宮脇稜平 奈良美里2023年3月11日 21時40分 11日夜のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチェコ戦で先発した佐々木朗希投手の地元、岩手県ではパブリックビューイング(PV)が開かれ、大きな声援が飛んだ。 陸前高田市出身の佐々木投手は小学3年生のときに被災し、父親と祖父母を亡くした。隣の大船渡市にある大船渡高時代には、全国高校野球選手権岩手大会で球速160キロを記録するなど活躍した。 この日は、住民有志らが両市でそれぞれPVを開催。陸前高田市の会場には約100人が集まった。少年野球チームのメンバーらのメッセージで埋まった旗などが掲げられた。 地元有志でつくる「応援する会」事務局長の村上知幸さん(52)は、佐々木投手が小学生のときにいた少年野球チームで監督として指導した。「朗希は12年間、野球に支えられてきたと思う」と振り返ったうえで「今は朗希が投げることで、被災地が夢や元気をもらう存在になった。3月11日という日に投げるのは、運命的であり、すごい巡り合わせ。朗希は私たちの希望」と話した。(宮脇稜平、奈良美里) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
名古屋から陸前高田の「故郷」へ 被災地走る1台のバスに込めた思い
東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市で、1台のマイクロバスが地域の足として活躍している。名古屋市の男性が10年近く届けた寄付で購入したものだ。あの震災から11日で12年。被災地で聞いた「忘れないで」の声を胸に、男性は復興に向かう街と人を見つめてきた。 「これで補聴器の電池を送ってやってくれ」 2011年3月11日の震災発生から数日後、名古屋市瑞穂区で補聴器や介護用品などの販売会社「アンプリライブ」を営む今井浩詞(ひろし)さん(63)は、難聴の高齢の男性客から四つ折りのぐしゃぐしゃの5千円札を差し出された。 補聴器の小さな電池の寿命は通常10日間ほど。電池が切れ、避難所で困っている人を助けてあげてほしい――。手渡された5千円札にそんな思いを感じた。インターホンが鳴ると光で知らせる装置を持ち込んできた女性客もいた。 被災地を案じる客の姿に「何かできないか」と考え、補聴器の電池1粒を販売するごとに10円、介護用の紙おむつ1袋は30~50円を、それぞれ収益から寄付することを決めた。「この地域の人たちが陸前高田を応援している、という思いを届けたかった」と振り返る。 12年から陸前高田市社会福祉協議会に、100万円ほどの寄付を毎年送り、陸前高田に足も運んだ。1千万円に達した寄付金で、20年にマイクロバスが購入された。 「本当は数年で寄付をやめようと思っていた」と今井さん。だが、震災から3年ほど経た時、陸前高田でこんな言葉をかけられた。 「忘れないでね」「また来て… この記事は有料記事です。残り730文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「災害関連死」福島が突出 2年目以降が4割、避難の長期化が背景に
2023年3月11日 18時07分 東日本大震災から11日で12年がたった。被害の大きかった東北の3県のうち、災害によるけがの悪化や避難生活の負担による病気で亡くなる「災害関連死」は、福島県が突出して多い。今年2月現在で計2335人に上り、岩手県(470人)、宮城県(931人)を大きく上回っている。 また、復興庁が出している最新のまとめ(昨年3月時点)によると、岩手、宮城は関連死の9割以上が震災から1年以内に生じた一方、福島は2年目以降が4割を占める。さらに、昨年3月10日までの5年間に亡くなった人は岩手で2人、宮城は一人もいない一方で、福島では72人だった。 同庁などによると、今年2月時点の避難者数は岩手887人、宮城1221人(県外避難のみ)に対し、福島は2万7399人。原発事故の避難指示が最大12市町村に広がり、いまも7市町村で指示が続くなど避難の長期化が背景にあるとみられる。 朝日新聞は昨年10月から、関連死の認定例がある福島県内26市町村に情報公開請求をするなどして、開示された24市町村の関連死者2027人分の文書を入手し、分析した。亡くなる経緯を確認できた1379人のうち、震災時に病院に入院中か高齢者施設などに入所していた人が少なくとも476人いたことがわかった。 また、取材や入手した資料によると、24市町村の関連死者約2千人のうち、避難生活で心労が重なったり、将来を悲観したりして自殺した人は、自殺未遂の影響で死亡した人を含め、少なくとも35人に上る。 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
津波の被害受けても子ども増加 名取市閖上には「最新の防災がある」
池田良2023年3月11日 18時39分 東日本大震災が発生してから12年。被災地は復興が進み、避難指示が出ていた地域にも住民が戻り始めました。しかし、その活気やにぎわいは、地域によって濃淡があります。子どもが増えている宮城県名取市の閖上の状況を探りました。 宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の公民館で1月下旬、子育て世代を対象にした交流会があった。乳幼児を連れた女性8人が、子育ての悩みや街での暮らしぶりについて意見を交わした。 主婦佐藤友香(ともか)さん(33)は、次女の茉音莉(まおり)ちゃん(2)と初めて参加した。夫と子ども2人との4人暮らし。2020年5月に仙台市から引っ越してきた。地価が倍近くになった仙台市の主要部に比べ、閖上はまだまだ手頃。名取川が太平洋に注ぐ景色も気に入った。 閖上は震災時、津波に襲われ、市全体の死者の4分の3を超す700人以上が犠牲になった。だが、20年秋に土地区画整理事業が完成。土地をかさ上げして復興公営住宅や建て売りの戸建てができると、子育て世代が次々と移り住むようになった。 1月末現在の地区の住民は1398世帯3091人。14歳以下の人口は20年に約14%まで増え、市が統計を取り始めた14年の7・53%から急増。宮城県全体の11・7%や全国の11・9%を上回る。 佐藤さんの長女咲來(さら)さん(9)が通う小学校では毎年、地震を想定した保護者参加の防災訓練が開かれている。転居後に大きな地震があり、津波警報も出た。家族で話し合いを重ね、今は災害時の行動や避難先を決めている。佐藤さんは「閖上は子育て世代がたくさんいて住みやすい。完全に安全な場所はどこにもない。閖上は被災の経験がある分、最新の防災が詰まっている」と話す。 子育て交流会は、新旧住民の親睦を図ろうと昨年から始まった。主催した閖上中央町内会長の長沼俊幸さん(60)は「街にどれだけの人が戻ってくるのか不安だったが、若い人が来てくれて新しい街としてスタートした。新しい人たちとの付き合いを深め、顔が見える仲を築きたい」と語った。(池田良) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
企業へ、民家へ、旅する観音様 開創1300年記念の巡行企画
戸村登2023年3月11日 14時00分 会いに来てくれる観音様――。愛知県豊川市の財賀寺が、秘仏の本尊前に立つ仏像を1カ月ほど、企業や一般住宅に「出張」させている。来年の開創1300年を記念した事業の一つで、「どんなところでもお持ちしてお参りいただける」と呼びかける。 【動画】旅する千手観音様 企業へ、民家へ大忙し 寺では、2024年に本尊の千手観音菩薩(ぼさつ)像を御開帳する予定。開創1300年を盛り上げようと、始めたのが「地域巡行プロジェクト」だ。本尊の身代わりの「お前立(まえだち)様」を期間限定で貸し出すことにした。 巡行のためワンボックスカーも購入して、内部を改造。西本全秀住職(65)の友人・知人らでつくる「お運び隊」が、仏像の運び出しや安置の作業をする。 2018年から始まった巡行は、今月1日に47カ所目の豊橋市の企業から、次の豊川市の豊川信用金庫牛久保支店へと移された。4月5日までロビーで展示される。巡行は24年10月まで続けるという。 希望する場合は、運搬や設置などにかかる経費として3万円が必要。問い合わせは財賀寺(0533・87・3494)。(戸村登) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
3人の子を奪った津波 「生きる意味」見失った夫婦に差した一筋の光
飛び散る木くずに、銀色の吐息が混じる。 2月中旬の夜。室温2度に冷え込んだ宮城県東松島市の作業場で、木工作家の遠藤伸一さん(54)は本棚を制作していた。 手元に集中しようとしても、うまくいかない。心の中にいくつもの声が響いて邪魔する。 「奏(かな)ちゃん、冷たいんだ」「俺だ、俺が殺したんだ」「お父さん、大好きだよ」「あなた、どうして助けてくれなかったの……」 納品先は米国だ。納期まであと数週間しかない。 「待ってろよ。あっちの人がびっくりするような本棚、作ってやっからな」 電動のこぎりの切断音が、ざわめく心を少しだけ鎮めてくれる。でも、「自分だけが生き残った」という罪悪感が、ぬぐい去られることは決してない。 子どもたちに言った「父ちゃんがいるから、大丈夫」 2011年3月11日、改修を請け負っていた石巻市の水産会社からの帰途、トラックで走っていてもわかるほど地面が揺れた。 石巻市の自宅には、午前授業で帰宅していた中学1年生で13歳の長女・花さんが、伸一さんの母・恵子さん(80)と一緒にいた。 近くの渡波小学校で、4年生で10歳の長男・侃太(かんた)さんと2年生で8歳の次女・奏さんを引き取って自宅に連れ帰ると、連絡のつかない親戚の様子を見に行くことにした。 「父ちゃんがいるから、大丈夫だぞ」。余震を怖がる子どもたちを家に残し、トラックを走らせた。 親戚は不在で、引き返そうとしたところ、海の方角でパッと砂煙が上がるのが見えた。 「何だ、ありゃ?」 家や車が津波に押されて路上に流れ込んでくる。避けようとハンドルを切ったが、だめだった。 次の瞬間、トラックは巨大な水の塊に持ち上げられた。車内に閉じ込められないよう濁流の中に飛び込み、流れてきた屋根にしがみつく。 よじ登ったコンビニの屋上で数時間過ごしたあと、水につかりながら、近くの渡波保育所に向かった。 同じころ、妻の綾子さん(54)は、避難者でごった返す石巻市役所にいた。 看護助手として働く市内の病院で、激しい揺れに襲われた。家に帰ろうとJR石巻駅に向かうと、水がひざ上まできたため市役所に駆け込み、夜を明かした。 子どもたちが心配だったが、携帯電話には小学校から「子どもたちは体育館に避難しています」という一斉メールが届いていた。 力なく泣く母、泥にまみれた娘 翌朝、渡波保育所で夜を明かした伸一さんが自宅に向かうと、家は跡形もなく流されていた。 「誰かいませんか……」 力なく泣いている母が、胸に奏さんを抱いていた。 「奏ちゃん、冷たいんだ、冷たいんだ……」 伸一さんは、目の前の現実をのみ込めなかった。 聞くと、母は濁流にのみ込まれた直後に、気を失っていた。津波が引いた後、がれきになった家の中で孫を見つけたという。 泥にまみれた体を抱きしめると、「ほっぺにチュー」をせがんだ娘は氷のように冷たく、髪からは砂がぼろぼろとこぼれ出た。 「俺のせいだ。俺が学校から家に連れ戻しさえしなければ……」 奏さんを保育所に運んで布団に寝かせると、花さんと侃太さんを探すため、自宅の周辺へと戻った。 家の中で花さんを見つけ、壁を壊して引っ張り出すと、人を笑わせるのが好きで、いつもほほえんでいた顔は泥だらけだった。 「ごめんな。お父ちゃんがついていながら」。夜、保育所の2階で冷たくなった2人の娘を抱きながら、うなり続けた。 「侃太なら逃げているかも…」 砕かれた期待 綾子さんは結局、市役所の椅子で2晩を過ごした。 3日目の朝、渡波小学校に着くと、親戚が言った。「花ちゃんと奏ちゃん、だめだった。侃太くんはまだ見つかっていない」 突然ほおをひっぱたかれたように、悲しみも怒りもわかず涙さえ出ない。 保育所に向かうと、伸一さんがたき火を囲みながら待っていた。 「ごめん、花と奏、助けられなかった……」。2階では2人の娘が、先生のエプロンを掛けられて、横たわっていた。 「なぜ、助けてくれなかったの?」「侃太と奏は学校にいたはずでしょう?」 夫を問いただした直後、記憶を失った。 翌朝から、夫婦は自宅周辺で、侃太さんを探し回った。「侃太なら、どこかに走って、逃げていてくれるかもしれない」。心のどこかでそう期待していた。 引っ込み思案だった侃太さんは、足が速かった。「マラソンで1番になれるかもしれない」。近くの堤防で毎朝、父子で駆けっこの練習をしていた。 しかし約1週間後、保育所に自衛隊員が訪ねてきた。津波で流された家近くで小学生とみられる遺体が見つかったという。 綾子さんが自衛隊の車両に駆け寄ると、荷台に侃太さんが寝かされていた。住民が手渡してくれたタオルで、泣きながら必死に息子の顔をぬぐった。 旧青果花き市場に運ばれた三つの小さな遺体を前に、伸一さんは思った。「死んでしまいたい。もう、生きている意味なんてないじゃないか」 3月下旬、綾子さんは避難所に設置された電話で初めて、東京で暮らす両親に事実を伝えた。 「ごめんなさい、守れなかった」。孫を溺愛(できあい)していた父親にそう謝ると、電話口に母親が出た。 「お母さん……」。次の瞬間、震災後初めて、わんわん泣いた。 感情を失い、過ごした日々 差し込んだ一筋の光 震災後の日々を、夫と妻は感情を失い、ロボットのように過ごした。悪い夢を見ていると思い込もうとした。でも、わずかに眠って目を覚ますと、周りの光景は変わっていない。 […]
7万年の気候変動を封入 褐色のしま模様に刻まれた地球の歴史
有料記事 文・永井靖二 写真・柴田悠貴2023年3月11日 15時00分 7万年余に及ぶ気候変動を刻んだ地層のステンドグラスは、福井県の名勝・三方五湖(みかたごこ)の岸辺で褐色の光を放っていた。中央の白い帯は1万1653年前、「最終氷期」が明けた頃のものだ。 ラムサール条約登録湿地の三方五湖(みかたごこ)は、その名の通り五つの湖を指す。 最大の水月(すいげつ)湖は「奇跡の湖」と呼ばれる。流入河川がなく周囲の山で強風も届きにくい湖水は、水深5~7メートルより下が無酸素状態だ。加えて東側の活断層で、地盤は沈み続けている。そのため生物や流水に乱されず7万年余の間、水深も保ったまま1年に1枚、厚さ平均0・7ミリの地層が堆積(たいせき)した。 記事後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や会員登録すると応募できるプレゼントもあります。3月19日(日)締め切り 「年縞(ねんこう)」と名付… この記事は有料記事です。残り1147文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
女性起業家、どうすれば増えますか? キャシー松井さんに聞く
政府は起業家に占める女性の割合を2025年までに30%以上に引き上げる目標を掲げ、政府系金融機関が優遇金利を設けたり、自治体が支援制度を打ち出したりしている。だが、それでも女性は資金調達に苦労する状況が目立ち、平均開業費用も男性との間で2割以上の差が出ている。 どうしたらいいのか。そもそもなぜ、女性起業家を増やした方がいいのか。ESG(環境・社会・企業統治)重視のベンチャーキャピタル(VC)「エムパワー・パートナーズ・ファンド」創業者の1人、キャシー松井さんに聞いた。 ――女性の起業家が増えない現状をどう見ていますか。 女性の起業家や、そこにお金を出す投資家が少ないのは世界的にも問題で、米国でも少ないです。 資金を出す側が多様でなければ、多様な投資家にお金が回ってゆきません。投資家はリスクをとってなるべく高いリターンを得なければならないわけですが、そこで自分が見慣れない、生まれ育ったバックグラウンドや考え方が必ずしも一致しない人がテーブルの反対側に座った場合、本当に事業計画を実現できるかどうか不安になります。事業がフェムテックや女性の健康といった領域だった場合、男性投資家がよくわからないと感じる、ということもあります。 こうしたことは、女性が投資家で男性が起業家の場合にも起き得るでしょう。しかし今、資金を提供する側は男性が圧倒的な多数派です。このため、「○○年までに○○億円を達成する」と同じように言った際に、女性起業家がより疑問視され、「本当に市場適合性があるのか」など、男性だとされないような質問を投資家から受けるということが起きています。それを示す調査結果も出ています。無意識の偏見ですね。 ――起業家が多様になることで、どんなことがもたらされると考えますか。 人権や平等という観点に加え… この記事は有料記事です。残り1813文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Think Gender 男女格差が先進7カ国で最下位の日本。生きにくさを感じているのは、女性だけではありません。だれもが「ありのままの自分」で生きられる社会をめざして。ジェンダーについて、一緒に考えませんか。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
スタートアップも男性優位のムラ社会 女性起業家は、投資家になった
それは「男子校のノリ」のように映った。 松村映子さん(39)は2011年、女性向けファッションのサブスクリプション(定額制)サービスを提供する会社を立ち上げた。 新卒でITコンサルに就職したが、両親がフリーランスなど会社勤めではなかったため、中高生のころから漠然と起業家を夢見ていた。 大企業のような組織と違い、起業の世界に性別はあまり関係ないと思っていたが、実際はそうではなかった。 スタートアップかいわいは「友達コネクション」がモノを言う狭くて小さいなコミュニティーだ。その「ムラ社会」の構成員はほとんどが男性。起業家仲間や投資家と朝までお酒を酌み交わし、徹夜明けで猛烈に仕事をすることが「美徳」とされていた。 飲み会に参加しなかったからといって、何か直接的な不利益があるわけではない。ただ、資金集めや会社経営の上で欠かせない付き合いだと痛感させられた。 ムラ社会では、投資する側も圧倒的に男性が多い。松村さんがサブスクのサービスで生理用品を展開しようと、資金を募っていたころのこと。男性投資家にこう言われた。 スタートアップの世界でも幅をきかせる男社会。起業をめざす女性を孤立させないため、女性たちが動き始めます 「生理の悩みは男の自分には… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】「これからも見守って」 東日本大震災から12年
東日本大震災から11日で12年となりました。関連死を含む死者・行方不明者は2万2212人。避難者は今も約3万1千人にのぼります。 当時、巨大な津波に襲われた沿岸部では11日、早朝から追悼のために訪れる人々がいました。 岩手県大船渡市では、菅野明美さん(69)が孫の船本裕介さん(当時18)の墓参りに訪れていました。孫が津波に流されて亡くなったのは、高校を卒業しまもなく漁師として働くことが決まっていた矢先のこと。「『働いたお金は一番最初におばあちゃんにあげる』と言うほどの家族思いだった」。静かにその死を悼んでいました。 仙台市若林区荒浜地区の海岸で日が昇る海を見つめていた岩谷亮さん(34)。娘の美桜さん(6)に震災のことを伝えようと初めて一緒に訪れたそうです。 宮城県名取市閖上地区の名取川沿いの防波堤で、日の出を見つめていた髙橋理恵子さんは、震災で宮城県東松島市に住む高校時代の同級生を亡くしました。十三回忌にあたる11日に慰霊の意味をこめ、朝日を見に来たそうです。「こんなに静かできれいな海なのに、あのときはなんで猛威をふるったんでしょうね」。水平線からのぼる太陽を見て、「これからも私たちのこと、見守ってください」と祈りを込めていました。 東北の被災地を中心に、各地の様子を写真でお伝えします。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル