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Le guide sur la culture, la langue et l'histoire du Japon.

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ニュース

ニュース 社会
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還暦過ぎて資格取得、司書として働く丸山重治さん 塩尻市立図書館

24 mars 2024
Japonologie
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 長野県の塩尻市立図書館に30人いる司書の中で最高齢。だが、キャリアはまだ2年半に満たない。そもそも丸山重治さん(62)が司書の資格をとったのは還暦を過ぎてからだ。  きっかけは55歳のとき、勤め先の会社で定年後の生き方を考えるセミナーに参加したことだ。  高校を出てずっと、県内の精密機器工場で技術者として働いてきた。定年は60歳。最長5年の再雇用期間もあるが、「やり切った」との達成感を覚えていた。  「人生の残り時間は少ない。違う世界に触れてみたい」。持ち前の飽くなき向上心に火がついた。危険物取扱者など10種類の資格を取得した。  幼い頃、母親が買ってくれた世界文学全集は宝物だった。小学校では率先して図書委員になった。大好きだった書物と関わる仕事に就いてみたいとも思うようになった。  定年目前の2021年1月から近畿大短期大学部の通信教育部で学び直し、司書の資格を取った。同年10月、塩尻市立図書館に採用された。  現在は農林水産業などに関する新刊の選書や、同市の特産品でもあるワインに関する特設コーナーの企画などを任されている。同図書館最大の企画でもある、作家やジャーナリストらの講演を通じて本の魅力を発信する講座「本の寺子屋」の運営にも関わっている。  司書といえば「カウンターで本を貸してくれる人」というイメージだった。  しかし実際に働いてみると、「SNSで拾った情報ではなく、官公庁の刊行物や新聞など正しく裏付けのある情報を、情報が欲しいと考える利用者につなぐこと」が重要な役割だと思うようになった。  「最低でも10年は情報のコンシェルジュとして元気に働き、多くの利用者の役に立ちたい」(安田琢典) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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保護者の意見は「学校の外」の窓口へ 「先生は矢面に立たせません」

24 mars 2024
Japonologie
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 「『うちの子どもがおたくのクラスの生徒ににらまれた』と日付が変わるまで電話で怒鳴られた」  「子どもが家で壁を蹴って穴を開けたことを『学校によるストレスだ』と。家に呼び出された」  「年度末の大掃除。『まだ寒い時期に教室の雑巾掛けをさせる意味がわからない』と1時間半にわたり詰められた」  あなたが理不尽と感じた保護者からのクレームとは――。  奈良県天理市が昨秋実施した市立小中学校の教職員アンケート(回答120人)には、悲鳴のような訴えが多数つづられていたという。  市によると、保護者対応が直接・間接的な原因となって今年度に退職した教員は6人、休職も8人を数えた。 この現状を目の当たりにして、教育実習生が教職の道をあきらめてしまわないか。教員が責任の重い管理職を避けてしまうのではないか。そんな懸念があったそうです。  「先生は矢面に立ちません、立たせません」  天理市の並河健市長は昨年11月の会見で、こう宣言した。 「保護者の満足度も高まる」 なぜ?  明らかにしたのは、保護者対… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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「ありがとう」言わせたくて妻を殴った 「男道」にしばられていた俺

24 mars 2024
Japonologie
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 「笑顔の絶えん家庭をつくろうな」  結婚前に口にした言葉。それを責められるなんて、思いもしなかった。  2000年1月、京都市中心街のライブハウス。男性(55)が演奏を終えたとき、客として来ていた妻(47)と出会った。  ビール片手に打ち解けた。お互いに一目ぼれのような恋の始まりだった。  02年6月に結婚。関西地方の郊外の一戸建てに移り住んだ。  しかし、結婚生活は予想外のことばかりだった。  交際中に男性が就職した運送会社は、異常な長時間労働が当たり前だった。午前5時に家を出て、深夜に帰る。家ではほとんど寝て過ごした。  妻は家で一人きり。でも、男性は「仕事についていくのに必死。妻のことを思いやる余裕などなかった」と振り返る。  どんなに帰りが遅くても、妻は結婚前の約束を守り、豪勢なおかず6品を並べて待っていた。男性は「そこまでしなくとも」と恐縮したが、彼女はかたくなだった。 幸せになるために、人生をともに歩むと決めたはず。でも、パートナーとの毎日が思い描いたものにならない人もいます。苦しみの原因は、改善策は。たくさんの「ふたりのかたち」を通して考えます。  半年ほどたつと、妻は違う顔を見せるようになった。  ある夜、突然、「もうご飯つくれへん」と泣き出した。男性は「そんなすごいもん、つくらんでええから」と慰めた。 子どもの前でも殴り合った  帰宅すると、妻が酔っていることが多くなった。食べたものを風呂場で嘔吐(おうと)することも目立った。当時はまだ診断は受けていなかったが、学生時代から摂食障害とアルコール依存症を抱えてきたと知った。  しだいに妻は深酔いを隠さな… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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缶酎ハイが「杖」だった主婦 夫と子どもに暴言を吐いた私の今

24 mars 2024
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 あかん。あかん。これで最後にしよう。  一人きりのリビングで、缶酎ハイのふたを開ける。罪悪感を消したくて、のどに流し込む。  関西地方の女性(47)にとって、専業主婦の生活は想像以上に孤独だった。  独身時代に勤めた会社をやめて、2002年6月、夫(55)と暮らし始めた。激務で帰れない彼。知らない街。やることがない暮らし。  寂しくて長すぎる1日を、食べて吐き、飲んでやり過ごすしかなかった。  結婚前は、両親と兄の4人家族。長男だからと大切にされた兄と違って、女性にはかわいがってもらった記憶がない。父とは会話すらあまりなかった。母は父の言うことを聞くだけだった。  「私は誰からも愛されない」「人から嫌われている」。そんな思いが消えないまま成長した。 幸せになるために、人生をともに歩むと決めたはず。でも、パートナーとの毎日が思い描いたものにならない人もいます。苦しみの原因は、改善策は。たくさんの「ふたりのかたち」を通して考えます。  高校時代、「やせたら好かれるかも」とダイエットしたのをきっかけに、食べ吐きをやめられなくなった。  大学に入るとコンパで酒を覚えた。人と話すことが苦痛だったけれど、飲んでいれば苦しまずに話ができた。 「背中を天使が通った」出会い  23歳のとき、京都市内のラ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「博士の愛した数式」小川洋子さんが講演 AIの可能性を問われると

24 mars 2024
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 「博士の愛した数式」などで知られる兵庫県在住の作家・小川洋子さんの講演会が23日、明石市であった。全国から集まった約280人の参加者の質問に答えながら、文学との出会いや執筆の裏話について話した。  明石市文芸祭の第50回を記念し開かれた。「今は長編を書きあぐねている」「スラスラ書けるということは35年書いてきて一度もない」と、執筆活動についても率直に語った小川さん。文芸作品を創作する人へ、「言葉でしか伝えられない、言葉以外のものを伝える力が言葉にはある。効率や数字を求められる中で、それとは全く無縁の世界に喜びを持てることで、人生がとっても豊かになる」とエールを送った。  文学に対するAIの可能性に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「北の国から」の聖地、布部駅と歩んだ88歳 廃駅で気づけたものは

24 mars 2024
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 テレビドラマ「北の国から」の「聖地」となったJR布部駅(北海道富良野市)。移住を決めた黒板五郎と純、蛍の兄妹が降り立った駅だ。初回のシーンから使われ、駅前には「北の国 此処(ここ)に始(はじま)る 倉本聰」の看板が立つ。「それも一つの思い出……」。廃駅を目前に駅前商店の店主坂口道郎さん(88)は駅と歩んできた人生を見つめる。  布部駅の開業は1927(昭和2)年12月、富良野駅と山部駅の間に新設開業した。南東に広がる東京帝国大学(現東京大学)の北海道演習林や、ドラマの舞台となる麓郷(ろくごう)地区の森林資源開発などを目的に誕生した請願駅だ。 木箱に入って戻った父  坂口さんは1936(昭和11)年3月2日、4人きょうだいの長男として生まれた。父は終戦2年前の秋に出征し、ニューギニア戦線で戦死した。劣悪な環境下での病死だった。家業の「坂口商店」は食品やたばこ、化粧品などを扱う雑貨店で、母は父の出征後も店を続け、子どもたちを育てた。  終戦から3年たった1948(昭和23)年秋、父の戦死公報が届いた。母と一緒に布部駅を発ち、富良野か旭川で白い布にくるまれた木箱を受け取った。それを抱えて布部駅に降りると、近所の人たちが国旗玉を黒く塗った日の丸を手に迎えてくれた。  木箱には父の爪や髪の毛が入… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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不明者捜索66日、「必ず連れて帰れ」 隊長が伝えたかったこととは

24 mars 2024
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 東日本大震災で津波が襲い、約200人が犠牲になった仙台市若林区の荒浜地区。管轄していた仙台南署の警察官たちは、発生直後から行方が分からなくなった人の捜索を続けた。心身ともに極限状態に置かれるなか、どのような思いが活動を支えたのか。66日間にわたり捜索隊の指揮を執った宮城県警石巻署の手島(てじま)俊明・前署長(60)が、定年退職を前に語った。  仙台南署の交通2課長だった手島さんは2011年3月11日、市中心部にある県警本部にいた。午後2時46分、会議を終えてソファで話をしていたところ、立ち上がれないほどの激しい揺れに見舞われた。  そのころ、宮城県沖地震が近いうちに高い確率で起きると言われており、発生時はどう行動するか、頭の中でシミュレーションを繰り返していた。「ついにその時が来た」と感じた。  車で南に約5キロ離れた署に向かう。建物の被害は思ったよりひどくなかったが、広瀬橋を渡り、地下鉄の長町一丁目駅あたりを過ぎると、道路は陥没してジェットコースターの軌道のように波打っていた。  署にたどり着き、着替えてから4階の災害警備本部に入った。テレビには、名取川河口の井土浜に津波が襲来する映像が映し出されている。川にかかる閖上大橋の上には、取り残されたパトカーと署員の姿があった。「殉職してしまった」。そう思った。 つかめぬ被害状況、「300の遺体発見」との情報も  あたりは暗くなり、被害状況… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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記者が潜入した日雇い現場の「悪」 手配師が確認した耳裏の日焼け

24 mars 2024
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 ジャーナリストの大谷昭宏さん(78)は読売新聞記者時代、大阪市西成区の釜ケ崎で「潜入取材」をした経験がある。  当時27歳。西成区を担当する南大阪記者クラブに所属していた。  天王寺動物園の中にあり、通称・動物園記者クラブ。記者室は鳥舎近くのボイラー室の2階にあった。  なぜカマ(釜ケ崎)で暴動が繰り返されるのか。日雇い労働者らのうっぷんがなぜたまるのか。  「体で感じてきたらどうや」。原稿を見てもらうデスクから指示され、劣悪な労働環境とピンハネが問題になっていた日雇い労働の現場を取材することにした。  1972年7月10日の早朝、日雇い仕事などをあっせんする西成労働福祉センターを訪れた。 日当1900円 見られた耳裏の日焼け  選んだのは、日当が1900円と、目立って安かった製鉄所での仕事。  「仕事がほしい」と手配師に伝えると、じろじろ見られた。「ここらのもんやないやろ」  チェックされたのは耳の後ろの日焼け。日雇いの仕事を続けていたら耳の裏も黒いが、自分は違う。「訳ありでここに来ました」と言うと、バスに乗ることができた。  車内では名前を書かされたが… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「誰か気づいて止めてくれると」25歳下になりすました女の一問一答

23 mars 2024
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 25歳年下の架空の妹の戸籍を作ったとして有印私文書偽造・同行使などの罪に問われている吉野千鶴被告(73)=東京都大田区=が3月、朝日新聞の取材に応じた。事件後、メディアの取材に応じるのは初めてという。 3時間、事件の経緯を語る  吉野被告は、自宅近くの喫茶店にカジュアルな服装で現れた。約3時間にわたり、よどみなく事件の経緯を語った。主なやりとりは次の通り。  ――架空の戸籍を作ったきっかけは。  2021年夏、2年ほど勤めた警備の仕事を辞めて、自宅でぼーっと過ごしていた。ふと、戸籍ってどうやって作るのだろうと思って、スマートフォンで検索し、そこで就籍を知った。  ――なぜ妹の戸籍にしたのか。  子どもの時、妹がほしいと思っていた。中学の頃から40代くらいまで、大阪の実家で祖母の世話をしていた。きょうだいもいなかったので、相談できる妹がいればと考えていた。  昔読んだ小説も影響したかもしれない。戸籍のない男が二つの国で二重生活を送る話だった。最初は「もしかして戸籍ってとれる?」くらいの気持ちだった。  ――架空の妹の「岩田樹亜(じゅあ)」の設定は誰が考えたのか。  自分で考えた。姓は旧姓で、名は樹木が好きなので。誕生日は、15年ほど前に死んだ愛猫「マービー」の命日を選んだ。  ――警視庁によると、夫は「妻は若く見られたいと言っていた」と供述した。  若く見られたいからではない。あまり高齢だと「今までなぜ戸籍を作らなかったのか」と疑問を持たれるし、若すぎれば母親の年齢から考えて不自然。ちょうど良い年齢が45歳だった。  ――どのように手続きをしたのか。  無料の法律相談窓口に電話して、弁護士に妹の戸籍を作りたいと相談した。母親が亡くなったのをきっかけに戸籍を調べたら、妹が無戸籍だとわかったことにした。  ――うそは見破られなかったのか。  弁護士に「次は妹さんが来て下さい」と言われたので、自分が樹亜になりきって行ったが、気づかれなかった。マスクはしていたが、しゃべり方や服装、髪形などは変えなかった。あれ、これでいけてしまうんだ、と思った。それからは姉と妹、それぞれの設定で交互に行った。  ――夫は架空の戸籍を作ろうとしていることを知っていたのか。  夫は同行してくれたが初めは知らなかった。途中から察したようで、「とどまることも考えた方がいいよ」と言われた。でも、ここまで来たらもう戻れない。誰かが気づいて止めてくれるだろうと考えていた。  ――戸籍の可否を判断する裁判所とはどのようなやり取りをしたのか。 「ずっと心臓がバクバクしていた」  この時も姉と妹それぞれの立… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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「戸籍作れちゃった」「妹欲しかった」 25歳下になりすました被告

23 mars 2024
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 25歳年下の架空の妹の戸籍を作ったとして、有印私文書偽造・同行使などの罪に問われ公判中の吉野千鶴被告(73)=東京都大田区=が3月中旬、朝日新聞の取材に応じた。「誰かが止めてくれるだろうと思ったができてしまった」「若く見られたいわけではなく、妹が欲しかった」と主張した。  2021年夏。工事現場の警備の仕事を辞めたあとだった。ふと、「妹」の戸籍を作ることを思いついた。  子どもの頃、妹が欲しかった。当時は大阪の実家で祖母と2人暮らし。祖母の面倒を1人でみていて、相談相手を欲していたと思い出した。以前、戸籍のない男が二つの国で二重生活を送る小説を読んだことがあった。  スマートフォンで検索した。家庭裁判所で手続きをすれば、作れるかもしれないと思った。就籍という手続きらしい。 猫の命日から設定した誕生日  「妹」の名は「岩田樹亜(じゅあ)」にした。姓は旧姓、名は木が好きだから。年齢は自分より25歳下にした。あまり高齢だと「今までなぜ戸籍を作らなかったのか」と疑問を持たれる。若すぎれば母親の年齢から不自然と思われる。ちょうど良いと思った45歳に設定した。誕生日は死んだ愛猫の命日にした。  弁護士に会い、手続きを相談した。妹が架空と気付かれないよう、「母親の死をきっかけに調べたところ妹の無戸籍がわかった」という設定にした。弁護士から妹を連れてくるよう言われ、妹になりきることにした。  マスクをする程度で、見た目や話し方は特に変えなかったが、弁護士は気づかなかった。「これでいけるのか」。驚いた。自分と妹、それぞれの立場で数回ずつ、交互に弁護士と会った。  夫は付き添いで来た。「とどまることも考えた方が良い」と言われたこともある。だが、「誰かが気づいて止めてくれるだろう」と、手続きはやめなかった。  弁護士を通じて21年11月、就籍に向け「家事審判申立書」を東京家裁に出した。「吉野千鶴」「岩田樹亜」の二つの立場で、家裁に出向いた。  樹亜の生い立ちについて質問された。「学校には行っておらず、スナックで働き、保険証は友人から借りていた」ことにした。近所の教会で牧師からおやつをもらった実体験を、樹亜の思い出として語った。いつばれるかと、心臓がバクバクしていた。 1カ月後、免許試験場で「全部わかっているんだ」  手続きの終盤、弁護士を解任… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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