政府は26日、東京電力管内の電力需給が27日夕に厳しくなるとして、「電力需給逼迫(ひっぱく)注意報」を初めて出した。27日午後3~6時に節電に協力するよう企業や家庭に呼びかけた。厳しい暑さにより、電力供給の余裕を示す「予備率」が5%を下回る見通しのため。 資源エネルギー庁によると… この記事は有料会員記事です。残り154文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
兵庫・揖保川で中学生流される、川遊び中か 下流で発見も死亡確認
2022年6月26日 17時53分 26日午後0時半ごろ、兵庫県たつの市龍野町北龍野付近の揖保(いぼ)川で、「友人が川に流された」と中学生から119番通報があった。捜索した県警や消防によると、約3時間後に200メートル下流の川の中でたつの市の男子中学生(13)が見つかり、病院に運ばれたが、死亡が確認された。 県警たつの署によると、友人ら約10人で揖保川を訪れ、泳いだり遊んだりしていたという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
マサカリ投法・村田が驚いたマウンド 下町を照らす「光の球場」は今
千葉ロッテマリーンズ・佐々木朗希投手が完全試合を達成するなど、2022年シーズンもプロ野球は盛り上がりを見せる。朝日新聞フォトアーカイブに残る写真で、かつてにぎわいを見せた球場の雄姿をたどった。その千葉ロッテの前身となるチームが使った球場は東京の下町にあった。 60年前にオープンした「東京スタジアム」 町工場や民家がひしめき合う東京都荒川区に60年前、「光の球場」が出現した。東京スタジアムだ。「明るいライトの下、下町唯一の球場とあって人気も上々」(1962年6月3日付朝日新聞) 大毎オリオンズ(現・千葉ロッテ)の本拠地として、オーナー永田雅一氏が30億円の私財を投じて、わずか11カ月で完成させた。 2本の鉄の柱に支えられた照明灯が6基。「バッテリー間の明るさは後楽園より数等明るい感じである」(同年7月22日付朝日新聞) 「マサカリ投法」で知られた村田兆治氏(72)も明るさに驚いた一人だ。「広島から東京に出てきて、ナイターの灯をまぶしく感じた」。68年にドラフト1位でオリオンズに入団し、東京スタジアムでは15勝をあげた。 スタジアム完成時、中学2年生だった青木健志さん(73)は「まわりに高い建物がなかったから、試合のある日は高架の南千住駅から光がぼうっと浮き出しているように見えた」。実家はコロッケパンが地元で人気の「青木屋」。店先に牛乳を並べると、試合帰りの観客に飛ぶように売れた。試合が終わり、照明が消えると、「カナブンやガがいっせいに民家の方に飛んできた」。 そば屋「おおもり」の大森啓市さん(73)は、「学校から帰ると、選手に出前を届けに球場に入った」と振り返る。アルトマン選手はいつも「たぬきそば」だった。「最初にたぬきそばを食べた時に本塁打を2本打ったから、験担ぎでね」。出前を届けた後は、ブルペンの隙間や記者席から、観戦した。 両翼90メートル、中堅120メートルと広さは十分だったが、左中間、右中間の膨らみがなく、本塁打が出やすかった。実家がスタジアム近くでおもちゃ屋を経営していたという小林敏男さん(75)は「場外に硬球が飛んでくることも多くて、よく拾いに行ったなあ」。 ガラガラだった客席 3人に共通する記憶は「いつ行ってもガラガラ」。初年度こそ73万人の観客を動員したが、67年度は28万人とリーグ最少になった。 65年からシーズンオフに外野席の上にやぐらを組んで氷を張り、スケート場としても利用したが、赤字が膨らんだ。70年はロッテのリーグ優勝や日本シリーズでにぎわいを取り戻したものの、71年に永田氏が経営から手を引いた。72年10月に閉鎖され、77年に取り壊された。「あっという間にでき、あっという間になくなった球場だったなあ」(大森さん) 跡地には今、荒川総合スポーツセンターと市民が使う南千住野球場がある。グラウンドから、東京スタジアムの本塁があった方角を見た。ビルの間に下町の新たなランドマーク、東京スカイツリーが立っていた。(阿久沢悦子) 「煙突の見える球場」「げた履きで通える球場」として、下町の人たちに親しまれた東京スタジアム。赤字が重なり、わずか10年でその歴史を閉じました。記事後半では「マサカリ投法」で知られる村田兆治さんが球場の思い出を語ります。 村田兆治さん「投手泣かせの球場だった」 ――1968年、ドラフト1… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「隠したって抗議は消えない」 ハンストの男性、訴え妨げた「人垣」
沖縄県と政府が共催する復帰50周年記念式典は、県庁から10キロほどの沖縄コンベンションセンター(宜野湾市)で開かれていた。 「さとうきび畑」がラジオから流れるタクシーを降りて、わたしはある男性を探した。 元山仁士郎さん(30)。宜野湾市出身の一橋大学院生だ。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設断念などを政府に求め、ハンガーストライキ中だった。 式典会場前にいると聞き、元山さんの目に「復帰50年」はどう映るのかたずねてみたいと考えた。 「式典反対」を訴えるデモ隊の声が、太鼓のリズムにのって聞こえてくる。交通規制中のバイパスをぐるっと大回りした先で見つけた元山さんは、すでに報道陣に囲まれ、取材が始まっていた。 ――スケジュールや計画は? 「岸田(文雄)首相が帰られるので、少しでもわたしの姿が目に入ればいいなという思いで、動線近くにいます」 ――玉城(デニー)知事の式辞はどのように受けとめましたか? 「沖縄の人たちが普通に暮ら… この記事は有料会員記事です。残り1270文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「屋上のバイオリニスト」ら出演 コンサートを企画した男性の思いは
コロナ禍や戦争、自然災害などによって脅かされた人々の心の平穏を祈りたい――。そんな思いで企画されたチャリティーコンサートが9月30日、大阪府豊中市で開かれる。イタリア在住のバイオリニストで、2020年に病院の屋上で演奏して話題になった横山令奈(れな)さん(35)=同府箕面市出身=らが出演する。 イタリア北部のクレモナを拠点に活動する横山さんは20年4月、クレモナの病院から依頼を受けて屋上から音色を届けた。コロナ感染者の治療にあたる医療従事者らに感謝の気持ちと、祈りの気持ちを込めたもので、演奏は動画配信されて世界中に広がった。 「あなたの演奏で平和を祈るチャリティーコンサートをしたい」。昨年夏ごろ、横山さんにこう提案をしたのが、豊中市在住の大矢寛治さん(87)。ザ・フェニックスホール(大阪市)の初代支配人を務めた人物だ。 横山さんに提案をした大矢さんには、戦争の非情を知ったある経験がありました。 横山さんの母・玲子さんもバ… この記事は有料会員記事です。残り1135文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「今を生きる全員に関係している」 参加者がみた核禁止条約会議
核兵器を使わせないため、作らせないため、脅しの武器として使わせないためにはどうすればいいのか。 核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約を批准する国や地域の代表が集まり、「核なき世界」を実現する道のりを話し合う初めての会議が21~23日、オーストリア・ウィーンで開かれた。条約を批准していない国や、NGO関係者らもオブザーバー(傍聴者)として参加。日本からも、長崎・広島の被爆者や市長、核兵器廃絶を目指す若者ら50人以上が、初めての会議の行方を現地で見守った。 今回の会議を、長崎の被爆者、長崎出身の若者の視点で振り返る。(岡田真実) 「締約国会議に威力があるのか。発効した核兵器禁止条約に効力があるのか、それを今心配している」。被爆者で医師の朝長万左男さん(79)は渡航を控えた16日、長崎空港で悲観的に話した。 昨年1月に発効された核禁条約は、わずか1年で大きな壁にぶつかった。 ウクライナに侵攻したロシアは、核兵器使用をちらつかせ脅し続ける。危機感が高まるなか、「核兵器が使われてはならない」という国際的な規範が確認される一方で、国内では「核共有」の議論が活発になるなど、核兵器を「抑止力」や「パワー」と捉える見方が強まっていた。 「核保有国を核禁条約にどうやって入れるのか。根本の議論がされるのかに注目したい」。条約の効力を見極めようと、朝長さんは日本を発った。 会議に先立ち、条約を推進してきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が、市民社会フォーラムを開いた。18日から2日間、約100人が演説した。 会場は熱気を帯びていた。でも朝長さんは、「お祭りみたいやね」。ウィーンに着いてからも、冷静さを崩さなかった。 21日に始まった締約国会議… この記事は有料会員記事です。残り2100文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
白い恋人は私のこと? 珍しい白いトナカイ、北海道の牧場で生まれる
奈良山雅俊2022年6月26日 10時45分 北海道幌延町の「トナカイ観光牧場」で、珍しい白いトナカイが生まれた。まだ生後1カ月余り。一般公開はもう少し先で、いまは母親の周りで甘えん坊ぶりを発揮している。 白いトナカイはメスで、大型連休明けに生まれた。一見すると真っ白なヤギに間違えそう。遊んでいるうちに母親と離れると、あわてて追いかけて母親の体に顔をなすりつけたり、ミルクをねだったりして甘えていた。 牧場で白いトナカイが生まれたのは2例目。初代は二十数年前に生まれたオスだった。牧場が現在地に移ったあとも、初代はクリスマスシーズンになると立派な角を揺らしながら家族連れを乗せてソリを引き、子どもたちにも人気だった。目の病気から2012年を最後に引退した。 白いトナカイは毛換わりをしても白いので、いつでも白い姿が見られる。角はメスも生えるが、ソリ引きは「男の仕事」。飼育担当で町企画政策課の伊山英貴さん(48)は「この子が大きくなってまた白いオスが生まれれば楽しいな」と目を細めていた。 子どもの白いトナカイの本格デビューは8月下旬の予定。その前にも時々イベントなどで登場させることも検討しているという。(奈良山雅俊) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ダム残土置き場に水害の流出土砂 工夫を重ねて挑戦するワインの味は
長野県の田中康夫・元知事による「脱ダム宣言」で建設中止となった後、後任の知事により建設された長野市の浅川ダム。その残土置き場だった場所で、ワイン造りに挑戦している男性がいる。当初はブドウの苗の生育が思わしくなかったが、2019年の千曲川水害の流出土を使い土壌改良を進めたところ、うまくいった。今秋、待ちわびた収穫を迎える。 「ようやくここまできた」と話すのは、仙台市出身の宋裕光さん(41)。東京のレストランでソムリエとして働いていたが、ワインをつくりたいと09年から2年間オーストラリアに渡り、醸造技術を学んだ。その後、長野県北部や山梨県・八ケ岳付近でワイン造りに適した土地を探していた。18年6月ごろ、浅川ダム近くで、ワイン造りをする「地域おこし協力隊員」を募集していると知り、移住を決めた。 宋さんは、ダム周辺の観光のために長野市が跡地利用を進めていた残土置き場だった土地(約2ヘクタール)でブドウ栽培を開始。19年5月には地域のボランティアら100人と約2万6千本のブドウの苗を植えた。だが生育状況を見て、「この土でおいしいワインはできるのか」と疑問を感じ始めた。 土壌を入れ替える決断 そのころ、台風19号による千曲川水害が発生した。19年10月13日、大雨で千曲川の堤防が決壊し、同市長沼地区を中心に多くの家や田畑が濁流にのまれた。市は、水害で流れ出た土の活用法を検討、宋さんに「残土置き場に流出土を運び込んで、ブドウづくりに使ってみてはどうか」と提案した。 千曲川沿いは肥沃(ひよく)… この記事は有料会員記事です。残り636文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
沖縄戦の爪痕 今も 慰霊の日
朝日新聞写真館 23日は沖縄戦の戦没者を悼み、平和を願う「慰霊の日」だった。地上戦の爪痕と戦後の辛苦は、今も沖縄に矛盾を背負わせ、苦しめている。 1960年の同じ6月23日には日米安全保障条約が発効。72年の同日は戦下のベトナムに向けて沖縄の基地から米軍機が出撃を繰り返していた。 45年秋、沖縄出身の引き揚… この記事は有料会員記事です。残り66文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「もの言える僕らが残っていたら」 観光船会社を去った男性の後悔
なぜ、観光船「KAZUⅠ(カズワン)」は沈んだのか。海上保安庁は、観光船業者や漁師ら多くの地元関係者から聞き取りを重ねている。その対象となった関係者の証言から、水面下で進む捜査の一端がうかんできた。 「船内に水が流れこんで、それが前方にたまったら水の逃げ道はない」 知床遊覧船(北海道斜里町)の関係者である男性が、海保の職員にそう説明したのは、ゴールデンウィーク(GW)が明けて数日後のことだった。2度目の聞き取りのときだという。 事故があった4月23日にカズワンから寄せられた118番通報では、「船首が浸水している」「バッテリーがダメ」と伝えられていた。また運航会社には「船首が30度傾いている」との連絡があった。 男性によると、カズワンの客… この記事は有料会員記事です。残り1523文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル