大学入試の学校推薦型選抜と総合型選抜の出願が、秋から始まります。知識偏重ではない授業や入試への転換が叫ばれる中、高校時代の学びや活動の履歴で評価する入試の募集枠は年々広がってきています。こうしたなか、東京大学の推薦入試と京都大学の特色入試で合格者を続々と出している学校はどんな教育をしているのでしょうか。校長に聞く5回シリーズの初回は、渋谷教育学園渋谷中学校・高校です。 渋谷教育学園渋谷中学・高校 高際伊都子校長 本校は、2016年度入試から東京大学が導入した学校推薦型選抜で、毎年合格者を出しています。今年も3人合格しました。 東大の学校推薦型の特徴は、大学の教育の軸に基づいた、アドミッションオフィスによる選抜が機能していることでしょう。海外大と違って専門官ではなく、教授の方々が審査をされていますが、「学部や研究室を活性化させる人材」を求めていることは明確です。 毎年の募集要項に、各学部長のメッセージと各学部の求める学生像が載っていて、日本のトップ大学はこういう人間を求めているのかと、いつも興味深く読んでいます。学部ごとに、推薦要件も、求められる書類・資料も違う。講義を受けてグループで議論させるような学部もあります。 受験した生徒から聞くと、高校側が提出した推薦文もよく読み込んでくださっている印象です。 記事後半では、同校から東大の推薦入試に合格した生徒が取り組んでいたことを紹介します。ある生徒は、動物園のおりの前で……。 本校は毎年、海外大への進学… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「原子力ムラ」恐れた偽名はもう捨てた カメラ回した映画監督の覚悟
「反原発に関わると仕事が来なくなるよ」 テレビCMを中心に企業プロモーションなどの広告の世界でフリーの映像作家として生きてきた小原浩靖さん(58)はそう忠告された。自身も「何が起こるかわからない」と心配があった。 そこで考えついたのが、偽名を使うことだった。「拝身(おがみ)風太郎」。マンガやテレビ時代劇で一世を風靡(ふうび)した「子連れ狼(おおかみ)」の主人公「拝一刀」と好きな作家の「山田風太郎」からそれぞれ姓と名を拝借した。 問われる本気度、「僕にはできない」 それは、東日本大震災後の2012年夏のことだった。脱原発運動の先頭に立つ河合弘之弁護士(78)の映画づくりを手伝ってほしいと、知人から声を掛けられた。河合弁護士が製作費を出すという。 東京電力福島第一原発の事故を目の当たりにし、「原発はとんでもないものだ」という認識はもってはいたものの、そのときは全国で起きている原発の運転差し止めを求める訴訟のことなどは知らなかった。河合弁護士の著作などを読み、彼の本気度を感じた。 監督を依頼されたが、「映画を作るのは河合さんぐらい本気じゃないとできない。僕にはできない」。 しかし、その後、SOSが来… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Kotaro Kiyomiya walk-off homer lifts PL in NPB All-Star Game 1
Fukuoka – Kotaro Kiyomiya’s walk-off solo home run lifted the Pacific League to a 3-2 win over the Central League on Tuesday in the first of two Nippon Professional Baseball All-Star games. The Hokkaido Nippon Ham Fighters infielder connected on Hiroshima Carp ace Masato Morishita’s 1-2 fastball with two outs […]
寂聴さんの最期の日々 病室で締め切りまでに「書く」、それでも…
⑧瀬尾まなほさんに聞く 瀬戸内寂聴さんは昨年11月9日、京都市の病院で息を引き取った。秘書の瀬尾まなほさん(34)も、その病室でみとった。寂聴さんの最期の日々はどうだったのか、聞いた。 ――入院したのは、亡くなる2カ月前でしたよね? 2021年の秋に風邪をこじらせました。たんがからむせきが続いたんです。9月下旬に気管支肺炎と診断され、入院しました。最初は、なんてことのない入院だと誰もが思っていました。いつものように、すぐに元気になって、また書き始めようねと話していたんです。入院中もいたって元気で、食事制限もなし。今度のお正月はどうしようかと、お節料理の広告を見ていました。 10月初めに、いったん退院しました。5日間ほど寂庵(じゃくあん)に戻り、その間に朝日新聞の連載「寂聴 残された日々」を書き上げました。結果的に、これが人生、最後の原稿になりました。 寂庵のダイニングキッチンのテーブルで、いつものようにいすに座って庭を眺めていました。寂庵ができたとき、来てくれる人たちに1本ずつ木を植えてもらった庭です。その庭を見ながら「やっぱり寂庵がいいね。寂庵で死にたい」と言っていました。 ――再入院のときは、どんな様子でしたか。 退院してから5日ほどたった朝、息が苦しいと言い出しました。病院に行くと、肺に水がたまっていて心不全も起こしていました。そのまま再入院です。 週刊朝日で連載中だった横尾忠則さんとの往復書簡の締め切りがあったので、病室に原稿用紙を持っていきました。でも、「無理せずに休もうね」と話していました。病室でも「寂庵に帰りたい、早くお酒を飲みたい」と何度も言うんです。来週には退院できるということになり、リハビリも始めました。11月14日の得度記念日は寂庵でお祝いできると思っていました。 ――51歳のときに岩手・中尊寺で得度した日が73年11月14日でしたね。体調が急変したのですか。 記事の後半では、病室でも書くことへの衰えぬ意欲を見せる寂聴さんについて語られます。 10月末に退院するはずだっ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
寂聴さんを病室から連れて帰るまで 「どうしたい?」の答えは
⑨瀬尾まなほさんに聞く 瀬戸内寂聴さんは昨年9月に気管支肺炎で入院したあと、いったん退院し、10月に再び入院した。脳梗塞(こうそく)を起こし、意識がもうろうとしていたという。「寂庵(じゃくあん)に帰りたい」と願った寂聴さん。秘書の瀬尾まなほさん(34)は、いつ寂庵に連れて帰ればいいのか、その判断の難しさに悩み続けた。 ――入院中に脳梗塞を起こし、意識がもうろうとしていた寂聴さんは、その後、どんな様子でしたか? 先生の娘さん、寂庵のスタッフ、お医者さん、看護師さん、ケアマネジャーの方、みんなで何度も何度も話し合いました。「寂庵に帰りたい」という先生の希望を何としてもかなえたい。でも、寂庵に連れて帰ることは、すべての治療をやめて、みとりに入ることで、あきらめになる。 寂庵に帰ってきた瞬間に亡くなってしまうかもしれない。そうでなくても、寂庵では息を引き取るのを見守るだけです。でも、先生には意識があって、私たちが言っていることがわかるのに、みとりに入ることが納得できなかったんです。医学で証明できないことってありますよね? 先生は普通の人じゃないから絶対に奇跡が起こる。あきらめたくなかった。 ――病室の寂聴さんに変化はみられましたか? 検査結果の数値がいいときもあったんです。「もうちょっとがんばれる」「意識が戻るかもしれない」とみんなですごく喜びました。逆に数値が悪くなると「もうだめか」と思ったり。一喜一憂でした。寂庵には専用のベッドを手配して、24時間態勢でみてくれる看護師さんもお願いしました。 お医者さんもあきらめたくないけれど、先生の希望をかなえてあげたいという気持ちが強かったんです。それには、いつ寂庵に連れて帰るか早く決めないと、その希望がかなえられなくなってしまう。「早めに決断を」と言われました。 ――最期を迎えるのは病院か自宅か。現代の日本が抱える難しい問題です。 記事の後半では、寂聴さんを連れて帰ると決断するまでのやりとりを振り返ります。 先生の娘さんと相談しました… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
寂聴さんとの別れ 「やり尽くした潔い人生。死ぬまで作家でした」
⑩瀬尾まなほさんに聞く 瀬戸内寂聴さんが昨年11月9日に亡くなった。秘書の瀬尾まなほさん(34)は悲しむ間もなく、マスコミ対応を考えなくてはならなかった。あれから8カ月余り、寂聴さんが多くの人に慕われたのはなぜだろう。瀬尾さんに聞いた。 ――新聞記者の私が聞くのもおかしいかもしれませんが、亡くなった直後からマスコミ対応に追われたと思います。 亡くなったあと、親しくしていた人たちに連絡しました。ごく限られた人だけです。それなのに亡くなった日の昼には、ある記者から電話がかかってきました。「亡くなったという話があるんですが、どうでしょうか」と。早すぎっ、と思いました。「今も生きていますよ」と言うしかなかった。うそをつき続けることが、ものすごく嫌で、ものすごくしんどかったです。 そっとしてほしかったんです。私たちスタッフだけでなく、親族も静かに見送りたいと思っていました。もちろん、先生が死んだら、新聞やテレビが大きく扱ってくれる。それはありがたいことです。公表しなければならないことも、わかっていました。でも、それは亡くなった日とか次の日ではなく、私たちが先生にきちんとお別れを言えて、心の整理がついてからにしたかったんです。 ――公表のタイミングは、いつを考えていたのですか? 記事の後半では、寂聴さんが亡くなったこと公表するまでの葛藤が語られます。 長年、親しくしていた信頼で… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
女性の胸触った疑い、神戸地裁事務官を逮捕 「逮捕の話できない」
2022年7月26日 20時31分 電車内で女性の胸などを触ったとして、大阪府警は26日、神戸地裁豊岡支部事務官の西川幸佑容疑者(36)=兵庫県豊岡市戸牧=を強制わいせつの疑いで逮捕し、発表した。「逮捕されたことに関する話をすることはできません」と供述しているという。 茨木署によると、西川容疑者は7月中旬の午後1時ごろ、大阪府内を走る電車内で、20代女性の隣に座り、胸や下腹部を触るなどわいせつな行為をした疑いがある。女性が数日後に署に被害を申告し、防犯カメラの映像などから西川容疑者の関与が浮上したという。 神戸地裁の西川知一郎所長は「裁判所の職員が逮捕されたことは誠に遺憾。事実関係を調査した上で厳正に対処したい」とコメントした。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
損保会社から「助かるはずなかった」 被害者遺族、是正求め意見書
交通事故の賠償金をめぐる民事裁判で損害保険会社側から心ない言葉をかけられる「二次被害」が横行しているとして、事故被害者の遺族らでつくる一般社団法人関東交通犯罪遺族の会(通称・あいの会)が26日、日本損害保険協会と業界を所管する金融庁に対し、指導の徹底などを求める意見書を提出した。 意見書で同会は、損保会社側が裁判で「荒唐無稽な主張」や「遺族等の尊厳を踏みにじる冒瀆(ぼうとく)的な言動」をしていると指摘。具体的には、「助かるはずがなかった」として医療費の支払いを拒否したり、提訴まで時間がかかったことを「遅延金目当て」と表現したりしているといい、「大変な苦痛を受ける」と訴えた。 その上で改善策として、金融… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
元組織委理事宅・電通を捜索 東京地検、五輪めぐる受託収賄容疑
2022年7月26日 13時34分(2022年7月27日 0時17分更新) 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の高橋治之元理事(78)が代表を務めるコンサルタント会社が、大会スポンサーだった紳士服大手「AOKIホールディングス」(横浜市)から計約4500万円を受け取った問題で、東京地検特捜部は26日、受託収賄の疑いで高橋元理事の会社兼自宅などを捜索した。関係先として広告大手「電通」の本社(東京都港区)も捜索した。 関係者によると、高橋元理事が代表の「コモンズ」(東京都世田谷区)は2017年秋にAOKIとコンサル契約を締結。月100万円を基本とし、21年夏の大会閉幕までに計約4500万円を受領したという。 特捜部は、高橋元理事が理事の職務に関してAOKI側から依頼を受け、コンサル料の名目で賄賂を受け取った疑いがあるとみて、強制捜査に踏み切った。 高橋元理事は電通の専務や顧問を歴任。スポーツビジネスに長く携わり、幅広い人脈があった。電通を退職後の14年から22年まで組織委理事を務めた。 電通は14年、組織委からスポンサー選定を取りまとめる専任代理店に指名された。組織委には、公式ライセンス商品の販売などを担当するマーケティング局長をはじめ、電通から多くの社員も出向していた。 AOKIは18年にスポンサーの一つ「オフィシャルサポーター」に選ばれ、五輪エンブレムを使った一般向けスーツなどの公式ライセンス商品を販売した。 高橋元理事は朝日新聞の取材に、受領した資金は「五輪とは関係ない。働きかけはしていない」と強調した。AOKIの青木拡憲(ひろのり)前会長(83)は特捜部の任意聴取に、電通で培った元理事の人脈に「期待」して資金提供したと説明し、賄賂性は否定したという。 電通は「捜査に全面的に協力する」とのコメントを出した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
福岡・中間市の園バス5歳児熱中症死から1年 遺族の癒えぬ胸の内
安斎耕一、板倉大地2022年7月26日 21時07分 福岡県中間市の双葉保育園で昨年7月、園児の倉掛冬生(とうま)ちゃん(当時5)が送迎バス内に取り残され、熱中症で死亡した事故から29日で1年となる。命日を前に26日、冬生ちゃんの遺族が報道陣の取材に応じ、いまも癒えぬ苦しい胸の内を明かした。 「1年経ったけど、冬生ちゃんに会いたくて仕方がないです」。好きだった果物やゼリー、ぬいぐるみなどが供えられた仏壇に手を合わせた母親(38)は、涙をにじませながらこう語りかけた。祖父(69)は「同じくらいの子を見ると『生きていたら、このくらいかわいかっただろうな』と思う。なぜこんなことが起きたのか。1年経っても考えている」と話した。 この事故で福岡地検は、当時の園長だった浦上陽子前園長(45)と、園児を降車させる係だった女性保育士(59)の両被告を、3月31日付で福岡地裁に業務上過失致死罪で在宅起訴している。 起訴状などによると、2人は昨年7月29日朝、園児7人が乗った送迎バスが保育園に到着した際、泣いていた園児をあやすのに気をとられ、冬生ちゃんを残して施錠。炎天下のバスの中に同日午後5時すぎまで放置し、熱中症で死亡させたとされる。 刑事裁判は今秋に始まる見込み。祖父は、当時何が起き、孫はなぜ命を落とすことになったのか、前園長らから改めて詳しく聞きたいと願っている。「罪を重くしてもらいたい。事故は絶対繰り返して欲しくない。冬生が最後の犠牲者に、と思っている」と語った。行政に対しては、再発防止のために「点呼など(保育施設向けの)ルールをつくって、それを常に守っているか確認してほしい」と求めた。(安斎耕一、板倉大地) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル