最後は、あんこが守られ、次につながったお話を伝えたい。場所は京都。今年1月末に「京華堂利保(としやす)」は120年続いたのれんをおろした。最後の数日は、黒を基調に趣のある町家の店が、名残惜しむ人からの花束いっぱいに彩られた。 引退を決める時、主人の内藤正さん(74)には、そのままにできないことがあった。祖父の代に、茶道の武者小路千家の家元に銘をいただいたお菓子「濤々(とうとう)」の行く末だ。「濤」は波の音で、釜の湯のたぎる音を表している。家元お好みとして広く親しまれ、店だけのお菓子ではないと考えていた。 託したいと伝えたのが、祇園町で15代続く「鍵善良房(かぎぜんよしふさ)」の今西善也さん(49)だった。 今西さんとは、古くからの菓子店の集まりで気心が知れている。新しい世代への期待もある。何より今西さんの店のお菓子が、自分の大事にしてきたことに近く思えた。内藤さんは「はんなりといいますが、お菓子には京都らしい華があってほしい。茶味(ちゃみ)は持たせたい。私はそう心がけてきました」。 京都で家元お好みの銘菓「濤々」をつくっていた和菓子店が今年、のれんをおろしました。その「濤々」を引き継いだのが同じ京都の老舗和菓子店です。独特の味の世界をどう守っていったのでしょうか。 「濤々」は、特徴のあるお菓… この記事は有料記事です。残り908文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
簡易宿泊所殺人事件 容疑の男「訴えないと言ってたのに訴えられた」
2022年10月14日 14時22分 東京都新宿区の簡易宿泊所で入所者の男性を殺害したとして殺人容疑で逮捕された男が、男性に対する過去の傷害事件に絡み「(男性が)訴えないと言っていたのに訴えられて罰金を取られたので頭にきた」と供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。 住居不詳、無職の石野彰容疑者(57)は12日午前3時ごろ、新宿区百人町1丁目の簡易宿泊所で、この宿泊所の住人で、管理人でもあった韓国人の任元珍さん(76)の胸を包丁で複数回突き刺して失血死させた疑いがある。前日の11日午後7時ごろに宿泊所内に侵入し、任さんを待ち伏せして襲ったとみられるという。 捜査関係者によると、石野容疑者はこの宿泊所で暮らしていた今年1月、任さんに熱湯をかけてけがを負わせた。この際、任さんからは「退所すれば訴えない」と言われたため退所した、と説明。だが、任さんが被害届を出して9月に傷害罪で30万円の罰金刑を受けたため、同庁は石野容疑者が腹を立てたとみている。 任さんを殺害した容疑で逮捕された際、石野容疑者は「以前から殺そうと思っており、用意していた包丁で刺した」と供述したという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
無戸籍者の救済「限定的」との指摘 嫡出推定見直す民放改正案
離婚後に生まれた子どもの法的な父親を決める「嫡出(ちゃくしゅつ)推定」を見直す民法改正案が14日、閣議決定された。無戸籍の子どもらをなくすための措置だが、専門家は「救済は限定的」と指摘しており、課題も残る。 現行の民法の規定では、離婚後300日以内に生まれた子は、血縁がなくても戸籍上は前夫の子と扱われるため、母親が出生届を出さない場合がある。法務省によると、戸籍がない人は8月時点で793人いるが、7割はこの嫡出推定の規定が原因だという。 無戸籍で生活する支障は大きい。当事者らの活動もあり、児童手当など一部の行政サービスは受けられるようになってきたが、就職やパスポート発行などには困難が伴う。 今回の法改正がなされれば… この記事は有料記事です。残り1152文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
京都のサバずし 元水産官僚・ウエカツさんが感じた「ハレ」の文化
記事の後半でレシピをご覧いただけます 魚食普及活動家の上田勝彦さん(58)がサバずしを初めて食べたのは、学生時代、京都出身の友人の実家に年末年始にかけて遊びに行ったときでした。 友人の家族や親戚と食卓を囲む中、大皿に盛られたサバずしが登場すると、視線が皿に集まり、笑顔が広がりました。友人は「盆暮れや正月の、特別な日の食べ物なんだ」と教えてくれました。上にのっているサバの身は分厚く、漂う甘酸っぱい香りもあいまって独特の存在感を感じたと言います。 古くから福井県若狭の海産物が京都の食文化を支えてきたと言われますが、サバもその一つ。同県小浜市の担当者によると、室町時代には若狭湾沿岸でとれたサバに塩をして、いまでは「鯖(サバ)街道」と呼ばれる街道を通って京都へ運ばれていたことが文献で確認できるそうです。そのため、京都にサバずしを食べる習慣が根付いたと言われています。 傷みが早く、遠隔地では生で… この記事は有料記事です。残り817文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「鉄道で暮らし豊かに」の期待、今や的外れ? 川辺謙一さんの交通論
日本で鉄道が開業して150年。その間、鉄道は社会や経済の発展を支えてきましたが、自動車社会の到来などで国内の交通事情は大きく変わりました。ほかの輸送手段が発達した現代も、鉄道への期待が高いのはなぜか。交通技術ライターとして鉄道や道路、都市の取材をしてきた川辺謙一さんに聞きました。 かわべ・けんいち 1970年生まれ。メーカー勤務後2004年にライターとして独立。著書に「世界と日本の鉄道史」「日本の鉄道は世界で戦えるか」など。 ――日本では、鉄道に対してどのようなイメージが抱かれてきたと思いますか。 「明治時代に鉄道が開業し、路線網が広がっていきました。そして鉄道は長らく国内交通の主役として機能し、社会を変えてきました。このため、鉄道が通ると、その沿線の暮らしが豊かになっていく印象があったと思います。戦後は新幹線の誕生や特急列車の増発が、経済成長を象徴する出来事と認識されたのではないでしょうか」 近代化への近道だった ――鉄道開業以前の物流は、どのような状況だったのでしょうか。 「海運が中心で、東京や大阪などの都市には水路が張り巡らされていました。陸路は、幕府が江戸城防衛のために街道での馬車や大八車などの通行を禁じたため、車両交通が発達しませんでした」 「明治政府は、道路整備よりも鉄道整備を優先しました。その方が短期間に国内交通の近代化を図ることができ、効率がよかったからです。また、日本は街道筋のように人口密集地が数珠つなぎになっているルートが多数あり、陸上での大量輸送を得意とする鉄道が能力を発揮しやすい。このため、日本全国に鉄道網が広がっていきました」 ――鉄道は地域にどのような恩恵をもたらしたのですか。 「まずは雇用です。鉄道の運営や維持は多くの労働力を必要とするため、鉄道は大きな雇用の受け皿となりました。たとえば車両などを整備する鉄道工場が設けられた地域では、鉄道の労働者やその家族が集まり、『鉄道の街』として発展しました。『鉄道の街』は国内に多数存在し、代表例には埼玉県の大宮や新潟県の新津があります」 「工場が集まる工業地域の中には、豊かな工業用水が確保できることだけでなく、鉄道でつながることで、原材料や製品の輸送が容易になり発展した例があります」 明治期以降、輸送でも雇用でも活躍した鉄道。記事後半では、鉄道が経済成長の象徴となった過程や自動車の台頭、そして利用者が減った現状と活路について話します。 ――ほかに沿線の人たちが受けた恩恵はありますか。 「現在のようにトラック輸送… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「幻の離宮」に足を踏み入れた 古代日本最大の内乱から1350年
おでかけ関西 ちょっとウラ話 山影を背に両岸から迫る岩肌の間で、吉野川の水がしぶきを立てる。「幻」の古代の離宮が、この先に。 「あんなとこ、何にもないよ。このあいだ草刈りはしたけど」。目的の遺跡の場所を近くに住む人に尋ねると、そう言われた。確かに、石碑や案内の看板はあれど、今は民家の間に広がるただの原っぱにしか見えない。文字どおり幻だ。 幻の離宮が、今注目を集めるわけ 幻の離宮は、なぜ幻と言われるのか。今、脚光を浴びるのは日本古代史上最大の内乱と関係があるのだとか。謎を探ります。末尾にはプレゼント情報も。 奈良県の真ん中あたりに位置… この記事は有料記事です。残り1750文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 #KANSAI 近畿の魅力を再発見する新企画。社会・経済から文化・スポーツまで、地元愛あふれるコンテンツをお届けします。[記事一覧へ] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
開国、西洋、工業に続く4代目の名は 横浜駅が映した日本の150年
新橋―横浜間に鉄道が開通して150年。その間、横浜駅は何度か場所や姿を変えていて、現在の横浜駅は4代目だ。 駅の空間構造について研究している昭和女子大環境デザイン学科の田村圭介教授(建築学)は「これほど国家の変化を映す駅はほかにない」と話す。 これまでの横浜駅を象徴する言葉は初代=「開国」、2代目=「西洋」、3代目=「工業」だという。では、4代目の現在の駅は何だろう。 田村教授に朝日新聞社が保存する歴代横浜駅の写真をみてもらいながら、横浜駅の150年の変遷を解説してもらった。 初代は「開国」の雰囲気、8年で姿を消した2代目 ◇ 初代横浜駅は1872年、現在のJR桜木町駅地点につくられた。 人やモノの往来が盛んになった開港地・横浜と首都・東京の玄関口・新橋までの約29キロが53分で結ばれた。 田村教授は「左右対称の駅舎… この記事は有料記事です。残り1000文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
26年前に発見の化石、ついに恐竜の骨と判明 「恐竜が眠る街」で
北九州市で26年前に見つかった化石が、実は、1億年以上前の恐竜の骨だったことが、ようやくこのほど分かった。10月15日は「化石の日」。見つかった化石は13日から、北九州市八幡東区東田2丁目の市立いのちのたび博物館で展示されている。12月4日まで。 化石は小倉南区で1996年、博物館の発掘調査で見つかった。福岡大と熊本大の研究の結果、草食で長い首と尾を持ち、四足歩行の「竜脚類ティタノサウルス型類」の首の骨と分かったという。 これは中生代白亜紀前期の約1億1千万年前のもので、縦16・5センチ、横40センチ、厚み約6センチ。骨から推定される全長は十数メートルだ。 研究に関する論文は、日本古生物学会の英文誌「パレオントロジカル・リサーチ」に3月に投稿され、5月に受理されたという。 バックヤードで保管され続けた化石、先輩後輩の縁で研究室に 化石は長い間、いのちのたび博物館のバックヤードにしまわれたままだった。 博物館の大橋智之学芸員(4… この記事は有料記事です。残り693文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
親子5代、鉄道一家の1世紀 「私の後…」息子にかけた父と同じ言葉
金沢市からほど近いJR松任(まっとう)駅(石川県白山市)。駅長の喜多慎二さん(58)は毎日、2本あるホームを端まで歩く。 表示板が落ちそうになっていないか、乗客がつまずくような段差がないか……。駅のちょっとした異変を探すのが日課だ。 「危険の芽は早いうちにつぶすことが大事。お客さんを目的地へと安全にお届けすることの大切さを日々感じています」 喜多さんが鉄道の仕事に就いたきっかけは、父の利勝さんだった。 戦争が終わり、日本が復興に向けて歩み始めたころ、利勝さんは日本国有鉄道(国鉄)で働き始めた。 力強く駆け抜けていく蒸気機関車(SL)に憧れた。SLで石炭を投げ入れる機関助士として、福井県の敦賀を拠点に働いたという。 だが、仕事は過酷だった。黒煙にまみれ、肺の機能が落ちた。身体的な限界を迎え、3年ほどでSLから降りた。 その後は内勤を中心に働いた。 経済が急速に成長した時代。列車のスピードを上げ、より多くの人を運ぶため、鉄道網の電化が進められた。 北陸も例外ではなかった。工事の担当として周辺住民に理解を求めたり、進展を管理したり。SLが消えていく寂しさよりも、電化で便利になることを喜んでいた。 喜多慎二さんの父も、祖父も、そして曽祖父も「鉄道マン」でした。その歴史を振り返るとともに、次世代に思いを託します。ただ、かつては苦難も多かったようです。 半世紀前に起きた大惨事、苦難の日々も ただし、ちょうど50年前の秋、利勝さんが仕事に出たまま、1カ月ほど帰ってこないことがあった。 1972年11月6日、北陸… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「民間シフト」小金井では市長が辞職 東京の公立保育園が果たす役割
東京都小金井市の西岡真一郎市長は14日、2期目の途中で辞職する。市立保育園の一部を廃園にする条例改正案の専決処分に踏み切ったものの、市議会の理解を得られず、「政治責任を取る」と説明する。保育園を巡って、何が起きていたのか。 「私が専決処分をしたことで、議会に混乱を招き、市民の皆さんにも大変な不安を与えた。責任をとらなくてはならない」 専決処分が市議会で不承認となった7日夜。西岡市長は議会閉会後の臨時記者会見でこう語り、辞職を表明した。専決処分は、緊急を要する場合に限り、地方自治法で認められている手続き。同法の「議会において議決すべき事件を議決しないとき」に該当するため、踏み切ったと市長側は説明。議会側の反発を招き、不承認となっていた。 「あまりにも急だ」保護者らに広がった疑問 「いきなり廃園に転じて、翌春には0歳児の募集をゼロにするという。あまりにも急だった」。市立園に2人の子を通わせる父親(46)は、市が廃園を打ち出した経緯を振り返る。 市は昨年7月、市立の5園中3園を廃園とする方針を公表した。まず2園で0歳児の募集を次年度から停止するなど、段階的縮小を図るという内容だった。 ただこれは従来の方針とは大きく異なっていた。市立園は民間委託の検討を経て民営化を進める方向で議論が進んできた。廃園に向けた準備の中止を求める署名活動が程なく始まり、6千人超の署名が市議会に提出される事態となった。 市は条例改正案の提出を1年先送りし、保護者ら市民や議会に説明を重ねた。しかし、高まったのは「廃園ありきで一方的だ」との批判。市側は待機児童が減る中、認可園などでは定員割れが生じつつある▽市立園の運営経費は民間園の2倍に近く、市の負担が重い▽市立園は老朽化が進み、過去の建て替え事例で5億円近くかかった、などと訴えた。だが、市立5園の父母会が共同で「対話を求める」との要望書を市に出すなど、溝は埋まらなかった。 廃園対象の園に長男が通う母親(29)は、子どもと過ごす時間や睡眠時間を削って、この問題と向き合ったという。「縮小する園に通う子どもへの影響はどうなるのか。施設老朽化に向けた財政的な手立てをしてこなかった理由は。いろいろと尋ねても満足な回答はなく、『説明を尽くした』とは言えない」と語る。 1年越しで市が条例改正案を上程した、この9月議会。市の答弁は、従来の説明を繰り返す内容が目立った。市議会厚生文教委員会は、専門家の意見を聴く必要があるとして、継続審査とすることを決めた。「公立園を2園に減らして、保育の質が担保できるのかといった整理が不十分だった」と継続審査に賛成した市議は説明する。 ただ来春の入園案内は10月に始まる。継続審査を待っていると、廃園対象の園で、0歳児の入園を止めることができなくなる。西岡市長はこの2日後、専決処分に踏み切った。今月12日に市議長あてに出した報告文書では、専決処分について「(議会の)承認が得られなかった場合でも効力に影響はない」としている。(井上恵一朗) 都内で進む保育園の「民間シフト」 東京都内では保育園の「民間シフト」が進んできた。今年、認可保育園は3569園と2004年の2・2倍に。一方、公立保育園は1010園から807園に減っている=グラフ。待機児童の解消を狙い、自治体側は民間園の誘致に取り組んできた。 公立保育園を存続すべきか。都内の自治体で対応がわかれています。各地の動きを取材しました。 背景にあるのは、小泉純一郎… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル