入学しない大学に二十数万円もの入学金を払わなくて済むよう、各大学の納付期限を遅くしてほしい――。大学受験で生じる重い負担に疑問を抱き、現状を変えようと動き始めた学生がいる。社会の経済格差が広がり、高額の入学金を負担できる家庭ばかりではなくなっている。長年続く慣習は、変わらないのか。(桑原紀彦) 入学金24万円 ふだん仲の良い両親が 「私立に行かせることは考えていないから」 東日本の私立大に今春入学した女子学生(18)は、大学受験を前に親からそう告げられたという。父は公務員、母はパート。国立大に通う3歳上の兄が一人暮らしをしており、仕送りが必要なため家計に余裕はない。 地元の公立大が第1志望だったが、今年2月初旬に受けた私立女子大に、まず合格した。この大学の入学金納付期限は、第1志望校の合格発表前。入学の権利を確保しておくには入学金24万円を払う必要があった。 親は入学金を振り込んでくれ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:3624文字/全文:4028文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
墓参りしてるのは誰? 絶縁した兄妹、年2回のいたずら
ケイコさんの父と叔母(父の妹)は、ほぼ絶縁状態にある。 お互いの存在を確認するのは年2回、両親の命日の墓参りを通じてだ。 父「あいつ、墓の掃除には来てるみたいや」 叔母「兄さん、ちゃんと墓参りだけはしてるんやね」 ケイコさんの祖父の命日は7月で、今年も墓前には立派な花が生けられ、線香があげられていた。 ◇ もともと親しい兄妹というわけではなかった。 それでも、お中元やお歳暮を贈り合い、冠婚葬祭に参加するぐらいの仲ではあった。 きっかけは、不動産の相続でもめたこと。 10年ほど前に絶縁し、お互いに「いなかった者」として暮らしている。 2人には、気づいていないことがある。 命日の墓参りで、兄が先に行っても、妹が先に行っても、必ず花は供えられている。 お互いに相手が供えたものだと思っているが、実はそうではない。 2人を思って供えていたのは… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1010文字/全文:1398文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
死んだ敵兵が「宝の山」 手紙を読み込み投降促すビラ
【テーマ動画】砂上の国家 満州のスパイ戦 草原で強烈な臭いを放つ死体でさえも、彼らにとっては「宝の山」だった。 1939年、日本の傀儡(かいらい)国家の満州国とモンゴルの国境地帯で、日本とソ連の両軍がぶつかったノモンハン事件。日本の関東軍がつくった「戦場情報隊」は、最前線に出て、敵の情報を取ってくるのが任務だった。 死んだ敵兵の懐を探り、地図や書類を抜き取る。あるいは、敵の見張り役を拉致して尋問にかける。 「だからとにかく1人でも、死体でもいいし、俘虜(ふりょ=捕虜)でもいいし、とにかく敵の兵隊を捕まえなければ敵情がわからないんでね」 隊を率いた特務機関員の入村松一(にゅうむら・ひさかず)は戦後、アメリカ人歴史家、故アルビン・クックス博士のインタビューに答えている。隊員は、満州に暮らすロシア人やモンゴル人も含めた65人。「極秘」とされた組織をつまびらかに説明した。 部隊にはもう一つ、重大な任務があった。敵の将兵へのプロパガンダや情報工作だったという。その一環として、最前線で敵に、投降を促すビラをまいた。 入村らはふだんからソ連の文献を読み込み、どんな言葉がロシア人の心に響くかを研究していたと語る。敵兵が肌身離さず持っていた家族との手紙も、その分析の対象だった。 「死体から手紙、奥さんや家から来た手紙を全部読んだんです。それはロシア人を使って読みました」 日ソの捕虜を交換する際、仕組まれていた情報工作に元将校は気付きました。 ■雪のようなビラ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:2058文字/全文:2639文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
菊池事件「再審開始を」 地裁に2万8千人分の署名提出
堀越理菜2021年8月11日 9時22分 ハンセン病患者とされた男性が殺人罪などに問われ、死刑が執行された「菊池事件」をめぐり、再審をめざす弁護士らは10日、再審開始を求める2万8292人分の署名を熊本地裁に提出した。 事件で男性は、隔離された「特別法廷」で裁かれた。元患者たちが起こした国家賠償請求訴訟では昨年2月、特別法廷は法の下の平等に反するなどとして違憲とする判決を熊本地裁が出し、確定した。弁護団は11月、各地のハンセン病療養所入所者や支援者ら全国約1200人を請求人とする再審請求書を熊本地裁に提出している。 署名は今年1月から募ったという。提出後の会見で国宗直子弁護士は「事件がただされなければ、隔離政策は間違いだった、手続きは憲法違反だったという判決を何のために今まで得てきたのか分からなくなる。これまでの判決を受け止めた形で(菊池事件の)裁判がやり直されなければならない。隔離政策を問う集大成になる」と話した。署名は今後も集め、次回は男性の命日にあたる9月14日に提出する予定。 事件について関心を高めてもらうため、再審をめざす弁護団は全12回の連続公開講座をユーチューブで開く。第1回は20日に開き、来年7月まで。弁護士や国立療養所菊池恵楓園入所者自治会の志村康会長らが語るほか、熊本や東京で集会もする予定。受講無料で、アーカイブ視聴もできる。 国宗弁護士は「当時、直接の差別をしたのは一般市民だった。よく知らなかったからというのもあったと思う。そういうことが繰り返されないよう立ち上がっていくことが大事だ」と呼びかけた。(堀越理菜) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
飲み込めぬ様子に看守が「鼻から牛乳」 最終報告書要旨
スリランカ人ウィシュマ・サンダマリさんの死亡について、出入国在留管理庁(入管庁)が10日に公表した最終報告書の要旨は以下のとおり。ウィシュマさんは「A氏」と表記されている。 【はじめに】 2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局(名古屋局)に収容されていた30歳代女性、スリランカ国籍のA氏が死亡した。入管庁では調査チームを発足させ、4月9日に中間報告を公表した。その後、職員、医師、A氏の元交際相手など関係者計63人から延べ139回聴取した。 【事実経過】 ●収容に至る経緯 A氏は17年6月29日にスリランカから入国。在留資格は「留学」、期間は1年3カ月、所属機関は千葉県の日本語学校。12月ごろ、アルバイト先で知り合ったスリランカ人男性(B氏)と交際するようになった。 A氏は18年1月までは月1日程度しか学校を欠席しなかったが、5月以降は授業に出なくなり、同校は6月25日にA氏を除籍。4月以降、静岡県内でB氏と同居して自動車部品工場で働き、9月に難民認定申請。9月以降、県内の弁当工場で働いた。19年1月、在留期間更新不許可処分がされて在留資格を失い、不法残留となった。 A氏は20年8月19日、県… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:2715文字/全文:3227文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
中学サッカー部員が逮捕をアシスト 「DF経験生きた」
森下友貴2021年8月10日 10時30分 7月1日夕方、埼玉県川越市内の駄菓子屋に、市立城南中3年の柳川貴音(きお)さん、林皆人(みなと)さん、田中譲士(じょうじ)さんが集まっていた。3人はサッカー部員。この日は部活動がなく、お菓子を買った後に林さんの家で遊ぶ約束をしていた。 駄菓子屋から50メートルほど先の路地で、警察官に追われる黒っぽいTシャツ姿の男が目に入った。男は駆け足で、3人のいる方向に逃げてきた。「悪いことをした人かな」。林さんの体がとっさに動いた。冷静に手元に凶器がないことも確認すると安心できた。「捕まえてやる。逃げられたくない」 車1台がやっと通れるほどの道で両手を広げ、行く手を阻んだ。一直線に向かってきた男は、少しひるんだ様子で減速。「僕は何もしていない」と言葉を発したが、逃げられないように男の体を押して道の端に追いやり、逃げ場を塞いだ。 柳川さんはとっさのことで頭が混乱しながらもスマホで110番通報。すぐに3人の元に警察官が駆けつけた。川越署によると、男は外国人で、民家の敷地内に侵入したとして住居侵入容疑で現行犯逮捕された。 男はこの日、川越市内のスーパーで万引きした疑いがあるとして警察官に職務質問されている最中に逃走。民家の敷地内に隠れるなどした後、3人と遭遇した路地に逃げ込んだ。 3人には小川英規署長から感謝状が贈られた。林さんは「半身になって相手を追い込むサッカーでのディフェンスの経験が生きました」。柳川さんは「これからも防犯に協力したい」。田中さんも「感謝状をもらえて、ありがたいです」と話した。(森下友貴) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
かつて東洋一の水上公園 コロナ禍、さよならも言えず幕
小林祝子2021年8月10日 10時30分 多くの埼玉県民に親しまれた県営さいたま水上公園(上尾市日の出2丁目)のプールが今夏、半世紀にわたる歴史に幕を下ろす。最後は歓声を響かせたい。関係者は新型コロナウイルスの感染対策を徹底して営業するつもりだったが、そこに「第5波」到来。公園を管理する県公園緑地協会には惜しむ声が寄せられている。 さいたま水上公園は1971年7月、県誕生100年を記念し、県内初の水上公園として開業した。7ヘクタールの敷地に七つの屋外プールを備え、ひと夏で80万人以上が訪れたこともある人気施設だった。近年は形の違う三つのプールと高さ10メートルのウォータースライダーで営業。7月末~8月末にオープンし、ここ数年は期間中5万~6万人が訪れていた。 5年ほど前から配水管など施設の老朽化を理由に営業終了が検討され、7月、今年度限りでの閉園が正式に決まった。新型コロナの影響で昨夏営業ができなかっただけに、今年は入場制限など感染対策をした上で最後の営業をする予定だった。ところが、7月半ば以降、県内でも感染者数が急増。「しらこばと」(越谷市)など他の水上公園とともに急きょ2年連続での営業中止となった。 県公園緑地協会には、閉園と営業終了が明らかになって以降、「昨年も行けなかったので最後にぜひ遊びたかった」「寂しい」などの声が多数寄せられているという。担当者も「園内に過去の写真を飾るなど、最後の年を記念して営業するつもりでいたので大変残念」と肩を落とした。 県によると、プールは今後取り壊し、別のスポーツ施設に生まれ変わらせる予定という。 事前購入のチケットは31日まで、購入した店で払い戻しを受けることができる。問い合わせ先は県公園緑地協会(048・640・1593)。(小林祝子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「闇市に立つ少年」は私です 名乗り出た男性の終戦後
終戦直後の千葉市内の様子を紹介するときに必ず使われる写真がある。「闇市に立つ少年」と呼ばれる写真だ。この少年を「私です」という男性が同市稲毛区に健在でいる。どのような経緯で撮影されたのか。戦後の混乱、復興をどう経験してきたのだろうか。 写真の少年を自分だと証言するのは稲毛区の石井進さん(91)。写真を管理する千葉市によると、撮影記録はなく詳細は不明だが、場所は現在の千葉銀座通り(中央区)にあった闇市、1946年秋ごろに撮られたとみられる。 50年前に市が作成した書籍に掲載され、その後も終戦直後の市内の様子を伝える際に繰り返し引用された。写真の存在は書籍を見た知人からの連絡で知ったという。「一目で自分だと分かり驚いた」が、数年前まで名乗り出ることはしなかった。 通っていた県立千葉工業学校から県庁そばの魚屋に間借りしていた自宅に帰宅中に撮られたという。制服を買う余裕はなく、着ているのは払い下げの軍服。終戦時のポツダム宣言にちなみ「ポツダム服」と呼ばれていた。手元にある同級生との写真でも、周囲が詰め襟姿の中、1人この服だ。 写真の焦点は背景の闇市に合わされているため、少年の表情は不鮮明だが、全身から厳しい雰囲気が漂う。このころ石井さんはまだ戦後の混乱の中にいた。生活を一転させたのは、1945年7月7日の米軍による千葉空襲だ。 空襲時、現在の京成千葉中央駅西側にあった自宅にいた。未明の警報で庭に飛び出し、両親に「こっちに来ないか」と声を掛けた瞬間、近くに焼夷(しょうい)弾が落ちた。周囲は火に包まれ、海辺の神社まで1人で逃げた。深夜から雨になり、海を眺めて過ごした。 夜が明けて街に戻ると、焼け… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:745文字/全文:1455文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
青森・風間浦で700人孤立の恐れ 北海道・東北で大雨
山岸玲、土肥修一、大西英正2021年8月10日 11時51分 【動画】温帯低気圧による大雨の青森県むつ市大畑町=安田琢典撮影 台風9号から変わった低気圧の影響で10日、北海道や東北を中心に大雨となった。青森県七戸町では河川で洪水が起きたとして、避難情報の中で最も危険度が高い「緊急安全確保」(レベル5)が出された。 気象庁によると、10日午前9時までの24時間降水量は北海道函館市で289・5ミリと、観測を始めた2003年以降で史上最多に。岩手県普代村で226・5ミリ、青森県平内町は167・0ミリと8月では観測史上最多となった。低気圧は10日に東北を通過して日本から遠ざかるとみられるが、同庁は土砂災害への警戒を呼びかけている。 大雨の影響で、青森県むつ市では10日朝、小赤川にかかる小赤川橋が崩落したほか、風間浦村の国道279号で土砂崩れが数カ所発生。県によると、村民約700人が孤立している恐れがあるという。同県七戸町は午前8時40分ごろ、倉岡川目地区の一部(96世帯計225人)に緊急安全確保を出した。 岩手県では10日朝時点で、洋野町で2棟、宮古市で1棟が床下浸水した。JR東日本盛岡支社によると、八戸線の久慈―階上間で線路に土砂が流れ込み、10日は終日運休することを決めた。 気象庁によると、11日午前6時までの24時間雨量の予想は多いところで、北海道200ミリ▽北陸180ミリ▽東北150ミリ。最大風速は北海道で25メートル、東北と北陸で23メートルが予想されている。(山岸玲、土肥修一、大西英正) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ローマ字教え、クビになった戦前 再評価のいま漂う空気
朗読劇のクライマックス。取り調べシーンに観客約500人は息をのんだ。 取調官 ローマ字を流通させ、日本語をなくし、教育勅語を読めなくして国体概念を消滅させようとしているんだよな。 斎藤 日本語がいらないなんて言っていない。 取調官 転向しろ。すぐに帰してやる。奥さんや娘と会いたくないか。転べ。 斎藤 断る。 7月31日、山形市の市民会館大ホール。斎藤秀一(ひでかつ、1908~40)という言語学者をめぐる朗読劇が上演された。斎藤は戦前、国語のローマ字化を訴えた。5回検挙されても自説を曲げなかった。 朗読劇の佳境は1930年代後半。共産党組織を壊滅させた治安維持法が自由主義者、反戦論者、宗教団体を次々と標的にしていった時代だ。 軍国主義が広まった戦前・戦中にも、反戦を訴えたり、体制に異を唱えたりする人たちがいました。その足跡をたどると、思想や信条を自由に口にできない戦争の実相の一つが見えてきます。記事後半では、斎藤がローマ字化を訴えた理由や、「再評価」が進む時代の空気をひもときます。 朗読劇の演出を手がけた廣野… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1558文字/全文:1895文字 *知る戦争 平和への思いを若い世代へ託そうと、発信を続ける人がいます。原爆や戦争をテーマにした記事を集めた特集ページです。[記事一覧へ] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル