田んぼが「負債」と呼ばれている。もうけが薄く、耕さないと負担だけになる。子や孫に受け継げるのか。 さいたま市東部を流れる元荒川沿いの田園風景は、10年ほど前から数軒の農家を中心に守られてきた。耕作放棄地が出ないよう、川沿いの約80ヘクタールのうち約30ヘクタールの田んぼをお年寄りなどから借り、耕している。 兼業農家の三城貴広さん(50)は田植えの時期が近づくと、30カ所に点在する農地を出勤前に見回るのが日課になる。午前4時台に水を入れ、朝食を食べてから出勤前に水を止めに寄る田んぼもある。地盤がやわらかい場所は、時速10キロほどの小型トラクターに乗り換えて見回る。移動距離は毎日約17キロにも及ぶ。 専業農家の金子利光さん(46)も毎朝5時からの巡回を欠かさない。仲間が管理する田んぼのあぜに穴が開いていれば、「来る時間がなかったのかな」とそっと直す。 評判は口コミで広がる。 仲間の小島信昭さん(56)が権利者100人から借りている田んぼは計18ヘクタール。10年前から増え続けている。後継ぎがいないお年寄りから「貸すから耕してほしい」と頼まれることが多い。10年前の3倍に増えた農地の多くは点在し、効率的ではない。「1人では20ヘクタールが限界かな」 この地域は江戸時代中ごろの新田開発から米作りが盛んだが、いま瀬戸際にある。 ■赤字ぎりぎり、それでも… この記事は有料会員記事です。残り551文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
全身タトゥーの「道場破り」と対決 空手の達人がつくる沖縄そばの味
おでかけ関西 ちょっとウラ話 鋭い眼光。分厚い拳のたこ。 「フシュー」 独特の呼吸法から突き、蹴りを繰り出す。72歳とは思えない素早い動き。毎日2時間のウォーキングを欠かさず、足腰を鍛えている。 「体を維持しておかんと、危険なのがちょこちょこ来るからね。『道場破り』とかな」 沖縄料理屋「ぴないさーら」を訪ねると、店主の喜屋武(きゃん)邦夫さん(72)が道着姿で迎えてくれた。 1階が食堂、3階が空手道場になっている。喜屋武さんは厨房(ちゅうぼう)を出て道場に立つと、身長160センチながら大きく見える。剛柔流8段、琉球空手の達人だ。 腕自慢が他流試合を挑んでくる「道場破り」。猛者たちと、何度も対峙(たいじ)してきたという。 例えば、10年前――。 稽古に励んでいると突然、若い男が乗り込んできた。 男は上着を脱ぐと、全身に入れ墨があった。ただ者ではない身のこなし。格闘技を相当やり込んでいるように見えた。 鋭い正拳突きを繰り出してきた。 喜屋武さんは、その瞬間を見… この記事は有料会員記事です。残り1606文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大人が導く「だるまさんが転んだ」 コロナで減る外遊び、どうすれば
長引くコロナ禍の影響で子どもたちの運動不足が懸念されるなか、「外遊び」に注目が集まっている。公園で新しい取り組みを始めた自治体が出てきたほか、子どもたちがより自由に遊べる環境作りも広がりつつある。 「じゃあ、行くよー!」 2月下旬の平日午後。東京都江戸川区の本一色児童遊園に、元気な子どもたちの声が響いた。普段の公園と違うのは、そこにビブスを着た大人が一緒に遊んでいること。子どもたちに遊びを教える「プレーリーダー」として区の委託を受けたスポーツトレーナーの斎藤俊祐さん(32)だ。 この日は、午後3時半ごろから斎藤さんが公園にいた子どもたちに声をかけ、一緒に大縄跳びを始めた。最初は小学校低学年の児童6人ほどだったが、次第に参加する児童が増加。だるまさんが転んだを始めた頃には、高学年の子を含め、10人以上が参加した。 輪に加わった小学3年の女子… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
咲いてイスタンブール 関門海峡望む斜面に7色チューリップ 山口
山口県下関市の火の山公園内にある「トルコチューリップ園」で、色とりどりのチューリップが見頃を迎え、関門海峡を望む山の斜面を鮮やかに彩っている。 下関市とトルコ・イスタンブール市は、海峡が縁で1972年に姉妹都市を締結。下関市は、2007年に35周年を記念してイスタンブール市から寄贈された球根を植え付け、翌年チューリップ園を整備した。 市公園緑地課によると、7品… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
社会学者の見田宗介さん死去 84歳 「現代社会の理論」
著書「現代社会の理論」「気流の鳴る音」など幅広い著述活動で知られる社会学者で、東京大学名誉教授の見田宗介(みた・むねすけ)さんが1日、敗血症で亡くなった。84歳だった。葬儀は近親者で営んだ。 1937年東京都生まれ。60年に東京大学文学部社会学科を卒業。65年に同大学院を満期退学後、東京大学教養学部で講師、助教授を務め、82年に教授に就任。退官後、98~08年には共立女子大学教授を務めた。 社会心理学、現代社会論が専門。社会科学的な分析の明晰(めいせき)さとともに、詩的で直観的な対象の把握と文体が結びついた独自の視点とスタイルの研究、評論活動で注目された。60年代には流行歌や文学作品、映画、新聞の人生相談欄など、数量化されない質的データの社会学的分析を試み、「価値意識の理論」「近代日本の心情の歴史」などにまとめた。 70年代には論文「まなざしの地獄」で連続射殺犯の永山則夫を考察。真木悠介(まきゆうすけ)のペンネームで「人間解放の理論のために」「現代社会の存立構造」を発表し、現代における個人と社会構造のつながりを論じた。 74~75年にメキシコ大学… この記事は有料会員記事です。残り247文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】上皇ご夫妻、63回目の結婚記念日 国民に寄り添う姿
2022年4月10日 5時00分 上皇ご夫妻は10日、63回目の結婚記念日を迎えました。長野・軽井沢のテニスコートでの出会い。そして、戦没者慰霊や被災地へのお見舞いなど、国民と寄り添う「平成流」の象徴天皇像を二人三脚で築きました。お二人の歩みを貴重な写真で紹介します。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
もし、ゼレンスキー大統領が脱出したら… 非難しないと言えますか?
メディア空間考 奥山晶二郎 ウクライナ情勢が刻々と変わる中、何らかの理由で、ゼレンスキー大統領がウクライナから脱出したら……。合理的な説明があっても、非難する気持ちをおさえられない人が出てくるだろう。私もその一人になるかもしれない。 先日、ツイッターの音声生配信機能「スペース」を使って、約20万人にフォローされる人気アカウント「たられば」さんとウクライナを巡るSNS上の情報について語り合った。 シェークスピアを引用するなど様々な工夫が施されているゼレンスキー大統領の演説。彼が証明したのは、SNSで語られる物語の強さだ。その秘密について一緒に考えた。古典に詳しい「たられば」さんは、それをスマホから届く「睦言(むつごと)」と表現する。 人々の心をつかむ物語の強さ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ウクライナ避難者6人、政府が座席借り上げた民間機で日本に
ロシア軍によるウクライナ侵攻から逃れ、日本への避難を希望した6人が9日、日本政府が座席の一部を借り上げた民間航空機で成田空港に到着した。民間機を利用した支援は初めてで、政府は当面、毎週実施するという。 出入国在留管理庁によると、6人は6~55歳で、女性5人、男性1人。自力で日本への渡航手段を確保することが難しい人たちで、政府が航空券の手配やビザ発給を支援したという。 6人はポーランドと日本を結ぶLOTポーランド航空の直行便に搭乗した。同航空は現在、ロシア領空を避けて運航しており、9日午後2時前に成田空港に到着。6人は入管職員らに付き添われて検疫や入国審査に向かった。 ウクライナの母、日本にいる娘と涙の再会 このうちの1人はウクライナ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
全国のコロナ感染者、5万2741人 累計で700万人超に
新型コロナウイルスの国内感染者は9日、5万2741人(午後7時半現在)が新たに確認された。4日連続で5万人を超え、国内の感染者の累計は700万人を超えた。前週の同じ曜日(2日)より3927人多く、長野県で過去最多を更新した。亡くなったのは全国で49人だった。 東京都の新たな感染者は8102人で、3日連続で前週の同じ曜日を上回った。9日までの1週間の感染者数をみると、1日あたり7552・9人で、前週(7622・4人)の99・1%だった。新たな感染者を年代別でみると、最多は20代の1691人。30代の1482人、10歳未満の1320人、40代の1255人、10代の1030人、50代の704人と続いた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「戦争から逃げた人、難民でない」 日本の考え方は半世紀遅れ
ロシアの侵攻から逃れたウクライナの人たちの日本への避難が続いています。9日にも日本政府が座席を借り上げたポーランド航空の直行便で入国しましたが、政府はこれらの人は難民条約上の「難民」ではなく、特例的な「避難民」と位置づけています。ただ、識者からは「難民として受け入れられるはず」との声が上がっています。難民法に詳しい明治学院大学の阿部浩己教授に聞きました。 戦争や武力紛争から逃れてきた人は、難民条約上の「難民」ではない、というのは国際社会では半世紀近く前の考え方です。 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は1979年に、「武力紛争によって国を離れないといけなくなった人は、通常、難民条約上の難民にはあたらない」という難民認定の基準を公表しました。 しかし、難民条約はもともと第2次世界大戦期に深刻化した難民問題を受けて定められたという経緯があり、研究者らからはこの基準について「戦争で国を離れざるを得なくなった人を助けられないのでは、条約の趣旨や目的に反するのではないか」との批判が出ました。 条約の解釈を広げてきた国際社会 こうした見解をふまえ、カナダやアメリカ、オーストラリア、フランスなどの難民認定機関や裁判所は90年代から「戦争から逃れてきた人であっても条約上の難民にあたる」との判断を次々に出すようになりました。UNHCRも2016年には「戦争、武力紛争であっても条約上の難民に該当する」と明記したガイドラインを出しました。 国際社会では、研究者や難民認定機関、裁判所、UNHCRが議論や実践を重ね、難民条約として解釈の幅を広げてきたのです。 しかし、日本は国際社会の潮流から距離を置いたままです。日本政府の政治的な裁量によって難民条約上の難民の解釈をものすごく狭く解釈してきています。このような考え方から、日本では難民認定の基準が厳しいのです。 日本は国際社会の潮流に乗っていない 今回も「戦争から逃れてきたので難民ではない」と一概に言ってしまうのではなく、難民条約の理念に照らし、個別の事情にきちんと着目して審査すれば、条約上の難民にあてはまる可能性は十分にあります。 「難民鎖国」とも指摘される日本、また日本社会がこの問題にどう向き合っていくべきなのかをさらに考えていきます。 条約では迫害の主体が誰か… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル