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mercredi 24 avril 2024

Le guide sur la culture, la langue et l'histoire du Japon.

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lundi mars 11, 2024

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社会

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【速報中】東日本大震災から13年 慰霊碑に花 手を合わせる人々

11 mars 2024
Japonologie
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 東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。 ■■■3月11日■■■ 14:46 輪島朝市で元店主ら黙禱「能登も東北のように必ず復興」  能登半島地震で「輪島朝市」の店舗など200棟以上が焼けた石川県輪島市河井町でも、午後2時46分、元店主らが東日本大震災の被災地の方角を向いて約1分間の黙禱(もくとう)を捧げた。  朝市通りでラーメン食堂を営んでいた板谷吉生さん(48)は、「東北の人たちが体験した13年前の大変さに、思いをはせた」。自身の家や店舗は全焼したが、「能登も東北のように必ず復興できると、気持ちを新たにしました」と話した。 14:30 大船渡で「祈りのモニュメント」除幕式  岩手県大船渡市が整備を進めてきた東日本大震災の追悼施設「祈りのモニュメント」の除幕式があった。  モニュメントは横1・7メートル、高さ2メートルで、ガラス素材でつくられた。「未来へ祈る」などとメッセージが刻まれた。  震災の記憶を風化させることなく、未来への教訓とするという思いをこめている。 13:30 浪江町の海岸で行方不明者を捜索「少しでも手がかりを」  福島県浪江町請戸の海岸で、県警と地元消防の約40人が行方不明者の捜索をした。町によると、町内では津波で150人が亡くなり、今も31人が行方不明だという。  警察官らは一列に並んで砂浜を掘り起こし、骨片や漂流物など行方不明者の手がかりを捜した。  秋田県警から福島県警に特別出向で1年間来ている船木駿巡査部長(34)は「自分たちよりも困っている福島のために働きたい」と出向を希望したという。船木さんは「ご遺族の方のためにも、少しでも手がかりを見つけたい」と話した。  この日は同県富岡町仏浜でも、県警など約40人が捜索にあたった。県警によると、県内での行方不明者は196人という。 12:15  宮城県名取市閖上の災害公営住宅の集会室で、追悼のつどいが開かれた。「天にとどけ 閖上の祈り」と書かれた紙の上に、今年は「能登半島地震」の文字もある。  手を合わせた高橋春子さん(88)は、「地震のニュースを見て、13年前ああだったと思い出した。苦労は私らと同じ。元気でがんばって」と思いを込めた。  閖上地区は津波で大きな被害を受け、住民はかさ上げされた新しい市街地で暮らす。6階建て災害公営住宅は高齢者が多い。つどいは住民と支援者らが久々に集まる機会で、皆でトランプを楽しむなどしていた。 11:35 JR石巻線で避難訓練「何が起きてもお客様を無事に」  宮城県女川町のJR石巻線で、JR東日本東北本部による避難訓練があった。運転士は2両編成の列車を停車させると、「津波です! 率先避難者について、指定避難場所に向かってください!」と、車内のスピーカーで呼びかけた。  震度6強の想定。運転士と車掌の指示で、乗客役の社員らは列車のドア枠に腰かけてから車外に飛び降り、「率先避難者」役の男性に連なって約200メートル離れた高台の指定避難場所に移動した。  防災責任者の蓬田(よもぎだ)祐史(ゆうじ)安全企画ユニットリーダーは閉会式で、「東日本大震災を経験したからには、あれ以上の地震や津波が起きても、『想定外』という言葉は使えない。なにが起きてもお客様を無事に避難させられるように、『1分1秒でもはやく、遠くに高く』を心がけてほしい」と語りかけた。 11:30 宮城県の村井知事「真の笑顔を取り戻すまで諦めることなく」  宮城県の村井嘉浩知事は記者会見で、発災から13年を振り返り、「県の力だけではなく、国の力を借り、市町村の力をあわせて被災者にできるだけ寄り添った対応を心がけてきた」と語った。  村井氏は、インフラなどハードの整備はほぼ終わったという認識を示した一方、「いまだ心のケアを必要とされる方もいる。被災者のみなさんが真の笑顔を取り戻すまで、みんなで力をあわせて最後まで諦めることなく対応し続けて参りたい」と語った。  元日に起きた能登半島地震については、復旧・復興の人手が足りていない点を指摘し、「かなり長丁場になると思うが、引き続き、石川県並びに富山県、そして能登町への支援を継続していきたい」と述べた。 11:00 白河市の慰霊碑、遺族らが手を合わせる 土砂崩れで13人死亡  東日本大震災の地震で土砂崩れが起き、13人が亡くなった福島県白河市の葉ノ木平地区では、地震後に整備された震災復興記念公園で午前11時から犠牲者追悼供養のつどいが営まれ、遺族ら約50人が慰霊碑に手を合わせた。  当時小学2年だった酒井美緒さん(21)は一緒に住んでいた祖母、祖父、叔父の3人を亡くした。避難所生活で支えてもらった経験から看護師をめざし、22日に合格発表を控えている。  この日は慰霊碑に花を供え、「私がんばってるよ。応援してね」と3人に話しかけた。将来は災害派遣医療チーム(DMAT)で、自身の経験をいかしたいと思っている。「今度は私が支える立場になって、困っている人たちを助けたい」 10:35 浪江町の請戸小学校に多くの見学者  震災遺構として保存されている福島県浪江町の町立請戸小学校には、朝から多くの見学者が訪れた。  請戸地区は15メートルを超える津波に襲われ、請戸小学校は校舎2階の床上10センチほどが浸水したとされる。天井や壁ははがれ落ち、鉄筋もひしゃげている。  地区では約150人が犠牲になったが、子どもたちは近くの高台に逃げて無事だった。  福島市から来た堀金千紗さん(3)は母親の朋子さん(30)に「ここにいた子たちはどうなったの?」「どうしてぐしゃぐしゃになっているの?」などと質問していた。  高校生の時に震災を経験した朋子さんは「子どもは地震が起きたら津波が来るかも、ということはもう理解しているみたい。これからも、本人が興味を持った時に、防災のことを教えていきたい」と話した。 10:30 原子力規制委員会の委員長が訓示「原子力に100%の安全はない」   東京電力福島第一原発の事故を受けて発足した原子力規制委員会では、山中伸介委員長が、職員ら約150人に訓示をした。「あのような事故を二度と起こさないために、原子力に100%の安全はないということを肝に銘じながら、常に科学技術に基づいた判断をしてください」と述べた。  山中委員長は能登半島地震についても触れ、「日本では地震や津波、さまざまな自然災害は避けることができない。どのような自然災害に対しても、二度と福島第一原発のような事故を起こしてはならない」と話した。  福島第一原子力規制事務所長の小林隆輔さんも登壇し、処理水の放出開始などこの1年間の作業の進捗(しんちょく)などについて報告した。作業員の身体汚染や汚染水の漏洩(ろうえい)などトラブルが相次いだことについて「組織体として何を行うべきか、いま一度しっかり考える必要がある」と強調した。 10:17 津波で妹を亡くした女性「私が妹に今してあげることだから」 […]

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処理水放出に「互いを尊重して」 マーシャル諸島大統領インタビュー

11 mars 2024
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 冷戦期、米国の核実験場にされた太平洋・マーシャル諸島のヒルダ・ハイネ大統領(72)が、朝日新聞などのインタビューに応じた。70年前にビキニ環礁で実施された水爆実験では、同国の住民や日本の漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴びた。核兵器に反対する国として日本に連帯を求める一方、東京電力福島第一原子力発電所からの処理水放出には注文も付けた。  ハイネ大統領は10日に来日し、14日まで滞在する予定。インタビューは4日、マーシャル諸島の首都マジュロで行った。  ――マーシャル諸島では1946~58年、米国が67回の核実験を行い、被害が残っています。  「土地を住めるようにし、人びとの健康を守る責任は核実験をした米国にありますが、被害を回復するための補償は足りていないのが現状です」  「日本は、広島、長崎、第五福竜丸、福島と核被害を経験しています。日本が学んだことを、マーシャルの人びととも共有してほしいです。お互いに核の影響で、物理的にも精神的にも被害を負ってきた国です。共に助け合い、核武装や核拡散に反対する立場を強めていきましょう」  ――近年は気候変動による海面上昇でも危機に直面しています。  「温室効果ガス排出量は世界の中で少ないにもかかわらず、私たちにどうやって気候変動と闘えと言うのですか。排出を抑えて、気候変動をコントロールしなければいけないのは大国です。行動を起こさなければいけないのは、私たちではない」  ――マーシャル諸島の国会は昨年3月、日本が福島第一原発の処理水の海洋放出を計画していることに、深い懸念を表明する決議を可決しました。  「太平洋は歴史的に欧米の核実験場にされてきました。決議では『太平洋に放出するより、安全な代替策を検討するよう強く要請する』などと立場を伝えました。放出してほしくありませんでしたが、実際に始まってしまいました。本来なら、始まる前にもっと相談してほしかった。お互いを尊重し、話し、視点を共有する必要があったはずです」  「両国の間には長い歴史があり、友だちであらねばなりません。だからと言って、全てで意見が一致しているという意味ではない。本当の友とは、意見が合わない時こそ話し合えるものでしょう」  ――マーシャル諸島は現在、核兵器禁止条約に署名していません。  「私は1日にあった核被害者の追悼式典で、支持はするけど、署名・批准には至らないという明確な立場を示しました。条約を核兵器廃絶を目指す一つの考え方として支持します。でも、マーシャル諸島が抱える課題を条約の方が支持してくれていると思えない」  「第6条の『被害者に対する… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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イカナゴ新子漁解禁、不漁と向き合い 播磨灘 大阪湾は初の休漁に

11 mars 2024
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熊谷姿慧 鈴木春香2024年3月11日 12時01分  春の訪れを告げるイカナゴ新子漁が11日、兵庫県の播磨灘で解禁された。近年、深刻な不漁が続き、播磨灘と大阪湾で統一の解禁日を定めるようになった1993年以降、大阪湾では初の休漁に。播磨灘でも早期に休漁となる可能性がある。  この日夜明け前、林崎漁港(明石市)から8隻が出航。午前11時前の水揚げ分はさっそく競りに出され、25キログラム約17万円の値段がついた。不漁のため大きく高騰しており、仲買人は「聞いたことのない価格」と話した。  兵庫県内のイカナゴの漁獲量は2016年までほぼ毎年1万トン以上だったが、17年から急減。20年は142トンで過去最低を記録し、23年も1209トンだった。兵庫県水産技術センターによると、海中の栄養が減ったことや水温の上昇が原因とみられるといい、今年も昨年以上の不漁が見込まれている。  大阪湾を漁場とする摂津船びき網漁業協議会は、資源を守るため休漁に踏み切った。前田勝彦会長(57)によると、漁業者の中でも休漁とするかどうか意見が分かれたという。前田会長は「苦渋の決断だった。今年の漁獲量は(過去最低だった)20年並みか、それを下回るのではないか」と話す。(熊谷姿慧、鈴木春香) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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【速報中】東日本大震災から13年 大槌町長「教訓発信し続ける」

11 mars 2024
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 東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。 ■■■3月11日■■■ 10:30 原子力規制委員会の委員長が訓示「原子力に100%の安全はない」   東京電力福島第一原発の事故を受けて発足した原子力規制委員会では、山中伸介委員長が、職員ら約150人に訓示をした。「あのような事故を二度と起こさないために、原子力に100%の安全はないということを肝に銘じながら、常に科学技術に基づいた判断をしてください」と述べた。  山中委員長は能登半島地震についても触れ、「日本では地震や津波、さまざまな自然災害は避けることができない。どのような自然災害に対しても、二度と福島第一原発のような事故を起こしてはならない」と話した。  福島第一原子力規制事務所長の小林隆輔さんも登壇し、処理水の放出開始などこの1年間の作業の進捗(しんちょく)などについて報告した。作業員の身体汚染や汚染水の漏洩(ろうえい)などトラブルが相次いだことについて「組織体として何を行うべきか、いま一度しっかり考える必要がある」と強調した。 10:17 津波で妹を亡くした女性「私が妹に今してあげることだから」  157人が亡くなった仙台市宮城野区蒲生地区にある「なかの伝承の丘」では、近くの誓渡寺(せいとうじ)や京都市の妙心寺の僧侶が法要を開いた。かつての住民ら約30人が参加し、祈りを捧げた。  法要に参加した宮城県塩釜市の氏家清子さん(75)は蒲生地区で、津波から車で逃げていた妹(当時57)を亡くした。当時は、津波が到達した夕方の時間帯になると、涙が止まらなかった。  「今も3月11日の夕方は涙が出てくる。でも、私が泣いてたら、妹は安心してできない眠れないから、笑顔を心がけています」  震災から13年の時が経ち、参加者は年々減っているという。それでも、氏家さんは「腰が曲がってでもくる。それが、私が妹に今してあげられることだから」。 10:03 減る月命日の墓参 大槌町の夫婦「彼岸だけにしようかと」  岩手県大槌町の佐々木徳志さん(73)が妻と同町安渡の墓地を訪れた。震災で亡くなった母のナツさん(当時84)と親類に手を合わせた。  ナツさんは高台に避難したが、津波に流され、大槌湾内の蓬萊島付近で見つかった。墓は、その島を望む丘にある。  「優しくて、字も達筆で裁縫もうまい母でした」  月命日に墓参りに訪れる人が減っている。佐々木さんも「先に死んだ父が、なぜ俺の命日には来ないんだと怒られそうなので、(墓参りは)彼岸だけにしようかと思っている」と話した。 10:00 南三陸町の海岸で行方不明者の捜索を開始  宮城県南三陸町の泊漁港の海岸で、宮城県警南三陸署員ら10人が、行方不明者を捜索した。  震災後に警察官になったという巡査長は、今回が2度目の捜索。沿岸部の署に配属されることが多く、地域を回る中で震災当時の住民の話を多く聞いた。  「少しでも行方不明者の手がかりを発見できればという思い。丁寧に捜索したい」  県によると2023年9月時点で、南三陸町では211人の行方不明者がいる。  南三陸署の大山栄太地域課長は「捜索の環境は年々厳しくなっているが、帰りを待つ方々の気持ちは変わらないはず」と話した。 10:00 今も415人が行方不明 大槌町の海岸で捜索を開始  岩手県大槌町吉里吉里の小久保海岸では、岩手県警釜石署と釜石海上保安部などの約40人が行方不明者の捜索を始めた。町内では今も415人が行方不明のままだ。  今回初めて、ドローンを使った捜索を実施。釜石署の田中洋二署長は「今まで見られなかったところを、広範囲に見ることができる」と話した。(小泉浩樹) 09:00 慰霊に来られない人の代わりに手を合わせ 女川  宮城県女川町の精神保健福祉士、内海章友(あきとも)さん(49)は町の慰霊碑前で手を合わせた。慰霊に来られない人の代わりに、そして自分のために。  公営住宅で一人暮らしをする高齢者のもとを仕事で訪れると、「つらくて慰霊には行けない」との声を多く聞く。  内海さんのおばもその一人だ。町内で、夫やその親族を亡くし、今は隣の石巻市に住む。「代わりに手を合わせてきて」。そう言われ、毎年慰霊碑に通う。  「スーパーができ、列車が通って、普通に暮らしているように見えても、みんなまだ傷ついている」  慰霊は、内海さん自身の気持ちに「区切り」をつけるためでもある。震災直後、地面に横たわる遺体を横目に、両親を探しまわった。その後7年間、耳の不自由な両親と、実家の石巻市から東京都内に避難した。  職を見つけて女川町に戻ってきたが、「ひどいことをした」「自分だけ逃げてしまった」という気持ちにさいなまれ続けた。  今後は女川、石巻で一生を終えたいという。  「この地に残った人が少しでも生きやすくなるよう、見届けたい。それが生きた人の務めだと思うんです」 09:00 「今も寂しいまま」 慰霊碑に記された名前を手でなで 石巻市  「おばあさん、おじさん、また来たよ」  宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園で、今川栄子さん(61)と夫房一さん(67)が、慰霊碑に記された祖母の斉藤咲子さん、叔父の斉藤忠一さんの名前を手でなでた。  おおらかでおしゃべり好きな祖母は、90歳を過ぎても社交的な人だった。北上地区にある自宅にいて、津波にのまれた。迎えに行った叔父も犠牲になった。  今川さん夫妻は当時、雄勝地区に住んでいた。自宅は全壊したが、たまたま用事で仙台に出かけており、無事だった。  自宅は石巻市街地の近くに再建した。散歩で祈念公園の近くを通ると、必ず慰霊碑に立ち寄る。  「気持ちは今も寂しいまま。もっと色々なことがしたかった。一緒に旅行にも行きたかった」 08:00 「教訓を発信し続ける」 大槌町の旧役場庁舎跡地、職員と遺族が献花と祈り […]

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発生時刻のサイレンに耳塞ぐ遺族 「思い出しつらい」の声受け低音に

11 mars 2024
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 3月11日午後2時46分、東日本大震災の被災地では、自治体が犠牲者を悼むためサイレンを鳴らす。宮城県石巻市は今年、その音をこれまでより低音に変える。「あの日を思い出してつらい」との遺族の声に応えたものだ。  サイレン音の変更を要望したのは、石巻市にある西光寺の住職、樋口伸生さん(61)。寺は、約4千人が犠牲になった市内でも特に被害が大きかった南浜地区にあり、檀家(だんか)172人を失った。毎月命日には遺族が集い、胸の内を話す「蓮(はす)の会」を開いてきた。  激しい揺れのあと津波に襲われ、子どもと一緒に避難したのに、自分だけ生き残ってしまった――。サイレン音を聞くと、あの日のことがよみがえると語る遺族がいた。追悼の合図がフラッシュバックの引き金になっていた。  樋口さん自身も胸が痛くなり、呼吸も苦しくなる。「時間が経って、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が治るどころか、ひどくなっていると感じる」と言う。 サイレン音聞こえぬよう、打ち鳴らす木魚  寺では毎年3月11日に法要… この記事は有料記事です。残り527文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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【速報中】東日本大震災から13年 仙台市の荒浜で手を合わせる人々

11 mars 2024
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 東日本大震災の発生から11日で13年。大切な人を失った悲しみや郷里への思いを抱えながら祈りを捧げます。かけがえのない日常と「次」への備えについて考える、そんな一日に。各地の動きをタイムラインでお届けします。 ■■■3月11日■■■ 06:58 仙台市の荒浜にホラ貝の音 同僚ら失い、山伏に  190人が亡くなった仙台市若林区の荒浜で、山伏の園部浩誉さん(58)が海岸線を歩き、ホラ貝を鳴らしていた。  保険会社に勤務し、2010年まで仙台市内に赴任していた。震災当時は、異動先の大阪で、津波にのまれていく映像を見ていた。仙台時代の同僚や当時の顧客が津波に流され、亡くなった。「被災していない自分が、どうしたら同僚やお客さんを弔えるか」と考えた結果、13年から出羽三山(山形県鶴岡市)で山伏の修行を始めた。  それから毎年3月11日は、未明に荒浜の南にある宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)を出発し、荒浜のほか、塩釜市や石巻市、南三陸町の各海岸を訪れてホラ貝をならす。「魂を鎮めることともに、この音を聞いて、同僚たちが帰ってきたときの目印になってくれれば」と語った。 06:51 出勤前に墓参「しっかり生活できている。安心して」 岩手県大槌町  妻の両親を東日本大震災で亡くした岩手県大槌町の遠藤修さん(51)は11日早朝、仕事の前にお墓参りをした。13年たったが、この日になると当時を思い出す。「自分たちはしっかり生活できているので、安心してください。どうぞ安らかに」と言う気持ちで祈ったという。 06:50 「一区切りと思って」 妻を失った男性、13年ぶりに慰霊碑へ  宮城県南三陸町に住む及川幸男さん(83)はこの日のワカメ漁に出る前に、町の震災復興祈念公園にある慰霊碑を訪れた。津波で妻敏子さん(当時70)をなくした。1960年のチリ地震の経験から「ここには津波は来ない」と言われていた場所に逃げたが、流された。その後、5年間は泣いてばかり。まだ気持ちの整理がついたとまでは言えない。  いま祈念公園がある、この地を訪れたのは13年ぶり。隣接する駐車場までは来ても、慰霊碑のある丘の上までは登らなかった。  ようやく「一区切りだ」と思えるようになった。慰霊碑には、亡くなったそれぞれの人の名前は刻まれていない。「他の地域のようにあればここに来て、触れられるのに」。仕事が終われば、妻の眠る墓に手を合わせに行く。 06:40 岩手県宮古市で避難訓練  518人が犠牲になった岩手県宮古市。毎年3月11日は、津波避難の訓練をしてきた。  午前6時40分、緊急避難場所に指定された田老地区の高台には、自力で避難してきた人や、自衛隊のマイクロバスで避難してきた人が集まった。  久保田正記さん(72)は13年前、自宅1階が浸水。「訓練に参加して、身体で覚えることで、いざという時に思い出しながら動けるようにしたい」と語った。 06:30 「この日は海に来ないといけないと思って」  宮城県東松島市・野蒜海岸  宮城県東松島市の野蒜(のびる)海岸。震災後、周囲には民家がなくなり、防潮堤が整備された。  仙台市泉区から訪れた鈴木吉浩さん(58)が日の出に合わせ、波打ち際から釣り糸を垂らした。  「まだ時期じゃないんで釣れないのは分かってるんです。でもこの日は海に来ないといけないと思って」  県南部の亘理町(わたりちょう)でおばを亡くした。毎年3月11日は、釣りざおごしに海を見つめる。追悼の思いを込めて。 06:25 「忘れていないよ」 兵庫県から訪れた大学院生 仙台市・荒浜  仙台市若林区の荒浜地区の海岸で、兵庫県姫路市の大学院生石倉万里恵さん(24)が手を合わせた。震災があったのは小学5年生の時。津波の映像がずっと忘れられず、いつか被災地に訪れたいと思っていた。  4月から神戸市の特別支援学校で働くのを前に、休みを利用してやってきた。海を見ながら、「震災を忘れていないよ」と考えていたという。  大学院で、広島の原爆体験の継承について学んだ。「震災からは13年。継承がどうなっているのか、遺構をどう残していくのか。社会人になる前に見に来たかった」。宮城県南三陸町や石巻市なども訪れる予定だという。 06:10 「少しでも誰かの役に」 移住した元製薬会社員、決意新た 宮城県石巻市  宮城県石巻市の日和山の山頂付近で、同市の団体職員斉藤雄一郎さん(66)は、眼下の海に向けて手を合わせ、じっと見つめた。  東日本大震災の時は、東京で製薬会社に勤めていた。翌月の4月下旬、薬剤師の派遣業務を支援するため、縁がなかった石巻市を訪れた。がれきに埋まった街が忘れられない。  2013年に会社から市職員に出向。被災者の体験を記録・保存するため、多くの人の話に耳を傾けた。セカンドキャリアは市の復興に捧げようと、住民票も移した。  現在は一般社団法人「石巻圏観光推進機構」の業務執行理事として、防災学習の参加者誘致などに取り組む。  3月11日は毎年、自分の決意を確認するため、日和山を訪れ、街並みを目に焼き付ける。  「被災した人たちが立ち上がり、よくここまで前に進んできた。自分も、少しでも誰かの人生の役に立てたら」 06:00  能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の市役所では、11日午前6時、東日本大震災の犠牲者らを悼み、市役所の屋上に半旗が掲げられた。地震発生の午後2時46分には、市役所などにいる全職員が黙禱(もくとう)を捧げる予定という。 05:54 「当たり前だったものが無くなってしまった日」 仙台市・荒浜  仙台市若林区荒浜では11日、早朝から海に向かって手を合わせる人の姿が見られた。  そのうちの一人、仙台市青葉区の石川泰子さん(58)は震災で親戚や友人を亡くした。  「この日は当たり前だったものが無くなってしまった日。まだ見つかっていない人もいるので、戻って欲しい」  仙台市の自営業福田沙織さん(53)は、所属するゴスペルグループのメンバーらと海に向かって手を合わせた。 […]

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バリカン一つで髪を切る はさみ使えぬ警察署に通う理容師の25年

11 mars 2024
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 香川県丸亀市の理容師、久保敏郎さん(50)は月に3、4回、バリカンとくしを持って丸亀署を訪ねる。留置されている人を調髪するためだ。  留置とは、裁判所が出した令状をもとに逮捕した被疑者を、捜査のために一時的にとめおくことを指す。被留置人の調髪は、刑事収容施設法などで権利として認められている。誰もが自己負担で髪の毛を切ることができる。  久保さんは署の近くにあるホーライ理容所(丸亀市通町)の理容師。60年近く前に祖父が開業し、その後を父が継ぎ、久保さんも自然と理容師を志した。  父から被留置人の調髪を引き継ぐように言われたのは、大阪の理容所で6年間修行して郷里に戻ってきた24歳の頃だ。  「社長に言われたら、まあ行くしかないな、という感じでした」。以後、要請が来る度に、理容所での仕事の合間を縫って署に足を運んできた。 警察署に留置されている人の調髪業務を父から引き継いだ久保さん。記事後半では、どんな苦労をしたのか聞いています。  約20年前、転機があった… この記事は有料記事です。残り657文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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【写真まとめ】上空から見た被災地の「いま」 東日本大震災13年

10 mars 2024
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嶋田達也2024年3月11日 5時30分 【動画】東日本大震災から13年 空から見た被災地=依知川和大撮影  東日本大震災の発生から2024年3月11日で13年となります。発生当時の写真と比べながら、被災地の「いま」を上空から見ました。  岩手県山田町では、津波と火災で住宅の4割以上が全半壊し、死者・行方不明者は800人を超えました。震災後は高さ9・7メートルの防潮堤が完成、被害を受けた地域はかさ上げが行われました。  仙台市若林区の荒浜地区は高さ約10メートルの津波に襲われました。児童・教職員87人と住民233人が屋上に避難した旧荒浜小学校は震災遺構として保存され、堤防の役割も果たす東部復興道路(かさ上げ道路)がその横にできていました。  被災地のいまを写真と動画でお伝えします。(嶋田達也) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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容疑者が明かした「想定外」 トケマッチ事件、急成長に膨らむ不信感

10 mars 2024
Japonologie
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 シェアサービス「トケマッチ」を介して預けられた高級腕時計が無断で売却された事件で、運営会社は高い利回りをうたって多数の腕時計を集めていた。  利用者の中には、同社元代表の福原敬済容疑者(42)=業務上横領容疑で指名手配=に直接会って「ビジネス」としての成功を確信した人もいる。  ただその後、徐々に容疑者に不信感を募らせていった。その経緯を取材に証言した。  北海道在住の60代自営業男性は2021年4月、ネットでサービスを知り、「様子見」のつもりで手持ちの腕時計3本を貸し出した。サービスは3カ月前の1月に始まったばかりで、預託本数は50本にも達していなかった。  トケマッチ側からの預託料の支払いに滞りはなく、男性は「有効な投資ビジネスになる」と期待した。預ける本数を増やせば、トケマッチの預託料だけで生活することも不可能ではない――。そう考え、新しい腕時計を預けようと連絡したところ、対応したのが福原容疑者だったという。 所有者の男性は大阪市にあるトケマッチ運営会社を直接訪れて容疑者と面会するなど、「ビジネス」に乗ったつもりでいました。しかし、トラブルの発覚後、預けたはずの腕時計が思いもよらないタイミングで売りに出されていたことを知ります。 「オイスターパーペチュアル」だと借り手がつく  メールで男性が「どんな時計… この記事は有料記事です。残り1301文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

ニュース 社会
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被災3県だけじゃない 「報道されない側」に迫るニュースキャスター

10 mars 2024
Japonologie
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 小学生で阪神・淡路大震災。大学生では台風23号。そして社会人になって東日本大震災…。  「ほんとに、行くところ行くところで災害があったんですよ」  元青森朝日放送アナウンサーで、現在は神戸のローカルテレビ局「サンテレビ」でニュースキャスターを務める藤岡勇貴さん(39)は、そう振り返る。  災害を伝えることが自分の使命。特に藤岡さんが意識するのは、「報道されない側」に目を向けることだ。      ◇  兵庫・淡路島の洲本市出身。大学生だった2004年10月の台風23号で実家が全壊した。  幸いにも、家族は全員無事。2週間ほど家の片付けに追われた。  そんな中、ストレスからか祖母が外で倒れてしまう。祖母を背負い、仮住まいのアパートまで帰った。  「悪いことをしていないのに、なんでこんな被害に遭わなきゃいけないの」。祖母のつぶやきがいまも忘れられない。  自身も、過労から丸一日寝込… この記事は有料記事です。残り1168文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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