![](https://www.japonologie.com/wp-content/uploads/2024/01/73e6adb3e381a7e4baa1e3818de5a4abe381aee6849be38292e79fa5e3828be38080e383a1e383abe382abe383aae381a7e4babae7949fe5a489e3828fe381a3e3819f.jpg)
愛知県内のマンションの一室にアトリエを構える「ミヨデザインルーム」。
社交ダンス用のドレスを、デザインから制作までオーダーメイドで手がける会社だ。
代表の吉田三世さん(73)が裁縫を始めたのは小学生の時。
きっかけは、近くに住んでいたアメリカ人からワンピースをもらったことだった。
服と言えば姉からのお下がりばかりだったので、その時のことは今でも鮮明に覚えている。
ピンクの花柄で、袖がフワッと広がったデザイン。
背が伸びて着ることができなくなった時、「買えないなら自分で作ればいいんだ」と自宅の足踏みミシンを使い始めた。
服飾を学べる高校に行きたかったが、両親に反対されて商業高校へ。
経理担当として就職した後、紆余(うよ)曲折を経て44歳でミヨデザインルームを立ち上げた。
心の糸が切れて
ドレス作りに情熱を注いできたが、60歳を過ぎたころに心の糸が切れてしまう。
突然ドレスを作ることが苦しくなり、逃げ出したくなったのだ。
同じドレスは絶対に作らないし、お客さんの期待を超えるものを作ってみせる。
そんな思いで充実し、楽しかったはずの仕事にプレッシャーを感じるようになった。
気を紛らわせようと民芸品にはまったり、YouTubeチャンネルを開設して端切れやデニムのリメイク動画を上げたり。
自宅マンションを売った資金を元手にダンス練習場の経営も始めたが、思うようにはいかなかった。
追い打ちをかけるように新型コロナウイルスが流行し、ドレスの注文がゼロに。
「そろそろ会社を畳むべきなのかもしれないな」と考えていたら突然、転機が訪れる。
きっかけは、メルカリで見つ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル