している。「コロナで仕事は見つからず、貯金を切り崩す生活で不安しかない。1日1食で過ごしているので、食料がとてもありがたい」。釜ケ崎支援機構の小林大悟さん(34)は「本当に先行きがわからない。精神的に疲れ、心を削られている人たちが多い」と話した。  ビッグイシュー基金の高野太一さん(39)によると、相談者はこれまで、高齢男性が多かったが、最近は女性や若い男性も増えているという。「家はあるけど支払いが回らないという人もいる。既存のホームレス支援の枠組みではサポートしきれない人が増えている」と話す。  緊急相談会は来年1月3日まで開催(午前10時~午後3時)。ウェブサイトの相談フォーム(https://peraichi.com/landing_pages/view/coronasoudan)でも受け付けている。(狩野浩平) Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

国内で3852人感染、過去2番目の多さ 59人死亡

 新型コロナウイルスの国内の感染者は30日午後9時35分時点で、新たに3852人が確認された。1日あたりの感染者数としては、26日の3882人(修正値)に続いて過去2番目に多かった。感染拡大に歯止めがかからない状況が続いている。死者は59人だった。  東京都では944人の感染が確認され、26日(949人)に続いて過去2番目に多かった。水曜日としては最多で、16日連続で曜日ごとの最多を更新した。市中感染の広がりを示す陽性率も27日時点で8・4%と、緊急事態宣言解除後で最高を更新した。  愛知県では294人、福岡県では189人の感染が確認され、いずれも過去最多。神奈川県で432人、大阪府で307人に上るなど、都市部をはじめ各地で感染拡大が続いている。  厚生労働省は、南アフリカやア… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

Yu Darvish headed to Padres as part of seven-player trade

San Diego – The aggressive San Diego Padres traded for another big arm on Tuesday…

世田谷一家殺人事件から20年 遺族「真実を知りたい」

 東京都世田谷区の会社員宮澤みきおさん(当時44)方で4人が犠牲になった「世田谷一家殺害事件」から20年。警視庁は延べ28万2千人超の捜査員を投入してきたが、事件は未解決のままだ。誰が、なぜ殺害したのか。遺族は容疑者逮捕の報を待ち続ける。  事件発覚は2000年12月31日。みきおさんと妻の泰子さん(当時41)、長女にいなさん(同8)が刺殺され、長男礼君(同6)が絞殺されているのが発見された。現場には血痕や指紋、衣類といった犯人の遺留品が多数残されていた。  警視庁がこれまで照合した指紋は約5千万件に上る。警察が所有する侵入犯罪などの前歴者の指紋に加え、4人の知人や聞き込み捜査などで確認が必要と判断した人からも任意で採取してきた。  市民からの情報提供は今年11月までに1万3658件。今年だけで100件を超える。長い月日が過ぎた事件としては異例の多さで、警視庁は1件ずつ関連を調べてきた。事件から約7300日。地道な作業が続くが有力情報はない。動機も不明のままだ。  みきおさんの母の節子さん(89)は警察からの容疑者逮捕の連絡を待ち続ける。「今日もダメだった」とカレンダーに斜線を入れるのが日課だ。「一日一日は長いが、過ぎてみるとあっという間だった。もう20年かという気持ち。証拠がたくさんあるのになぜ解決できないのか。もどかしい」  今月中旬、支援者に誘われて現場を訪ねた。4人の死を実感するのが怖く、室内には一度も入っていない。この日も2階建ての家を外から見つめた。にいなさんと礼君が駆け寄って来る姿が頭に浮かんだ。  みきおさん夫婦は共働きで、節子さんは週に2回、埼玉県の自宅から世田谷を訪ね、子どもらの面倒をみた。電車とバスを乗り継いで片道2時間。近くのバス停に着くと、玄関先で待っていた2人が「ばあちゃん!」と声を上げて駆けてきた。近くの公園で遊び、夕飯を食べさせた。2人とも好き嫌いせず、いつもきれいに食べた。クリスマスや誕生日に2人が作ったケーキ、にいなさんの歌声、運動会の応援――。大切な思い出をたくさんくれた、かけがえのない家族だった。  「なぜ事件が起きたのか、なぜ幼い孫まで殺されたのか、真実を知りたい」(滝口信之、高島曜介)  世田谷一家殺害事件 2000年12月、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮澤みきおさん方で発生。現場には犯人の遺留品が多数残され、アイスクリームを食べ、茶を飲み、みきおさんのパソコンで劇団のサイトを見た跡もあった。室内を物色し、銀行のカード類を並べていたため金品目的との見立てや、一家の知人による犯行との見立てもある。犯人の血液型はA型、身長は170センチ前後。DNA型から外国にルーツがある可能性もあるという。  未解決の原因については、指紋などの物証に期待しすぎるあまり、初動捜査で関係者や通行人などへの聞き込みが甘かったためではないかとの指摘もある。  事件解決に結びつく情報を提供した人には公的な特別報奨金(上限300万円)と、地元有志らの私的懸賞金(上限1700万円)が支払われる。情報は成城署捜査本部(03・3482・3829)へ。 Source : 社会 -…