東京都世田谷区を走行していた小田急線の上り電車内で6日夜、複数の乗客が切りつけられるなどした事件で、殺人未遂容疑で逮捕された対馬悠介容疑者(36)=川崎市多摩区=が、警視庁の調べに「逃げ場がなくて大量に人を殺せるから電車を選んだ」という供述をしていることが7日、捜査関係者への取材でわかった。 事件があった電車は停車駅の少ない快速急行で、現場付近は通過する駅が最も多い区間だった。警視庁は計画性があったとみて調べている。 捜査1課によると、逮捕容疑は、成城学園前―祖師ケ谷大蔵間を走行中の快速急行(10両編成)で6日午後8時半ごろ、20代の女子大学生の胸や背中を包丁(刃渡り約20センチ)で刺し、殺害しようとしたというもの。容疑を認め、「6年くらい前から幸せな人を殺したいと思っていた。座っている女性を突き刺した」などと供述しているという。 対馬容疑者は三つの車両を移… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:323文字/全文:711文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
空き部屋に不審な配達依頼が次々 「黒いバイト」の実態
空き部屋を送り先にした荷物の配達依頼が今春から、近畿一円で頻発している。入居者がいないはずなのに、配達員がインターホンを鳴らすと、中から受取人と称する人物が現れる。奈良県では邸宅侵入事件に発展した。逮捕された容疑者の口から漏れてきたのは「黒いバイト」という言葉だった。 大阪府内と兵庫県内のある集合住宅で3月下旬、それぞれを担当する地元の郵便局が異常に気づいた。 「またここか」。配達先は空き部屋のはずだが、人がいて荷物を受け取った。 日本郵便によると、どちらの部屋も短期間に5回の配達が続いたという。郵便局には配達原簿と呼ばれる住所や居住者の名前が書かれた一覧がある。転居届などで転入転出を確認し、配達先の居住実態を把握する仕組み。ただ、転居届が未提出の場合も考慮し、配達原簿で空き部屋とされていても人がいれば、荷物を渡すのが通常の対応という。 同じ空き部屋で複数回の配達業務が連続したことを受け、同社は全国の状況を確認した。近畿支社管内では3~7月末、空き部屋を送り先にした配達依頼は大阪、京都、兵庫、奈良、滋賀の5府県で計約190件あり、うち大阪が最多の約80件、兵庫は約60件だった。同規模の発生は近畿以外では確認されていないという。 近畿支社管内では管理会社などに問い合わせて居住確認を強化している。その結果、現在は空き部屋への配達依頼の9割で、荷物を差出人に戻している。 荷物の中身は何か。誰が何のために。 奈良県警橿原署は6月14日… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:468文字/全文:1099文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
お盆の供物「ゴミ出し心苦しい」 仏教会が回収→供養へ
木元健二2021年8月7日 11時02分 お盆のお供えをゴミに出すのは心苦しい――。そんなひっかかりを覚える人向けに松江仏教会は、16日に開く「お盆送り法要」で供物を回収し供養する。コロナ禍で世間に広がる不安感を見据え、心を和らげられたら、という試みだ。 松江仏教会によると、僧侶らは長年、お盆のころ棚経に回るとき、お供えをほどなくゴミとして出すことへの抵抗感を聞かされてきた。また、例年宍道湖畔で先祖を敬って行ってきた灯籠(とうろう)流しも、昨年に続いてコロナ禍で今年も中止にせざるをえなくなった。「こんなご時世でも、何か、みなさんの安心感につながることができないか」と考え、お盆の供物を回収し、読経供養することを決めた。 松江市内の仏具店や葬儀社などで扱っている専用袋(20リットル、供養料込み500円)に入れた供物を、16日午後3~7時、お盆送り法要会場の白潟公園で受け付ける。問い合わせは龍雲寺(0852・21・9789)へ。(木元健二) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
水泳の授業は民間スイミングスクールで 老朽化に直面
公立小中学校のプールの老朽化に神奈川県内の多くの自治体が直面している。少子化が進み財政状況も厳しさを増すなかでは、建て替えは難しく、修繕を重ねながらの維持管理も負担が大きい。民間のスイミングスクールで水泳の授業を行う例も出てきた。 伊勢原市の商業施設内にある屋内水泳施設「チャンピオンスイムクラブいせはら校」。7月初旬、市立山王中学校の1年生1クラスが、学校からクラブの送迎バスに乗ってやってきた。 授業には体育教師のほか、施設の指導員6人も参加。レベル別の3グループに分けた生徒たちを、約1時間20分、遊びの要素も採り入れながら指導した。宮林英樹校長は「学校のプールでは教師が1人で指導する。ここでは指導員も多く、指導だけでなく、安全面でも子どもたちに目が行き届く」と話した。 1年生の牧内広喜さんは「どきどきしたけど、とても分かりやすかった」。茂崎結彩さんも「コーチは優しくて、すごく褒めてくれた」と楽しそうだ。施設の担当者は「学校の要望に合わせて、きめ細かな指導ができる。指導員にも勉強になる」と話す。 山王中のコンクリート製プールが整備されたのは1982年度。ひび割れが目立ち、水の濾過(ろか)に使うポンプも修理が必要な状態だ。そこで今年度、1年生の5学級178人に、水泳の授業を民間施設を活用して試行することにした。 市教育委員会は学校プールの老朽化について、「財源が限られるなか、校舎、体育館など、学校施設全体の整備を総合的に考えねばならず、優先順位が必要になる」とする。学校プールが授業で使われるのは夏の短期間だけだが、建て替えには1校で1億5千万円程度かかる。そのまま使い続けるにも、維持管理には水道代、消毒薬剤、水質検査、濾過器の点検のほか、部分的な修繕費も含めて1校平均で年に70万~80万円ほど必要だ。大規模修繕があると、1校で1千万円以上が見込まれる。 民間施設を活用すれば、契約内容にもよるが中長期的に費用は抑えられるという。屋内プールだと天候の影響を受けないメリットもある。学校プールの維持管理を担う教員の負担が減り、働き方改革にもつながるという。 コロナ禍で実施できぬ例も 半面、児童生徒の移動や、市… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:628文字/全文:1552文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
犯行声明なく1カ月 「不自由展」破裂事件、消印は兵庫
「表現の不自由展」の関連展示をしていた名古屋市中区の施設に届いた封筒が破裂した事件で、封筒の消印が兵庫県内の郵便局のものだったことが捜査関係者への取材でわかった。 8日で発生から1カ月が経つが、犯行声明は確認されていない。威力業務妨害容疑で捜査している愛知県警は、この郵便局の区域内にある防犯カメラの映像などを分析し、差出人の割り出しを急いでいる。 県警によると、封筒は「市民ギャラリー栄」宛てに郵送され、7月8日午前に施設職員が開封しようとした際に爆竹のようなものが破裂した。電池を使った発熱装置が仕掛けられ、比較的簡単な回路だった。 展覧会の中止を求める一文も添えられていたという。けが人はなかった。 見た目は「普通の封筒」 ギャラリーでは同月6日から国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」出展作品の展覧会が開かれていたが、市側は休館を決め、展覧会は3日目で中止された。 県警は、消印が押された兵庫県内の郵便局の区域に捜査員を派遣。郵便局周辺の防犯カメラの映像に不審人物が映っていないかなどを調べている。 市民ギャラリー栄の関係者は「見た目は普通の封筒だった」と話す。 捜査関係者によると、差出人として右翼団体を連想させる名称が記されていた。 ツイッター上には、同名の団体のアカウントがあるが、事件との関連や活動実態はわかっていない。 県警幹部は「投函(とうかん)した人物と、破裂物を作った人物が同じとは限らないし、思想的な背景の有無も逮捕してみないと分からない」と打ち明ける。 別の幹部は「大きな社会的影響を与えたのは事実。犯人を検挙し、模倣犯を防がなければならない」と強調する。 右翼団体「子どもだましの花火」 期間中、ギャラリー前で街宣活動した右翼団体の幹部の一人は「爆竹にかかわったという団体は聞いたことがない」と話す。 「右翼は街宣車で抗議活動をしている。実行犯は右翼とは異なるグループだろう」 別の複数の右翼団体幹部も「… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あの時支えてくれた方へ 日航機遺族、感謝の読み聞かせ
12日で丸36年を迎える日航ジャンボ機墜落事故で夫を亡くした女性が7日、遺体の安置場所となり、遺族を支えてくれた群馬県藤岡市への感謝を込めて、自らが手がけた絵本の読み聞かせ会をリモートで開く。藤岡市とカナダの友好都市とをオンラインで結び、英語で「春は必ず来る」と話しかける。 「誰にでも人生には冬の時期があると思います。でも諦めずに前を向いて歩いていけば、新しい幸せが来ると信じています」 大阪府箕面(みのお)市の谷口真知子さん(73)は自宅近くの事務所から、こう語りかけるつもりだ。当初は藤岡市内での開催を企画していた。だが、新型コロナウイルスの急拡大でリモートに変更した。 1985年8月12日、出張帰りに羽田発大阪行きの日航機に乗った夫の正勝さん(当時40)を失った。群馬県上野村の御巣鷹の尾根に「まち子 子供よろしく」とメモが残っていた。 谷口さんはショックで倒れ、代わりに当時中学1年の長男が現場へ向かった。テレビを見て驚いた。両脇を抱えられ、遺体が安置された旧藤岡市民体育館へ向かう長男の姿だった。後に藤岡市民らが食べ物や漫画を差し入れて支えてくれたことを知った。 絶望のなか、正勝さんが事故の5年前に庭に植えた柿の木が励ましてくれた。秋には初めて実をつけた。長男と小学3年だった次男は結婚し、孫も生まれた。少しずつ今ある幸せを感じられるようになった。 2016年には知人の勧めで事故前後の家族の物語をまとめた絵本「パパの柿の木」を出版。大阪を中心に20校以上で読み聞かせをした縁で、地元のインターナショナルスクールの生徒らが協力し、昨年、英訳版も完成した。 数年前から、恩返しの思いを込めて群馬でも読み聞かせをしたいと思ってきたが実現できていなかった。 今回の読み聞かせは、藤岡市の市民団体「藤岡―リジャイナかけ橋プロジェクト」などの協力で実現し、藤岡市からは約20人が参加する。カナダの子どもたちにも呼びかけている。初めてとなる英語での読み聞かせ。練習してきた英語で、悲しみの先にたどり着いた思いを語る。 「悲しみに打ちのめされ立ち… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
長崎原爆資料館25年、学芸員はいま1人 広がる役割
今年で被爆から76年を迎える長崎市。爆心地の近くにある長崎原爆資料館(長崎市平野町)は今年、開館25年を迎えた。被爆資料を劣化から守りつつ、多くの資料を寄せてくれた市民の思いをどう生かすか。学芸員が1人しかいない中で模索を続けている。(榎本瑞希) 「糸がほつれてきている」。奥野正太郎学芸員(35)は2012年ごろ、常設展示室につるしてあったズボンの異変に気づいた。 爆心地から南東に約700メートルにあった長崎医科大(現長崎大医学部)の角尾晋学長が被爆時にはいていたものだ。爆風による大量のガラス片を浴び、血痕と無数の裂け目がそのすさまじさを物語る。1985年に資料館の前身・長崎国際文化会館に寄贈された。和紙などを使って補修する方法もあるが、「手を加えることにはリスクもある」。検討を重ねた末、ズボンを寝かせて展示することにした。 奥野さんは2008年、資料館初の学芸員として着任した。熊本大学で中世史を専門に学んでいたが、恩師から「何十万という人に展示を見てもらえる」と背中を押されて帰郷。「被爆者に育ててもらってきた」と話す。原爆資料館は博物館法に基づく博物館ではないとして学芸員を設置してこなかったが、市が被爆者の高齢化を見据えて奥野さんを採用した。15年にもう1人採用したが今春退職し、後任が着任するまで奥野さんだけだ。 奥野さんは展示物へのダメー… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:1380文字/全文:1965文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
台風10号、7日夜から8日午前に関東甲信接近の見込み
2021年8月7日 12時14分 台風10号は7日夜から8日午前にかけて、関東甲信に接近する見込み。太平洋側を中心に強風と激しい雨になるおそれがあるため、気象庁は高波や土砂災害、河川の増水に警戒を呼びかけている。 7日朝、台風10号は日本の南を北東へ進んでいる。中心気圧は990ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートル。8日午前6時までの24時間の予想雨量は関東甲信、東海地方で200ミリ。今後、発達しながら日本の南を北東に進む見通し。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「ワンピースが真っ黒に」原告外の2人 手帳待ちわびて
あの日、たしかに黒い雨が体をぬらした。原爆投下後の「黒い雨」をめぐり、広島高裁判決が確定して被爆者と認められた原告84人と同じような体験をしながら、さまざまな理由で原告に加われなかった人たちがいる。被爆者と認められるのはいつになるのか。期待と不安を抱えながら、「原爆の日」を迎えた。 自転車で一人、コツコツと 「どんどん亡くなる。あまりにおかしい。こりゃ大変なことじゃ」。広島市佐伯区に住む小川泰子さん(80)が、たった一人で自転車に乗り、地域を回り始めたのは20年以上前、還暦が近づいた頃のことだ。 体調の悪化を理由に「黒い雨」訴訟の原告に加わらなかった小川泰子さん=2021年8月4日、広島市佐伯区、笹川翔平撮影 50代になり、周囲の同級生たちが、がんで次々に亡くなっていることに気がついた。自身も長く甲状腺機能の低下に悩まされ、慢性肝炎も患っていた。 原爆投下の時は4歳。爆心地から約9キロの自宅前で、お気に入りだった花柄の白いワンピースを着て1人で遊んでいた。黒い雨がどのように降ったか、はっきりとした記憶はない。しかし、母が何度洗っても、ワンピースの黒い汚れが落ちなかったのをはっきりと覚えている。 約30年後の1976年、国は黒い雨が多く降ったと見られる地域を援護対象区域に指定し、がんや肝硬変などにかかれば被爆者健康手帳を受け取れるようにした。しかし、小川さんの暮らす地域は対象外。一軒一軒訪ねては、患った病気や亡くなった年代を手書きで記録していった。「わしらは国から見捨てられたんかのう」と言い残して亡くなる住民を何人も見送った。 小川泰子さんが地域を回り、手書きでまとめた黒い雨を浴びた人たちの調査の記録。「若死」「40代で死亡」などの文字が並ぶ=2021年8月4日、広島市佐伯区、笹川翔平撮影 2002年、「佐伯区黒い雨の会」を結成して会長に就き、指定区域の拡大を国に求め始めた。15年に始まった集団訴訟の原告にも加わるつもりで準備していた。 しかし、患っていた肝硬変が悪化し、裁判を闘い続けるのは難しいと考えるようになった。仲間から「原告に入っていなければ国は認めてくりゃあせんで」と引き留められたが、「とても裁判所に通えない。みんなに迷惑をかける」と身を引いた。「好きで裁判を降りたわけじゃない。体がもうもたないと思って断念した。そういう人がだいぶおられるのを、よく知ってもらいたい」と話す。 被爆者健康手帳が交付されなかった自身の申請書類を手にする小川泰子さん=2021年8月4日、広島市佐伯区、笹川翔平撮影 国の判断はあまりにも遅すぎ… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:1321文字/全文:2211文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「仲間の恥をさらすな」元陸軍伍長が語り続けた加害体験
自らの中国戦線での加害体験を証言し続けた元日本陸軍伍長、近藤一(こんどう・はじめ)さんが5月4日、老衰のため三重県桑名市内の高齢者施設で死去したことがわかった。101歳だった。葬儀は親族だけでとりおこなった。 1940年に徴兵され、中国・山西省などを転戦。大戦末期には沖縄戦に投入され、負傷した。「捨て石にされた」という沖縄戦の証言を80年代に始め、中国人捕虜を銃剣で刺殺した初年兵訓練など中国での加害体験も隠さず語るようになった。晩年まで集会で語り続け、取材にも応じていた。市民団体による中国での聞き取り調査にも同行した。 「悪い兵隊ばかりではなかった」から始めた証言 戦後76年。被害を実体験として語れる人は少なくなった。近藤一さんは、自ら手を下した戦争の「加害」体験をも後悔とともに語る、ごく少ない元兵士だった。 最初からそうだったわけではない。沖縄戦の証言を始めたのは、沖縄での旧日本軍による住民殺害などが教科書検定で問題になったことがきっかけだ。「悪い兵隊ばかりではなかった」。当初はそれが言いたかった。戦友と「沖縄戦を語り継ぐ会」を作った。 貧弱な歩兵銃や手投げ弾で戦車や火炎放射器の米軍に立ち向かわされた自分たち。惨めに死んでいった仲間のことを伝えたかった。 では、沖縄戦に転じる前の中国戦線ではどうだったのか。そう問われ、体験した略奪、暴行についても語らざるを得なくなった。 中国人捕虜の刺殺訓練、「数… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:397文字/全文:1014文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル