社会

定員の5割以下で学部の新設認めず 文科省改正案、大学の規制強化へ

三浦淳2022年8月15日 20時00分 文部科学省は15日、定員の5割以下しか学生がいない学部を持つ大学に対して、学部の新設や定員増を認めない認可基準の改正案をまとめた。これまでは定員を上回る入学者を集めた大学に対して同様の規制を設けていたが、18歳人口の減少を見込み、定員を大幅に満たさない大学への規制を初めて盛り込んだ。改正案は10月に施行し、2024年3月の学部設置などの申請から適用される予定。 改正するのは、大学や短大、高専の設置に関する認可基準となる文科省告示。学部全体の収容定員に対して、実際に在籍する学生の割合が5割以下の学部が一つでもある大学は、学部の新設などが認められない。これまでの基準では、教員1人当たりの学生数が多くなりすぎて教育環境を悪化させないため、大学の規模に応じて、入学者が定員を5~15%超えると新設などが認められなかった。 文科省などの調査によると、18歳人口は205万人だった1992年を境に減少に転じた。今年は112万人で、2032年には約9%減の102万人と推計されている。18歳人口の減少により、学生を確保できない大学の経営や教育水準の悪化も予想されるため、定員を満たせない大学への規制を強化する狙いがあるという。(三浦淳)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

公取委は「弱小官庁」なのか 月9ドラマで脚光 実像は…

 談合やカルテルを監視する公正取引委員会が、にわかに脚光を浴びている。7月からは審査官の活躍を描くドラマの放送が始まった。独占禁止法を駆使して不正をただす公取委。作中では「弱小官庁」として描かれているが、実際はどうなのか。(米田優人) 複数のホテルの間でのウェディング費用をめぐるカルテルや、納入業者に対する下請けいじめ――。 7月にフジテレビ系列で放送が始まったドラマ「競争の番人」(月曜午後9時)は、こうした疑惑に、東大法学部を首席で卒業した理屈っぽい男性審査官と、実直で感情のまま動く女性審査官らが立ち向かうストーリーだ。作中では審査官らが「弱小官庁」としての悲哀をにじませる場面も。俳優の坂口健太郎さんと杏(あん)さんがダブル主演を務め、話題を呼んでいる。公正取引委員会はどんな仕事をしているのか。本当に「弱小官庁」なのか。記事の後半では「ミスター公取」との声もあがる公取委OBに話を聞きました。 原作は作家の新川帆立(ほた…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

母娘刺傷事件で現場のDNA型が死亡少年と一致 SNSでトラブルか

板倉大地、西田慎介2022年8月15日 20時23分 北九州市小倉北区の住宅で、この家に住む母親(37)と高校生の娘(15)が男に刺されて重傷を負った殺人未遂事件で、娘が男について「SNSを通じた知人だった」と説明していることが、捜査関係者への取材でわかった。 現場に残されたこの男のDNA型が、事件直後の13日夜に列車にはねられて死亡した、東京都葛飾区の職業不詳の少年(17)のものと一致したといい、福岡県警は少年が事件に関与した疑いがあるとみて調べている。県警は、母娘を襲った男の特徴や服装が、死亡した少年に似ていたことなどから、発生当初から同一人物の可能性が高いとみていた。 捜査関係者によると、娘は自分たちを刺した男について、SNSで知り合い、やりとりをしていたが、「事件前に直接、会ったことはなかった」などと説明しているという。 少年は7日から自宅に戻っておらず、家族から行方不明者届が出ていた。少年が死亡した駅の近くでは、乗っていたとみられる盗難品の自転車が見つかった。県警は、少年の詳しい足取りの裏付けを進めている。 15日、報道陣の取材に応じた被害者の母娘の親族によると、母娘は、市内の母親の実家から帰宅後に、屋内に隠れていた男に台所付近で襲われたという。玄関のドアが壊されており、男はそこから室内に侵入した可能性があるという。(板倉大地、西田慎介)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

「アベノマスク」含む大量の布マスク問題 余った30万枚を再資源化

中村靖三郎2022年8月15日 20時30分 政府が保管していた「アベノマスク」を含む大量の布マスクをめぐり、希望者に追加で配布した後もなお在庫が残ったため、約30万枚を再資源化する処理をしたことがわかった。政府が15日に閣議決定した答弁書で明らかにした。 答弁書などによると、政府が保管していた布マスク約7100万枚について、自治体や介護施設などから計約2億9千万枚分の配布を希望する申し出があった。こうした希望者への配布を進めたが、一部の希望者には住所不在などの理由で送ることができず、約60万枚が余ったという。 このため、さらに希望する自治体などに追加配布したが、約30万枚が残った。「経費を抑制するとともに、有効活用を図るため、再資源化による処理を行った」(答弁書)という。 立憲民主党の田島麻衣子参院議員の質問主意書に答えた。(中村靖三郎)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

広島・神石高原町付近でヘリコプター墜落 男性パイロットの死亡確認

2022年8月15日 20時43分 15日午後3時ごろ、第6管区海上保安本部から「ヘリコプターが消息不明になった」と広島県警に通報があった。県警によると、捜索していた消防が、約2時間半後に同県神石(じんせき)高原(こうげん)町近田の仙養(せんよう)ダム付近で墜落しているヘリコプターと、パイロットの男性1人を発見した。男性は搬送先の病院で死亡が確認された。 国土交通省によると、ヘリコプターは同日午後1時15分に愛媛県上島町を出発し、30分後に神石高原町に到着する予定だった。乗っていたのは1人だった。2時間分の燃料しか搭載していなかったことから、同省航空局が午後3時15分に遭難と判断し、捜索していた。Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

ターゲットNo.357 狙われた武蔵野、解き明かすカギは米公文書

 天井の配管がむき出しの薄暗い空間に、すし詰めになった搭乗員たち。視線の先の壁面に、関東地方の地図が広げられている。 将校らしき男性が地図の中心を指さし、作戦を説明しているように見える。 米軍の航空母艦「バンカーヒル」の艦内。1945(昭和20)年2月15日に撮影されたモノクロ写真だ。 東京都武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館で15日まで開催中の企画展「戦争と武蔵野Ⅷ」で展示された。 この場面の撮影から2日後、市内の軍需工場「中島飛行機武蔵製作所」を標的とした5回目の空襲があった。B29による高度8千メートルからの空爆が中心だったそれまでと異なり、艦載機が接近して爆弾を放った。 「武蔵製作所は甚大な被害を受けたが、5回目の空襲は未解明の部分が多い。深掘りしようと考えた」と同館の公文書専門員、高野弘之さん(45)。昨年度の米国立公文書館資料調査で、この空襲に狙いを定めて海軍関連のファイルを中心に発掘に取り組んだ。 500ポンド爆弾を搭載する様子、ロケット弾を取り付けた戦闘機……。調査で収集した写真の数々をこの夏、パネルで見せた。    □ 武蔵野ふるさと歴史館は、2014年12月に開館した。昨年度まで館長を務めた栗原一浩さん(60)=現・吉祥寺シアター支配人=は開館前、市所蔵の中島飛行機の関連資料を引き継いだときをこう振り返る。 「博物館としての展示には、耐えられるものではなかった」 公文書館と博物館の機能を併…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

北海道新幹線延伸の陰で 地域支えた「山線」廃止へ 高齢者の足は?

現場へ! ローカル線のあした① 山の中を縫うように走るレールの向こうに、小さな無人駅がみえてきた。 北海道小樽市にあるJR函館線の塩谷駅。4月末の休日、駅近くの公民館で住民に対する説明会があった。 小樽市の迫(はざま)俊哉市長(63)が切り出した。「鉄道の運行を続ければ将来に大きな負担を残す。100年以上も地域の生活を支えてきた鉄道を断念せざるを得なくなりました」「現場へ!」一覧はこちら今年10月、日本の鉄道は開業150周年を迎えます。しかし、各地のローカル線は存続の岐路に立っています。北海道の現場を訪ねました。 迫市長が「断念」としたのは、「山線」とよばれる函館線の小樽―長万部(おしゃまんべ)間約140キロの区間だ。北海道新幹線が2030年度に札幌まで延びると、並行して走る山線はJR北海道の経営から切り離される。 地元負担による第三セクター方式などで運行を続けるには財政負担が大きい。小樽など沿線9市町は3月、廃線・バス転換の受け入れを決めている。 この日、山あいにある塩谷地区であった2度の説明会には計約30人の住民が出席した。「住民の足をどう守るのか」「一番困るのはお年寄りだ」といった厳しい声が相次いだ。 山あいにある塩谷地区では…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

終戦の日 上皇ご夫妻も黙とう、テレビ中継を見ながら 愛子さまも

多田晃子2022年8月15日 17時36分 宮内庁は15日、上皇ご夫妻が東京・元赤坂の仙洞御所で全国戦没者追悼式のテレビ中継を見ながら正午の時刻にあわせて黙禱(もくとう)したと発表した。 上皇さまは、皇太子時代の会見で「どうしても記憶しなければならない」四つの日として、沖縄戦終結の日(6月23日)、広島原爆の日(8月6日)、長崎原爆の日(同9日)、終戦記念日(8月15日)を挙げていた。 天皇、皇后両陛下は全国戦没者追悼式に参列して黙禱し、長女愛子さまも皇居・御所で黙禱した。(多田晃子)Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

中国・天津で迎えた終戦 沖縄には行けず 語り継ぐ戦争

【動画】天津で終戦を迎えた渡久地政司さん 両親は沖縄出身で、大阪に働きに出て1938(昭和13)年、いまの愛知県豊田市に来た。トヨタ自動車が創業し、めっき工場の職人だった父にも声がかかった。僕は1歳だった。 その後、父は中国・天津に派遣され、家族もついていった。トラック工場だ。車体は日本で造り、現地で組み立てて軍に納入した。現場は中国人が働き、父には約50人、部下がいた。 昼の弁当を届けるのが僕の役目。父はストーブの前で工場長や軍刀を持った将校と、何か煮て食べながら話していた。飲んでいたかもしれん。「おやじは偉い」と思った。 父は子どものとき、手をヘビ…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル

2度命拾いして聞いた終戦の知らせ みんなが泣いても私は歌った

 盛岡市の老人ホームで暮らす菊池照子さん(93)は太平洋戦争末期、艦砲射撃と機銃掃射に遭った岩手県釜石市の街で、九死に一生を得た。戦火の中で青春を過ごした人たちは、百歳前後になろうとしています。その体験をいま、書き残しておきたい。戦後77年の夏、あらためて耳を傾けました。 私は2度、命拾いをしました。 1度目は、最初の艦砲射撃があった日です。 終戦1カ月前の7月14日。ちょうどお昼頃でした。当時、私は16歳で、釜石駅の貨物取扱所の向かいにあった運送会社の支店で事務見習いをしていました。近くの銀行で用事を済ませ、会社に戻って間もなくだったかなあ。軍隊経験のある支店長の指示で、事務所の前に掘られていた防空壕(ごう)に逃げ込みました。 20人くらい入れて、天井は…Source : 社会 - 朝日新聞デジタル