入試シーズンが始まります。コロナ下で頑張る受験生たちへ、校長からのメッセージをお届けします。 校長から受験生へ:洗足学園中学高等学校・宮阪元子さん ちまたでは中学受験は大変だと言われていますが、ひとりの人の、その後の成長を見据えた通過点という意味で、とても有意義なものだと思っています。確かに、コロナ下であろうとなかろうと、最近の中学受験は競争率も高く大変です。でも、自分で志したことならば、どんな結果になったとしても大きな経験になります。 知らないことを知ることは楽しいことです。受験勉強を通じて知識は増えます。ただ、不透明なこれからの時代に必要なのは、知識ではなく、経験に基づいた知恵だと思っています。 科学技術が発達し、不可能と思われていたことが次々と可能になってきています。みなさんの前には新しい未来を創り出していける可能性が大きく広がっているのです。だからこそ、中学高校時代には、これまでの知識をもとに知恵を磨き、生きていく力を十分に蓄えてください。時代を真摯(しんし)に見つめ、多様な意見に耳を傾けながら、思考を深められる大人になってほしいと願っています。 人生は木のようなものだと、語ってくれた卒業生がいます。進路をはじめ、どちらの道を行くか選択を突きつけられる場面がこれからもたくさんあるでしょう。でも、それは選ばなかった道を捨てたことにはなりません。枝を進み、「自分に合うのはこの道でなかった」と思ったら幹に戻り、また違う枝を進めばいい。枝はたくさんあるのですから。そのためにも、幹はしっかりしたものにする必要があります。 へこたれてもいいし、くじけてもいい。大切なのは、全ての経験が学びになっていると信じて、目標に向かって頑張った自分を認めてあげることです。それを繰り返すことで幹は太くなっていく。卒業生と触れ合う中で私が実感していることです。受験は点数で合否が決まりますが、自分と他人は違う「木」なのですから、本来他人と比べる必要はありません。自分が培ってきた力を最大限発揮することが何より重要です。 コロナ禍で休校を余儀なくされた期間も、オンライン授業で学習の遅れは発生しませんでした。反響が大きかった取り組みの一つに高校2年生に対して行った「哲学的な対話」があります。「個でありつつ、ともにあるとは」「あなたにとってあなたらしいとは」など35題の答えのない問いを3カ月間出し続けました。生徒たちは真剣に考え、リポートとしてまとめてくれました。閉塞(へいそく)感のある生活の中で、抱えているもやもやを文字に表すことで何かを学び取ってくれていたらうれしいですね。 対面授業が復活して再認識しましたが、学校は生徒の生き生きとした声があってこそ成り立つ場所です。集団生活の中で、意図しない形で心の琴線に触れる何かがある。部活だったり、何げない会話だったり、人それぞれ違うでしょう。卒業してしばらく経って、「あれってそういうことだったのか」と腑(ふ)に落ちることもある。それができるのが学校だと感じています。(聞き手・川口敦子) ◇ 〈みやさか・もとこ〉 1961年、横浜市生まれ。早稲田大学卒業後、中高の女子校の教員を経て結婚を機に退職。1997年、洗足学園の国語科教師に。教頭、副校長を経て2017年から校長を務める。 ★洗足学園中学高等学校 ・所在地:川崎市高津区久本 ・創立:1924年 ・生徒数:中学768人、高校701人 ・進学実績:東京大10人、京都大3人、一橋大6人、慶応義塾大101人、早稲田大110人 ・オンラインを活用し、フィリピンやニュージーランドなど現地の同世代の生徒と交流しながら、多様な価値観を学ぶプログラムを実施。中学3年間をかけ、一つの楽器を習得し、中3ではクラス単位でオーケストラの合奏を行っている Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
土地の相続時の免税拡充へ 「所有者不明土地」の増加を防ぐ狙いで
土地の相続を登記する際にかかる登録免許税を免除する措置が、来年度から拡充される。対象外だった市街地も新たに対象に加え、一筆の土地価格の上限を10倍の100万円に引き上げる。税負担を軽くして登記を促し、所有者のわからない土地が増えないようにするのが狙いだ。24日に閣議決定された来年度の政府税制改正大綱に盛り込まれた。 土地の相続登記時の登録免許税は一筆ごとにその価格の0・4%が課されるが、登記簿上の所有者が亡くなっていたり連絡が取れなかったりする「所有者不明土地」対策の特例として、2018年11月から一部で免除されている。土地一筆の価格が10万円以下で、市街化区域外にある場合などが要件で、昨年度末までに約29万件に適用された。法務省は、需要が少なく放置されやすい土地で効果を上げているとみる。 だが、要件に当てはまらない土地でも登記されない例が相次いでいる実態が判明。現在の措置が今年度いっぱいで期限を迎えるのにあわせ、市街化区域内も加えるなど対象を広げ、期間も3年間延長することにした。法務省によると、建物を含む不動産の相続登記は年約100万件の申請があるといい、登録免許税は総額500億円ほどという。 所有者不明土地は国の調査で… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
佳子さま、27歳に 皇室27日~1月9日
天皇、皇后両陛下や皇族方の予定を毎週更新します。皇室の方々は様々な行事や式典、宮中祭祀(さいし)などで多忙な日々を送っています。紙面では掲載しきれない公務も紹介します。 宮内庁は27日~1月9日の予定を発表した。秋篠宮家の次女佳子さまは29日、27歳の誕生日を迎える(表記は宮内庁発表に準じます。予定は変更されることがあります)。 天皇、皇后両陛下、愛子さま 12/27(月) 天皇陛下 宮殿(国会終了につき、衆参両議長からあいさつ) 1/1(土) 両陛下、愛子さま 宮殿など(新年祝賀行事) 1/2(日) 天皇陛下 皇霊殿(元明天皇千三百年式年祭の儀) 1/3(月) 天皇陛下 宮中三殿(元始祭の儀) 1/4(火) 天皇陛下 宮殿(奏事始の儀) 皇嗣家(秋篠宮ご一家) 12/31(金) 佳子さま 神嘉殿前庭(大祓の儀) 1/1(土) 秋篠宮さま、佳子さま、悠仁さま 宮殿など(新年祝賀行事) 1/2(日) 秋篠宮さま、佳子さま 皇霊殿(元明天皇千三百年式年祭の儀) 1/3(月) 秋篠宮さま、佳子さま 宮中三殿(元始祭の儀) 1/6(木) 秋篠宮ご夫妻 赤坂東邸(赴任オマーン大使夫妻と面会) 1/7(金) 佳子さま 武蔵野陵(昭和天皇祭山陵に奉幣の儀) 秋篠宮さま 皇霊殿(昭和天皇祭皇霊殿の儀、昭和天皇祭御神楽の儀) 常陸宮家 1/1(土) 常陸宮さま 宮殿(新年祝賀行事) 三笠宮家 1/1(土) 百合子さま、信子さま、彬子さま、瑶子さま 宮殿(新年祝賀行事) 1/2(日) 彬子さま、瑶子さま 皇霊殿(元明天皇千三百年式年祭の儀) 1/1、2(土、日) 信子さま 奈良県(元明天皇山陵千三百年式年祭の儀) 1/3(月) 彬子さま、瑶子さま 宮中三殿(元始祭の儀) 1/4~6(火~木) 瑶子さま 大阪府(第55回全国道場少年剣道大会及び全国道場少年剣道選手権大会) 1/7(金) 彬子さま 国立競技場(ジャパンラグビーリーグワン2022開幕戦) 1/9(日) 彬子さま 国立競技場(第58回全国大学ラグビーフットボール選手権大会決勝) 高円宮家 12/27(月) 久子さま 味の素フィールド西が丘(高円宮杯JFA第33回全日本U-15サッカー選手権大会決勝戦) 1/1(土) 久子さま、承子さま 宮殿(新年祝賀行事) […]
電気代200円だった記者が、八ケ岳に築40年の古家を買ったわけ
続・5A生活はもうやめた~エコハウスをつくろう① SDGsもカーボンニュートラルもじぶんごと。誰もが当たり前に使っている電力会社の電気やガス、灯油といったライフラインを自ら断って、太陽光、太陽熱、薪の再生可能エネルギーで暮らしを成り立たせることはできないか。 「再エネは不安定で無理だろう」「不便な暮らしに逆戻りするのか?」。そんな声をいったん受け流し、エコハウスをつくってみよう。エネルギー100%自給、二酸化炭素排出ゼロを目標に、いま、自分がやれることを、やりすぎるほどやってみる。旗を掲げると、「おもしろい」「やってみよう」と得意技を携えた多士済々も各地から集まってきた。 2012年に「5アンペア生活」の節電道に踏み入ってからもうすぐ10年。八ケ岳南麓(なんろく)で真剣に、楽しく、時にちょっと苦しみながら記者自身が家づくりに挑む4年越しのエコハウス「ほくほく」プロジェクトの話です。 八ケ岳南麓の家の現状。窓からは南アルプスや八ケ岳の山並みが見える かつて、これだけ気持ちのいい風呂に入ったことがあっただろうか。きっと、あったのだろう。北海道から沖縄まで、名湯、秘湯、たくさんの湯につかっている。なのに、いま、ひざを抱えなくては入れないくらい小さいユニットバスで体を折りながら、声がもれる。「あー、最高だよ」 全身を包み込む湯はどこまでもやわらかく、やさしい、ような気がしてならない。これまで入ってきたどの風呂とも明らかに違う点があるからだ。それは浴槽を満たしているのが、灯油やプロパンガス、都市ガスといった化石燃料ではなく、太陽の力があたためた湯ということ。「太陽熱温水器」が設置されて、初の入浴を果たしたのだ。 敷地の入り口に設置した「太陽熱温水器」。太陽の熱を集め、タンクの水をあたためる 敷地の入り口に設置された温水器は太陽の熱を集め、冷たい水をじんわりあたためる。日射さえよければ、湯温は100度近くまで上がることもある。エコハウス「ほくほく」が理想の形に近づいていく。気分爽快。ここまでの10年が思い出される。 筆者は東日本大震災で被災。その後、東京に引っ越して電気契約を5アンペアに下げ、超節電の道を歩みはじめます。節電初心者ながらさまざまな工夫を繰り出し、4千円ほどだった月の電気代は200円を切り、170円になりました。どんな実践をしたのでしょうか。 東京勤務、だけれど八ケ岳のふもとに初のマイホーム 30歳を前に、テレビディレ… この記事は有料会員記事です。残り4223文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【1/24まで】2つの記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
名古屋の「風俗王」、愛媛に築いたもう一つの王国
風俗店グループ「ブルー」を展開し、「風俗王」とも呼ばれた男が起訴された。ブルーの店は名古屋から姿を消したが、約400キロ離れた四国に進出。「再興の芽を摘む」(捜査幹部)ための捜査で、松山市内の店にからむ職業安定法違反の罪で立件した。 事件の現場となった店は、日本三古湯の一つといわれる道後温泉エリアにある。 12月半ばの平日の夜に訪ねた。 歓楽街にネオンがきらめく。スーツや浴衣を着た男性たちが、きらびやかなビルに吸い込まれていく。 「あそこの店とかオススメですよ」 風俗案内所の男性が、向かいのビルを指しながら話しかけてきた。 記者が、その2軒隣の雑居ビルの名前を口にすると、男性の表情が突然曇った。 「紹介できない。関わりがないので……」 そのビルは風俗店グループ「ブルー」の関連会社が管理している。 店で働く20代女性に話を聞いた。 数カ月前にスカウトから声を掛けられ、関東地方から「出稼ぎ」で来たという。 松山に来るのは月に1~2回、1週間ほど滞在する。松山には縁もゆかりもないため、知り合いに見つかる心配がないのだという。 「ほかの店に比べて女性の数… この記事は有料会員記事です。残り938文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【1/24まで】2つの記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
禰豆子が待ったうどん屋あった浅草 「鬼滅」で描かれた繁栄はいま
大正時代、凌雲閣(浅草十二階)から8方向に撮影された写真(絵はがき=江戸東京博物館所蔵)をつなげた画像。写真の境目などは完全にはつながっていない。江戸東京博物館でも同様の展示がされており、明治、大正、現在のほぼ同位置から撮影した浅草の眺めの比較が可能となっている 朝日新聞社では、明治・大正期からの写真約2千万枚をフォトアーカイブで所蔵している。大ヒットアニメ「鬼滅の刃」に描かれている大正時代の浅草の写真も、大量に残されている。 主人公の炭治郎が、妹の禰豆子(ねずこ)とともにやってきた浅草。最大の敵である鬼舞辻無惨を見失った炭治郎は、禰豆子を待たせていた屋台のうどん屋に戻ってくる。 東京といえば、「うどんより、そば」という印象を持つ人も多いのではないだろうか。しかし、明治維新後の東京では、うどんはそばをしのぐほどの人気になっていったようだ。 1881(明治14)年に初演された河竹黙阿弥の歌舞伎「島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)」に、こんなシーンがある。男2人が屋台のそばを食べながら、こう語り合う。 「以前と違って夜たかそばは、売り手が今じゃ少ねえようだね」 「おっしゃる通り山の手ばかり、下町にはござりませぬ」 「そのかわりなべ焼きうどんが1年増しに多くなった」 マンガで登場した「凌雲閣」は爆破処理された 江戸を描いた時代劇で出てくる屋台といえば、そばだが、「鬼滅の刃」の舞台は大正時代。ここでうどんの屋台を登場させた「鬼滅」の演出に、思わずうなった。 江戸東京博物館の沓沢博行学芸員に問い合わせたところ、この、大正時代の浅草の「うどんの屋台」を撮影した写真を収蔵していた。しかし、著作権が切れていない可能性があるため、小欄で紹介することができない。そのかわりに、「おでんの屋台」の写真を提供してくれた。 どこかの商家で奉公している小僧さんだろうか。写真説明に「未来ノ紳士(嬉シイ一日)」とある。ハンチングをかぶった3人は、同じ装いに見える。店から支給される「お仕着せ」だろうか。うまそうに、おでんをほお張っている。 大正から昭和初期のおでん屋(絵はがき)。撮影場所は分からないが、写真からは当時の様子が伝わってくる。絵はがきの説明は「未来ノ紳士(嬉シイ一日)」となっている=江戸東京博物館所蔵 1923(大正12)年9月1日の関東大震災は、東京と横浜を壊滅させ、10万人を超える犠牲者を出した。 「鬼滅の刃」でも描かれている赤レンガの凌雲閣(浅草十二階)は、8階部分から折れ、震災から3週間後の9月23日に爆破処理された。この爆破には大勢の見物人が集まり、ある種のイベントのような雰囲気だったようだ。朝日新聞は、「明治二十四年来の名物は永遠に地上から去った」と報じている。 1923年の関東大震災で全焼した浅草仲見世=朝日新聞社 1923年、9月23日、爆破され、崩れ落ちる凌雲閣。「浅草十二階」と呼ばれ、浅草のシンボルの一つだったが、関東大震災で上部が崩壊、爆破解体された=朝日新聞社 浅草から隅田川を挟んだ対岸に位置する、墨田区両国の陸軍被服廠(ひふくしょう)跡では、最悪の被害が出た。 JR両国駅の北側に、江戸時代には幕府の資材保管所である「御竹蔵(おたけぐら)」があった。「本所七不思議」の「おいてけ堀」があったのが、ここだ(諸説あり)。 明治維新後、御竹蔵には陸軍の軍服を作る被服廠(ひふくしょう)が置かれた。それを解体して公園整備しようとした矢先に、関東大震災が襲った。 更地となっていた跡地に、大八車に家財道具を満載して逃げてきた人たちが殺到した。ほっと安心したのもつかの間、四方から炎に包まれ、家財道具に引火。火災による竜巻「火災旋風」が発生し、逃げ場を失った約3万8千人がここで焼け死んだ。 1923年、関東大震災後、浅草寺の本坊、伝法院に避難した被災者(絵はがき)。伝法院には10月にテント張りの無料宿泊所がつくられた=朝日新聞社所蔵 浅草寺を守り、再建した「ひょうたん池」 関東大震災での旧東京市の犠牲者は7万人弱。その半数以上が、ここで命を落としたのだ。震災後に東京都慰霊堂が建設された、現在の横網町公園である。 1923年 関東大震災後、露店が並ぶ浅草寺の境内。本堂は救護所になっていた=朝日新聞社 浅草公園にも、人が殺到した。7万人が逃げてきたとされる。風向きなどの幸運もあったかもしれないが、浅草公園には家財道具を持ち込ませなかったことも幸いしたようだ。そして、避難者たちが、本堂などの浅草寺の伽藍(がらん)を守った。「鬼滅の刃」にも描かれている「ひょうたん池」の水で、消火活動にあたったという伝承もある。 関東大震災の業火から浅草寺を守ったひょうたん池は、戦後もう一度、浅草寺を救う。 1953年、東京大空襲で焼失し、再建中の浅草寺本堂(後方)。手前は仮本堂で、現在の淡島堂=朝日新聞社 1951年10月。明治初年から浅草寺一帯を「浅草公園」としてきた東京都は、その土地を浅草寺に返還した。当時、東京大空襲で焼き尽くされた浅草寺には、本堂がなかった。そこで、返還された土地を元手に、再起をめざした。明治時代に掘削した「ひょうたん池」を再び埋め戻して売却。本堂の再建費用に充てた。ひょうたん池は、その水で関東大震災から浅草寺を守り、姿を消すことで、浅草寺を再建したのである。 浅草寺の本尊は聖観世音菩薩(ぼさつ)。秘仏中の秘仏とされ、645年(大化元年)以来誰も見ていない、ともいわれる。実在が疑われたので明治初年に確認した、ともいわれる。いずれにしても、秘仏を目にした存命者は、いない。 1945年3月10日の東京大空襲で、浅草寺は全焼。江戸初期の慶安年間に建立された本堂も失われた。しかし、秘仏は万一に備えて厨子(ずし)ごと青銅の手水(ちょうず)鉢に収められ、地下3メートルの土中に安置されていたため、焼失を免れた。 現在の淡島堂=吉田耕一郎撮影 現在の淡島堂=黒瀬昌明撮影 消えた「東洋一」、衰退の原因は 戦争が終わると、浅草寺はただちに仮本堂を設け、秘仏を安置した。戦火を生きのびた浅草寺の本尊は、焼け野原から立ち上がろうとする庶民の希望の光だったという。この仮本堂は現存しているが、ここを参拝する者は少ない。平成に入って本堂の西側に移築された「淡島堂」である。 しかし、浅草は衰退していく。 江戸時代から明治維新後も、日本最大の繁華街だった浅草。だが、新宿など新たな街に、にぎわいを奪われていった。 いつ、衰退が始まったのか。関東大震災で壊滅したから――ではない。 震災後、浅草はあっという間に復興していった。朝日新聞社に、震災1年後に撮影された浅草寺・仲見世の様子を撮影した写真が残されていた。まさに、震災から復興しようとする浅草が切り取られている。 1937(昭和12)年、開館した浅草国際劇場(絵はがき)=朝日新聞社所蔵 1937(昭和12)年には、国際劇場が開業する。松竹が建設した、鉄筋コンクリート4階建ての劇場。収容人員4千人超という東洋一の巨大劇場だった。 浅草の衰退は、戦争による被災が原因でもない。前述の通り、戦後も庶民の希望だった。では、いつ衰退が始まったのか。 昭和30年代ごろの浅草国際劇場=江戸東京博物館所蔵 テレビの普及と娯楽の多様化が原因、といわれている。高度成長期に入ってから劇場や映画館には閑古鳥が鳴き、「江戸随一」「東京随一」だった繁華街・浅草は、新宿や渋谷にその看板を奪われていった。 2012年10月21日。最後の映画館3館が閉館した。1903年に日本初の常設映画館「電気館」から続いていた映画の灯火(ともしび)が、浅草から消えた。 浅草六区から西に1本道路を隔てたところに、かつて「国際劇場」があった。閉館したのは、39年前の1982年。跡地は、いま「浅草ビューホテル」となっている。 国際劇場か……。その威容はカラー写真に残っているだけで、「東洋一」といわれた建物は何も残っていない。 だが、往年の面影が、いまもかすかに残っている。 ホテルの目の前を走る、都道462号。通称「国際通り」である。(抜井規泰) Source […]
大雪で滋賀県内のJR琵琶湖線に乱れ 未明に電車7本足止め
2021年12月27日 2時00分 「数年に一度」の強い寒波による雪の影響で、滋賀県内のJR琵琶湖線で26日夜から27日未明にかけ、ダイヤが大きく乱れた。 JR西日本によると、同県米原市の米原駅構内で雪のため分岐器が動かせなくなり、米原行きの電車2本が途中駅で発車を一時見合わせた。琵琶湖線では27日午前1時20分現在、7本の電車が足止めされているという。 JR西は27日、京阪神エリアを発着する特急計26本を運休する。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「色鉛筆を使わせて」 贖罪のため絵を描く死刑囚、この世でも償いを
償いのため続けてきた絵画のため、色鉛筆を使わせて――。家族3人を殺害した奥本章寛死刑囚(33)が、法務省の内規変更で今年から使用できなくなった色鉛筆を再び使えるよう求めて、東京地裁で国と争っている。「絵を描くという自分なりの償いを最後までしたい」と訴えている。 22歳だった奥本死刑囚は2010年、宮崎県の自宅で長男(当時5カ月)の首を絞め、妻(同24)と義母(同50)をハンマーで殺害した。義母から故郷や実家の両親を非難されたり、たたかれたりして悩んでいたといい、逮捕後に実家に宛てた手紙に「居場所がなかった。毎日が地獄だった」と書いた。 一審・宮崎地裁は「動機に同情の余地がないとはいえない」としつつ「罪責は重大」として死刑を言い渡し、14年に確定した。 記事の後半では、死刑囚に何が認められ、認められていないのかといった普段の生活なども紹介します。 法務省が内規変更 色鉛筆が使用不可に 絵を描き始めたのは、このこ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
踏切内で高齢男性がはねられ死亡 手押し車がはさまったか 奈良
清水謙司2021年12月26日 22時20分 26日午後3時55分ごろ、奈良県大和高田市中三倉堂1丁目の近鉄南大阪線高田市―浮孔(うきあな)間の踏切で、男性が古市発橿原神宮前行きの普通電車(2両編成)にはねられた。男性は死亡が確認された。 高田署によると、男性は高齢で、踏切近くに手押し車の車輪などが散らばっていた。署は、手押し車の車輪が踏切内の溝にはまった可能性もあるとみて調べている。 近鉄によると、事故で上下18本が運休・部分運休し、約4千人に影響した。(清水謙司) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
鳥取自動車道で一時2キロ超の立ち往生 雪の影響、大型車両が止まる
2021年12月26日 23時00分 鳥取県によると、26日午後6時過ぎ、鳥取県智頭町の鳥取自動車道上り線福原パーキングエリア付近で、大型車両が雪の影響で走行できなくなった。現場は上り坂で、一時は約2・1キロにわたって77台の車が立ち往生したが、午後10時38分に解消したという。 国土交通省鳥取河川国道事務所によると、体調不良を訴える人などの情報は入っていないという。午後8時25分ごろから智頭インターチェンジ(IC)―大原IC間を通行止めにしている。除雪作業が終わり次第、解除するという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル