宮脇稜平2021年8月12日 12時51分 24日の東京パラリンピック開幕に向け、聖火に用いる火をおこす「採火式」が12日、各地で始まった。津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市では、気仙大工左官伝承館にある、阪神・淡路大震災で被災した神戸市から分灯を受けたガス灯「3・11希望の灯(あか)り」から採火された。 式では、伝承館のある公園管理責任者で、約10年前に分灯を実現させた藤原直美さん(77)らが採火。「国立競技場で大きな火になったとき、犠牲者を悼む灯りの価値観が、アスリートや観客などみんなで共有されれば」と、復興とパラの成功へ期待を語った。 ギリシャで採火する五輪と異なり、パラは全国約880の自治体で採火式を行う。17日から会場のある東京、千葉、埼玉、静岡の4都県で順次聖火リレーを実施予定だったが、静岡以外は公道でのリレーを中止し、式典を開く。20日に東京に火を集め、21~24日は都内で式典が開かれ、開幕する。(宮脇稜平) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
最期は会わせてほしかった あいまいな喪失の向き合い方
葬儀ができなかった、死に目に会えなかった、亡くなったのは私のせいか――。そんなコロナ下での死別に伴う遺族の悩みや苦しみを支えようと、グリーフ(喪失)サポートに取り組む団体が小冊子を作った。遺族らに無償で配布し、共感が広がっている。 題名は「コロナ下で死別を経験したあなたへ」。東日本大震災でも遺族ケアにかかわった一般社団法人「リヴオン」(東京都荒川区)がクラウドファンディングで資金を集め、4月に1万部を刷った。7月末現在、遺族ら約3500人の手にわたった。 代表の尾角(おかく)光美(てるみ)さん(37)は9年前、兄を亡くした。遺体は一人暮らしの自室で、死後数週間経って発見された。死因は不明。状態が悪く、警察で「見ない方がいい」と言われ、最期の対面ができなかった。「死の実感がわいてこない」。東日本大震災の遺族や不明者家族が抱える「あいまいな喪失」の難しさを身をもって知った。 尾角さんは5年前から英国の大学院に在籍し、グリーフサポートの社会政策を研究している。欧米のメディアではコロナによる死者の人となりを伝えるコーナーができたり、医療従事者が患者や同僚を亡くすつらさを実名で訴えたりしてきた。一方、昨年帰国した日本では、偏見や差別を恐れ、多くの人がコロナによる死を公にしていなかった。「亡き人をしのび、語らうという大切な機会が奪われている」と感じた。 人づてに国内の遺族や医療従… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:963文字/全文:1561文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「入隊試験」で傷害容疑、不良集団3人逮捕 夜の公園で
森下友貴2021年8月12日 8時54分 知人の少年に暴行を加えて重傷を負わせたとして、埼玉県警は11日、川口市の左官工の少年(18)ら3人を傷害の疑いで逮捕したと発表した。捜査に支障があるとして認否は明らかにしていない。3人は不良グループのメンバーで、「入隊試験」の名目で被害少年に暴行を加えたという。 少年捜査課によると、逮捕容疑は他の数人と共謀して6月28日午後10時5~15分ごろ、蕨市中央4丁目の公園で知人の少年(16)の顔を殴ったり蹴ったりするなどし、顔面打撲など約2カ月の重傷を負わせたというもの。 被害少年は同日、公園であった不良グループの集会に参加。そこで「入隊試験をまだしていないやつがいる」という話になり、逮捕された少年らに「タイマンを張れ」などと持ちかけられて断ったものの、暴行を加えられたという。被害少年は隙を見て逃げ出して近くの民家に駆け込み、住人が110番通報した。(森下友貴) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
度重なるワクチン供給延期で悩む大学 後期が迫るのに
新型コロナウイルスの感染拡大抑止の「切り札」とされるワクチン。だが政府が掲げた職域接種は供給量不足で、開始早々につまずいた。これにより何度も延期を余儀なくされている大学も。若年層を中心に感染が急速に拡大する中、はたして9月後半の後期授業に間に合うのか――。 「職域接種の開始が23日以降になる」。上智大学に5日、文部科学省からこんな連絡があった。大学は当初、7月中旬開始と学生らに伝えていたが、文科省からの連絡で「8月9日以降」「16日以降」と2度延期。今回で3度目となる。 度重なる延期は要員確保の点で悩みのタネだ。職員の配置とシフトもそのたびに組み直し、外部の医療スタッフにも変更を依頼してきた。担当者は「委託先から『今度こそですね』と言ってもらったのに、またキャンセル。合わせる顔がない」。 ワクチンが余って廃棄するのを避けるため、6、7月に学生に意向調査をしたが、延期されればされるほど「ズレ」も生じる。8月に入り、自治体や医療機関、アルバイト先などでの接種で済ませる学生も増えてきた。当初は関連の学校を含めた学生・教職員の約半分の7500人を対象としていたが、3500人に減らす予定だ。 担当者は「23日に開始できれば、9月27日の秋学期の授業開始と少しかぶるものの、2回目の接種終了はぎりぎり間に合います」。一方で、「また延期になったら……」という不安も抱えている。 延期はほかでも。7月下旬開始を予定していた明治大学でも延期が続く。8月3日にはホームページで文科省からの連絡について伝え、「23日の週以降になる」とし、6日には「30日の週以降になる」と掲載。学生たちに「(6月時点の)意向調査で接種を希望とした人も、居住地域の医療機関や接種会場などで接種して問題ない」と伝えた。 延期によって、医師、看護師… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:849文字/全文:1616文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
流された直島のかぼちゃ「再展示する」 復元可否を検討
アートの島として知られる直島(香川県直島町)で人気の草間彌生さんの作品「南瓜」が、9日に台風9号の影響で海に流されて破損した。島のシンボルの一大事に、訪れた観光客らは残念がり、作品を管理するベネッセホールディングス(HD)は再展示に向け、損傷状況の確認を急いでいる。 黄色いカボチャをモチーフにした「南瓜」は、高さ2メートル、幅2・5メートル。海に突き出た桟橋に、1994年から常設展示されてきた。 ベネッセHDによると、台風接近時には会議を開き、「南瓜」など島の屋外展示作品を退避させるか検討するが、9日朝は警報が出ておらず、風雨が一時弱まったこともあり、作品を撤去しない判断をしていたという。 しかし、9日午前10時半ご… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:536文字/全文:852文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
見上げたクスノキに友の面影 日航機墜落事故から36年
【兵庫】出かけた先で大きなクスノキを見ると、あの夏を思い出す。わずかな期間でほかにないほど打ち解けた友人が、突然亡くなった1985年8月。西宮市の海清寺であった葬儀で見上げたクスノキは、友人を思い起こさせた。12日、520人が犠牲になった日航機墜落事故から36年を迎える。 とにかく暑い夏だったと振り返るのは、堺市で木材会社を営む中川勝弘さん(73)。当時は30代半ば。知人や親類の葬儀が続き、「もうないだろう」と1着しかない喪服をクリーニングに出した直後に、友の訃報(ふほう)に接した。ベージュのスーツに黒の腕章をして参列したことを覚えている。 葬儀が執り行われた海清寺のクスノキは、寺ができた1394(応永元)年に植えられたと伝えられる樹齢約630年の巨木だ。高さ約35メートルで、県が天然記念物に指定している。建物に囲まれながらも、ひときわ存在感を放っている。 神戸市内の大学に通っていた学生時代にも何度も目にしていたが、意識したのは葬儀の時が初めてだった。ふと見上げて、背の低い自分と、いつも見上げていた友人が並んでいるような、そんな気分になった。 ◇ 大阪青年会議所の活動でその友人と知り合ったのは、墜落事故の約7カ月前。1985年の1月だった。年齢も近く、会議所が関わる留学生の弁論大会の準備で週に2、3回の頻度で会って話をし、すぐに打ち解けた。木材会社で最初に作った木製の名刺の商品に友人は興味を示してくれた。「自社製品にも使えないものか」とビジネスの話題でも盛り上がった。 中川さんの身長は158センチ。背の低さがコンプレックスだった。大企業に勤めるスマートで身長差がある友人を、いつも憧れの気持ち交じりに見上げていた。「何でこんな僕に親切にしてくれるんや」。対等な態度で接してくれることがうれしく、不思議だった。自分に自信がなかったから、よけいにそう思った。 墜落事故の発生を知ったとき、関西に向かう飛行機だったため、知り合いが乗っているんじゃないかと胸騒ぎがした。テレビで乗客名簿が流れ、その中に友人と同じ名前があった。間違いであってほしいと願った。知人に連絡して確認し、しばらくして、青年会議所から葬儀の連絡が届いた。 ◇ 木材会社経営という仕事柄、中川さんは趣味を兼ねて全国の巨木をめぐり、会社のホームページで紹介している。クスノキは大きく育つため、取り上げる機会も多い。それでも、海清寺のクスノキは中川さんにとって特別な存在だ。「友人はここから違う世界に旅立った。だから戻るならここだろう」。クスノキはその目印になる木だと思っている。(松永和彦) ◇ 〈日航機墜落事故〉 1985年8月12日、羽田空港を離陸した大阪(伊丹)空港行きの日航123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落。乗客乗員520人が死亡した。国の航空事故調査委員会の報告書は、ボーイング社が78年に行った圧力隔壁の修理ミスが事故につながったとした。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
築100年超 名古屋城そばの赤れんが塀、撤去へ
村上潤治2021年8月11日 11時30分 名古屋城そばのホテルナゴヤキャッスル(名古屋市西区)の建て替えに伴い、約100年前につくられた赤れんが塀が、今月撤去される。空襲で焼けた城を間近で見た時代の証人でもある。住民は名残を惜しんでいる。 塀は、城の西北隅櫓(せいほくすみやぐら)の西約90メートルにある。高さ約4メートル、全長約40メートル。「イギリス積み」という手法で赤れんがが約50段積んである。 「写真図説 明治・名古屋の顔」(六法出版社)によると、同ホテルの土地にもともと立っていた病院が1913(大正2)年に火災で全焼。再建に合わせて塀がつくられたという。国の重要文化財で22(大正11)年に完成した現在の市政資料館(東区)より古いとみられる。 れんがの歴史に詳しい水野信太郎・北翔大名誉教授(建築史)に塀の写真を見てもらうと、「れんがはよく焼けており、大規模な窯で高温で大量に焼かれた」と推測する。愛知県産れんがが全国に影響を及ぼした時期があり、「市政資料館と同じれんがの系譜を感じる」。 塀を所有する同ホテルは69年の開業。城を望む好立地で、世界の要人らを迎えてきた。建て替えに伴い、運営会社側は塀の保存も検討したが、耐震性などから撤去を決めた。 近くに住む豊田貞男さん(85)は「れんが塀は重厚であり、人を和ませてきた。小さなモニュメントなどで残してほしい」。親族が職人から終戦直後に聞いた話では、一つひとつ紙に包んだれんがを手作業で積み上げたという。 歴史建築の保存・記録に取り組む「明治建築研究会」の柴田正己代表は「関東大震災(1923年)で多くのれんが建築が崩壊した。この塀のように現存しているものは貴重だ」と話している。(村上潤治) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
76年前、洪水からの脱出劇 元教師と教え子が涙の再会
終戦直後の1945年10月、京都府舞鶴市内の寺に疎開していた小学生たちと引率教師が洪水に襲われ、かろうじて脱出した。その日のことは紙芝居になり、各地で上演されている。7月にあった上演会には、96歳になる教師と教え子らが出席。当時を振り返った。 洪水に遭ったのは、現在の市立明倫小学校の3~6年生46人と、当時20歳の新任訓導(今の教諭)で、子どもたちを引率した荒木花子さん。 荒木さんらは終戦間際の45年8月から、同市桑飼上の由良川沿いにある荘厳寺に疎開していた。米軍の空襲から逃れるためだ。だが戦争が終わっても、混乱状態が続き、すぐには家に帰れなかった。 洪水が起きたのは、家族に会えない寂しい生活が続いていた10月7日。大雨の影響で由良川が氾濫(はんらん)し、寺の境内に水が押し寄せてきたのだ。 「子どもらが濁流に落ちたら、私も生きていられない」 子どもたちは寺の2階に逃れ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:675文字/全文:1070文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
イサム・ノグチと住職の不思議なご縁 寺に灯るあかり
【動画】世界的彫刻家イサム・ノグチと住職との不思議なご縁 寺を灯す「あかり」=湯川うらら撮影 20世紀を代表する彫刻家のイサム・ノグチ(1904~88)は、晩年に香川県の「石の町」にアトリエを構えた。日米を行き来しながら、生涯をかけて石の彫刻を追究したノグチが、死の直前まで20年以上、折に触れて訪れた寺がアトリエ近くにある。 「世界的彫刻家」と「寺の住職」の知られざる交流。異なる経験、環境で生きてきた2人の「ご縁」を通じて、世界的彫刻家の一面が見えてくる。 当時の住職は高齢で直接の取材はできなかったが、寺に残された写真や住職の講演を収録した1時間余りのカセットテープ、関係者への取材を通じて足跡をたどると、特定の宗教を持たなかったノグチが、住職にある願いを託したこともわかった。 イサム・ノグチ=1970年 記者は6月、香川県東部の小さな寺を訪ねた。瀬戸内海の潮風を感じながら、正門をくぐる。庭の奥に続く石畳を進むと、本堂がある。本尊の周りでひときわ存在感を放つのは、天井から釣り下がった直径約1・2メートルの球体の照明だ。和紙を透かした柔らかい光が、周囲を優しく照らす。 和紙と竹からなる照明器具「AKARI(あかり)」。ノグチが1951年に、岐阜県の伝統的工芸品「岐阜提灯(ちょうちん)」から発想を得て制作を始めた「光の彫刻」だ。 「和紙を透かしてくる明かりは、ほどよく光を分散させて部屋全体に柔らかい光を流してくれる。『AKARI』は光そのものが彫刻であり、影のない彫刻作品なのです」 「あかり」を唯一生産する岐阜提灯の老舗「オゼキ」のホームページでは、ノグチの言葉がこう紹介されている。 本堂の「あかり」は、200種類以上あるシリーズの初期の作品だ。四角柱や鏡餅状、楕円(だえん)形などの多種多様な「あかり」が、応接間や玄関などに計17点ある。ノグチの助言で設置したものもあり、大切に手入れされながら寺を照らし続けている。 本堂にともるイサム・ノグチの二つの「あかり」=香川県さぬき市志度、湯川うらら撮影 寺の応接間を長年照らしてきたイサム・ノグチの「あかり」。1952年ごろに制作された=香川県さぬき市志度、湯川うらら撮影 ノグチがたびたび訪れていたこの寺は、400年以上前に建立された真言宗の「法性山(ほっしょうざん)普門院金剛寺」(香川県さぬき市志度)。地元では「普門院」として親しまれている。 良質な花崗岩(かこうがん)・庵治石の産地で、ノグチが69年にアトリエを構えた高松市牟礼町(旧香川県牟礼町)の隣町にある。四国霊場第八十六番札所・志度寺にも近く、「お遍路さん」もたびたび訪れる。 ノグチが交流を深めたのは、24歳年下の普門院の前住職、岡田泰弘さん(93)だ。彫刻家と住職。経歴も年齢も違う2人だが、それぞれの経験や生き方、作品について語り合い、互いを尊敬し合っていたという。 普門院の応接間には、87年に撮影された2人の写真が飾ってある。写真のノグチは、岡田さんに体を向けて話しかけ、岡田さんは手を組んでノグチの言葉に耳を傾けている。2人の関係性がうかがえる光景だ。 イサム・ノグチが折に触れて訪れた「普門院」の応接間に飾られている写真。ノグチは、岡田さんに体を向けて話しかけ、岡田さんは手を組んでノグチの言葉に耳を傾けている=香川県さぬき市志度、湯川うらら撮影 2人の初めての出会いは、6… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
目の前にいたオヤジは死んでいた 偽書類に最期まで信念
中学3年のときだった。高校受験のために戸籍謄本を取り寄せると、父親欄に「×」印が入っていることに気づいた。 「うん? 当のオヤジは目の前でたばこを片手に机に向かっているぞ」 母にこっそり尋ねた。「あの人、いろいろあって、死んでるのさ」。そんな返事に目を丸くした。 父は過去に自分の戸籍を消していた。だが、税金を納め、選挙で投票もしていた。 いったい、どういうことなのか。 役場から「火葬証明か埋葬証明を送れ」 山田繁彦さん(80)=山梨県甲斐市=の父、多賀市(たかいち、本名・多嘉市)さんが戸籍を消そうとしたのは1943年、35歳のとき。太平洋戦争のさなかだった。 多賀市さんは農民解放の運動に身を投じた後、作家として活動していた。旧知の医師に「小説を書く資料につかう」と言い、白紙の死亡診断書をもらった。そして、こう書き込んだ。 死者:山田多嘉市 死因:肺結核 死亡年月日:昭和十八年四月五日 診断した主治医も架空の名前。診断書の偽造だった。筆跡を隠そうと、利き手ではない左手で書き、故郷の長野県三田村役場(現在の安曇野市)へ送った。妻にも友人にも内緒だった。 1週間後、役場から「火葬証明か埋葬証明を送れ」とはがきが届く。 妻は首をかしげていたが、運を天にまかせ、放っておいた。結局、戦地へ行かず終戦を迎えた。 留置場の中で思いついた大胆な手口 オノで自ら指を切断したり、絶食して検査に臨んだり…。徴兵を拒む行為は少なくありませんでした。 当時、日本には「国民皆兵」… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル