ウクライナ情勢を受け…北方領土・貝殻島のコンブ漁 ようやく妥結=HTB提供 北方領土・貝殻島周辺水域でのコンブ漁について、北海道水産会は3日夜、操業条件をめぐる交渉でロシア連邦漁業庁と妥結した、と発表した。ロシアのウクライナ侵攻の影響で交渉が遅れ、例年の漁解禁日の6月1日を過ぎても日本漁船の出漁ができずにいた。地元・根室市の漁業者からは、約60年の歴史を持つ漁の継続に安堵(あんど)の声が聞かれた。 昨年の交渉は4月中に1日で終えていたが、今年はウクライナ侵攻で日本や欧米各国が対ロ経済制裁を発動する中、交渉開始が遅れた。解禁日直前の5月27日にようやく交渉を開始。道水産会の山崎峰男副会長ら日本側とロシア漁業庁のシマコフ船団・港湾・国際協力局長らロシア側がオンラインで協議を続けた。 合意内容は、操業期間は昨年… この記事は有料会員記事です。残り1048文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】天皇陛下、5日は植樹祭に 皇室との関わり振り返る
2022年6月4日 21時55分 天皇陛下は5日、滋賀県で開かれる第72回全国植樹祭にオンラインで出席します。皇后さまも体調に支障がなければ同席します。全国植樹祭は天皇、皇后両陛下の定例地方訪問の一つで、国民と触れ合う機会にもなっています。皇室と植樹祭との関わりを貴重な写真で振り返ります。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
誰も知らない本当の名前、33番札のミミ 「父」がつかんだ手かがり
京都市中心部の河原町通。路地を入ったところにある町家の軒先に、お座りをした小麦色の雑種犬の写真が飾られている。 「サンの店 SAN Cafe」 佐藤研二さん(70)が11年前、自宅の一角に開いた喫茶店だ。 サンは開店の直前、ここへやってきて、店の人気者になった。 正式な店名は別にあったのに、常連客たちはいつのまにか「サンの店」と呼ぶようになった。 鴨川沿いや京都御苑を通り、サンと散歩するのが佐藤さんの日課だった。サンに愛想はないのに、なぜか人や犬が寄ってくる。マイペースな性格で、他の犬にほえられても動じない。 「出会う前も、かわいがられていたんだろうな」と、佐藤さんは思う。 サンがこの世を去ってから、まもなく3年。 元の飼い主はだれだったのか。 探し出して、伝えたい。「サンは京都で楽しく生きたよ」 夢中で逃げたら、ひとりぼっち 佐藤さんは昨年2月、サンが主人公の絵本をつくり、自費出版した。 物語は次のように始まる。 東北に、春の雪がふったある日、とつぜん、じめんがゴォーという音をたててゆれた。ぼくは、むちゅうでにげて、にげて、気がついたら知らない場所でひとりぼっち。ぼくは「まいご」になっていた――。 2011年3月11日の東日本大震災。 被災地で飼い主とはぐれたペ… この記事は有料会員記事です。残り1340文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
89歳の三浦雄一郎さん「素晴らしい記録」 堀江さんゴールを喜ぶ
浅倉拓也2022年6月4日 18時30分 83歳の堀江謙一さんが単独無寄港太平洋横断を達成したことについて、89歳の冒険家、三浦雄一郎さんは開口一番「良かった」と、大きな声で喜んだ。「60年前の『太平洋ひとりぼっち』は人類初の壮挙だったが、それからいくつもの冒険航海をやって、80代になってもまだ夢を持ち続けて、今回また素晴らしい記録を作ってくれた」 80歳でエベレストに登頂するなど山に挑んできた三浦さん。冒険のフィールドは異なるが「嵐もあれば、なぎで動かないこともあっただろう。想像もつかない苦難を乗り越えての到達。壮大なスケールのロマンで、人類の冒険史上に立派な足跡を加えた」とたたえた。 三浦さんは2年前に首の後ろの血管が切れる大きな病気を患った。まだ足にしびれが残っているといい、リハビリに励んでいる。「思ったより時間がかかっている」と言いつつも、「できれば来年くらいに富士山に登りたい」と目標を明かした。(浅倉拓也) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
カエル寺 シャボン玉舞う 風鈴まつり 6月6日はカエル記念日
カエル寺として知られる福岡県小郡市の如意輪寺で、「風鈴まつり」が始まり、約4千個の風鈴が涼しげな音色を奏でている。 如意輪寺の原口元秀(げんしゅう)住職(73)は「寺を楽しい場所にし、多くの人に来てもらいたい」と、カエルの置物を集め始め、今年で30年。境内や本堂横の「カエル部屋」には大小様々なカエルが1万体以上ある。鳴き声の「ケロケロ」から、6月6日は「カエル記念日」とされ、「カエルまつり」が開催される。 風鈴は15年前から境内の階… この記事は有料会員記事です。残り253文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ベンチがかまど?クッションが寝袋に 進化する防災、日常も非常時も
「フェーズフリー」と呼ばれる、防災の新たな考え方に注目が集まっている。災害が起きた非常時と日常を切り分けず、双方の場面で使えるサービスや商品を充実させることで、防災力を高める考え方だ。本格的な梅雨時期を前に最新のサービスや商品を探った。 福岡市博多区に今春オープンした大型商業施設「三井ショッピングパーク ららぽーと福岡」。入り口から徒歩1分ほどの遊歩道に設置されているのが「かまどベンチ」だ。 普段はベンチとして使い、災害時は煮炊きできるかまどに変わる。45リットルの大鍋が2個設置でき、約300人分の汁物が調理できる。 ららぽーと福岡では、地震や水害などが発生した場合、施設の一部を、帰宅が難しい利用者の一時待機場所に想定するなど、災害対策に取り組む。マンホールのふたを外して簡易便器を置けば直接用を足せる「マンホールトイレ」も設ける。担当者は「大きな災害が発生した際、重要な社会インフラとしてお客さまの安全を引き受ける責任がある。行政や地域と密着し、防災活動に取り組みたい」と語る。 アイデアグッズ続々 従来の防災グッズや非常食にも、フェーズフリーの考え方が広がる。 健康や美容グッズを販売する… この記事は有料会員記事です。残り1168文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「ドン横の王」ら男2人逮捕 知名度利用、少女にみだらな行為容疑
名古屋市中心部の「ドン・キホーテ栄本店」近くの広場で待ち合わせた少女(16)にみだらな行為をしたとして、愛知県警は、いずれも住所不定で自称自営業の尾島壮太郎容疑者(20)と浜田祐摩容疑者(24)を県青少年保護育成条例違反容疑で逮捕し、4日発表した。2人は容疑を認めているという。 同店周辺は「ドン横」と呼ばれ、家庭や学校に居場所のない少年少女のたまり場になっている。 中署によると、尾島容疑者は日常的に「ドン横」に出没し、「ドン横の王」と自称していた。尾島容疑者らは動画アプリ「TikTok」で動画配信するなどして生計を立てていたという。 逮捕容疑は、2人は共謀して3日昼ごろ、名古屋市中区のホテルで18歳未満と知りながら、少女にみだらな行為をしたというもの。 少女は2人の「TikTok… この記事は有料会員記事です。残り283文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ドラマ「30までにとうるさくて」男性目線でも刺さる20代のリアル
30代を前にした女性たちの悩みや葛藤を描いた「ABEMA」オリジナルドラマ「30までにとうるさくて」。主人公の彼氏役を演じた俳優の堀井新太さん(29)は、男性目線から見ても「リアルで、刺さる内容」だったと振り返ります。男女に関係なく20代後半が抱く迷いや焦りにどう向き合うべきか。いままさに29歳として葛藤する堀井さんに、ドラマにも触発された心の内や30代に向けた思いを聞きました。 ドラマ「30までにとうるさくて」 インターネットテレビ「ABEMA」で今年1月から配信されているオリジナルドラマ(全8話)。それぞれ異なった感性や価値観を持つ、現代の東京を生きる29歳独身女性たち4人組の恋、キャリア、性、友情の物語。「30歳までに結婚しないと…って焦るけど、なんで?」「29歳、私たちこのままでいいのかな」など、“30歳”という節目の年齢を意識する女性ならきっと誰もが一度は感じたことがある悩みや焦り、怒りを抱えながらも、自分たちの意思で乗り越えていく姿を、ユーモラスかつ痛烈にオリジナルストーリーで描く。主演は、人気バンド「ゲスの極み乙女。」のドラマーとして活動しながら、女優としても活躍するさとうほなみさん。脚本は劇作家で劇団「贅沢(ぜいたく)貧乏」主宰の山田由梨さん。 責任を感じるようになる年代が20代後半 ――女性の生きづらさに焦点を当てたドラマで、共感する女性も多かったと思います。キャリアをとるか家庭をとるかという、主人公・遥の悩みに、男性として共感する部分はありましたか 「僕も結婚や子育てをするとなったら、この仕事を続けていけるんだろうかとかやっぱり考えたりします。自分の場合は人気商売なので特殊ですが、『応援し続けてくれる人はいるのだろうか』とか思うときもあります。脚本を読んだとき、自分も30歳を迎えるに当たって、胸に突き刺さる内容だなと一番に思いました。 この年代って、責任を感じる… この記事は有料会員記事です。残り2010文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
もう「臭くて苦いやつ」と言わせない ホヤの弱点判明、ブランド化へ
「海のパイナップル」とも呼ばれるが、「臭い」「苦い」などといわれ、敬遠されがちな海の食べ物、ホヤ。東北の太平洋側ではなじみのある食材だが、ほかの地域での知名度はいま一つ。そこで、生産量日本一の宮城県の業界関係者がブランド化をめざし、「極み」をつくった。取り組むなかでホヤの弱点もわかった。 ホヤ生産の中心地で太平洋に面する石巻市で発表会が開かれたのは5月31日。「ほやの極み」と名付け、ブランド展開を始めるという内容だった。 会場に行くと、試食品が配られた。小さな容器に3切れ。オレンジ色が美しく、パイナップルというよりはマンゴー。口に入れると爽やかな磯の香りが広がり、臭みや苦みはほぼない。ほんのりと塩味がして、食感も味も生がきに似ている。石巻に赴任して初めてホヤを食べ、1年あまりたつが、正直、ここまでおいしいホヤは食べたことがなかった。 ブランドづくりをしかけたのは、宮城県内の加工業者や県、県漁協などでつくる「宮城ほや協議会」(田山圭子会長)だ。遠隔地にホヤを運ぶと、鮮度が落ちてしまう原因を探ろうと、宮城大の協力で様々な条件を変えて試食した。 分かったホヤの弱点は「真水… この記事は有料会員記事です。残り895文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
燃えさかる炭火にかけた地鶏 宮崎県民の脳裏に刻まれる味のルーツは
数年前に勤務した宮崎県が大好きだ。コロナ禍前は長期休暇のたび、癒やしを求めて訪れた。お目当ては、現地での取材がきっかけで始めたサーフィンと、指導してくれた親友たちに会いにいくことだ。 南国特有の強い日差しを浴びながら、海につかるだけで気持ちがいい。そして夜は友人との宴会。必ず出てくるのが「地鶏の炭火焼き」だ。焼酎のソーダ割りと一緒に口にすると、日ごろのストレスは吹っ飛び、宮崎に帰ってきたことを実感する。 炭火焼きを初めて見たとき、その黒さにぎょっとした。だが、いつしかくせになり、飲み会で欠かさず頼むようになった。スーパーでも購入でき、専門のデリバリー業者があるほど、地元から愛されていた。 東京で本場の味を楽しめる店はないか。宮崎の友人が教えてくれたのが、恵比寿駅(東京都渋谷区)から徒歩3分の居酒屋「てにゃわん」だ。店の前には、方言で「宮崎料理やっちょります」の看板。大都会で宮崎が感じられて気分が上がる。 居酒屋などで楽しんだことがある方も多いのではないでしょうか。記事の後半では、そのルーツに迫ります。 てにゃわんとは宮崎弁で「手に負えない」という意味だ。宮崎県高鍋町出身の店主・小澤拓郎さん(39)が幼いころにわんぱくで、周囲からそう言われたことにちなんでつけた。 こだわりはほとんどの食材を宮崎から取り寄せていること。肉、魚、野菜。どれをとってもおいしい地元の素材の良さを知ってほしいからだ。炭火焼きに使うのは県内のブランド地鶏「妻地鶏」か「黒岩土鶏」。肉質が柔らかく、たたきとして出せるほど良質なものだという。 切り分けた地鶏に、塩とコショウ、料理酒で下味をつけた後、金網に入れて炭火にかける。そこに鶏油(チーユ)をかけると、天井近くまで炎が上がる。炭でいぶされることで肉が黒くなり、香りをまとうという。小澤さんは「この香りが食欲をそそるんです」。 てにゃわんでは、キャベツを敷いた鉄板にゆずこしょうを添えて出される。「ジュジュジュ」と音を立てる鉄板から口に運ぶと、鶏のうまみといぶされた香りが広がる。ややレアの状態で仕上げるため柔らかくて食べやすい。 小澤さんの実家は、町内で名の通った仕出し店を営む。冠婚葬祭や運動会などのたびに大量の注文が入り、幼いころから毎日のように仕込みや配達を手伝った。大変だったが、地元の人から「おいしかったよ」と、声をかけられるのが誇らしかった。 高校卒業後に上京。都内の大学を卒業した後、飲食の道を志して、食品卸会社に就職。その後、故郷に恩返ししたいとの思いが強まり、都内の宮崎料理店などでの修業を経て、約7年前に開店した。 小澤さんが東京で感じるのは、宮崎県出身者の仲間意識の強さだ。出身者同士が出会うと意気投合し、ことあるごとに店で宴会を開いてくれる。コロナ禍で店が打撃を受けたときも、「大丈夫か」と足を運んでくれたり、商品をテイクアウトしてくれたりした。 将来は海外にも宮崎料理店を出したいと考えている。「料理のおいしさだけではなく、人と人のつながりを大事にする宮崎人の温かさも広めていきたい」(堀川勝元) そもそも地鶏の炭火焼きはどのようにして生まれたのか――。 たどり着いたのが、宮崎市の繁華街「ニシタチ」にある1954年創業の「丸万焼鳥本店」だ。3代目の前田龍好さん(61)は「祖母が考案したものです」と教えてくれた。 前田さんによると、漁師町出身だった祖母の故・トモエさんは54年、県庁前でスズメの丸焼きや鶏の串焼きの屋台を出した。アジの開きを参考に、鶏のもも1本を開いて短冊状に切り目を入れて出すと、物珍しさから行列ができた。これが始まりという。 翌年、現在の場所に店を構えた。当初は農家が飼う地鶏を使っていたが、売れ行きが好調で、次第に鶏が足りなくなり、肉のうまみが強く、歯ごたえがある採卵鶏を使うようになった。トモエさんは焼き鳥と呼んでいたが、いつしか、もも焼きや炭火焼きと呼ばれるようになったという。 前田さんは「初めてだと見た目で戸惑う方もいるが、お酒にも合い、一度食べると、また食べたくなる。祖母の味を末永く守り続けていきたい」。 観光に詳しい宮崎産業経営大学元教授の渡辺綱纜(つなとも)さん(91)によると、1960年代、新婚旅行で宮崎に訪れた著名人が炭火焼きを味わったことが報じられ、その存在が全国に知られるようになったという。「食を通じて宮崎を有名にしたものの第一号だ」と説明する。 渡辺さん自身も、交流のあった故・永六輔さんらをたびたび丸万に案内したといい、「『鶏がこんなにおいしいものとは知らなかった』とみんな大絶賛していた」と振り返る。 こうした老舗に続いて宮崎市内でも多くの店ができた。1990年創業の名店「ぐんけい」もその一つだ。創業者の黒木賢二さん(84)が独自に取り組んだのが大きな金べらを使って一度に大量の地鶏を焼くことだ。大きな炎が上がることが話題となった。またブランド地鶏「みやざき地頭鶏(じとっこ)」をいち早く取り入れ、認知度向上に一役買った。 いまや宮崎県民にとって地鶏の炭火焼きは欠かせない存在だ。新宿駅近くの県のアンテナショップ「新宿みやざき館KONNE」の杉尾重和さん(52)は、県出身者同士で酒席があるときは必ず地鶏の炭火焼きを頼む。仲間と鶏をつまみながら過ごす楽しい時間が、その味とともに脳裏に刻み込まれるという。 杉尾さんは「炭火焼きは宮崎の人の心に根付いたソウルフード。県外の人も食べてほしい」。 取材を終え、またあの懐かしい味に触れたくなった。(堀川勝元) えびす宮崎料理 てにゃわん 住所:東京都渋谷区恵比寿西1-13-6 ブラッサムZEN 地下1階 電話:03-6452-5262 営業時間:午後5時~午前0時 不定休 ■宮崎県 人口105万人。温暖で日照時間が長く、日向灘に面する約400キロの海岸線に約40のサーフスポットが点在する。畜産や農業が盛んで、ブロイラーの飼養頭数は全国1位、豚は2位、肉用牛が3位(いずれも昨年2月現在)。特産品のマンゴーも有名だ。最近は、宮崎市のギョーザの年間支出額が宇都宮市や浜松市をおさえて日本一となったことで脚光を浴びている。 ■太陽のタマゴ 1名様に 宮崎特産で今が旬の完熟マンゴー。その中でも糖度15度以上などの基準を満たした最高級品「太陽のタマゴ」(2個入り、1万2千円相当)を、抽選で1名様にプレゼントします。締め切りは12日。朝日新聞デジタル会員が対象(無料でご登録いただけます)。応募は専用ページ(http://t.asahi.com/gotochi0603)へ。QRコードからもアクセスできます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル