加藤あず佐2022年1月24日 11時00分 淡路屋(神戸市)が7日から、人気駅弁「ひっぱりだこ飯」の新作「たこ壺(つぼ)カレー」(1200円)の販売を始めた。たこつぼを模した定番の容器と包装に描かれたタコは、インド風のターバン姿に変身している。 甘めのだし汁で炊きあげたミンチをカレーペーストと合わせ、その上にマダコのうま煮を盛り付けた。同社の担当者は「タコの甘みとスパイスのバランスが絶妙です」と話す。 開発のきっかけは、社員たちの雑談だった。従来のひっぱりだこ飯の容器を眺めていた社員が、冗談のつもりでターバンを落書きしたところ、「似合う!」。そこから新作に向けた企画が進んでいったという。 7日から同社の直営店で販売を始めており、売れ行きは上々だ。各地の百貨店で開かれる駅弁の販売イベントで、実演販売も予定している。持ち前の吸盤で、客の心をしっかりつかんだようだ。(加藤あず佐) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
パートナーシップ制度、福岡県が4月導入の方針 住宅確保の一助へ
神野勇人2022年1月23日 18時30分 福岡県は4月から、同性カップルの関係を公的に認める「パートナーシップ制度」を導入する方針を固めた。県への届け出で、これまで認められなかった同性カップルの県営住宅への入居などが可能になる。県内の市町村や不動産業者にも協力を求める予定で、制度の普及を後押ししたい考えだ。 県によると、4月1日から宣誓書を届け出た同性カップルに対し、2人の名前や連絡先を書いたカード型の受領証を交付する。受領証を示せば、夫婦や親族に限られていた県営住宅の入居を認めるという。公営住宅をもつ県内の市町村や約5千の不動産業者にも制度の活用を要請し、住宅ローンを審査する金融機関にも協力を求めるという。 県内の市町村で同制度を導入しているのは、福岡、北九州、古賀の3市のみ。同性カップルが、制度がない市外へ転居する際に受領証を返還する必要があり、公営住宅が借りられないなどの問題があった。県の導入で、こうした問題が解消される見通しだ。 服部誠太郎知事は昨年9月の県議会で「同性カップルであることを理由に賃貸住宅の入居が困難となるなど社会生活上の障壁があり、(同性カップルが)生きづらさを感じている」と指摘し、制度の検討を明らかにしていた。 性的少数者の権利拡大に取り組むNPO法人「虹色ダイバーシティ」(大阪市)によると、宣誓制度は大阪府や佐賀県など5府県を含む147自治体が設けており、これまでに2500組を超える同性カップルが宣誓をしたという。(神野勇人) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「池袋の路上で初めて会った」82歳殺害容疑の24歳女が供述
2022年1月23日 18時57分 東京・池袋のホテルで男性(82)の遺体が見つかった事件で、殺人容疑で逮捕された住所・職業不詳の藤井遥容疑者(24)が警視庁の調べに対し、「事件当日に池袋の路上で初めて男性と会った」と供述していることが捜査関係者への取材でわかった。警視庁は藤井容疑者のスマートフォンを解析するなどして裏付けを進めている。 捜査1課によると、藤井容疑者は21日夜、豊島区池袋2丁目のホテル客室内で男性の胸と太ももをカッターナイフで刺すなどして殺害した疑いがある。司法解剖の結果、男性の死因は大腿(だいたい)動脈切断による出血性ショックだった。 捜査関係者によると、藤井容疑者は男性とは初対面だったとしたうえで、デートなどをする見返りに金銭などをもらう「パパ活」をしたことがあるとも話しているという。藤井容疑者は「トラブルになり、カッとなった」と話しており、経緯を詳しく調べている。 警視庁は23日、藤井容疑者と、藤井容疑者をかくまったとして犯人隠避容疑で逮捕した知人の男2人を送検した。 朝日新聞は現場から約300メートル離れた池袋駅北口付近の防犯カメラ映像を入手した。映像には、藤井容疑者と男性とみられる2人が21日午後8時10分ごろに路上で一緒に歩き出す様子が映っていた。ホテルにチェックインしたのはこの約5分後だったとみられる。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
氷原に青い航跡描くガリンコ号 コロナ禍で客層に変化も
北海道東部のオホーツク海沿岸に相次いで流氷が接岸し、流氷観光船の運航が本格化している。紋別市の紋別港からは23日、流氷砕氷船「ガリンコ号Ⅱ」が出港。ダイナミックに氷塊を割りながら流氷帯の中を航行し、真っ白な氷原に青い航跡を描いた。運航会社によると、コロナ禍で客層に変化がみられるという。 紋別市では21日に平年よりも18日早く、流氷が陸地に達して船が航行できなくなる「流氷接岸初日」を迎えた。ガリンコ号は20日から運航を始め、初日から流氷に遭遇している。 23日は2便が出港。午前10時30分発の1便は乗客約120人を乗せ、港を出てすぐに流氷帯に突入した。 船首の左右にある巨大なドリル(アルキメディアンスクリュー)を回転させ、ドーン、ドーンという衝撃とともに、直径1~3メートルほどの流氷を砕き、豪快に氷原の中を前進。その迫力に乗客らは「すごい!」「すごい!」とマスク越しに声を漏らしていた。 紋別港の防波堤の上には国の天然記念物のオオワシが羽を休め、流氷の上にはアザラシの姿も。 千葉県内から網走市へ単身赴任中という公務員立原秀一さん(54)は、オホーツク地方で流氷シーズンを迎えるのは初めて。網走から列車とバスを乗り継いでやってきた。「ものすごく楽しみにしていました。これだけの規模の氷を見られて感無量です」 運航会社のオホーツク・ガリンコタワーによると、コロナ禍になって以降、海外からの観光客がゼロになり、首都圏や関西圏からの乗客も大きく減った。その代わりに道内客の割合が増加。年齢層にも変化がみられ、コロナ禍前は年配者が多い傾向だったが、今では若者が増えてきたという。 同社では、新型コロナウイルス感染症対策として、定員195人のガリンコ号Ⅱの乗客の上限を145人とし、乗客全員に乗船前の検温、手指のアルコール消毒、乗船中のマスク着用の協力を呼びかけている。 同社営業部企画主任の佐賀司さんは「平年よりも早く流氷が接岸し、多くの人に楽しんでもらえています。ただ、自然のものですので、今日はあっても明日は遠ざかっていることもあります。その点はご了承下さい」と話している。 問い合わせは、オホーツク・ガリンコタワー(0158・24・8000)へ。(神村正史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「一緒に奏でることが大事や」丸谷明夫先生が引き出した生徒の力と音
吹奏楽の名指導者で、「丸ちゃん」の愛称で親しまれた丸谷明夫さんが2021年12月7日に76歳で亡くなりました。大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の顧問を長く務め、全日本吹奏楽コンクールに41回出場し、32回金賞を受賞しました。生徒らを育て導いたその手腕と情熱を振り返ります。この記事は、2016~17年に淀工吹奏楽部に密着取材し、朝日新聞大阪版で連載した「オトノチカラ 淀工物語」(全12回)を再構成しました。(肩書や年齢、コンクールなどでの演奏・受賞歴は掲載当時のものです) 強化合宿と思いきや… 兵庫、鳥取の県境にある氷ノ山(標高1510メートル)。高原の山々に、トランペットやフルートの澄んだ音色が響き渡った。 「気持ち良い」「全然違う」 そう声を弾ませる後輩たちを横目に、小橋新大君(3年)は「この合宿で、みんなをまとめるきっかけをつかもう」と心に決めていた。 淀川工科高校吹奏楽部は鳥取県若桜(わかさ)町の宿泊施設で2016年7月23日から2泊3日の合宿に入った。全日本吹奏楽コンクールに向けた強化合宿と思いきや、顧問の丸谷明夫先生(70)は「強いて言うならリフレッシュ」。技術を磨くだけなら学校で十分。普段と違う環境で、自分を見つめ直してほしいと例年、続けてきた。 クラリネット担当の小橋君は4月から、ファゴットの浜脇穂充君(3年)とともに部長になった。元々、物怖(ものお)じせずに言うタイプ。 部長になり、なるべくみんなの意見に耳を傾けようとしたが、うまく引き出せず、結局自分の考えを言ってしまい、どこか空回りしていた。ソロパートを吹くと仲間から「やり過ぎ」「独りよがり」と言われた。どうすべきか悩んでいた。 悩んだ部長の気づき 迎えた合宿。山場は2日目の夕方にある地元の人たちを対象にした野外演奏会だった。小学生からお年寄りまで、幅広い年代の聴衆が一緒に楽しめるよう演出には工夫をこらした。 野外演奏会では小道具も使って会場を盛り上げた=2016年7月、鳥取県若桜町、大蔦幸撮影 「幸せなら手をたたこう」の曲では、楽器を置いた部員が右手と左手を描いた看板を振って拍手を求め、「ふるさと」では歌詞を書いたボードを掲げてみんなで歌うようにした。 当日は600人以上が集まり、演奏の合間に曲当てゲームなどをした。「ヤングマン」「明日があるさ」では1年生が衣装を着てダンス。約200人の部員全員で盛り上げ、拍手喝采を浴びた。 「淀工の演奏を喜んでくれる人がこんなにいる。自信になった」と小橋君。合宿で自分と向き合い、聞く姿勢が足りなかったと気づいた。 学校に戻るとミーティングではあえて黙り、聞くことに徹した。すると様々な意見が出るようになった。「みんなの声がやっと聞こえるようになってきた」と笑顔を見せた。 そして間近に迫ったコンクール。淀工は8月13日の府大会で特別演奏をし、28日の関西大会に挑む。全国の舞台で、再び「淀工サウンド」を響かせるための真剣勝負がいよいよ本格化する。 ◇ (2016年8月4日朝日新聞大阪版掲載) オーディションに「負けられへん」 2016年7月末、淀川工科高校吹奏楽部の練習室で、トロンボーンのパートリーダー近田優月さん(3年)は緊張していた。全日本吹奏楽コンクールへの切符をかけた関西大会を約1カ月後に控え、部員全員で出場メンバーを決めるオーディションがあった。 「オーディションをします」… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
福井・岡山でコロナ感染が過去最多に
2022年1月23日 15時30分 福井県は23日、新たに128人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。1日あたりの感染者数としては、1月20日の109人を上回り、過去最多を更新した。 県内の感染者数は延べ4237人。 岡山県内で23日、過去最多となる572人の新型コロナウイルス感染が発表された。1日あたりの新規感染者が過去最多を更新するのは5日連続。市町村別では岡山市が300人、倉敷市が146人などとなっている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「ファミチキ」の揚げ油がバスの燃料に 佐賀市で実証実験
「ファミチキ」を揚げた油でバスを走らせる? ファミリーマートの「ファミチキ」=同社提供 家庭で使った食用油から燃料を作っている佐賀市が、コンビニ大手ファミリーマートの協力を得て、取り組みを加速させている。ただ、現状では普通の軽油よりもコストがかかるため、協力店舗を増やし、コストの削減につなげたいという。 高品質バイオディーゼル燃料で走るバス=2021年2月27日午後2時24分、ファミリーマート提供 バスからファミチキのにおいはするのか……。1月21日、記者がJR佐賀駅バスセンターで排ガスのにおいをかいでみたが、街中を行き交う車と変わらない気がした。市交通局の担当者によると、かつては天ぷらを揚げたときのようなにおいがしたが、最近は精製技術が向上し、においはしないという。 ファミリーマートの店舗から使用済み油を回収する佐賀市職員=2021年9月14日午前10時35分、佐賀市、松岡大将撮影 市職員が市内のファミマの店舗を定期的に巡回し、人気商品「ファミチキ」などを揚げた食用油を軽トラックで回収する。 市の清掃工場に運んでタンクに入れ、不純物を取り除いた後に専用の機械に通すと、3日で軽油と同等の品質とされる「高品質バイオディーゼル燃料」が精製される。 集めた使用済み油をタンクに移し替える佐賀市職員=2021年9月14日午前11時14分、佐賀市高木瀬町長瀬、松岡大将撮影 佐賀市は2004年度から、家庭や飲食店で使った食用油を回収して燃料にリサイクル。市バスやごみ収集車計90台ほどに使っている。 市が回収する廃油は年間約1… この記事は会員記事です。残り568文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「恥ずかしながら…」横井庄一さん帰国50年、励まされた生きる力
敗戦後もグアム島の密林に潜んだ元日本軍兵士・横井庄一さん(1915~97)が、現地で住民に「発見」されてから、24日で丸50年となる。まだ戦争の傷痕が深く、帰国は熱狂的に迎え入れられたが、当時を知らない女性たちがいまもその生涯を語り継ぐ。伝えたいのは、困難を残り越えた「生きる力」だという。 終戦後もグアム島で逃亡…72年に「発見」 グアム島の旧日本軍は1944年8月に玉砕した。翌年の終戦後も横井さんは逃亡を続け、72年1月24日、住民に見つかった。帰国時、「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」という言葉は、捕虜になることを禁じた旧日本軍の命令を思い出させ、大きな話題になって同情を誘った。 当時の朝日新聞記事によると、帰国した同年2月2日の羽田空港には3千人が出迎えた。同年11月に結婚した妻美保子さん(94)は、2人で新幹線に乗ると、反対側のホームからも手を振られ、人だかりができたことを覚えている。ただ、励ましだけではなく、「なぜ自分だけ帰ってきた」と戦没者遺族からの夜の電話も絶えなかった。 美保子さんは、帰国時に全国から寄せられた見舞金で建てた名古屋市中川区の自宅を2006年に改造し、記念館を開いた。「皆様にお返しを」という横井さんの遺志を引き継ぎ、一時は1日500人もの来館者に対応した。だが高齢にコロナ禍が重なり20年から休館。京都市内の親戚宅にいる美保子さんは「帰るのは難しい」状況という。 でも、横井さんを忘れない人たちがいる。 神奈川県厚木市で整体院を営… この記事は有料会員記事です。残り1292文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
畑で軽トラに挟まれた男性に迫る炎…無我夢中で救出 3人に感謝状
渡辺純子2022年1月23日 11時30分 畑で炎上する車に挟まれた人を助け出したとして、福岡県筑前町の3人に7日、甘木・朝倉消防本部から感謝状が贈られた。「双方にとって非常に危険な状況の中、協力して尊い人命を救った」とたたえられた。 感謝状が贈られたのは、いずれも同町四三嶋(しそじま)の中西徹さん(73)、上田晋也さん(35)、岡部雅裕さん(44)。 昨年11月3日午前11時50分ごろ、四三嶋の畑で作業をしていた男性(76)が、隣の畑の人が運転する軽トラックと接触。あぜと軽トラの間に両足を挟まれた。やがて軽トラの後部から火が出た。運転していた人は助けを求めに走った。 中西さんはたまたま車で外出しようとして火に気づき、駆けつけた。知り合いの男性が挟まれているのを見て、「車はいいから人を助けないと」と、男性の脇に手を入れて引っ張った。 ドーンと音がして後部から火柱が上がった。火が運転席に近づき、フロントガラスがバリバリと砕けた。音を聞いて近くの上田さんと岡部さんも駆けつけた。片足は抜けたが、もう片方が抜けない。火がじりじりと迫る中、男性の長靴が脱げてようやく抜けた。救急隊が到着した時、軽トラは運転席まで火に包まれていたという。 男性は足の骨折で入院したが、やけどはなかった。中西さんは「怖いとか熱いとか、その時は全然思わなかった。助かってよかった」、岡部さんは「無我夢中だった。救急車を見てホッとした」、上田さんは「とりあえず男性の命が助かってよかった」と話した。(渡辺純子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
無機質な番号、いつか名前に 墓園の事務所で待ち続ける二つの骨箱
【宮城】がらんとした空間に、冬の日が差している。仙台市葛岡墓園(青葉区)の管理事務所の一室に、震災犠牲者のものとみられる遺骨が2柱、保管されている。 二つの骨箱に、それぞれ番号がついている。 「61―A―6」 「57―RC4」 以前はもっと小さなケースに入っていた。骨片で見つかった部分遺骨だ。だとしたら、DNA型鑑定による特定のハードルは高い。ひょっとしたら、ほかの部分はすでに身元が判明しているかもしれない。 参る人のいない祭壇の水とお茶は、墓園職員がこまめに換える。11日の月命日前後に欠かさず、市内の愚鈍(ぐどん)院の中村瑞貴(みずき)住職(62)が供養に来る。 震災直後、墓園そばの葛岡斎場に、次々と遺体が運ばれてきた。中村さんは仲間の僧侶と交代でひと月余り、悲嘆にくれる家族のそばで読経を続けた。だから最後の1柱まで、行く末を見届けるのが使命だと、思い定めているという。 宮城県内の自治体や寺が預かり続ける震災関連の身元不明遺骨は、2年前の聞き取り調査では約70柱。無機質な「番号」が「名前」に書き換えられるのを、今も待ち続けている。 誰かが迎えに来るのを、待ち続けている。(編集委員・石橋英昭) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル