取材・構成 本間ほのみ2022年3月20日 15時00分 日本で最初にできた動物園、東京・上野動物園は20日、開園140年を迎える。今年は、日中国交正常化の象徴としてジャイアントパンダがやってきてから50年の節目でもある。日本パンダ保護協会名誉会長の黒柳徹子さんに、パンダと上野動物園の思い出について書面でインタビューした。 ――黒柳さんとパンダの『出会い』は、6歳くらいの時だったそうですね。 おじから、アメリカのお土産にパンダのぬいぐるみをもらいました。何よりも大切にしていたくらいで、いつも抱いていました。戦争中も常にリュックにしまって、背負って空襲の中を逃げていました。 パンダの魅力は、まん丸くて、どこから見ても可愛いところ。中国のものなので、なかなか中国にも行けず、1968年、わざわざロンドンの動物園まで見に行きました。 ――パンダが上野に初めてやって来たのは1972年です。中国からオスのカンカンとメスのランランが寄贈されました。 パンダが日本に来るなんて、夢のように思いました。初めて見た時、カンカンは子どもっぽく、ランランは少しお姉さんのようで、はっきりと個性がわかって興奮しました。 ――パンダがやってきて今年10月で50年。3月20日には、上野動物園が開園140周年を迎えます。 上野動物園は子どものときから憧れの場所でしたが、パンダが来てからは、私の最も大切な、親しみのある場所になりました。特にパンダ課長の中川志郎さん(※カンカンとランランが来園した時の飼育課長で、パンダ課長の愛称で親しまれた。1987~90年に園長を務めた)と親しくさせていただいてから、上野はかけがえのない場所になりました。(取材・構成 本間ほのみ) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
半世紀前、たった3冊から始まったパンダ飼育 上野動物園140年
初対面は、全く予想外のものだった。約14平方メートルの部屋の中で、黒と白の巨体2頭が動いていた。1頭は落ち着きなくソワソワ、もう1頭は水をグビグビ飲んで動じる様子もなかった。 1972年10月28日午後9時ごろの上野動物園(東京都台東区)。当時、32歳だった獣医師の田邉興記さん(81)は、初めて日本にやってきたジャイアントパンダと向き合い、おののいた。「抱っこして、よしよしできると思っていたのに……」。そわそわしていたのはカンカン(オス・2歳)で体重55キロ。ランラン(メス・4歳)は同88キロ。とても、抱えられる大きさではなかった。 この出会いからさかのぼること約1カ月前。日本に突如、パンダのニュースが席巻した。9月29日、北京。田中角栄首相と周恩来首相が日中国交正常化の共同声明に調印。交渉に同行した二階堂進官房長官はその後の記者会見でこう発表した。「国交正常化を記念し、パンダのオス、メスが贈られることになりました」 「早くも争奪戦」。9月29日付の朝日新聞夕刊はこの見出しで報じている。発表では、パンダがどの動物園に来るのかは明らかにならなかった。記事では、大阪市が名乗りを上げたとも伝えている。 上野と正式に決まったのは、会見から数日後のことだ。ただ、理由ははっきりしない。82年発行の「上野動物園百年史」にも記載はなく、動物園に聞いても「分からない」という。 上野動物園が20日、開園140年を迎えました。今年10月にはジャイアントパンダのカンカン、ランランがやってきてから50年になります。二つの節目を迎える日本で最初の動物園の歩みを、園にまつわる資料や書籍、当時の飼育係や獣医師らの証言でたどります。 国内139カ所の施設が加盟する日本動物園水族館協会の成島悦雄専務理事(72)は「当時の官房長官に聞かないと本当のところは分からない」と前置きした上で、上野動物園の成り立ちに着目する。「開園当時は国の所管で、上野は国立動物園のような存在だった。国賓のパンダを大事にするというメッセージを込めたのではないか」 開園は140年前 わずか1ヘクタールで 上野動物園が「開園」したのは、今から140年前の1882年3月20日。同日にオープンした博物館(現在の東京国立博物館)の付属施設だった。上野動物園百年史によると、博物館は、オーストリア・ウィーンでの万博に出品される国内の物産を展示するために造られた。その展示品の中にワシやトビなどの動物もいて、広く観覧されたのが動物園の始まりだという。当時の敷地は、現在の上野動物園の東園の一部。約1ヘクタールの広さだった。 クマや水牛、鳥などのほか、半年後には、オオサンショウウオやキンギョがいる「観魚室」、国内初の水族館ができた。この年の入園者数は20万5454人。当時の東京都の人口は約115万人だった。 上野には開園後、海外で生息する動物が続々とやってきた。イタリアのサーカス団「チャリネ曲馬団」からもらったトラ、清国から贈られたシフゾウ、戦利品で得たラクダ。キリンやカバなども国内で見られるようになった。1923年の関東大震災で約3カ月閉園した後は、無料開園で被災者を励まし、多くの動物を失った浅草の花屋敷にゾウを譲り渡した。 先駆的な展示にも取り組んだ。1928年、太い鉄格子のオリに入れていたホッキョクグマを、柵を設けない「無柵放養式」の展示に切りかえた。ホッキョクグマは現在も同様の方式で展示されており、北極の氷を模したように塗られた壁は当時のままだ。大勢のサルが動き回る「サル山」も32年に上野で初めて導入された方法で、修繕を繰り返しながら使い続けている。 戦争へ 猛獣処分、その理由は 一方で、影の時代もあった。戦時中、多くの動物たちが戦意高揚に利用されたり、殺されたりした。 37年、日中戦争が始まると… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
障害者だけのTVキャスターチーム、パラリンピック変わる「伝え方」
13日に閉幕した北京冬季パラリンピックで日本勢は7個のメダルを獲得した。そのうち6個を占める活躍をみせたのがアルペンスキー。大会中、アルペンチームを指導する大日方邦子さん(49)は悔しそうに話した。 「これからの競技を担う子どもたちや若い人に目の前で大会を見せたかった。貴重な機会を失ったのは本当にマイナス」。北京パラは新型コロナウイルスの感染対策のため、地元の招待客以外の一般客は観戦できなかったからだ。 「パラバブル」。この数年、関係者間でささやかれてきた言葉だ。東京パラ開催が2013年に決まって以降、社会の関心や企業の支援が急に高まった。光が当たりにくい状況が長かっただけに、露出度が増えた近年の状態は関係者に「バブル」と映った。 「バブル、静かにしぼんでいく」 東京パラがコロナで1年延期… この記事は有料会員記事です。残り2231文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Regard zen sur le monde : « La mendicité est une pratique spirituelle en elle-même »
Moine zen mendiant devant la gare de Nagoya (Japon). WIKIPEDIA / LOMBROSO Le 15 septembre 2021, Clément Sans est devenu moine zen. Ordonné sous le nom de Tozan (« la montagne des pêches »), le jeune Français est désormais rattaché à un temple au Japon. Chaque mois, il nous envoie une lettre qui nous […]
Angels undecided on Shohei Ohtani’s spot in Opening Day lineup
Tempe, Arizona – The Los Angeles Angels are considering a number of spots in the batting lineup for two-way superstar Shohei Ohtani on Opening Day, Angels manager Joe Maddon said Saturday. The 27-year-old Ohtani batted No. 2 for the Angels in Saturday’s 12-5 spring training win over the Arizona Diamondbacks, […]
SLやまぐち号が運行スタート 力強い汽笛、迫力「五感で楽しんで」
後田竜衛2022年3月20日 13時03分 蒸気機関車が牽引(けんいん)するJR山口線の観光列車SLやまぐち号(新山口―津和野)の今シーズンの運行が19日始まり、山口市の新山口駅で出発式があった。ホームに約400人が集まり、1938年製のD51―200号機の迫力ある姿や力強い汽笛を楽しんだ。 79年8月に運行が始まり43年。11月20日までの土日と祝日を中心に86日間、62・9キロの区間を1日1往復する。 周南市から来た谷岡篤和(あつと)ちゃん(3)は家族4人で先頭のSLと記念撮影。平原康久駅長は「音や姿など五感を使って、沿線の風景とともに楽しんで下さい」と話した。(後田竜衛) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
地下鉄サリン事件27年、現場で献花 遺族「気持ち伝えていきたい」
オウム真理教による地下鉄サリン事件から20日で27年となった。現場の一つとなった東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)ではこの日、駅員が黙禱(もくとう)し、献花台に花を供えて犠牲者を悼んだ。 事件では、オウム真理教の信徒らが地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の5車両でサリンを発生させた。21~92歳の乗客や駅員ら14人が死亡し、6千人以上が重軽傷を負った。 霞ケ関駅助役だった夫の一正さん(当時50)を失った高橋シズヱさん(75)も同駅で献花した。サリンが入ったナイロン袋を片付けた一正さんは、搬送先の病院で亡くなった。 シズヱさんは「若い人に『事件が起きた実感がない』と言われる。経過だけでなく被害者や遺族の気持ちもきちんと伝えていきたい」と話した。 2018年には、事件に関与… この記事は有料会員記事です。残り179文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「またか」相次ぐ地震に戸惑う岩手県民 沿岸を中心に強い風雪被害も
西晃奈、唐沢俊介2022年3月20日 13時24分 また大きな揺れに見舞われた。18日午後11時25分、岩手沖を震源とする地震があり、野田村で最大震度5強を、普代村では震度5弱を観測した。気象庁は今後1週間ほど、同じくらいの強さの地震に注意が必要だとしている。相次ぐ地震に県民は戸惑いを見せる。 野田村では、破損したコンクリート製の煙突が木造の民家に落ち、屋根の一部が壊れた。けが人はいなかった。また、県道安家玉川線で土砂崩れがあり、一時通行止めになった。 同村の30代男性職員によると、自宅で揺れを感じてからスマートフォンの緊急地震速報が鳴った。「またか」。焦ったが、津波の心配がないという一文をスマホで見て、「安心感が違った」。その後、役場に駆けつけたが、庁内の資料が散乱するなどはなかった。 震度4を観測した宮古市職員の40代男性は「揺れは感じたけど短かったので怖さはなかった」と話した。 県は19日、災害対策本部員会議を開いた。同日午後2時半現在の集計で、人的被害は出ていないとした。 19日は揺れが大きかった沿岸を中心に、強い風雪による被害が目立った。民家の窓ガラスが割れたり、停電が多発したりした。(西晃奈、唐沢俊介) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Cubs and Seiya Suzuki agree to 5-year, $85 million deal
Mesa, Arizona – The Chicago Cubs announced Friday they have signed star Japanese outfielder Seiya Suzuki to a five-year deal. Terms of the deal were not disclosed, but it is worth a reported $85 million, plus the posting fee the Cubs will pay the Hiroshima Carp. The contract is the […]
せっせと働いたリツさん、最期の言葉は「ありがとう」
「あおいけあ」社長 加藤忠相さん 私は、神奈川県藤沢市で「あおいけあ」という小規模介護施設の社長を務めています。三つの小規模多機能型の介護施設「いどばた」「おたがいさん」「おとなりさん」、認知症グループホーム「結(ゆい)」を運営しています。ポリシーは、最期まで役割をもって生きてもらう、ということです。3回に分けて紹介します。 まずは「結」の小筆リツさんのケースについて。 リツさんが初めて結に来たのは、2009年12月でした。83歳の時でした。栃木県の農家の出身で、2人の子どもを愛してやまない、根っからの良妻賢母でした。毎朝早く、パジャマ姿に前掛けをして台所へ出ました。 日中は、掃除や洗濯、庭掃除… この記事は有料会員記事です。残り1056文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル