【熊本】海の安全を担う酒田海上保安部(山形県酒田市)の部長、梶原主税(ちから)さん(60)が3月末、定年を迎える。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市の出身。実家は津波にのまれ、多くの友人を失った。被災地の割り切れない思いを知るからこそ、自分なりに何ができるか。若手とともに熊本豪雨のボランティアにも駆けつけ、経験を引き継ごうと心を砕いた。
この冬の日本海は大荒れだ。沿岸の安全のため気が抜けない日々が続く。梶原さんは酒田港など山形4港の港長も兼務しており、船舶に対し、昨年11月から今年1月までに8回の警戒勧告を発出。前年同期の3回に比べて大幅に増えた。「地元の人も今季は雪が多いと言っている。同じ東北でも、晴天が多い太平洋側と全然違いますね」
その太平洋側、気仙沼の漁師町に梶原さんは生まれた。家の裏は気仙沼湾に注ぎ込む鹿折(ししおり)川の河口。当時は堤防が低く、平屋の自宅の窓から釣りができた。父親の正男さんは遠洋マグロ漁船の乗組員。周囲も多くが船乗りで、自身も自然と船乗りを志した。
地元の高校を卒業すると専門学校で無線通信を学び、国家資格を取得。マグロ漁船からの勧誘もあったが、海上保安庁で働く友人の勧めで海保に入った。
海上保安官は、海上保安大学校(広島県呉市)や海上保安学校(京都府舞鶴市)で、無線通信や船舶操縦などの資格を取りながら数年かけて養成される。すでに資格がある人は、海上保安学校門司分校(北九州市)で半年間の研修を受けて現場に配属される。梶原さんも分校を経て、初任地の第2管区海上保安本部(2管、宮城県塩釜市)で通信士として働き始めた。1991年には海上保安大学校の特修科を修了。幹部としてキャリアを積んできた。
実家には1人で暮らす母が
東日本大震災が起きた201…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル