「なくしました」「壊れています」「忘れました」……。 新型コロナの自宅療養者に貸し出したパルスオキシメーターの返却を求めると、電話からこんな答えが相次いだという。 貸し出し用に確保した約43万個のうち、全国最多の約7万個が未返却の東京都は、外部業者に委託して督促作業を5月まで続けてきた。電話で返却を促すと、連絡がとれない人もいたという。 貸し出しは、主に次のような流れだった。 感染者の氏名や住所、電話番号などが都側に登録されると、食料とともに、都が希望者にパルスオキシメーターを送る。その際、「療養期間終了1週間後に返却を」と呼びかける手紙と返送用の封筒も同封したが、一定数は返ってこなかった。 新型コロナの自宅療養者向けに貸し出したパルスオキシメーターが、全国で少なくとも30万台返却されていませんでした。47都道府県への取材で分かりました。都道府県ごとの未返却数は、記事後半で紹介しています。 沖縄県は、貸し出し機器に「貸与品」というシールを貼り、配送時に同封したしおりには「紛失・故障と認められる際は購入費用を弁償していただく場合がある」とも書いていた。それでも約2万個が未返却。感染者数が多く、延べ貸し出し回数が21万超に上った事情もあるが、県が確保した数に占める未返却の割合は全国最高の約44%だった。 転売例を聞いた担当者も「返してほしい」 ただ、実際に弁償を求めたこ… この記事は有料記事です。残り1342文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
パルスオキシメーター、全国で未返却30万個 コロナで無料貸し出し
新型コロナの自宅療養者向けに都道府県が無料で貸し出したパルスオキシメーターが、全国で少なくとも約30万個返されていないことが分かった。購入価格は自治体ごとに違うが、個数が多い自治体から試算すると計約15億円。貸し出しは市なども実施しており、実際の未返却数はさらに多そうだ。 パルスオキシメーターは血中酸素濃度を測る医療機器。貸し出し事業は2020年4月に始めた国の新型コロナ感染症緊急包括支援事業の対象となり、経費には同支援交付金が充てられた。購入や配送、回収を都道府県などが担い、今年5月に原則終了した。 朝日新聞は、全47都道府県に、自宅療養者向けの貸し出しパルスオキシメーターの確保数と未返却数について、今年7月上旬の状況を質問した。45都道府県から回答があり、確保した計約176万5300個のうち、計約30万個が未返却だった。確保した数を基準にすると、未返却の割合は約17%だった。和歌山、熊本の2県は、同時期の未返却数を詳しく把握していないとの回答だった。 未返却は、都道府県別では最多が東京の約7万個で、次いで埼玉約5万5千個、神奈川約4万個など。自治体の確保数を基準にした未返却の割合は、沖縄(約44%)、佐賀(約40%)、山口(約38%)など7県が30%超だった。 延べ貸し出し回数は不明とした自治体が少なくないが、把握していた自治体の大半が確保数を上回っており、1個を複数回貸し出していたとみられる。沖縄は確保した約4万6千個を21万回以上貸し出し、未返却は約2万個だった。 未返却者に督促すると、「なくした」「壊れた」などと答える人が多いという。 多くの自治体が催促を断念 国は「事業費不明」 一方、割合は群馬の約1%(… この記事は有料記事です。残り1243文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
パルスオキシメーター、全国で30万個が未返却 47都道府県調査
新型コロナの自宅療養者向けに都道府県が無料で貸し出したパルスオキシメーターが、全国で少なくとも約30万個返されていないことが朝日新聞の取材で分かった。 購入価格は自治体ごとに違うが、未返却数が多い東京、埼玉、神奈川の3都県分から試算すると計約15億円となる。貸し出しは市や区なども実施しており、実際の未返却数はさらに多そうだ。 パルスオキシメーターは、血中酸素濃度を測る医療機器。貸し出しは、2020年4月に始めた国の新型コロナ感染症緊急包括支援事業の対象となり、同支援交付金が充てられた。購入や配送、回収を都道府県などが担い、今年5月に原則終了した。 朝日新聞は、全47都道府県に、自宅療養者向けの貸出パルスオキシメーターの確保数と未返却数について、今年7月上旬の状況を質問した。 45都道府県から回答があり、確保した計約176万5300個のうち、計約30万個が未返却。確保した数を基準にすると、未返却の割合は約17%だった。和歌山、熊本の2県は、同時期の未返却数を詳しく把握していないとの回答だった。 未返却は、都道府県別では最多が東京の約7万個で、次いで埼玉約5万5千個、神奈川約4万個など。 自治体の確保数を基準にした未返却の割合は、沖縄(約44%)、佐賀(約40%)、山口(約38%)など7県が30%超だった。 延べ貸し出し回数は「不明」とした自治体が少なくないが、把握していた自治体の大半が確保数を上回っており、1個を複数回貸し出していたとみられる。沖縄は確保した約4万6千個を21万回以上貸し出し、約2万個が未返却だった。 未返却者に督促すると、「なくした」「壊れた」などと答える人が多いという。 一方、割合は群馬の約1%(272個)が最低で、岩手と茨城が2%台だった。 機器の購入価格は、未返却数の上位3都県によると1個平均約5千円だった。(太田原奈都乃、福岡龍一郎) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
御嶽山の山頂付近の登山道、立ち入り規制緩和 噴火災害以来9年ぶり
【動画】9年ぶりに登山道の規制が解除された御嶽山=熊倉隆広撮影 2014年にあった御嶽山(おんたけさん)(長野・岐阜県境、標高3067メートル)の噴火災害で、噴火以来続いていた山頂付近の登山道の立ち入り規制が29日、緩和された。多くの犠牲者が出た尾根筋「八丁ダルミ」などで9年ぶりに一般登山が可能となった。 規制が緩和されたのは、長野県王滝村側から登る王滝頂上と最高地点の剣ケ峰を結ぶ八丁ダルミと、その途中から木曽町側に至る「二ノ池トラバース」。 死者58人、行方不明者5人を出した災害後、村は噴石から身を守るための避難用シェルターを八丁ダルミ周辺に2基設けるなど、一定の安全対策を講じたと判断。登山者にヘルメットの着用を求めたうえで、登山道の両脇に設けたロープ外に出ないことなどを条件に、24時間の通行を認めた。今年は10月11日午後2時までを予定している。 木曽町側からは18年以降、剣ケ峰への登山は可能だったが、今回の規制緩和により、9年ぶりに王滝村側からも剣ケ峰に行くことができる。山頂近くの一部の規制は残る。 王滝村側からの登山は、7合目の駐車場からは3時間未満のコースタイムで山頂部に至ることから人気があった。 ただ、今回の規制緩和に対し、噴火災害の被災者らでつくる「山びこの会」の中からは、噴火が発生した場合は「全員がシェルターに逃げ込むことは物理的に難しく、リスクが大きい」と反対を訴える声も上がる。 長野県の阿部守一知事は27日の会見で、八丁ダルミなどの一般登山が可能になることについて、「地元の木曽町、王滝村など関係者の努力のおかげで、待ち望んでいた状況になる。噴火災害の記憶を風化させないようにしながらも、多くの人に戻ってきて頂けるように取り組んでいきたい」と話した。(佐藤仁彦、遠藤和希) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「うつさなくて良かった」そう言った患者の最期、心の中のラブレター
大阪府の枚方市は、七夕伝説の地である。 天野川という名の川が流れ、川砂が星のように白く光って見えたのだろう。だから、いにしえの歌人たちは、この地で七夕の和歌を詠んだ。 この地に、「天の川病院」という名の総合病院がある。病床は157床。スタッフはおよそ400人。 そんな病院で2月、「ラブレター研究家」を名乗る橋本昌人さん(58)の手紙を朗読するイベントがあった。 感謝の気持ちや本気の思いがこもっていたら、誰にあてた手紙でも「ラブレター」。そう考える橋本さんの朗読を聴いて涙を流し、心をすっきりさせる。そんな「涙活(るいかつ)」と呼ばれる活動をしている。 祈る思いで待っていた 看護師や事務スタッフら50人ほどを前に、この日橋本さんが朗読したのは、この病院で透析医療に40年かかわる看護師が描いた、ある親子への感謝だった。 親子は、母と40代の息子。ふたりとも、透析で長期入院していた。 《昨年6月末、コロナワクチンが高齢者に接種され始めたころ、透析を受けて二日後、ふたりともコロナでほかの病院に入院したと知り、とてもショックでした。 いつも2人から、「体に気をつけて仕事を続けてな。しんどかったら休みもらいな」と気遣ってくれる優しい言葉に励まされてきたので、本当に祈る気持ちで2人の情報を待っていました。 2カ月後、お母さんが先に帰院され、症状は思ったより軽かったとのこと。 息子さんは呼吸器をつけて帰… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
将来は宇宙空間で 人手不足も解消する大林組の「3dpod」
北村 玲奈2023年7月29日 18時00分 大林組技術研究所(東京都清瀬市)の一角に、繭のように丸みを帯びた「家」がたたずんでいる。同社が3Dプリンターで造った、床面積27.09平方メートル、高さ4.04mの建築物で「3dpod」と呼ばれる。空調、電気、水道を備え、3Dプリンターによる建設物としては日本で初めて、建築基準法に基づく国土交通大臣の認定を取得した。 3Dプリンターで、特殊なモルタルの外壁と内壁を作り、その隙間に、同社の独自素材である鉄繊維が含まれたコンクリート「スリムクリート」を流し込むことで、鉄筋を使用せずに強度を出し、ほぼ全ての工程の自動化に成功した。曲線状の構造も、鉄筋を使わないが故に実現できた。 プロジェクトリーダーを務めた坂上肇さん(39)は「自動化の技術は人口減による人手不足を解消し、将来的には人が立ち入れない危険な場所や宇宙空間などに展開できる」と、未来を見据えている。(北村 玲奈) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【毎日更新】夏の小川、空襲恐れ人も少なく 1945年の今日、広島
学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。 広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。 1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。 ■■■1945年7月29日(日)■■■ 夏の日曜日。広島第一高等女学校の熊本悦子さん(13)は小川へ行きました。空襲を恐れてか、それとも子どもが疎開に出たせいか、人影もまばらです。 家庭修練日。 今日は、井の口の親類へ行った。少し歩いたので、何となく足がだるくて仕方がない。桃を少しいただいたので、持って帰った。 昨日の南瓜(カボチャ)でご飯を炊いた。栗のように甘くて玉子飯のように黄色くて、大へんおいしかった。母の白毛を抜いて小川に行ったが、早くかえった。空襲におそれると見えて、人が少なかった。第二回疎開児童も出たせいであろう。尾長町の親類へ、五つの仕事をしにお使いに行った。今日の水泳は母に中止とされた。悲しくて悲しくてたまらない。向こうにつくと、その親類の方が来ておられた。弟と5カ月違いの男の子と一しょに遊んだ。面白くて夢中になっていた。 午後けいほうが出たので、解除まで待った。お姉ちゃんお姉ちゃんとなついたと思うと、かえらなければならない。両方とも悲しい。荷物が重いので、手がにがって(痛んで)ならない。電車の中でも居ねむりしていた。 家にかえるとすぐ、今もらったばかりの海水着を見せた。母は大へん喜んでいらっしゃった。私もうれしくてうれしくてならない。すぐあわして見て、しまっておいた。左手があまりにがるので、困った。入浴して髪を洗った。 今日は朝から空襲警報が発令されたが、正午ごろに敵機約三十数機が上空通過の際若干投弾した。ビリビリッという家の震動、キューンという音を発しつつ急降下し来る敵小型機。ダーンというたたきつけるような爆弾の音は最初の経験とて少々怖かった。何というざまだ。まだやっと序の口ではないか。本当の爆撃を食うのは今からだ。 午後Iの家へ行く。明日いよいよ彼も福岡なる九大工専へ行くそうだ。例のJ嬢が先客に来ていた。Iも存外幸福者だ。口ではかえってありがた迷惑みたいな口ぶりだったが、内心はまんざらでもないらしい。 3時半ごろちょっと夕立が来た。夕立だと思うと夏らしい気分がする。 米が模擬原爆「パンプキン」を投下 米の原爆投下部隊「第509混成群団」が訓練のために模擬原爆「パンプキン」を投下した。この日は、東京都や山口県、福島県など国内8地点が投下目標とされた。 記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。 この日の広島・長崎 広島 最高気温28.2度… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「きみと死のうと思ったんだ」 娘へのラブレター、あの日の告白に涙
3月、大阪市のビルの中。 20~30代の若者たち50人ほどが床に座り、前を向いていた。視線の先に立つ男が手紙の朗読を始めた。 《娘・ミサトへ あなたの母親であり、私の妻であった、我々の最愛の女性は、ある、小さな記事として新聞にも掲載された交通事故により、きみがまだ6歳のときに亡くなりました》 朗読する橋本昌人さん(58)は、放送作家。漫才やコントのネタや台本をお笑い芸人たちに提供してきた人でもある。だが、この手紙はネタではない。滋賀県のある男性が書いたリアル、だ。 満足げな表情のきみは 《突然すぎて、悲しみ抜いて、途方に暮れて、精神的に参ってしまった私は、死のうとしたんです。 バカなことに、きみを連れてお母さんを追いかけようとした。 その日、最後の思い出にと、家族でよく出かけた遊園地に2人で行きました。 とにかくきみは楽しそうで、これが最後の遊園地になることも知らずに、いや、今日が最後の日であることも知らずに、元気いっぱい走っては、乗り物をハシゴしてた。 やがて、急流すべりを乗り終わって、こちらに駆けてきたきみは、満足げな表情で見上げつつ、私と手をつないで、ニコニコしながらこう言いました。 『もういいよ、お父さん。もう、お母さんのところに行こ』》 神妙な表情で手紙を聴いてい… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
長崎・佐賀県境の多良山系で福岡県の男性が遭難か 妻と登山中
長崎県諫早市の金泉寺付近の山中で26日午後5時50分ごろ、福岡県広川町の無職水本辰次さん(82)が行方不明になったと110番通報があった。警察や消防などが60~90人態勢で捜索を続けているが、29日昼過ぎの時点でも見つかっていないという。 長崎県警諫早署によると、水本さんは妻と2人で26日午後1時半ごろ、長崎県と佐賀県の県境にある多良山系に登山に入り、午後3時半ごろ金泉寺に到着。水本さんが近くに群生するキツネノカミソリを1人で見に行ったが帰ってこないため、妻が通行人に頼んで通報したという。 水本さんは身長165センチ、やせ形、白髪まじりの短髪で、クリーム色の長袖シャツに紺色の長ズボン姿。灰色のリュックサックを背負っていたという。(石倉徹也) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
遅れる、売れない、でも苦情は来る…週刊朝日最後の編集長が見た景色
【Last Day】日本最古の総合週刊誌である「週刊朝日」が休刊。最後の一日に密着した=井手さゆり、西田堅一、小林孝也撮影 総合週刊誌として日本最古の歴史を持つ「週刊朝日」が5月30日発売の増大号をもって休刊した。大正時代の創刊から数えて101年目。最後の編集長となった渡部薫さん(52)が見た、週刊誌を取り巻く厳しい状況とは。 朝日新聞の記者などを経て編集長になったのは2021年。 休刊までの2年あまりで最も強く印象に残るのが、昨年7月にあった安倍晋三元首相の銃撃事件だった。毎週の校了日は土曜日。事件が起きた8日は金曜日だった。「これほど大きな事件。報道するのが我々の仕事だ」と考えた編集部は、予定していた特集や企画を大幅に差し替え、「容疑者の動機」「銃の構造分析」「今後の政局」をテーマにした特集を急きょ取材。1日あまりで校了し、掲載した。 発売は翌週火曜日の12日。週刊誌としては早かったが、すでにネット上で事件は大きく取り上げられていたためか、思ったほど売り上げは伸びなかった。 一方で、この特集に対し、「人の死で商売をするのか」といったクレームがかかってきたという。 メディア報道への視線が厳しくなる中、情報はこれまでにない速度で消費され、週刊誌は構造的について行けない――。この一件で、渡部編集長は「週刊誌の役割が終わりつつあると感じた」と話す。 昨年末、週刊朝日の休刊が正式に編集長に伝えられた。続けたいと掛け合ったが、結果は変わらなかったという。 ◇ 休刊発表後YouTubeなどでは「週刊朝日休刊の真相」などと銘打って、臆測で「真相」を語る動画が次々に出てきた。 週刊朝日は編集部公式のYouTubeチャンネルを開設。休刊まで定期的に動画を公開した。渡部編集長は「自分たちの言葉で、休刊の経緯を説明したかった」と話す。 渡部編集長が最後まで頭を悩ませたのはライターの雇用問題だった。かつては多くの記者が正社員だったが、現在はほとんどの記者が「常駐フリー」と呼ばれる業務委託契約。正式な社員としての記者は数えるほどしかいなくなっていた。 渡部編集長は各所に声をかけ委託記者の次の職場を探したが、ほとんどは安定した仕事を見つけられないまま「フリー」として送り出すしかなかったという。 ◇ 5月末に発売された最終号は飛ぶように売れ、週刊誌では異例の増刷もした。編集部には「本当に辞めちゃうの」「増刊などの形で復刊してほしい」などといった休刊を惜しむ声も多く届いた。 これまで苦悩は尽きなかったが、渡部編集長は「週刊朝日を面白いと思ってくれる人はゼロではない。次につながるかすかな希望が見えて終われた気がします」と語った。(木下広大) Apple Podcasts や Spotify ではポッドキャストを毎日配信中。音声プレーヤー右上にあ る「i」の右のボタンでリンクが表示されます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル