日本では度々議論の対象となる「タトゥー」。 ラグビーワールドカップ日本大会が開幕後、各国の代表選手が「日本への敬意」を理由に、滞在中はできるだけタトゥーを隠していることも話題になった。 インバウンドを推進する一方で、タトゥーが入った海外からの観光客が、入浴施設などでトラブルになることもある。 タトゥーによるトラブルを少しでも減らそうと、タトゥー雑誌の編集長を務めた川崎美穂さんが、タトゥーでも入れる施設が一目で分かる Webサイト「Tattoo Friendly」を2018年に立ち上げた。 最近では「おんせん(温泉)県」を名乗る大分県が、タトゥーがあっても入浴可能な施設を紹介するサイトを立ち上げたことも話題になるなど、「タトゥー」についていま一度考える時なのでは――。 そこで川崎さんにタトゥーがある人もない人も快適に過ごすためにはどうしたらいいのか、サイトに込めた思いを聞いた。 「Tattoo Friendly」とは、タトゥーが入っていても利用可能な全国の日帰り温泉、銭湯、ジム、ホテル・旅館、プール、海水浴場を紹介するWebサイト。全国の該当施設に1つずつ電話をかけ、利用の可否を確認している。2019年10月17日現在、1000を超えるタトゥーOKな施設が紹介されている。また他にも入浴マナーや日本のタトゥーの歴史なども掲載されている。サイトは日本語の他、英語での閲覧もできる 住み分けるための情報が必要 ――「Tattoo Friendly」を立ち上げたきっかけは。 海外の友人が日本に来たとき、タトゥーがある場合は大浴場が使えないことをホテルにチェックインした後に知った、という話を聞きました。 私も複数のタトゥーが入っています。 ですが私自身は自分で調べればよくて、生活に困っていなかった。 だからこのようなミスマッチが親しい人に起きることがとてもショックだったのです。 しかし調べてみると、例えば大手旅行サイトで予約しようとすると、タトゥーOKなのかダメなのかが分からない、ということに気づいたのです。 始めからタトゥーがあっても利用出来るのか、出来ないのか。それが分かればこうしたミスマッチも減らせるのではないかと思い、サイトを立ち上げました。 ――なぜ、タトゥーに寛容な社会を作るための働きかけではなく、「OK」な場所を見つけていくという方法をとったのでしょうか。 まずは住み分けられればいいと思ったのです。 好きと嫌いを戦わせても意味が無い。 これまでは住み分けるには情報が足りなさすぎたのです。 ダメと言われてダメな所に行く人はいません。 ただ、全ての施設でタトゥーがダメだと思い込んでいる人もいるので、彼らにはタトゥーがあっても利用できる場所がある、ということも知って欲しかった。 そしてもちろん、タトゥーが入っているからどうせ断られると思っている人たちにも、温泉に浸かる楽しさを知って欲しいと思っています。 多様性とは、私の中では「選べること」なのです。 次ページは:日本でタトゥーが批判される理由 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
■待望の豚コレラワクチン接種 福井の養豚新たな一歩 残り3戸「絶やしてはならぬ」(日本農業新聞)
豚コレラのワクチン接種が24日にも推奨地域で始まる。ワクチン接種県の福井県は、小規模ながら県ぐるみで豚の飼育を支援してきたが、豚コレラの影響で残る養豚農家がわずか3戸になった。県養豚産業が存亡の危機にある中、切望していたワクチン接種。県や関係者、農家らは「福井から養豚業を絶やしてはならない」と、今後の経営継続を模索する。 県ぐるみで 防疫対策 越前市で母豚60頭の一貫経営をしていた相馬秀夫さん(64)は、石灰で真っ白になった畜舎を見回り、寂しそうな表情を浮かべた。20歳で就農し、父の経営を継いで豚専業で生きてきた。40年以上、毎日畜舎で豚の世話をし続け、娘の結婚式ですら宿泊はせず日帰りにした。豚と共に歩んできた人生だ。 しかし、8月に感染が発覚し、全688頭を殺処分。相馬さんはガランとなった畜舎で「豚コレラでいきなり強制終了となってしまった。経験したことのないむなしさ、悲しみ、寂しさが心を覆っている」と明かす。 これまで同世代の農家らと毎月のように集まり豚で地域を活性化しようと議論してきた。畜産試験場や県、行政、JA、精肉店や食肉処理場の担当者と顔の見える関係を築き、10年以上も県養豚協会の会長を務めた。 岐阜県で豚コレラがまん延すると、福井県や市の担当者は農家に出向いて柵の施工を手伝うなど、豚コレラを防ごうと頑張ってきた。相馬さん自身も今年、豚の飲み水のタンクを更新した他、石灰まみれになるほど対策をし、妻と共に消毒・着替えも入念にしてきた。 しかし、7月上旬に県内で感染イノシシが見つかり、下旬には市内で相馬さんの畜舎から3キロ離れた養豚場で感染が発覚した。養豚場の主は若手農家の夫妻。苦労して経営する姿を知っていただけに、つらかった。 相馬さんの畜舎は、盆時期の8月12日に感染が発覚。信じられない思いだった。真夜中に何百という人が小さな養豚場に集まり豚を殺処分した。その異様な風景に「近所の人や古里に帰ってきた若者にとってどれほどの衝撃だっただろうか。豚にも関係者にも、地域の人にも本当に申し訳ないことをしてしまった」と相馬さんは話す。近所の人や行政職員らは迷惑を掛けたにも関わらず、温かい心配の言葉を掛けてくれ、心が痛んだ。 次ページは:畜舎整備の 支援必要 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
台風から一夜「何もねえや」 自宅を失って気づいたこと
台風19号による土砂崩れで自宅が全壊した相模原市緑区青根の農業高足宜男(たかあしよしお)さん(84)、房子(ふさこ)さん(83)夫婦は21日夕、身を寄せていた自治会館から、集落の人が提供してくれた空き家に移った。宜男さんは22日、まだ荷ほどきを終えていない新居で「今回は人の情けが骨身にしみた」としみじみ話した。 「何もねえや」。台風19号上… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
眞子さま、きょう28歳の誕生日 宮内庁が近況を公表
【動画】秋篠宮邸の庭を散策する眞子さま=宮内庁提供(音声はありません) 秋篠宮ご夫妻の長女眞子さまは23日、28歳の誕生日を迎えるにあたり、宮内庁が近況を公表した。代替わり後は両親の公務を引き継ぎ、公的な活動が増える一方、国際基督教大学大学院で研究を続けている。 眞子さまは、全国都市緑化祭や国民体育大会閉会式など、ご夫妻から引き継いだ公務を担い、関係者との交流に努めたという。今年7月には日本人移住120周年を迎えた南米のペルーとボリビアを公式訪問するなど国際親善に努めた。 眞子さまは国際基督教大学の同級生の小室圭さんとの結婚が2020年に延期されている。(長谷文) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
寄り添うお二人、笑顔の雅子さま 長い忍耐の年月を経て
炎天のもと、駅頭には大勢の人たちが集まっていた。天皇陛下が皇后雅子さま、長女愛子さまをうながすと、お三方ですたすたと歩み寄り、声をかけた。 赤ちゃんの前にしゃがみこみ、若い母親と笑顔で語らう。愛子さまのジョークにはどっと笑いが起きた。まるで「ご近所さん」と話すような雰囲気。気さくな雰囲気での懇談は30分以上も続いた。 今年8月。JR那須塩原駅頭での場面だ。 十余年前も、同じ駅頭で、ご一家を何度か取材した。雅子さまの体調がすぐれない時期で、笑顔がこわばっていたように記憶している。待ち受ける人たちに近づくことはなく、離れた場所で数分間手を振ると、すぐ車に乗り込んだ。それに比べると、なんという変化だろう。 雅子さまが皇室に入る前、縁あって何度となく直接お話しする機会があった。ユーモアに富み、大きな声でよく笑う。外交官として活躍していた時期だったが、驚くほど控えめで、私の問いかけにいつも正面から誠実に答えようとした。婚約内定の記者会見(1993年1月)で「殿下をお幸せにしたい」と述べて批判が出たこともあったが、率直に気持ちを述べようとした表れだったと思っている。 雅子さまブームにわいた結婚だったが、その後は順調とは言いがたかった。「男の子のできない皇后は存在価値がない」。関係者によると、そう思わされる出来事が重なり、自信を失っていったという。一進一退を繰り返し、公務を直前で取りやめることも、しばしばだった。 待ち受ける人々の期待に沿おう… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「饗宴の儀」が終了 両陛下、各国大統領らと懇談
朝日新聞デジタルに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。Copyright © The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【詳報】即位の礼を振り返る 天皇、皇后両陛下の1日
【動画】即位礼正殿の儀でお言葉を述べる天皇陛下=宮内庁提供 天皇陛下の即位を国内外に知らしめる儀式「即位の礼」が22日に執り行われました。そのハイライトと言えるのが22日の「即位礼正殿の儀」。天皇陛下自らが即位を宣言しました。1日の出来事を解説とともにタイムラインでまとめています。 祝宴「饗宴の儀」が終了 即位の礼初日となった22日夜、皇居・宮殿で催された「饗宴の儀」が終了した。各国の王族や大統領などが出席し、天皇、皇后両陛下や皇族方と懇談した。 「饗宴の儀」メニュー、プリンスホテルのシェフが担当 即位の礼初日となった22日夜には、各国の王族や大統領などを招いた祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」が皇居・宮殿で催された。平成の時と同様、宮内庁から外注されたプリンスホテルのシェフが料理を担当。和食中心の料理がふるまわれた。 メニューは和食中心だったが、肉料理に慣れた欧米諸国の人たちにもなじみやすいような材料で仕立てたという。宗教上の観点から、イスラム教の戒律に従って調理したハラールのメニュー、菜食主義者用の献立も用意された。 祝宴は25、29、31日も続く。内閣総理大臣や各界代表者らが出席する25日には、より和食色の強い料理がふるまわれる。 〈饗宴(きょうえん)の儀の献立〉(22日) 【前菜】かすご鯛姿焼、エビ鉄扇、アワビ塩蒸、百合根、鴨錦焼、黄柚子釜、篠鮟肝(しのあんきも)、栗、きゅうり 【酢の物】 魚介酢漬、スモークサーモン、帆立て貝、ヒラメ、ワカサギ 【焼き物】 牛肉アスパラガス巻、ブロッコリー、生椎茸、小タマネギ、小トマト 【温物】茶わん蒸し、ふかひれ、マイタケ、三つ葉 【揚げ物】三色揚(カニ、キス、若鶏)、紅葉麩、クワイ、銀杏、松葉そば 【加薬飯】鯛そぼろ、タケノコ、シイタケ、かんぴょう、錦糸玉子、紅ショウガ 【吸い物】伊勢エビ葛打、松茸、つる菜 【果物】 【菓子】 フィリピンのドゥテルテ大統領が帰国 天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に参列するため、22日から日本を訪問していたフィリピンのドゥテルテ大統領は、背骨の腰に近い部分に強い痛みを訴え、予定を切り上げて同日夜帰国することを決めた。フィリピン大統領府によると先週、マニラでバイクから転落した際のけがの痛みとみられ、日本では杖を使って歩いていたという。海外からの賓客のための22日夜の祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」には、大統領の長女でダバオ市長のサラ・ドゥテルテ氏が出席する。 19時すぎ 祝宴「饗宴の儀」始まる 「即位礼正殿の儀」に参列するために来日した外国元首らをもてなす祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」が22日夜、皇居・宮殿で始まった。 平成の即位の礼にも参列したブルネイのボルキア国王のほか、英国のチャールズ皇太子らが招待された。 祝宴では、天皇陛下が同日午前に即位を宣言した舞台「高御座(たかみくら)」などが公開され、舞楽が披露される。 解説 夜は国外の賓客らをもてなす祝宴「饗宴の儀」 夜には、皇居・豊明殿を主会場に、主に国外の賓客をもてなす祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」がある。出席者には高御座や御帳台が公開され、食事や飲み物が振る舞われる。終了時間は午後11時前。祝宴は、25、29、31日と続く。 16:10 那覇市の高校生、相良倫子さん「平和を希求するおことばだった」 即位礼正殿の儀には、那覇市の高校1年生相良倫子(さがらりんこ)さん(15)も参列した。中学3年生だった昨年、沖縄慰霊の日の戦没者追悼式で、自作の「平和の詩」を朗読して注目された。 相良さんは、高校の制服姿で参列した。儀式の様子を直接見られる位置にいなかったため、モニター越しに見守ったという。「国民の幸せと世界の平和を常に願い」という天皇陛下のおことばについて、「平和を希求する心がわかる、すてきなおことばだった」と振り返った。 上皇陛下は、沖縄へ深い思いを寄せられたことで知られる。「おことばからは、上皇陛下の思いを引き継ぐ、というお気持ちが伝わってきた。沖縄だけでなく日本中の平和のために尽くしてくれると思う」と期待を込めた。また、「戦争を体験してもなお穏やかに生きている、私たちの祖母や曽祖母のような存在が沖縄にいることを知ってほしい」と話した。 15:50 中西進さん「カーッと日が照ってきまして」 「令和」の考案者とされる万葉集研究の大家、中西進さんは即位礼正殿の儀に参加した後、報道各社の取材に応じ、「(陛下のお話がある時は)カーッと日が照ってきまして、素晴らしい日本の未来を思わせるようにとてもいい雰囲気になりました」と話した。 その上で、「陛下も、総理も国民の幸せと、国家の世界的な平和をおっしゃったこと、非常に私は良かったなあと思いました。最後に総理のお話が終わるときに、令和元年10月22日とちゃんと元号も言って下さったんで、良かったと思います。いい日本になると思いますね。皆さんの力を合わせてそう致しましょう」と話した。 両陛下のご様子については「非常に謹厳な趣で、陛下はきりっと口をお結びになって、決意のほどがしのばれました。皇后様は非常に慎み深く、奥行きの深い感じにさせられました。いいスタートを切ったんじゃないでしょうか」 15:45 王貞治さん「日本の良さを感じられる式典でした」 即位礼正殿の儀に参加した王貞治さんは取材に、「日本の伝統的な衣装がすばらしかったですね。外国のみなさんも感銘を受けたのでは。平和と幸せ、ということを天皇陛下も言われていました。普段感じることができない日本の良さを感じられる式典でした」と話した。 秋篠宮家の装束姿 即位礼正殿の儀に臨んだ、秋篠宮文仁さまの装束姿。束帯は、皇太子が着用する「黄丹袍(おうにのほう)」。垂纓(すいえい)の冠、天皇陛下から譲られた豊後国行平御太刀を身につけている。 秋篠宮妃紀子さまは、深紫亀甲(ふかむらさききっこう)の地紋に、白尾長鳥丸(しろおながどりのまる)を上紋とした唐衣、紅固織物に松立湧の紋をあしらった五衣、三重襷(だすき)の紋に桐竹鳳凰(ほうおう)の描絵をあしらった裳(も)といういわゆる十二単(ひとえ)姿。 長女の眞子さまと次女の佳子さまは、紫亀甲の地紋に、白雲鶴丸(しろうんかくのまる)を上紋とした唐衣、萌葱(もえぎ)固織物に松立湧の紋をあしらった五衣、三重襷(だすき)の紋に桐竹尾長鳥の地摺(じすり)をあしらった裳(も)といういわゆる十二単(ひとえ)姿。長ばかまの色は、未婚であることを表す。 来日した主な海外要人 招待国数は約190カ国、即位関連予算は約160億円にのぼる。 13:15 […]
台風19号で被災の丸森町、さらなる浸水防止へ警戒
東日本に記録的な大雨をもたらした台風19号の上陸から10日となる22日、広範囲にわたる浸水で甚大な被害を受けた宮城県丸森町では朝から大粒の雨が降り続いた。 さらなる浸水被害を防ごうと、町は川沿いに排水ポンプ車を配備して警戒に当たった。町役場近くで決壊した新川の堤防では、この日も土囊(どのう)を並べる補強作業が進められた。 町役場前のグラウンドに設けられた災害ごみの仮置き場には、山積みになった家財道具などが降りしきる雨に打たれていた。この日も、泥をかぶった家財道具などを満載した軽トラックが、ぬかるんだグラウンドを次々と往来していた。(恵原弘太郎) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
眞子さま28歳 ご両親支え、新たなお務めも (産経新聞)
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまは23日、28歳の誕生日を迎えられた。代替わりに伴い、皇嗣(こうし)となられた秋篠宮さまから複数の国内行事を引き継いだほか、7月には南米2カ国を公式訪問するなど、秋篠宮ご夫妻を支えながら成年皇族としての務めを果たされている。 5月には全国都市緑化祭のため、長野県をご訪問。今月も茨城県で行われた国民体育大会の閉会式に臨席し、天皇杯、皇后杯を授与された。7月には日本人移住120周年を迎えたペルーとボリビアを公式訪問された。この1年は成年皇族としても多くの皇室行事や儀式に臨み、22日の即位礼正殿の儀では、初めて十二単(ひとえ)を着用された。 眞子さまは国際基督教大学(ICU)大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程に在学されている。ICU時代の同級生、小室圭さん(28)とのご婚約内定後の一連の儀式は延期の状態が続いている。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
即位礼正殿の儀、饗宴の儀が行われた10月22日(産経新聞)
7:02 皇后さまが儀式の準備のため、皇居に向け赤坂御所をご出発 7:10 皇后さまが皇居・半蔵門ご到着 8:08 天皇陛下が儀式の準備のため、皇居に向け赤坂御所をご出発 8:18 陛下が皇居・宮殿にご到着 8:30 政令恩赦「復権令」と特別基準恩赦を掲載した官報号外が国立印刷局の掲示板に張り出される 9:03 陛下が皇居・宮中三殿にお出ましに。即位礼を行うことを神前に奉告される「即位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が執り行われる 9:43 皇后さまが陛下に続いて賢所でご拝礼 10:05 秋篠宮さまをはじめ皇族方が三殿にご拝礼。その後、安倍晋三首相ら三権の長が拝礼 10:55ごろ 「即位礼正殿の儀」の参列者が宮殿に入り始める 11:02 宮内庁が雨天の式次第で行うと発表 12:20 安倍首相夫妻が宮殿に到着 12:51 秋篠宮さまをはじめ皇族方が宮殿「松の間」へ 12:55ごろ 雨が弱まり雲間から日が差す 13:05 天皇陛下が松の間にお出ましに。即位礼正殿の儀が始まる 13:17 「高御座(たかみくら)」で陛下がお言葉を述べられる 13:21 安倍首相が寿詞(よごと)を述べる 13:24 安倍首相と参列者の万歳三唱に合わせ、陸上自衛隊の礼砲が鳴り響く 13:35 天皇、皇后両陛下が松の間をご退出。即位礼正殿の儀が終了 15:00ごろ 天皇陛下が皇居を離れ、赤坂御所にいったんお戻りになる 19:15ごろ 「饗宴(きょうえん)の儀」に参列する外国賓客たちの車が皇居・宮殿に続々到着 19:20 饗宴の儀が始まる 23:20 饗宴の儀が終了 Source : 国内 – Yahoo!ニュース