12日からの旧正月を前に東京タワー(東京都港区)で11日、タワーを赤くライトアップするイベント「東京タワー レッドライトアップ」があり、展望台に「希望」の文字が浮かび上がった。 日中友好関係の促進を目指し、今年で3回目。新型コロナウイルスの感染終息と大規模なイベントを控える都民へのエールを込めた。展望台の南側にLEDのパネルを141枚敷き詰め、静かに旧正月の訪れを待った。(上田幸一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
今晩の宿は開通前のトンネル 大分で3夜限定で「開館」
道路のトンネルが日本一多い大分県で、開通前のトンネルをホテルに見立てたイベント「耶馬渓トンネルホテル」が11日始まった。 28日に開通する同県中津市の「鹿熊(かぐま)ふるさとトンネル」(全長2986メートル)を含む耶馬渓道路を使った、3夜限定の企画。 トンネル内には、耶馬渓の木材で造った長さ40メートルの巨大なテーブルが置かれている。テーブルの周りは防寒対策でビニールで囲われ、チェックインした12組44人の参加者は「密」を避けながら地元産食材の料理を味わった。トンネル前には、寝室代わりのキャンピングカーが14台並び、開通前の道路上から夜空を眺め、景勝地での「異空間」を楽しんだ。 2012年に耶馬渓に移住したデザイナー福田まやさん(35)が「耶馬渓ファンを増やしたい」と発案。地元有志らと実行委員会を組織し、運営にあたっている。福田さんは「道路上に宿泊する日本初のイベントをすることで、耶馬渓の魅力を知って欲しい」と話す。 使用した木材などは保存し、様々な体験プログラムに利用していくという。(金子淳) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
藤井二冠、聖火走者辞退は昨秋に決断 「状況変わった」
藤井聡太二冠(18)は11日、優勝した第14回朝日杯将棋オープン戦の表彰式後に報道陣の取材に応じ、愛知県瀬戸市で走る予定だった東京五輪の聖火ランナーを辞退したことについて、「以前お受けした時とはオリンピックを巡る状況も、(タイトルを取って)自分の状況も変わってきたため」と話した。 時期については「昨年の秋ごろに(日本将棋連盟経由で)意向を聞かれたので、その時に決めた」と答えた。 伊藤保徳・瀬戸市長は11日、「無理強いできることでない。皆さんの前で走ることはかなわなかったが、市は別の形で応援を続けていきたい」と話した。伊藤市長によると、昨年10月ごろ、辞退について市の窓口に藤井二冠側から説明があった。理由は「二つのタイトルをとり、多忙のため時間をとるのが難しい」という趣旨だったという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大阪府で新たに141人感染 6日連続で200人下回る
大阪府は11日、府内で新たに141人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表した。1日の感染者数が200人を下回るのは6日連続。また、コロナに感染していた80代の男女6人が亡くなったことも確認した。大阪府内の感染者は、延べ4万5684人、死者は計1037人になった。 入院中の重症患者は141人で、府が確保している病床(236床)の使用率は59・7%。府が緊急事態宣言の解除要請を検討する一つの基準としている、重症病床使用率60%を下回るのは昨年11月29日以来およそ2カ月半ぶりだ。 一方、軽症・中等症患者は786人で、確保している病床(1712床)の使用率は45・9%、すぐに患者を受け入れられる病床(1556床)の使用率は50・5%だった。 【特集】医療危機 コロナ東京100days 新型コロナウイルスの第3波が日本中で猛威を振るう。政府は2度目の緊急事態宣言を出すが、東京では連日、新たな感染者が1000人を超え、医療危機が高まる。緊迫の100日間をデータと取材で追う Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
川淵三郎氏、無観客の五輪は「値打ち、どこにある?」
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の新会長に就任する見通しとなった川淵三郎氏(84)は報道陣の取材に応じ、無観客での大会開催に対して否定的な見解を示した。 川淵氏は1月にツイッターで「海外の観客には防疫のための制約を課す。最悪の場合日本人のみ。無観客は開催の意味がない」などと投稿していた。このことについて質問され、「もう、それ(観客)なくてオリンピック日本でやる値打ち、どこにあるの。海外でやるのと同じ。大変なお金を使って」と述べた。 さらに、バスケットのBリーグやプロ野球でも観戦している点に触れ、「なんでオリンピックで観戦させないの。これはぼくとしてはまったく納得いかない。ぼくの持論はずっとそう。それは強力に言うつもりだよ」と語った。 森喜朗会長は「無観客開催も当然、想定しながら、いくつかのシミュレーションをしている」と語っていた。 都医師会長「精神論ではなく、具体的なプロセスを」 辞意を固めた東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長(83)から後任に要請された川淵三郎氏(84)が11日、「無観客開催では意味がない」との考えを報道陣に明らかにしたことを受け、医療関係者から早速注文がついた。 大会を医療面から支える東京都… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
夢と引き換え「差別に声上げねば」 聖火走者辞退の男性
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言に抗議し、福島県田村市都路町の会社経営坪倉新治さん(57)は聖火リレーのランナーを辞退した。東日本大震災と原発事故で被災した地元を元気づけようと応募したが、「『自分の夢』と引き換えに、声を上げていかないといけないと思った」と話す。 坪倉さんは森会長の発言だけでなく、森氏の発言を受けたボランティア辞退の動きを「瞬間的」(自民党の二階俊博幹事長)と述べるなど身内を擁護するような周囲の発言も納得できなかった。9日に組織委から森会長の発言を謝罪するメールが届くと、「女性への差別はこれを機に変えていかねばなりません。私のような声を国際社会へ発信していただきたい」と返信し、辞退を伝えた。 自宅は東京電力福島第一原発から西に22キロの山あいにある。10年前の原発事故の際は消防団員として沿岸部から車で避難する住民の誘導に駆け回った。事故後も地元に住み続け、体が不自由なお年寄りなどの見守り活動を続けた。 坪倉さんが住む都路地区の一部… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
母は言う「娘の借金を返すためには」弟は台湾へ向かった
「こんなことになるのなら、日本になんて行かせるんじゃなかった」 ベトナム中部クアンビン省。山あいにあるフンチャック村で暮らすフオンさん(45)は、後悔を募らせている。 娘(22)は2020年3月、技能実習生として日本に渡った。「ここは本当にステキな場所だよ」。日本に着いてすぐに電話してきた娘の弾む声を、いまも覚えている。翌月になって静岡県焼津市の水産加工会社で働き始めてからも、毎日のように元気な連絡が届いていた。 「仕事は8時間立ちっぱなし。でも、きつくはない」 「生魚のパック詰めはやったことがないけど、そのうち慣れると思う」 しかし、5月に入り、状況は一変した。 電話をかけてもめったに出なくなった。かかってもこない。その状態が続いている。 日本で新型コロナウイルスの感染が広がった時期とも重なった。 まさか――。不安にかられたが、どうしようもなかった。 今年1月半ば。記者はフンチャック村を訪ねた。 技能実習生として来日したあるベトナム人女性が、名古屋市内のシェルターに身を寄せている。なぜ、実習先を離れることになったのか。送り出した家族はいま、何を思うのか。彼女の「失踪」を通じて、日本とベトナムで技能実習の現場に迫った。 娘は、日本で実習生を受け入れ… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
79歳「やっと家が」 最後の災害公営住宅で入居開始
東日本大震災の津波被災者向けに整備された災害公営住宅のうち、最後に完成した盛岡市の「南青山アパート」で11日、入居が始まった。災害公営住宅は被災地を中心に計8県で約3万戸が整備されたが、震災10年を前に空き室も目立つ。南青山アパートも、30部屋以上が空いた状態での門出となった。 この日、記念の式典が開かれ、沿岸部の岩手県陸前高田市出身の湊洋子さん(79)がカギのレプリカを受け取った。津波で自宅が流された湊さんは「やっと自分の家が持てる。同じ境遇の人が近所になると思うので、支え合っていきたい」と話した。 盛岡など内陸部には約6千人が沿岸から避難し、早くから建設計画が持ち上がっていた。だが、沿岸に住民が戻らなくなることを懸念する自治体もあった。このため岩手県は建設の時期を調整。2016年ごろから計画が進み、南青山アパートも17年に建設が決まった。内陸部では最終的に計283戸の災害公営住宅が整備された。 震災から完成までの10年間で… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
遺体解剖は適切だったか ハンセン病療養所、実態調査へ
岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・邑久(おく)光明園(こうみょうえん)は、少なくとも1938年の開園時から98年まで、死亡した入所者の遺体が園内で解剖されていたと明らかにした。遺体の数や解剖の目的、同意が適切にとられていたのかなどが詳しく分かっておらず、資料の調査や関係者の聞き取りなどを今月から順次始める。 熊本県合志(こうし)市の国立療養所・菊池恵楓(けいふう)園では半世紀以上、死亡した入所者のうち少なくとも389人が解剖されていたと園が昨年発表。入所時などに一律に「解剖願」(同意書)を取っており、報告書は「人権を軽視していたとのそしりは免れない」と指摘した。これを受け、光明園でも入所者や弁護士ら12人でつくる人権擁護委員会が調査することが決まった。 1月末に会合があり、青木美憲(よしのり)園長が開園時から、らい予防法廃止後の98年まで、解剖が行われていたことを示す資料が園にあったと説明。さらに解剖への同意書や、年代ごとの解剖者名が記録されている台帳もあったという。 光明園を巡っては2005年、解剖によって保存された臓器など820の検体と、胎児の標本49体の存在が厚労省の第三者機関の調査で判明。1980年代までの入所者死亡者数と、標本数を照らし合わせると90%以上が解剖対象で、第三者機関は「解剖は完全にルーチン化」されていたと指摘した。 人権擁護委の調査は解剖目的も焦点となる。1949年公布の死体解剖保存法は、解剖について「医学の教育又は研究に資することを目的とする」と規定。委員長の近藤剛(つよし)弁護士は「遺体の扱いも含め、実態を明らかにしたい」と話す。 調査は当時解剖に立ち会った医師や検査技師、入所者や元職員らを対象に、全体像の把握▽人権への配慮があったか▽解剖が適切だったか――などを明らかにする。青木園長は「同意を得る過程で、十分な説明があったか疑問が残る。同じことを繰り返さないためにも、実態を明らかにし、入所者の名誉回復をはかりたい」と話した。 光明園の入所者自治会長の屋(おく)猛司さん(79)は調査に対し「入所者に多くの時間は残されていない。正確な検証結果を後世に残して欲しい」と期待を寄せた。 ◇ 近藤剛弁護士には忘れられない光景がある。 隔離政策を巡り入所者らが岡山… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
出征の日の丸、米国から戻る 遺族「魂帰ってきたよう」
【福岡】戦時中に出征する兵士に贈られたとみられる日の丸が昨年末、米国などを経て遺族の元に帰った。旗には本人や広島高等工業学校(現広島大工学部)の教員らの寄せ書きがあり、大学側が福岡県内の遺族を見つけ出した。旗を贈られた男性は戦死しており、遺族は「本当によく帰ってきた」と先祖へ思いをはせている。 旗は縦70センチ、横85センチ。校名と「必勝 廣瀬壽一君」の他に、「広島醸造学会」の文字と28人の名前が書かれていた。27人の名前が当時の学校長や教員と一致し、残るローマ字表記の1人も教員に該当者がいた。 ことの始まりは、沖縄県出身で米国ミシガン州在住の節子ブランダーホストさんが、友人から譲られた日の丸を「ご家族に返したい」と広島大に相談したことだ。この友人は1987年から2003年に沖縄の米軍基地で教師をしており、その間に那覇市内で着物などと一緒に購入したと話していたという。旗が沖縄にたどり着いた経緯は分かっていない。 広島大総合博物館の清水則雄准教授や職員の池田礼さんらが遺族捜しにあたった。過去の在籍一覧などから壽一さんの名前が見つかり、住所は三潴郡鐘ケ江(現大川市)と記されていた。地元の郷土資料などの手がかりを探るうち、かつて現地に同じ「廣瀬」を冠した「廣瀬酒造」があったことが分かった。既に廃業していたが、更に調査を進め、遺族に行き着いた。 昨年12月、博物館から連絡を受けたのは廣瀬哲夫さん(56)=福岡市西区。「旗の存在は全く知らず本当に驚いた」と振り返る。 壽一さんは1915年生まれで、1890(明治23)年創業の酒造の跡取りだった。哲夫さんが福岡県の兵籍簿を調べたところ、壽一さんは「久留米商業」を卒業後、広島高等工業学校に進学し、酒造科の選科生を1936年に終了した。39年に臨時召集され、陸軍の歩兵第48連隊に入隊。42年にビルマ(現ミャンマー)で戦死した。 博物館によると、寄せ書きした教員の在籍時期から日の丸は38年か39年ごろのものとみられ、兵籍簿の記録とも一致する。 壽一さんが戦死した3カ月後に父親も亡くなり、廣瀬酒造は廃業した。母親のツカヘさんが1人残され、後に養子に入ったのが哲夫さんだ。 哲夫さんは「戦争がなければ酒造は今も続いていたと思う」と話す。小学生の頃にツカヘさんから亡くなった壽一さんと父親の話を聞いていた。「当時は幼くまだ理解できなかったが、自慢の息子だっただろう。旗が戻ってきたことを喜んでいると思う」 哲夫さんの妻直代さん(54)は「壽一さんの魂が帰ってきたよう。今回調べたことをまとめて子どもたちに書き残したい」と話す。 同博物館には、出征時の日の丸で、保存状態がよく時期や寄せ書きをした人物が特定できるものはこれまでなかったという。遺族の「みなさんに見てもらえれば」という思いもあり、今後は博物館での展示を検討している。清水准教授は「戦争を経験した貴重な資料。若い人に旗を通じて平和を考えてほしい」と話している。(宮野拓也) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル