日本を含む14カ国の若者約230人が乗った「世界青年の船」が、京都府舞鶴市に2月1~3日に寄港した。30回以上の歴史で府内に寄港したのは初めて。18~31歳の参加者たちは府北部の各地を訪ねて地域の人たちと交流し、文化や歴史に触れる体験を楽しんだ。 内閣府の青年国際交流事業の一つで、船で共同生活をしながら各地に寄港するのはコロナ禍を経て4年ぶり。かつては主に海外の港に行っていたが、今年度は大型客船「にっぽん丸」で国内各地を巡る旅だ。 日程は1月24日~2月21日で、東京港を発着し、舞鶴市▽兵庫県▽高知県に寄港。日本人約95人と、アジアやアフリカ、中東などの計約135人が参加した。日本人は大学生が多く、外国人は学生のほかに政府系機関の職員らもいた。 船で「京都」を訪れた一行。外国人の参加者がイメージしていた「KYOTO」とは違ったようです。3日間の寄港中、青年たちに同行取材しました。 ■「様々な価値観学びたい」… この記事は有料記事です。残り1161文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Une Miss Japon d’origine ukrainienne ravive les débats sur l’identité nippone
Karolina Shiino (au centre) après avoir remporté le concours de Miss Japon, le 22 janvier 2024, à Tokyo. KAZUYA FURAKU / AP Le renoncement, mercredi 7 février, de Karolina Shiino à son titre de Miss Japon met fin à une polémique lancée sur ses origines étrangères. Critiquée à la suite des […]
木造平屋が全焼、1人の遺体発見、大阪府守口市
2024年2月12日 16時00分 12日午前5時15分ごろ、大阪府守口市八雲西町1丁目の木造平屋建て長屋付近から出火し、計約105平方メートルが全焼した。府警守口署によると、長屋の一室から性別不明の遺体が見つかった。この部屋で1人で暮らす60代の男性と連絡が取れなくなっているといい、署が遺体の身元や出火原因を調べている。 近隣住民から「火の手が上がっている」と110番通報があった。火はこの約2時間半後に消し止められた。現場は大阪メトロ守口駅から北に約1キロ離れた住宅街。 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
子どもだけが入れる「世界一小さな本屋」 つくった社長の思いとは
前橋市の電気工事会社「ソウワ・ディライト」の敷地には「森」がある。地域に開放されているその空間では、ロバやヤギが暮らし、木々では小鳥が羽を休め、トランポリンがある「空き地」には地域の子どもたちが遊びに来る。 森の片隅には小屋がある。横1メートル、奥行き1・5メートルの「子どもしか入れない」サイズで、微生物や宇宙の絵本など300冊が並ぶ。「子どもが自分で手にとって興味の世界を広げて欲しい」と願いを込めた。名称は「tiny tiny bookstore」。昨年末、「世界一小さな本屋」としてギネス世界記録認定を受けた。 社長の渡辺辰吾さん(47)は「電気の会社だけど、扱うのは照明だけではない。未来や地域を『照らす』ことにも取り組みたい」 前橋市出身。大学卒業まで野… この記事は有料記事です。残り939文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
涙が止まらなかった救命処置 珠洲の消防士が振り返る「苦渋の決断」
能登半島地震から1カ月が経った2月1日、消防士の真脇(まわき)龍さん(30)は倒壊した家屋の前で一人、静かに手を合わせた。救命活動にあたったが、助けられなかった住民の家だった。 石川県珠洲市で生まれ育った。「地元の人を助けたい」と、18歳で消防士になった。3年前に救急救命士の資格も取得した。 2016年に同級生の妻と結婚し、長男(7)、長女(5)、次男(4)と3人の子宝に恵まれた。2023年に、海岸沿いに建てたばかりの家に住んでいた。 1月1日は珠洲消防署に出勤していた。 午後4時すぎ。訓練棟近くで車両を出そうとしていたところ、強い揺れに襲われその場にしゃがみ込んだ。足元のアスファルトが割れ、隆起するのが見えた。 自宅には妻と子どもたちがいた。揺れが続く中、とっさに妻に電話した。 「逃げろ!」 一言だけ伝え、すぐに切った。 「海の色が変だな」。同僚の言葉で、高台にある署から海に目を向けると、普段の深い青色の水面が白く見えた。 庁舎へ戻ると電話がひっきりなしに鳴っていた。「家族が倒壊建物の下敷きになっている」。住民からの救助要請を受け、救急車で急行した。 出動した真脇さんは、翌朝まで休みなく救助や消火活動にあたります。その壮絶な1日で見たものとは。地震から1カ月経ち、葛藤する思いも語ってくれました。 消防士はどんな状況でも「助けたい」 到着した住宅は1階が押しつぶされ、男性が下敷きになっていた。工具を使い、男性をがれきから救い出したが、心肺停止の状態だった。 男性に薬剤を投与すると脈が… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
トヨタの豊田章男会長がデモラン披露 「新城ラリー」への応援に感謝
戸村登2024年2月12日 12時59分 愛知県新城市で20年間開催され、昨春閉幕した国内最大級の「新城ラリー」への応援に感謝する催しが11日、同市の桜淵公園で開かれた。2012~17年に6回出場したトヨタ自動車の豊田章男会長らが「デモラン」を披露した。 市と新城ラリー支援委員会が企画した「新城ラリー大感謝祭」。新城ラリーを開催し、3月からは蒲郡市で「JAF全日本ラリー選手権ラリー三河湾」を開くモンテカルロオートスポーツクラブ(MASC)も協力した。(戸村登) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「最後の蘇民祭、楽しんで」 60年、祭り撮り続けた老写真家の執念
岩手県奥州市の黒石寺で17日、最後の「黒石寺蘇民祭」が開かれる。千年以上の歴史があるとされる「奇祭」を約60年間、撮り続けた同市の写真家佐々木稔さん(88)は「寂しい気持ちはあるが、時代が変わったんだ。仕方がない」と話す。 黒石寺蘇民祭は五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願し、これまでは旧暦正月7日の晩から8日の早朝にかけて行われてきた。下帯姿の男たちによる蘇民袋の争奪戦などに、全国から参加者が押し寄せる。 今年は17日午後6~11時に行われ、来年以降は、関係者の高齢化と担い手不足などを理由に、実施されない見通しだ。 佐々木さんは奥州市出身。高校卒業後、写真家として風景や地域の暮らしなどを撮り続け、県内外で受賞歴がある。蘇民祭は1955年ごろから、知人に誘われて撮り始めた。 「当時はまだ地域の祭りで… この記事は有料記事です。残り344文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
すしや和菓子、漆器…七尾で復興マルシェ 商店街に戻ったにぎわい
つかの間ながらも、被災地の商店街ににぎわいが戻った。石川県七尾市の一本杉通り商店街で11日に開催された「一本杉復興マルシェ」。訪れた人からは「復興に向けてがんばる」「励みになった」との声が聞かれた。 すしや喫茶、呉服、和菓子、漆器など地元の11店が参加。午前11時の開始時には各店に行列ができた。「大丈夫だった?」「元気でよかった」と店主の無事を確認し、涙を流して喜ぶ人もいた。 寺野友子さん(68)は「お店の人とのふれあいが楽しかった」と笑顔を見せた。手には、いっぱいになった買い物袋。少し前に避難所から七尾市内の自宅に戻ったという。「家にいると悪いことばかり考えてしまうけど、元気をもらえた。がんばるしかないね」 東日本大震災の被災地の一つで、今回のマルシェとつながりがある宮城県南三陸町のかまぼこを買った竹田加奈子さん(40)は、自宅が傾き、七尾市内の両親宅に身を寄せている。「同じ被災地からのエールのように感じて、励みになりました」と話した。 「地震以来、初めて『いらっしゃいませ』と『ありがとうございます』が言えました」。出店した漆陶舗「あらき」の若女将の新城(あらき)礼子さん(62)は目を潤ませた。輪島塗や九谷焼を扱う老舗だが、多くの商品が地震で壊れた。営業再開の見通しは立っていない。「廃業を考えましたが、商品を手に取るお客さんを見て、伝統工芸を守らなければならないと改めて感じました」と話した。 マルシェを企画した商店街の振興会会長の高沢久さん(51)は「多くのお客さんに喜んでもらえてうれしい。それに尽きます」と話した。毎月1回開催していき、奥能登の商店街にも出店を呼びかけたいという。(田中祐也) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません 能登半島地震 1月1日午後4時10分ごろ、石川県能登地方を震源とする強い地震があり、石川県志賀町で震度7を観測しました。被害状況を伝える最新ニュースや、地震への備えなどの情報をお届けします。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
21年前、息子の姿に「嫌だ」と叫んだ 飲酒ひき逃げ遺族が願う未来
雪がしんしんと降り積もる朝だった。21年前の2月12日午前6時、警察からの電話が鳴った。 「タクちゃん、事故でけがしたみたい」 北海道江別市の高石洋子さん(61)は、夫と中学2年だった長女と急いで自宅を出た。 車で病院へ向かう途中、いつもの道は通行止めになっていて、規制線の向こうにぐにゃりと曲がった黒い自転車が見えた。 「あれ、タクちゃんの」 高石さんは、長女の声を「違うよ」と遮った。嫌な予感がしていた。 高校1年で16歳だった拓那(たくな)さんは、人見知りもするけど、友達思いで明るい息子だった。中学でバレーボール部に入ってからは、一気に180センチまで身長が伸びていた。 高校入学後には新聞配達のアルバイトを始めた。自分で携帯電話を買い、利用料金を支払うためだ。 まだ空が暗く、誰も起きていないうちに自転車で出かけていく。あの日もそうだった。 □ □ 車内に沈黙が流れたまま病院に着いた。「息子がけがをして運ばれてきたと聞いたんですけど」と尋ねると、処置室の前で待たされた。いつまで経っても案内されない。しびれを切らした夫が、勝手に室内へ入っていった。 その瞬間、うめきとも悲鳴と… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ネコや地蔵が笑う島 捨てられたブイでつくった「ぶいぶいが~でん」
視界いっぱいに丸みを帯びた黒いネコの人形が並ぶ。口を大きく開けたり、ウィンクしたり。その表情は一つずつ違うが、みんな笑顔だ。 この不思議な場所は「ぶいぶいが~でん」。瀬戸内海に浮かぶ粟島(香川県三豊市)の北東部にある。 人形は漁業で海に仕掛けた網の位置などを示す浮標「ブイ」で作られている。 管理するのは、元漁協職員で現在は島のアーティストとして活動する「えっちゃん」こと松田悦子さん(80)だ。 25年前、島のあちこちに捨てられているブイが気になった。カキとノリの養殖が盛んだったが、漁師は年々減っていった。使わなくなったブイばかりが島にたまってゴミになっていた。 「なんとかしよう」。松田さんはブイを二つ組み合わせ、地蔵に見立てた。プラスチック製のブイを灰色に塗って穴を開けて胴体に、ドリルで目や口をくりぬいた顔を載せた。 次々と仕上げ、その数、88体に。「ぶいぶいが~でん」の始まりだった。 その後もブイ人形は増え続けた。こだわりは「表情に勢いを与える」。デザインは「悩むんじゃなくて、浮かんできた」。 2013年の瀬戸内国際芸術祭では、会場の一つになった粟島の道案内のため、ネコ型のブイ人形を設置した。ブイの突起がネコの耳に見えたのだという。 ところが、それからは作りたいブイ人形のイメージがさっぱり浮かばなくなった。島内のアート作品を指揮したでアーティストの日比野克彦さん(現・東京芸術大学学長)から、「もう自分のものになったっていうことだね」と言われ、安心した。 ブイ人形は制作から保存の段階に移った。若手芸術家が作品を島民と共同制作する「粟島芸術村」での活動に力を入れることにした。 「今は作品だけど、このままメンテナンスをしなければ、またゴミになるからね」。1年に1度、塗装がはがれた部分を塗り直している。「海のゴミでもアートになる。見た人がニコッと笑って帰ってくれたら」 最後に記者が「ブイ人形は何体いるんですか」と松田さんに尋ねると、「もう分からないねえ」と苦笑い。数えてみたら、392体いた。(内海日和) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル