ニュース

都心でサクラ開花 平年より4日早く、気象台発表

吉沢英将2022年3月20日 14時30分 東京管区気象台は20日、東京都心の桜が開花したと発表した。靖国神社(千代田区)にあるソメイヨシノの標本木で午後2時、気象台職員が10輪咲いているのを目視で確認した。開花の目安は5、6輪。昨年より6日遅く、平年より4日早いという。昨年は観測史上最速タイだった。 日本気象協会や同気象台によると、夏にできた花芽が一度休眠し、冬の寒さで目覚める「休眠打破」という現象が、冬にたびたび流れ込んだ寒気の影響で順調に進行。3月の高温傾向を受け、平年より早く咲いたとみられるという。 17日には福岡市で開花しており、協会が同日に発表した予想では、名古屋市で21日、大阪市は23日の開花を見込んでいる。(吉沢英将)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

東北新幹線の撤去作業始まる 地震で脱線、全面復旧に「相当の時間」

【動画】脱線した東北新幹線「やまびこ223号」の撤去作業=依知川和大撮影 JR東日本は20日、福島県沖であった最大震度6強の地震で脱線した東北新幹線の撤去作業を始めた。100人超の作業員らが、仙台方面の先頭車両(約43トン)を約8時間かけてレールに戻した。今後、1両ずつ作業を進め、撤去には少なくとも2週間ほどかかる見通しだという。 現場は、白石蔵王駅(宮城県白石市)から東京方面に約2キロの付近。東京発仙台行きの「やまびこ223号」が16日深夜の地震で緊急停車し、17両中16両が脱線した。乗客・乗務員78人にけがはなかった。 震源に近い区間では、電柱24本、高架橋などの構造物20カ所の被害が確認されており、那須塩原―盛岡間は終日運転を見合わせている。全面復旧の見通しは立っておらず、JR東は「相当の時間がかかる」とみている。(小川崇)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

福島県から不正メール12万7千件、外部からアクセスされ

2022年3月20日 21時16分 福島県は、県のメールシステムにアクセスがあり、約12万7千件の不正メールが外部アドレスに送信されたと19日発表した。個人情報や機密情報などの流出はなかったとしている。 県によると、不正アクセスされたのは県や市町村の通信履歴などを管理している「県自治体情報セキュリティクラウド」。メールの内容は不明だが、18日午後5~7時ごろ、主に海外のアドレスに送信されたという。 県が業者に発注したシステムの作業中、一時的に外部からアクセスできる状態になったのが原因で、既に対策を講じたという。県は不審な受信があった場合、破棄するよう求めている。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

黒柳徹子さんの底知れぬパンダ愛 5頭の名付けでこだわったこと

 日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんに、パンダと上野動物園の思い出を書面でインタビューしました。上野で生まれたパンダの名前を考える選考委員でもある黒柳さん。初めて出会った6歳の頃から振り返ってもらいました。 ――黒柳さんとパンダの「出会い」は、6歳くらいの時だったといいます。 おじから、アメリカのお土産にパンダのぬいぐるみをもらいました。何よりも大切にしていたくらいで、いつも抱いていました。戦争中も常にリュックにしまって、背負って空襲の中を逃げていました。 パンダの魅力は、まん丸くて、どこから見ても可愛いところ。中国のものなので、なかなか中国にも行けず、1968年、わざわざロンドンの動物園まで見に行きました。 「チチ」という女の子です。「思ったより可愛い!」とうれしく思い、そこに、ロシアから「アンアン」というオスがお見合いに来ていて、超ラッキーで2頭を見ることができました。海を越えた思い、米国で名乗った「私はパンダ研究家です」 ――パンダが上野に初めてやって来たのは72年。中国からオスのカンカンとメスのランランが寄贈されました。 私が子どもの時から可愛いと…この記事は有料会員記事です。残り1822文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

水郷に春の訪れ どんこ舟でおひな様水上パレード 福岡・柳川

 水郷として知られる福岡県柳川市で20日、着飾った女児らがどんこ舟に乗り、掘割と呼ばれる水路を巡る「おひな様水上パレード」があった。 4月3日まで続く「柳川雛(…この記事は有料会員記事です。残り103文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

八戸市役所から25万件スパムメール 青森県「クリックしないで」

吉備彩日2022年3月20日 18時41分 青森県は20日、八戸市役所で使われている三つのメールアドレスが外部から不正利用され、約25万件のスパムメールが送信されたと発表した。 県によると、県や市町村のメールなどをセキュリティー対策しているサービス「青森県自治体情報セキュリティクラウド」で設定不備が発生。外部からメールアドレスが見られる状態になり、八戸市の三つのメールアドレスが不正に使われたという。18日午後4時45分ごろ~午後6時55分ごろ、計24万5835件のスパムメールが送信され、ビットコインが支払われたようなことを示す英語の件名などがつけられていた。宛先の多くは海外の利用者とみられるという。 ただ県はスパムメールによるウイルス感染を防ぐため、「記載されているリンクは絶対にクリックしないで」と呼びかけている。(吉備彩日)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

空襲から一緒に逃げたぬいぐるみ 黒柳徹子さんのパンダ愛と深い歴史

取材・構成 本間ほのみ2022年3月20日 15時00分 日本で最初にできた動物園、東京・上野動物園は20日、開園140年を迎える。今年は、日中国交正常化の象徴としてジャイアントパンダがやってきてから50年の節目でもある。日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんに、パンダと上野動物園の思い出について書面でインタビューした。 ――黒柳さんとパンダの『出会い』は、6歳くらいの時だったそうですね。 おじから、アメリカのお土産にパンダのぬいぐるみをもらいました。何よりも大切にしていたくらいで、いつも抱いていました。戦争中も常にリュックにしまって、背負って空襲の中を逃げていました。 パンダの魅力は、まん丸くて、どこから見ても可愛いところ。中国のものなので、なかなか中国にも行けず、1968年、わざわざロンドンの動物園まで見に行きました。 ――パンダが上野に初めてやって来たのは1972年です。中国からオスのカンカンとメスのランランが寄贈されました。 パンダが日本に来るなんて、夢のように思いました。初めて見た時、カンカンは子どもっぽく、ランランは少しお姉さんのようで、はっきりと個性がわかって興奮しました。 ――パンダがやってきて今年10月で50年。3月20日には、上野動物園が開園140周年を迎えます。 上野動物園は子どものときから憧れの場所でしたが、パンダが来てからは、私の最も大切な、親しみのある場所になりました。特にパンダ課長の中川志郎さん(※カンカンとランランが来園した時の飼育課長で、パンダ課長の愛称で親しまれた。1987~90年に園長を務めた)と親しくさせていただいてから、上野はかけがえのない場所になりました。(取材・構成 本間ほのみ)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

半世紀前、たった3冊から始まったパンダ飼育 上野動物園140年

 初対面は、全く予想外のものだった。約14平方メートルの部屋の中で、黒と白の巨体2頭が動いていた。1頭は落ち着きなくソワソワ、もう1頭は水をグビグビ飲んで動じる様子もなかった。 1972年10月28日午後9時ごろの上野動物園(東京都台東区)。当時、32歳だった獣医師の田邉興記さん(81)は、初めて日本にやってきたジャイアントパンダと向き合い、おののいた。「抱っこして、よしよしできると思っていたのに……」。そわそわしていたのはカンカン(オス・2歳)で体重55キロ。ランラン(メス・4歳)は同88キロ。とても、抱えられる大きさではなかった。 この出会いからさかのぼること約1カ月前。日本に突如、パンダのニュースが席巻した。9月29日、北京。田中角栄首相と周恩来首相が日中国交正常化の共同声明に調印。交渉に同行した二階堂進官房長官はその後の記者会見でこう発表した。「国交正常化を記念し、パンダのオス、メスが贈られることになりました」 「早くも争奪戦」。9月29日付の朝日新聞夕刊はこの見出しで報じている。発表では、パンダがどの動物園に来るのかは明らかにならなかった。記事では、大阪市が名乗りを上げたとも伝えている。 上野と正式に決まったのは、会見から数日後のことだ。ただ、理由ははっきりしない。82年発行の「上野動物園百年史」にも記載はなく、動物園に聞いても「分からない」という。上野動物園が20日、開園140年を迎えました。今年10月にはジャイアントパンダのカンカン、ランランがやってきてから50年になります。二つの節目を迎える日本で最初の動物園の歩みを、園にまつわる資料や書籍、当時の飼育係や獣医師らの証言でたどります。 国内139カ所の施設が加盟する日本動物園水族館協会の成島悦雄専務理事(72)は「当時の官房長官に聞かないと本当のところは分からない」と前置きした上で、上野動物園の成り立ちに着目する。「開園当時は国の所管で、上野は国立動物園のような存在だった。国賓のパンダを大事にするというメッセージを込めたのではないか」開園は140年前 わずか1ヘクタールで 上野動物園が「開園」したのは、今から140年前の1882年3月20日。同日にオープンした博物館(現在の東京国立博物館)の付属施設だった。上野動物園百年史によると、博物館は、オーストリア・ウィーンでの万博に出品される国内の物産を展示するために造られた。その展示品の中にワシやトビなどの動物もいて、広く観覧されたのが動物園の始まりだという。当時の敷地は、現在の上野動物園の東園の一部。約1ヘクタールの広さだった。 クマや水牛、鳥などのほか、半年後には、オオサンショウウオやキンギョがいる「観魚室」、国内初の水族館ができた。この年の入園者数は20万5454人。当時の東京都の人口は約115万人だった。 上野には開園後、海外で生息する動物が続々とやってきた。イタリアのサーカス団「チャリネ曲馬団」からもらったトラ、清国から贈られたシフゾウ、戦利品で得たラクダ。キリンやカバなども国内で見られるようになった。1923年の関東大震災で約3カ月閉園した後は、無料開園で被災者を励まし、多くの動物を失った浅草の花屋敷にゾウを譲り渡した。 先駆的な展示にも取り組んだ。1928年、太い鉄格子のオリに入れていたホッキョクグマを、柵を設けない「無柵放養式」の展示に切りかえた。ホッキョクグマは現在も同様の方式で展示されており、北極の氷を模したように塗られた壁は当時のままだ。大勢のサルが動き回る「サル山」も32年に上野で初めて導入された方法で、修繕を繰り返しながら使い続けている。戦争へ 猛獣処分、その理由は 一方で、影の時代もあった。戦時中、多くの動物たちが戦意高揚に利用されたり、殺されたりした。 37年、日中戦争が始まると…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

障害者だけのTVキャスターチーム、パラリンピック変わる「伝え方」

 13日に閉幕した北京冬季パラリンピックで日本勢は7個のメダルを獲得した。そのうち6個を占める活躍をみせたのがアルペンスキー。大会中、アルペンチームを指導する大日方邦子さん(49)は悔しそうに話した。 「これからの競技を担う子どもたちや若い人に目の前で大会を見せたかった。貴重な機会を失ったのは本当にマイナス」。北京パラは新型コロナウイルスの感染対策のため、地元の招待客以外の一般客は観戦できなかったからだ。 「パラバブル」。この数年、関係者間でささやかれてきた言葉だ。東京パラ開催が2013年に決まって以降、社会の関心や企業の支援が急に高まった。光が当たりにくい状況が長かっただけに、露出度が増えた近年の状態は関係者に「バブル」と映った。「バブル、静かにしぼんでいく」 東京パラがコロナで1年延期…この記事は有料会員記事です。残り2231文字有料会員になると続きをお読みいただけます。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

SLやまぐち号が運行スタート 力強い汽笛、迫力「五感で楽しんで」

後田竜衛2022年3月20日 13時03分 蒸気機関車が牽引(けんいん)するJR山口線の観光列車SLやまぐち号(新山口―津和野)の今シーズンの運行が19日始まり、山口市の新山口駅で出発式があった。ホームに約400人が集まり、1938年製のD51―200号機の迫力ある姿や力強い汽笛を楽しんだ。 79年8月に運行が始まり43年。11月20日までの土日と祝日を中心に86日間、62・9キロの区間を1日1往復する。 周南市から来た谷岡篤和(あつと)ちゃん(3)は家族4人で先頭のSLと記念撮影。平原康久駅長は「音や姿など五感を使って、沿線の風景とともに楽しんで下さい」と話した。(後田竜衛)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル