ようやく訪れた「決着」だった。「黒い雨」訴訟で原告全員を「被爆者」とした広島高裁判決に対し、菅義偉首相が上告断念を表明。原告らは胸をなでおろした。 「良かったです。今度こそ本当ですよね」。広島県安芸太田町の原告、中津サワコさん(83)は知らせを聞き、ほっとしたように何度も繰り返した。 国民学校2年生だった原爆投下当時、旧筒賀村(現・安芸太田町)にいて、書類の切れ端やぼろ切れなどが空から降りてくるのを目撃した。黒い雨を浴び、畑の野菜に黒いものがついているのも見たという。戦後、貧血に悩まされ、今は糖尿病などの治療を続けているという。 原告だった夫が3年前に亡くなった後、自身も裁判に参加。14日の高裁判決は、一審では国側が控訴しただけに「前と同じになるんじゃないかと不安でもろ手を挙げて喜べなかった」。勝訴が確定することになり、「仏壇に『上告しないって(判断が)出たよ』と報告したい」と喜んだ。 同町の原告、小西昭義さん(86)は「事実が事実として認められただけ。当たり前じゃ」と淡々と語った。「私たちの気持ちがある程度届いたと思う。でも、被爆者健康手帳が届くまで気は抜けない」と冷静に受け止める。 9歳だった当時、旧安野村(現・安芸太田町)にいた。国民学校の教室にいたときに原爆が落とされ、窓が音を立てて揺れた。下校時、夕立が降り、帰宅すると洗濯物が黒く染まっていた。年数が経つにつれて体調を崩し、10年前には直腸がんを患った。 15人の原告が被爆者と認められないまま亡くなった。「無念だね」と言葉をつまらせた。「私たちが味わった76年間の苦しみは変わらない。うれしいけど、複雑じゃ」 原告団は26日午前、県と広… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:931文字/全文:1647文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
黄金色の畑、秋まき小麦の収穫が最盛期 北海道十勝
中沢滋人2021年7月26日 17時00分 日本屈指の畑作地帯、北海道十勝地方で、秋まき小麦の収穫が最盛期を迎えている。大型のコンバインが、黄金色の畑を動き回り、刈り取りが終わった畑のあちこちに、麦わらを丸めた「麦稈(ばっかん)ロール」が並ぶ光景が見られる。 音更町の「三浦農場」(三浦尚史代表)は、今年は42ヘクタールで小麦を栽培。例年より数日早めの22日から収穫を始めた。26日は、パン用の「キタノカオリ」11ヘクタールの刈り取り作業の真っ最中だった。 三浦さんによると、今年は雪解けが早く、小麦の開花期の6月上旬も天候に恵まれ実入れが良いという。「今年は大豊作だと思う。ただ、雨に降られると、品質に影響が出るため、時間との勝負です」 農場では資源循環の取り組みを進めている。パン用小麦は帯広市のパン店「満寿屋(ますや)商店」へ出荷し、麦稈ロールはばんえい競馬の厩舎(きゅうしゃ)の敷きワラに活用する。 さらに、厩舎で出た馬ふんと麦わらは、帯広市の「鎌田きのこ」でマッシュルームを育てる「培地」となる。その栽培後の土は三浦農場に戻り、パン用小麦畑で堆肥(たいひ)として使われる。三浦さんは「環境に優しい畑作の理想型を追求していきたい」と話している。(中沢滋人) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
黒い雨訴訟、首相が上告断念を表明「被爆者手帳を交付」
2021年7月26日 17時09分 広島への原爆投下後に「黒い雨」を浴びたと訴えた84人全員を被爆者と認めた広島高裁判決をめぐり、菅義偉首相は26日、「被爆者援護法に基づいて、その理念に立ち返る中で救済をすべきである、このように考えた。そういう考え方のもとに、上告はしないこととした」と述べ、上告を断念する意向を表明した。首相官邸で記者団の取材に応じた。 14日の高裁判決では、84人全員への被爆者健康手帳の交付を命じた昨年7月の一審・広島地裁判決を支持。国から手帳の交付事務を任されている広島県と広島市の控訴を棄却した。政府は、被告の広島県と広島市に上告するよう求めていた。 首相は記者団の取材に対し、「判決について私自身、熟慮してきた」と述べ、「上告はしないこととした。直ちに原告の皆さんには被爆者手帳を交付させて頂きたい。同じような事情の方々について救済すべく、これから検討したい」と話した。また、「政府として受け入れ難い部分もあるので、談話という形で整理をしていきたいと思う」とも述べた。 首相は26日夕、湯崎英彦・広島県知事、松井一実・広島市長と首相官邸で面会し、こうした方針を伝えるとしている。 高裁判決は、国の援護対象区域から外れた住民について、疾病にかかわらず、幅広く被爆者と認める判断を示した。原爆の放射能による健康被害を否定できなければ、被爆者にあたるとした。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
忘れない、19の命 やまゆり園事件5年、共生社会願い
大宮慎次朗、岩堀滋2021年7月26日 17時47分 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負った事件は、26日で発生から5年を迎えた。遺族や犠牲者を知る元職員、障害がある人たちが事件を機に建て替えられた新園舎を訪れて慰霊碑に献花するとともに、共生社会の実現を願った。 電動車いすで献花に訪れた公務員の和田拓也さん(28)=東京都中野区=は、犠牲者のうち7人の名前が刻まれた慰霊碑前で手を合わせた。「障害者は不幸を作る」。殺人などの罪で死刑が確定した元職員、植松聖(さとし)死刑囚(31)の発言を聞き、身の危険もあると感じて外出が怖くなった。先日、路上で車いすのバッテリーが切れて動けなくなったが、気にかけてくれる人はいなかった。「障害の有無にかかわらず、周囲が気遣い合う世の中になってほしい」と話す。 「弟の施設で事件が起きたらと思うと言葉が出ない」。こう語る横浜市の男性(39)の弟には、重い知的障害がある。東京五輪開会式の作曲を担当したミュージシャンが過去に障害者らをいじめた問題で辞任したことを踏まえ、「差別の思想が改めて可視化された。怖さが増した」。 千葉県の福祉施設職員の女性(48)は20年ほど前に4年間、やまゆり園で勤務した。犠牲者の中には、知っている人もいる。「言葉が話せない利用者にも様々な思いがある。一人ひとりに生きている意味があると伝えていくのが私の役目」と訴えた。(大宮慎次朗、岩堀滋) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
慶大生74%が接種 大学が「一番心配だったこと」とは
新型コロナウイルスワクチンの職域接種に、首都圏の大規模大学のなかでいち早く名乗りをあげた慶応大。すでに5万人近くに対して1回目の接種を行ったという。なぜ対応が早かったのか。接種の現場で見えた課題は。学生に向けて発したメッセージの背後にあった苦い出来事とは――。職域接種に関する学内の責任者で、今年5月まで慶応大病院長だった北川雄光・慶応義塾常任理事(60)に聞いた。 70代、80代の医師も続々と応援に ――大学での職域接種は6月21日から始まりましたが、この日に着手できたのは慶応大を含め全国で17大学、東京都内では3大学のみです。なぜ、この早さで始められたのでしょう。 医学、看護医療、薬学という医療関係の3学部があって、うち手が確保できたからです。信濃町(東京都新宿区信濃町の慶応義塾大学病院)で医療従事者4500人の接種を終えていたので、接種の進め方のノウハウはありました。 職域接種の対象者は、学生と院生3万3千人強に加えて、一貫校や非常勤を含む教職員、その家族、学内で働く業者の方、さらに学外の人にも対応するとして5万人と掲げました。 ただ、大学病院のスタッフはコロナ患者の診療もあり、日常業務で忙しい。医師免許を持っている学部の基礎研究者や教員に手伝いを依頼しましたが、1日2千人前後にうつことを想定していたので、とても手が足りない。そこで3学部の同窓会と関連病院のトップに連絡したら、全て「協力しましょう」と即答でした。「これならできる」と。 医師としては関連病院の方々に加え、元学部長、元病院長、70代、80代の大先輩も手伝ってくださいました。看護師はOBよりOGが多いですが、医師よりさらに多く来てくださり、本当にありがたかったですね。 接種の会場は、日吉キャンパス(横浜市港北区)がオリンピックの英国チームの事前キャンプ地になって「バブル」の中に入ってしまい、湘南藤沢キャンパス(神奈川県藤沢市)はやや遠いことから、三田キャンパス(東京都港区)にしました。近くに関連病院の東京都済生会中央病院があり、救急については「任せろ」と言ってくれました。 医療関係者だけでは対応できません。三田キャンパスの事務部門が、予約システムの構築や会場の設営、連日の運営に力を尽くしてくれました。 ――接種開始前に、就任したばかりの伊藤公平塾長と北川理事が動画でメッセージを出しましたね。 伊藤塾長の就任は5月28日。職域接種に取り組む方針をすぐ決断し、「1年以上、制限を受けてきたキャンパスライフを奪還する」と学生に語りかける動画を6月9日に公開しました。 昨年の出来事「本当に情けなかった」 学生向けメッセージでは、「… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
最高額6996万円 名古屋に国内最大級の時計売り場
根本晃2021年7月26日 14時30分 JR名古屋高島屋が手がける国内最大級の時計売り場「ジェイアール名古屋タカシマヤ ウオッチメゾン」が27日、名古屋駅前の大名古屋ビルヂング1、2階で開業する。ロレックスやオメガなど21店90ブランドを取りそろえた。 26日、報道陣向けの内覧会があった。JR名古屋高島屋10階に入っていた時計売り場が、売り場面積を約2倍の1200平方メートルに広げて移転。時計の修理コーナーもある。JR名古屋高島屋が、ほかの商業施設に出店するのは初めて。 JR名古屋高島屋によると、同店の2019年度の時計商品の売上高は00年度比で約5倍に成長。コロナ下でも売れ行きは好調で、客から売り場の充実を求める声が上がっていたという。最高価格の商品は高級ブランド「ブレゲ」の腕時計で2682万円。担当者は「日用品から一生に一度の高級時計まで幅広い商品をそろえた」と話した。(根本晃) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
医師かたりワクチン接種問診した疑い 70歳女を再逮捕
医師ではないのに新型コロナウイルスのワクチン接種の問診をしたとして、愛知県警は26日、水戸市新原1丁目、無職月舘静恵容疑者(70)を医師法違反の疑いで再逮捕し、発表した。 国際捜査課によると、月舘容疑者は5月26日~6月23日、施設長として勤務していた茨城県内の介護老人保健施設で、入所者83人に対して計108回、新型コロナのワクチン接種前に健康状態などを尋ねる問診や、接種の可否の判断をした疑いがある。「間違いありません」と容疑を認めているという。 施設の看護師が注射をし、健康被害は確認されていないという。問診は医療行為で、医師でないとできない。 月舘容疑者は医師を名乗り、4月にこの老健施設の施設長に就いた。実際には医師免許がなく、偽造した医師免許証の写しを使用したなどの疑いで、偽造有印公文書行使の疑いで逮捕・起訴されていた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
青森で震度4 M5.1、津波の心配はなし
2021年7月26日 11時47分 26日午前11時16分ごろ、青森県東方沖を震源とする地震があり、青森県で最大震度4を観測した。気象庁によると、震源の深さは約70キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・1と推定される。この地震による津波の心配はないという。震度4を観測したのは青森県むつ市、東通村。北海道函館市などで震度3を観測した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
台風8号 27日に東北から関東に上陸か 五輪一部順延
2021年7月26日 11時49分 台風8号は26日、日本の東を北北西に進んでいる。今後、西寄りに進路を変え、27日には東北から関東に接近、上陸する恐れがある。気象庁によると、台風の進路に近い地域では大気の状態が不安定になり、「滝のように降る」とされる1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降る可能性もある。国際オリンピック委員会(IOC)と大会組織委員会は26日午前11時の会見で、「(ボートを除き)今のところ競技は予定通り行う」とした。 台風8号は26日午前9時現在、中心気圧992ヘクトパスカル、中心付近の最大風速20メートル、最大瞬間風速30メートル。27日朝には千葉県銚子市の東約110キロまで進み、中心気圧990ヘクトパスカル、最大風速20メートルで、東北と関東甲信で高さ6メートルの波も予想されている。28日には熱帯低気圧に変わるとみられる。 27日正午までに予想される24時間雨量は多いところで、東北150ミリ▽関東甲信100ミリ、北陸70ミリ。その後の24時間では東北と関東甲信、北陸100~150ミリと予想されている。気象庁は土砂災害などのほか、うねりを伴った高波に警戒するよう呼びかけている。 東京五輪の競技にも一部影響が出ている。国際ボート連盟は27日のボート競技を順延することを決定。翌28日の日程も29日に後ろ倒しすることにしている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
五輪反対、戦前も64年も 上書きされる「国民的記憶」
東京五輪・パラリンピックの開催に抗議の声がやまない。過去を振り返れば、1940年の「幻の東京五輪」や、成功のイメージが強い64年の東京五輪にも、反対の声があったという。五輪反対論の歴史をさかのぼると、現在の五輪はどう見えるだろうか。近代五輪に詳しい浜田幸絵・島根大学准教授(メディア史)に聞いた。 はまだ・さちえ 1983年生まれ。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科博士後期課程修了。島根大学法文学部准教授(メディア史)。著書に「〈東京オリンピック〉の誕生」など。 戦前は「戦争に集中すべき」 ――戦前(1940年)にも東京五輪が開催されるはずが、中止になったと聞きます。どんな反対の声が上がったのですか? 当時、招致に動いた東京市長(永田秀次郎)が思い描いたのは「皇紀2600年」(1940年が神話上の神武天皇の即位から2600年にあたるとされた)を記念する行事として、東京オリンピックを開催することでした。国威発揚が念頭にあったと言えます。 しかし、遠く離れた西洋諸国からの参加者を受け入れる態勢や費用を心配して、「時期尚早」といった声が上がりました。また、日本の傀儡(かいらい)国家だった満州国の参加が認められなかったことも、国内の反発を招きました。 ――中止にまで至った理由は? 決定的だったのは、37年に始まった日中戦争です。鉄などの貴重な物資をオリンピックのために使うべきではなく、「物心ともに戦争に集中すべきだ」という反対論が、軍部や政治家の間で広がっていきました。38年6月には、戦争遂行に関係のない土木建築工事を制限する閣議決定もあり、競技場の建設が困難に。その翌月、政府が大会返上を発表しました。 ――国威発揚が目的の五輪だったため、より大きな国益を重視する「上からの反対論」が優勢になったと そうです。ただし国威発揚は大きな目標ではありましたが、そのためだけだった、とは言えません。東京市長の永田は、オリンピックを通じた国際交流にも価値を見いだしていました。 巨大な国際イベントであるオリンピックは、さまざまな思惑を持った人びとが関わり、一枚岩にならないまま前に進んでいく。当時もいまも、そんな側面があると思います。 64年は「時期尚早」 ――64年の東京五輪は「大成功の大会」というイメージがありますが、やはり反対の声もあったとか NHK放送世論調査所(当時… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル